不恰好な愛のうた

 過去は戻らない。
 どれだけ消し去りたくたって、決して無かったことには出来ない。あの時こうしていれば、なんて鎖のように巻き付く後悔だけを常に背負って生きていかなければならない。失ったものを取り戻すなんて、笑止千万。受け止めなきゃいけない。時は返ったりしない。やり直せない。巻き戻せない。けれど、だけど、でも──きっと。
 もう少し、生きてみたい。
 そう思えるこの世界に、終わりじゃないと言い切った彼に、私の為に手を差し伸べてくれた彼の為に生きたいと思った気持ちを、信じたい。信じて、みたいから。










「お前さあ……」
「何?」
「『何?』じゃねえよ、分かってんだろ言いたいこと」

 ムスッと分かりやすく顔を顰めるエドに私はとぼけたふりをしながら「何のこと?」と何食わぬ顔で言い返した。するとただでさえ眉間に刻まれていた皺が更に深くなり、金色の瞳は恨めしく曇っていく。「……分かってるくせに」もう一度ボソリと吐き出された言葉は私に聞こえるか聞こえないかくらいかの声量だったけれど、私はあえて聞き流すことにした。だって事実だったから。私はどうしてエドが私に言おうとしていることを、どうして会う度に嫌な顔をするくせに尚も私に口うるさく言ってくるのかを、ちゃんと分かっているし把握している。でも、それにしたってエドもいい加減諦めてほしい。
 チラリと目線だけ横に逸らすと、こっそり盗み見るつもりだったのにバチッと見事に絡み合って声が出そうになった。
 めめ、め、めっちゃ見てる……! 慌てて書類に視線を戻せば不機嫌な声が後を追う。めっちゃ見てた、流石にずっと見てるとは思わなかったビックリした……! 今のは流石にあからさますぎて失礼だったかな、とも思ったけれど、こちらとて言いたいことは少なからずあるのだから、これくらいは報いてやりたいとも思う。会う度会う度に真隣の席を陣取ってバチバチにオーラを放ちながら頬杖をついて露骨にガン見してくるのはやめてほしい。とてつもなく集中できないし、ほら、無理やりエドが割り込んでいるせいで本来私の横であるはずの人が縮こまってしまってるじゃないか。わかる、わかりますその気持ち、エド怖いですよね、そしていつも本当にごめんなさい。
 私だって最初の頃は震えて何も出来なかったくらいだし、普通に公務執行ナンチャラってやつなんじゃないかって思うレベルで威圧感が凄いのだ。

 貴方は、自分の存在感をいい加減自覚した方がいい。
 この間それを言ったら『生意気な口は縫い付けるといいらしいな』って本気の眼をされたので二度と言わないけれど。トントン、とまとめ終わった書類の四隅を揃えながら立ち上がって離れようとすると、思い切り手首を掴まれて私はとうとう苦笑いを浮かべた。
 エドワード・エルリック。
 あなたが言いたいことは、分かるんだけどね。

「しつこい男は嫌われるぞ、鋼の」

 いつから私達のやり取りを見ていたのか、はたまたその場にいなくても分かるのか。バタン、と重々しく開いた扉の向こうから颯爽と、それでいて凛々とした佇まいで室内に入ってくるのはロイ・マスタングさん──現時点での、私の上司だ。そしてその後に続くのはリザさんだ。ロイさんはこちらを一瞥だけして自分の席へと座ると、そのまま持っていた書類に目を通し始める。いないと思っていたらどうやら会議に行っていたらしい。普段から会議の後だけは真剣な顔をしているから彼は本当に分かりやすい。
 ちなみに理由を聞けば「上にのさばる狸をどう引きずり下ろすかを考えているだけさ」なんてギラついた答えが返ってくるので、乾いた笑いしか出なかったけど。

 今回も従来通り、ギラついているようだ。書類に目を通したまま「いい加減名前の仕事を邪魔するのはやめたらどうだ」と言葉だけが投げかけられる。それでも私の手首にかかる力は緩まない。頑固だなあ、本当に。

