遠き私にさよなら
爆発のような物音で目が覚めた。
重たい目蓋を何度か上下させて何事かと辺りを見渡すが、覚醒しきらない頭でも只事じゃあないことは分かった。壁を挟んだ向こう側からは多重の声が響き、閉め切ったカーテンの外からはサイレンと人々の騒ぐ声が嵐のように響いている。慌てて飛び起き、ふらつきながらも窓の外を見れば、青い軍服を着た軍人と街の人々が入り乱れていた。よく見ると、皆同じ方向を向いている。目を細めて群衆の視線の先を辿り、そして心臓がすくわれるような感覚に陥った。此処から少し先、ある一点を囲んで人が層を作っている。まさか……まさか、あの方向は、あの建物は、
「病院……!」
ハッと部屋を見渡せばソファに座り眠るエドがいて、少し安心を覚えてしまった自分を叱咤して「エド! 起きて! エド!」その肩を揺らす。ゆっくりと目を開いたエドは、私の尋常ではない様子とピリピリと感じる違和感に気づいたらしい。
瞬く間に目を大きく見開き「……何が起こってる」と口にしたが、私が一言病院と口にすると全てを把握したようだった。背面に雑にかけてあるコートを右手で掴むと、もう片方の手で私の手をとり部屋を飛び出す。ホテル内でさえ人はざわめき、母親に手を繋がれた女の子は泣いている。すれ違いの狭間、その光景は酷く衝撃的だった。外に出ればそれはより顕著で人の波を凄い勢いですり抜けながら、私の頭の中は嫌な予感で埋め尽くされている。
……まさか、まさかね。体力の消耗と不安で息が切れてとても胸が苦しい。ハアハア、と酷く脈打つ心臓を押さえながら辿り着いた病院の前には、より多くの人が群をなし、入口には軍の人が道を塞いでいた。迷いなくその中心に進むエドの後ろをついていくと、見知った大きな鎧が周りの人の頭を抜けて覗いている。
「アルフォンス!」
「……!? 兄さん、と名前さん!? ごめん、外に出てたから知らせにも行けなくて……」
「それはいい、一体何が起こってる」
「大変だよ、ずっと病院の中で爆発が!」
「例の奴等か」
「分からない……けどきっとそうだ……まだ中に人も」
「避難はすんでねえのか!?」
「大方は済んでるらしいけど、そこの病棟はきっとまだ……っ」
「大佐は?」
「さっき裏口から潜入して、中にいる」
「……そうか」
「けど話と違う。規模が大きすぎるよ……こんな派手に……」
その時だ。
再びけたたましい爆発音が轟いた。
何の前触れもなく耳が割れるかのような猛烈な爆音が空気を揺らし、一部の硝子が吹き飛んだ窓からは黒煙が靡いている。なんだか既視感のある懐かしい建物に、あ、と息を飲んだ。ずっとあった違和感の結び目が解けるような、そんな感覚だった。
待って、この病棟、まだ避難が済んでない場所って、まさか、
「……ッ名前さん!?」
「あ、オイ! 待て! また勝手に1人で! ……ックソ、待て!」
気づけば身体は吸い込まれるように病院へと走り出していた。後ろからはエドとアルフォンス君の焦った声が追いかけてくるし、目の前からも止まれ! と叫ぶ軍人さん達が私を捕まえようと腕を広げている。
お願い邪魔しないで、あそこは、あの付近には『僕と友達になりませんか?』私の友人がいるかもしれないの。
そして、突如として、視界が消えた。
バチィ! とどこか心地いい音が響くが先か、3階の高さはある窓を突き破るが先か、ともかく意識がはっきりと状況を理解する頃には私は硝子の氷片を纏いながら床を転げ回っている。
「イッッ、タイ!」
ていうか今のは一体何だ。待って、私も分からないんだけど、何が起こった? 顔から着地しなかったのは不幸中の幸いなのだろうが、身体中を鈍い痛みが後から襲ってくるのでとても辛い。背後を見れば窓ガラスが散り散りに割れていて思わず目を見張る。
ここ……病室だ、よね。あれ、どうやって私こんなとこまで……わ、訳が分からん……ゴロゴロと壁まで流れ着いた重い体を持ち上げて瞬きを繰り返すが、やはり意味がわからない。覚えているのは手元から光が見えたことと後は──、しかし焦げ付くような異臭によってそんな意識も遮られた。
よ、よく分からないが私は確かにここに来ようとしていたのだから問題は何も無かろう。急いで埃っぽい地を蹴り、目的地へと急ぐ。その途中、私がかつて歩いていた廊下の手すりの一部は折れ、じっとりとした陰気な空気に覆われていた。肌に纏わりつくような、とても嫌な感じがする。
