不恰好な幸せを掴みたい

 鎧の人の表情は読み取れない。けれど、その声は酷く優しかった。

「ったく、急に走り出すんじゃねえ、っよ!」

 そう言ってぜえぜえと息を切らせながら入り口の壁に手をつくのは、金髪の髪を後ろで結った男の子だった。肩で大きく息をするたび金色の髪がキラキラと光りながら無造作に宙へと垂れ、どこか息苦しそうに額の汗を拭う姿は私よりも幾つか年下に見える。
 鎧の人を追い掛けてきたのだろうか。勢いよく音をたてて病室に入ってきた彼を唖然と見ていれば「あ、兄さん」と鎧の人が呟いた。……兄さん?

「えっと、僕の兄さんです」
「.........おにい、さん」

 .......どう見ても体格が良すぎるせいか、というかこんな大きな鎧を着るくらいなのだから、てっきり相当な年上かと思ったのだけれど。「お兄さ、ん」もう一度確かめるように繰り返して鎧さんと見比べていると、どこか不服そうな金色の瞳が私を射抜く。

──お前、今俺のこと小さいって思っただろ。

 鋭く細められる目にはそんな思いが込められているように思えて、小さく苦笑いを溢した。静かに首を横に振りながら否定しておくと、更に疑わしげな視線が刺さったような気がする。それさえも誤魔化すように笑った。無理やり口角を上げているせいか、頬が引き攣って痛い。きっと表情も固くてぎこちなくて不審な笑みなのに、彼は少しだけ目元を緩ませて薄い唇を開く。

「……エドワード・エルリックだ。こっちはアル」
「あ、アルフォンス・エルリックです」
「‥‥エドワード、エルリックさんとアルフォンス、エルリックさん」
「アンタは?」
「……名字名前、です」
「‥‥どっちが名前だ?」
「……名前」

 ふーん、じゃあアンタ東洋人?
 息切れはいつの間にか落ち着いたのか、ベッドの方へ近付くとエドワードさんは傍にある椅子へと腰掛けた。頬杖をつきながらこちらを見てくるエドワードさんに静かに頷く。

 目元を緩ませながらも、その奥にあるのは決して柔らかいとは言い難い鋭い瞳だ。そんな視線にビクリとほぼ条件反射で肩を震わせれば、彼は何かを勘づいたように顔を背けた。機嫌が悪いというよりはバツが悪そうな表情だったので、私は内心息を吐く。
 ……落ち着かない。ダメだ、訳が分からない。誰か今この状況を説明してほしい。
 
 はあ、今度こそ聞こえない程度で不安を吐き出して、チラリとエドワードさんを盗み見た。……つもりだったのだけど、バッチリと目が合って、ドクンと心臓が鳴って、あ、え、と思わずあからさまに視線を外してしまう。本能的に一歩後ろにいるアルフォンス君へと振り返ると、デジャヴュとも言えるほど鎧にある目と視線が合わさった気がした。あくまでそんな気がしただけ、なのだけど。

「どうしたの?」首を傾げて尋ねてくる彼に小さく首を横に振る。すると、「あ、」小さく声を上げたアルフォンスさんはくすりと声を漏らし、私の耳元へと顔を寄せた。

「……怒ってるとかじゃないと思うよ」
「……え」
「兄さんは東洋の人はあまり見ないからきっと珍しいんだと思う」
「‥‥東洋?」
「うん」
「で、も凄く睨んでますよ」
「兄さんいつもは初対面の人でもすごく馴れ馴れしいんだけどね。緊張でもしてるのかな」
「……」
「あ。あと僕にはそんな敬語使わなくて大丈夫ですよ」
「……え?」
「きっと僕の方が年下だから」

 驚いてアルフォンスさんを見上げると、ふふっと可愛らしい少年声で笑った後「それにしてもなんでだろう」話を戻すように腕を組んだ。私もバレないようにエドワードさんを見れば、ぞわりと胸の奥の何かが騒ぎ立った。咄嗟にベッドのシーツを掴んで深く息を吐く。隣でアルフォンスさんが「大丈夫?」と心配そうに私の肩を撫でた。