「やだね。だいたい金の件は解決しただろ」
「ま、まあ……そうだね?」
「いらねえって言ってんのに押し付けてきやがって……お前が言ってた対価はもう貰った。なら、」
「……エド」
「……いつまでも大佐の部下でいる理由なんてねえじゃん」
「でもね、エド」
「でもでもでもでもでも! お前はいーっつも『でも』だなあ、おい!」
「だ、だって!」
「だってもこうもでもも無え! 俺がやめろつってんの!」
「……」
「返事は」
「……」
「へ、ん、じ、は」
「……」

 私は意地でも頷かないし、返事もしてやらない。
 頑固なのだ、彼も、私も。





──私がロイさんの部下になって、約半年が経とうとしていた。

 半年という時の流れに対しては、正直あっという間だったの一言に尽きる。気付けばこの世界に来て半年が経っていて、ロイさんの下で働き出して半年が経っていた。元々私はそんなに要領が良い方じゃあない。いくらロイさんが私を甘やかそうとしても、仕事をなるべく振らないようにしようとしても、正式な手続きをして軍隊という組織の中に入ってしまった以上しなくてはいけないことは、覚えないといけないことは山ほどあった。それらを一つずつこなしていっていたら、いつの間にか半年という月日が経っていた。自分にお金をかけるなんて思考は初めからなかったから、頂いたお給料は全部エドに渡した。入院費を払ってくれていたのは、エドだったから。
 最初の方は「いらねえ」って死ぬほど拒否られたけど「受け取ってくれないと帰らない」って私も死ぬほど駄々をこねたら渋々、本当に渋々受け取ってくれるようになった。翌月も、その次の月も、お給料を貰う度に真っ先にエドの元へ行くようになった。途中からは「金を渡してきたら死ぬ」「受け取ってくれないと死ぬ」「ならもっと俺は死ぬ」「私はもっともっと死ぬ」メンヘラなの? みたいな馬鹿みたいな会話しかしていなかったけど、それでも私達は、少なくとも私は真剣だった。

 そうして慣れるための毎日を過ごして、エドとメンヘラごっこを繰り返していたある日のことだ。その日は給料日だったから、わざわざ彼から来なくても私から絶対に会いに行こうと思っていた分、まさかエドの方からメンヘラごっこをしに来るとは思ってもいなくて酷く驚いた。東方司令部には大佐がいるからなるべく来たくないって言っていたのに。
 それでもいそいそと鞄の中でお給料を探していれば、エドはハッキリと私の顔を目を見て「もういい」と言い放ったのである。
 凛とした声は他の人達の肩も震えさせるほどで、私も例外なくピタリと動きが止まってしまった。そんな私に彼はゆっくりと近付くと、鞄を漁っていた私の手に自身の左掌を重ね、太陽のような瞳を向けたのだ。

「等価交換」
「……へ?」
「対価はコレで同等だ。多くを受け取ればそれは等価交換じゃねえ」
「え、えっと……」
「言ってる意味、分かるな」

 そうして私は、入院費を、彼の言う対価を払い終えたのだと知った。嘘だあ、まさか。そう初めの内は疑っていたのだけど、ロイさんに聞けば当然のように頷かれて、唖然とするしかなかった。

 そこからである。
 エドが私に軍を辞めろ、と言い始めたのは。





「俺は認めねえからな」
「半年前にも似たような台詞を聞いたな」
「じゃあ何年でも言い続けてやる。俺はぜーったい認めねえ」
「……はあ。いい加減大人になれ、鋼の。自分の気持ちばかり押し付けるのは紳士的じゃないぞ」
「……ケッ」

 つまり、そういうことなのだ。
 あはは……といつの間にか私を挟んで口喧嘩をし始めた二人に苦笑いする。リザさん助けて……そう思っても恒例化された二人のやり取りに今更注目する人は残念ながら誰もいない。初めの頃はもう少し助けてくれる人がいたのに。酷いよ、皆。もうちょっと気にかけてよ。

「……大体さあ」

 ロイさんとの口喧嘩に飽きたのだろうか。クルリと身体を再び私の方へ回転させたエドは、ムスッとした表情で私の持つ書類を奪い取った。あ、と私が声を出すよりも先にエドは「何で辞めねえの?」と先制攻撃を打ってくる。

「た、楽しいからだよ」
「働くのが?」
「……うん」
「ここで? 大佐の下で? 働くのが?」
「う、うん」
「ふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん?」