私の病室を間違える配置にある場所、そんな薄らとした記憶で廊下を駆け回り、何度か階段の昇り降りを繰り返して、そして漸くブライアンと名前の書いてある病室を確認した。辺りに人の気配はない、いないならそれでいい、避難できているのなら、それでいい。そう思って勢いよくドアを開く。
「……ッハァ……ハァ」
息切れした私の声が、やけに響いた。
そこには人の影がある。少年ほどの身丈だった。それがライではないとは、すぐに分かった。じゃあ他の避難しそこねた、逃げ遅れてしまった人だろうか。でもなんだか、どこか様子がおかしい。この破壊的な状況で逃げようとするわけでもなく、むしろどこか冷静な様子で部屋の中心に立っている。
そしてゆっくりと此方へと視線を寄越すのは、闇を嵌め込んだような漆黒の瞳。私の姿を確認したと思えば、薄い唇が三日月に弧線を描いた。
「……アンタ確か」
テノールの声が空気を切り裂き、長い黒髪の隙間に見える目許が楽しそうに弓なりにしなる。くつくつと笑うその肩は小刻みに揺れていて、病院の状況を考えれば酷く異質な空間だった。
「はぁ……ほんと最高」
刹那、後方で爆発音が響いた。反射的に背筋を丸めて身を守ると、いつの間にか2メートルはあった男との距離が一寸先まで縮んでいる。
「なっ、」声を上げる間もなく、首に強烈な圧迫感が襲い、背は地面に殴りつけられていた。
絞めつける喉を親指で慈しむように撫で、心底楽しそうに笑いながら私に馬乗りになっている。身動きは全く取れなかった。圧倒的な力の差だった。
「でもね? 駄目だよこんなとこまで来ちゃ。大事な人柱に傷がついたらどうすんのさ。このエンヴィー様が怒られるだっての」
自身をエンヴィーと名乗る貴方こそが現在進行形で私の首を絞めている癖に、何を馬鹿げたことを言っているのか。
キュッと強まる圧力に目尻に泪が溜まった。苦しかった。キリキリと容赦なく急所を責められて、為す術もなかった。どうにか離そうと腕を掴んでもまるでビクともしない。ダメだ、このままじゃ殺される、殺されてしまう──死んでしまう。
『消えたいんでしょ?』
どこからともなく声が聞こえた。
そうだ、私は、消えたかった。
『今の世界から存在を綺麗さっぱり抹消したいって』
その通りだ。己という存在を消したかった。死にたいと願った。どうしようもなく、死んでしまいたかった。何も考えずに、痛くてもいい、どれだけ酷く苦しい死に様でもいい。ただ死にたくて、
『あんたが望んだんだ』
そうだ、私が望んだ。
相反する朧気な記憶が白いモヤの中で蠢き、頭が割れるような辛苦に蝕まれる。この感情は本物だった。どうしてこのタイミングでこんなことを思い出したのだろう。かつて私は紛れもなく愚か者の死にたがりで、死ぬためなら手段を選ばない人種で、正真正銘、頭のおかしい人間だった。死にたかったのだ。
……なら、今は絶好のチャンスじゃないか。消えられるじゃないか。この世界の紛い物の私が。けれど、なのに、どうして、
──死にたくないって、叫ぶ私がいるの、
カッと淀んでいた泥意識に稲妻のような一閃が走った。咄嗟に微かに動く右腕で床に落ちている角張った硝子の破片を掴み、私の首を絞める腕へと突き刺す。石を荒削りしたような大きさのそれは、大した力が篭ってない私の腕でも、刀の如き斬れ味で紅く切り裂いた。途端に首を掴む圧迫感は弛緩し、カランと床へと落ちる硝子音が粛然な空間にやけに響く。
私の眼は、端々に映る赤、真っ赤な血に、染まっていた。
「……いったいな」
背筋が凍るような声。私の首から手は離したものの、未だ馬乗りになったまま退く気はないらしい。今更ながら燃えるような痛みが右手を襲った。さっき掴んだ硝子の塊で掌を傷付けていたらしい。振り上げたままの腕からぽたぽたと肘を伝い、頬に落ちた。ギュッと奥歯を噛んで耐える。耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ、痛くない、我慢しろ、そうじゃないと、
「殺すよ、お前」
殺される。 ←/
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