 心臓がドクドクと昂っている。何かが引っ掛かっるのだ。ボタンを掛け違えたような、小骨が喉に刺さっているような僅かな違和感。彼の金色の髪も金色の瞳も名前も、この会話さえも、すんなりと頭に入ってこない。どこかで詰まって、まるでそれが何か大事な警告を出すようで、なにか、大事な何かを忘れているようで、心が落ち着かない。

「……あの、アルフォンス……君」
「はい」
「……じゃあ、君たちはどこの国の人なの?ここはなんていう病院?」

 ガンガン、警報が鳴る。
 これ以上は聞いてはいけないと本能が叫んでる。

 そんな思いをゴクリと生唾ごと飲み込んで、もう一度「教えて、ください」と口にした。キョトンとした様子のアルフォンス君はしばらくして小さく笑うと、そのまま病室の外へと足を動かす。
どこかへ出かけるのかと思いきや、彼はものの数秒で病室へと戻ってきた。ただ、その手には本のようなものが握られていている。

「えっと、なんて言えばいいのかな。僕達はリゼンブールで生まれてここはアメストリスっていう国で、その中にある……えっとなんて病院だっけ? 兄さん」
「……知らね」
「……ごめん、急いでたから病院の名前わかんないや。でもここらでは一番大きい病院だよ」
「……アメストリス」
「うん、ここはアメストリスのイーストシティ。あ、そうだ。僕はもう読み終わってるから、良ければ暇潰しにでもどうぞ」
「‥‥‥」
「名前さん?」

 それからの会話は、あまり覚えていない。








「不思議な人だったね!」
「……」
「兄さん?」
「あ?」
「……どうかした? さっきから何だか変だよ? 名前さんも怖がってたし」

 ふと、エドワードは立ち止まった。
 カラカラと足元を転がる空き缶に視線を奪われながら、意志的に足の動きを止める。つられるように、少し前で立ち止まったアルフォンスは怪訝そうに振り返った。顔を俯かせながら何かを考えるようにじっと視点を固定しているエドワードは、どこか上の空という状態である。困惑するアルフォンスにエドワードは目もくれず、ただただ先ほど会った人物を思い出していた。情報量の切り捨ても早いという意味でも要領がいいエドワードの頭の中では既に霧が架かっているような淡いものであったが、どこか彼女に対する確固とした違和感が拭えないでいる。ただ、その原因というものは全く分からない。

 ったく……。思わず出る溜め息と共にグッと眉間にシワを寄せれば「あ、いつもの兄さんに戻った」と弟の声。ハッと意識を戻したエドワードは慌てて止まっていた足を動かす。それが急だったためか、ズコッと地面に落ちていた空き缶を思い切り踏んでは、勢いよく足を滑らせていた。……いてえ。クスクスと笑いを噛み殺すアルフォンスをギッと一睨みして、苛立たしげに目の前に転がる空き缶を後ろへと投げ捨てた。

──カランカラン、

 地面を滑る空き缶の表面には夕暮れに染まりつつある緋色が、反射している。それを視界の端で捉えていたエドワードはまたキュッと目を細めた。

「なあ、アル」
「なに?」
「あいつの顔覚えてるか?」
「え? 名前さんのこと? もしかして兄さんもう忘れたの?」
「う、うっせえ! 覚えてるかって聞いただけだろ!」
「あのね、兄さん。10分も経ってないのにそれは失礼だよ」
「別に完全に忘れたわけじゃねえからいいんだよ! とにかく覚えてんのかって聞いてんだ俺は!」
「そりゃ覚えてるよ。兄さんとは違って」
「……アル、なんかお前冷たくないか?」
「そう?」
「……まあいいけど」
「どうかしたの?」
「……いや、その、なんつーか」
「……?」

 何気ない行動は予想外にも運命を引き起こすものだ。ただ、そうは分かっていても、その当事者である彼等もこれから起こる出来事など分かりやしないのだから、運命とは限りなく気まぐれなのである。
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