おはよう、君と共同戦線

 今この瞬間、私の状況は非常に宜しくなかった。

 アルフォンス君からもらった雑誌を閉じて、ぼうっと表紙を眺める。どうにか自分でも生きていけるくらいにはなろうと本を読み、勉強もしてはいるものの、まだまだ足りない。何が足りないと言われれば曖昧に何かがとしか言えないが、今の私には決定的な何かが足りなかった。もっとあれができるようになりたい、あれをしたい、そんな理想だけを口にしてても仕方がないのは分かってる。
 自分のペースでゆっくりなんてのはよく言ったもので、それでも私がゆっくりしていたら意味がない気がしてならなかった。

 はぁ、漏れた溜息には色んな思いがぎゅうぎゅうと押し合いながら詰まっている。それは病院にいた頃よりも悪化していて、じく、と胸が痛くなる。何より一番心苦しいのが年下であろうエドと共にいさせてもらってることだ。
 ……きっとロイさんであれば、まだ割り切れた。大人に彼に、彼等に、頼ることができた。けどエドは私よりも年下で、まだ同じ子供で。情けない、そんな言葉で押し潰されそうだ。

 エドやロイさんの前では今その瞬間を理解しようと必死だった脳みそも少し落ち着いてきた今、私に残された問題はまだまだ山のように残っている。

「……」

 そして、だ。
 意を決して、アルフォンス君に相談してみることにした。もう、一人じゃ無理だと思った。分厚い本を借りても、図書館に足を運んだとしても、知ることが出来るのはきっと表面上の知識だけ。知識ばっかりが増えた物知りになったって何も貢献できない。それに図書館は病院の中にあるものだから、ロイさんにあまりいい顔がされない。それじゃあ、何のために病院を移ったか分からないから。理由だとか動機だとか言葉は少し濁しつつ、ぽつりぽつりと言葉を落としていく。

──私もいい加減このままじゃダメだから。

 この国のことをもっと知りたい、私のできる限りのとこをしたいのだと、向かい席に座っているアルフォンス君に訴える。当のアルフォンス君は、最初こそ驚いたように声を上げていたけれど、途中からは真剣に話を聞き、うんうんと頷きながら相槌を打ってくれていた。

 やっぱりアルフォンス君に相談して正解だったなぁと思うと緊張で伸びる背筋が少しだけ和らいでいく。

「僕も賛成だよ。それにそういう気持ちって凄く大事だと思う」
「アルフォンス君……!」
「名前さんは具体的に何が知りたいの?」
「具体的に……?」
「うん。例えばこの国についてとか?」
「……この国のこととか地形とかはある程度は知ってて、」
「あ、そうなんだ! じゃあ何だろう……政治?」
「……政治もそのついでになんとなく」
「じゃ、じゃあ歴史とか!」
「史記も頭に叩き込んだつもりなんだけど……でも、確かに直接聞いた方がいいかな」
「……え」
「あと、私イマイチ軍の階級とか分からないから教えてくれたら嬉しいかも」
「……」
「ア、アルフォンス君?」
「……え、あ、ごめん!ちょっとビックリして」
「え?」

 あたかも驚いた、というように動きをピタリと止めたアルフォンス君はじっと私を見る。鎧の中の見えない瞳が大きく開かれているような気がした。
 な、何か変なこと言ったかな?
 不安になって「図書館で借りてきた本だけどね」と付け足してみるが、余計に驚かれてしまったような気がするから私も驚いてアルフォンス君を見つめ返す。2人で見つめ合って、その図は第三者が見ると奇妙なことだろう。

 眉を下げて「ど、どうかしたの?」と言えば慌てて「べ、別に変に思ったとかじゃなくて!」慌てて訂正しようと両手を顔の前で振る。その声は少しだけ上擦っている。

「そ、その短期間で凄いなって思って」
「? そんなに短期間でもないと思うけど」
「ううん、凄いよ。僕教えることあるかなって感じ」
「あるよ! まだまだ無知だし」
「でもそれだけ知ってたら充分だと思うな」
「いやいやいや……」
「その調子だったらあっという間に働けるようになって成功してるかもね」
「そ、それは言い過ぎだよ。今の私なんか社会で言ったらペーペーだしネズミ以下だし」
「ネ、ネズミ?」
「むしろネズミの方が生態系的に社会に貢献してるかも……」
「ネズミが貢献……?」
「働き蟻は先輩だね」
「名前さん。お願い、落ち着いて」
「……すみません」
「……名前さんは凄い人になってる気がするけどなぁ」
「は、はは……それは頑張らないと……」