 冷や汗がダラダラである。
 ま、まるでイビリだ……。姑だ、御局だ! 私はいつまでこの拷問のような押し問答を続けなければならないのか。そんな心の叫びに答えるように「お前が、軍を、辞めるまで」なんて私の頬っぺたを抓ってくる。貴方は錬金術だけならず読心術までもを使えるのですか。

「……いひゃい」
「……女が軍なんて入るもんじゃねえだろ」
「リザさんもいるのに?」
「……」
「いるよ、女の人も」

 きっと、皆、誰かを守るために。

「……分かってねえよ、名前は」
「な、何を?」
「分かってねえ、本っ当にお前は……何も分かってねえって言ってんだよこの、この……っ!」
「この……?」

 押し黙ったエドは唇をわななかせながら、クシャッと私から奪い取った書類を片手で握り締める。だ、駄目だよ折角まとめた書類なのにそんなことしたら! ヒィ、と青ざめる私にエドは勢いよくそれを机に叩きつけると、椅子から立ち上がってあっという間に背を向けてしまった。その背中を視線だけで追いかければ、最後にギッと睨まれて背筋が伸びる。ま、待って……そんなに怒らないでよ、待って。

「このクソ真面目!!!!!!」

 そして、捨て台詞を吐いてエドは扉を閉めて行ってしまった。途端にしんと静寂に包まれる司令室に私は居た堪れない気持ちのままグシャグシャになってしまった書類に目を向ける。あんなに怒ってたの久しぶりだったな、いつもはもうちょっと冷静なのに。……そんなに怒らなくてもいいじゃん。何度も何度もシワを取ろうと無心で書類の上を掌で押さえつけていると、突然大きな影が出来て後ろを振り向いた。振り向いた先にいるのは「貸してご覧なさい」なんて呆れ顔で此方に手を伸ばすリザさんで。

「え、あ、その……」
「そのやり方じゃいつまで経ってもシワは取れないわよ」
「……ごめんなさい、リザさん」

 恥ずかしいのか情けないか申し訳ないのか、その全部か。思わずシュンとしてしまう私から書類を抜き取ると「貴方のことが心配で堪らないのね」と口許に手を当てながら言われて、今度は目玉が落ちそうになる。……しかもリザさんめ、ちゃっかり笑ってくれちゃって、もう。

「名前もあんまり心配させすぎると毒よ」
「心配ってエドが?」
「どう見てもそうでしょう」
「……えええ」

 エドが私に辞めてほしがっているのは心の底から伝わってくる。私の第一目標だった『お金っていう形あるものの借りを返す』が達成したから、これ以上彼の嫌いな大佐の元で働いてほしくないんだろう。私がロイさんの部下になるって言った時も暫くずっと小言を言われたし。あるいは間接的にでも私と職が同じなのが嫌なのかな?ああ、もしかして私がロイさんの部下であるが故に、巡り巡ってエドとロイさんとの接触が増えてしまうとか?私は別に今のところ安全にデスクワークをさせていただいているし、心配する箇所なんてミジンコ程も無いんだけどなあ。
 そんなに嫌だって言うならエドだってロイさんと仲良くすればいいのに。そもそもロイさんの何がそんなに気に食わないんだ。彼はとても優しいし、皆に慕われているのに。ケッとエドの真似をして唇を尖らせていると、リザさんはフフ、と今度は口に出して笑った。そして私の頭に優しく手を乗せる。

「変わったわね、貴方も」
「……え?」

 ふわりと一瞬で離れてしまったけれど、リザさんの温もりが心地良くて、優しくて戸惑ってしまう。小恥ずかしくてリザさんの顔が見れずにいると、丁度いいタイミングで昼休みの合図が鳴った。色んな所で「腹減った」「やっと休憩かよ」「今日もチビは元気だったな!」なんて声が聞こえ始めて一気に活気で包まれる。……ねえ皆、そんなに元気ならさっき助けてくれたって良かったじゃないか、なんて言わないけど。

 そんな私の表情を汲み取ったのかリザさんが苦笑いしながら「一旦私達もお昼にしましょうか」なんて言うから勢いよく席を立った。

「席先に取ってきます……!」

 そう言ってリザさんに背を向けて食堂へと急ぐ。
 私がロイさんの部下になって約半年、新たな目標を持ってから、約数ヶ月。

 変わった、変わったのかな。
 変われてたら、いいなあ。
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