私の不条理

 エドやアルフォンス君が旅に出てから、早くも1ヶ月が経とうとしていた。いつもなら二週間が経った頃には顔を出してくれていた気がするけれど、今回はそんなつもりもないようで。私は書類を束ねながら、そりゃあそうだよねと嘲笑するしかなかった。だって昨日のようにあの日のことを思い出せる。エドの冷めたような瞳、小さくなっていく後ろ姿。あんな喧嘩別れに近い状態のまま仕事が長引いたりして謝る機会もなく、仲直りのタイミングを見失ったまま彼等は旅に出てしまったのだ。そもそも私から彼等に会いに行けることは出来ない。エド達が旅の合間に会いに来てくれるからこそ成り立っていた関係なのだから、彼がもうやめだと思えば簡単に繋がりは切れてしまう。
 自業自得、身から出た錆、そんな言葉が今の私にはぴったりだった。それでもどこかでひょっこりと顔を出してくれそうな気がして、仕事中も顔を上げてしまうし無駄にキョロキョロと首を動かしては赤いコートを探してしまう。今日だってもしかしたら、そんな気持ちを抑えきれないまま、ぼうっと書類整理を進めていた。心ここに在らず。そんな状態の私を、ロイさんは気付いているのかもしれない。扉が開く度に顔を上げてしまう私と、彼とは執務中に何度も目が合ったから。そしてその時は必ず困ったような、それでいて見守るような優しい瞳を向けてくれるのだ。仕事に熱が入らないお荷物な部下なのに見て見ぬふりをしてくれている。私はとことん甘やかされているんだなあ。
 今日も今日とて最後の書類整理が終わり、私はグッと背中を伸ばしてから席を立った。未だ山積みの書類を前に席に着くロイさんに「お疲れ様です」と挨拶をすると、両手で額を押さえたまま「ああ」と返ってくる。そのまま執務室を後にしようとすれば「名前、君はしっかり休みたまえ」背中を追う優しい声色。……本当に、ロイさんってさぁ。私は頬を緩ませながら、少し軽くなった足取りで寮に戻るのだった。


 そして夜。東方司令部の中庭に腰を下ろしていた私は、雲ひとつない空を眺めながら思考を巡らせていた。
 
「…………」

 考えれば考えるほど、調べれば調べるほど、ひとつの結論にしか辿り着かないことがある。あの日、病院でのテロがあった日、私がエンヴィーという男に殺されかけたあの日、何かが動き出す分岐点となった、あの日。向き合おうと思いつつも怖くて先延ばしにしてきた事柄。エド達にはまだ言えないような現象。溜息を吐き出しながらそっと目蓋を伏せペタリと熱の残るアスファルトに後ろ手をつけば、ぬるい温度の風が頬を撫で上げる。ザァと葉の揺れる音が耳を掠めて、季節の変わり目を知らせていた。

 ──無我夢中だったとは言え、三階もの高さを飛び越える脚力なんか、私なんかにあっただろうか。

 何度も何度も自分自身に問いかけたこと。その答えは分かりきっていたし、今だって変わらない。あるわけない。そんなものあるわけがないのだ。あるわけもないのに、じゃあ、どうして。バチッ! と一瞬視界を覆い尽くした光と聞き慣れない音、あの出来事を奇跡だと言うには都合が良すぎる気がしてしまう。

「……じゃあ、どうして」

 答えは、長い月日をかけていくにつれて自然とひとつに絞られていった。
 忙しなかった春を越え、季節は夏の月へと差し掛かっている。私が此方の世界へ来てから、もう半年以上もの時が経ってしまった。半年であっという間だと感じるのだから、きっと一年なんてすぐに訪れてしまうんだろう。
 エドとアルフォンス君達は、再び旅へと赴いた。旅に出ることで二人の身体を取り戻せるための賢者の石の情報を探し回っている。 私に前を向けと言っていた通り、彼等は行動に移して確実に前に進んでいる。
 じゃあ私はどうだろう。果たして前に進めてるだろうか。左腕を出してカチカチと腕時計の秒針が動く様子を見ていれば、日を跨ぐまで後数分だった。エドがこっちにいたなら、帰るのが遅いなんて怒られてしまうかなぁ。

「………真理」
 
 密かに口から漏れたのは、誰に宛てたものでもないひとりごとだった。もう一度強く吹いた風に乗って、そのまま溶け込んで消えていく。
 私は真理の扉をくぐって此方へやって来た。願ってはいけない祈りをしてしまった私と、違う世界にいた自らの存在と、引き換えに。……そうだ、私はもっともっと、ちゃんと向き合わないといけない。でも向き合わないといけないけれど、向き合わないといけないものの正体があまりに不明瞭で有耶無耶でエド達にはまだ、言えやしない。優しい彼等に余計な重荷を背負わせたくない。だって彼等にもやるべきことがあるんだもん。優先順位は間違えちゃいけない。だから今はまだ、言えやしないよ。私が錬金術を使いこなせるようになるまで、もう一度真理の扉に辿り着く手掛かりを得られるまで、自分のことを自分で守れるようになるまで、エドやアルフォンス君と同じ土俵に立てるようになるまでは、まだ。
 そう言ったら、エドは驚くのかなぁ。
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