 アルフォンス君は優しい。私を少しばかり過大に評価しているらしいけれど、こういう風に言ってもらえて嬉しくないわけがない。正直嬉しいし、そうならなきゃって思える。それに、アルフォンス君は心の底から優しい人だ。私のモチベーションが少しでも上がるように気をつかってくれてるんだ。

 そう改めて実感したら、心がほっこりと柔らかい熱を持ち始める。助けてくれた人達が優しい人たちで本当に良かったって。

 そんなアルフォンス君がはじめに提案してくれたのは、色んな人と話してみること。あまり一人で外をウロウロするのは危ないから良くないが、人と話してみることは経験上大事なことらしい。何だったら僕も一緒に付き合うよ、なんて言ってくれるから泣きそうになった。
 潤みそうになる目元をキュッと引き締めて、大きく頷く。……確かに色んな人と触れ合うことは何より大切だ。

 と、その時。

 アルフォンス君は一応兄さんに相談してみるねと席を立った。ガシャンガシャンといつものように鎧を鳴らしながら扉へ向かおうとするアルフォンス君を唖然と目で追いかける。パチリとゆっくり瞬きをした。あまりに自然に席を立つものだから、彼の言葉と行動が遅れて脳に届く。

 今、アルフォンス君は、兄さんに相談すると言った? ということは、恐らくエドのところへ向かおうとしている? 向かってどうする? 相談するって、私が今相談したことを更に相談する……?

 そこまで考え、ハッと意識が覚醒する。
 慌てて私も席を立った。ま、待て待て待て。それはまずい。待って。お願い。

 急いでアルフォンス君の正面に回り両手を広げると、私の必死な形相に気づいたのかアルフォンス君は「!?」ぴたりと止まった。
 我ながら驚きの機動力である。勢いがついたままその大きな鎧の腕を勢いよく掴むと、ギシリと金属の擦れる音がする。そのまま腰を90度に曲げて、スーッと息を吸い込んだ。
 分かってる。十分迷惑をかけているのは分かってる。だけど、待ってほしい。

「ごめんなさい!」
「何が!?」
「エドには、言わないでください!」
「え!?」
「この通りです!」
「ええええ!? 顔上げて! 分かった言わないから!」
「ありがとう……!」
「……理由聞いてもいい?」
「それはあの……秘密とか私が言える立場じゃないと思うだけど、思うんだけど、その」
「う、うん?」
「今はまだ、面倒事というか、そういったものを増やしたくないというか」
「……」
「ア、アルフォンス君には面倒かけていいとかそういうことを言ってるわけじゃないんだけど!」
「うん」
「今の時点でも時々嫌になるくらいにはお世話になってて、きっとこの事を言ったらまた協力してくれそうな気がして」
「うん」
「協力してくれるのが迷惑とか本当にそういうわけではなくて、」
「大丈夫、分かるよ」
「……今はまだ、私とアルフォンス君だけの秘密でお願いします」
「分かった」
「……面倒くさくてごめん」
「いいよ。そんなに謝らないで」
「私がいるだけで面倒くさいのに何言ってるだって感じだよね……」
「はいストップ、名前さんストップ」
「はい」

 くつくつと可愛らしい声を漏らしながらアルフォンス君は笑った。私も釣られて口元が緩んでいく。幼さの残る可愛らしい少年声は見た目の鋼鉄の鎧とアンバランスであるのに、不思議と違和感を感じない。何で鎧を着ているのかは分からないが、最近は何も気にならない。それどころか優しいことを知ってしまった今、頼りに頼ってしまっているくらいだ。私より年下であるエドの、更に弟であるアルフォンス君に。

「じゃあ、宜しくお願いしますアルフォンス君」
「こちらこそ」

 同盟、成立だ。
 右手を差し出してきたアルフォンス君に、私も手を差し出す。強く握りあった手は、とても大きく温かかい気がした。
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