ひとりよがりの青

 二ヶ月。だって、二ヶ月なのだ。
 最悪な別れ方をしてから約二ヶ月もの間、私は彼と全く会えていなかった。そんな大きな空白の間、次会った時はこうしよう、こうやって謝ろう、そんなことばかりを考えていたはずなのに、いざ対面すれば心臓ばかりがうるさくて何も口から出やしない。
 ロイさんの登場であっという間に拘束され直したトレインジャック犯は、いつの間にか姿を消している。連行された後は決して生温くはない尋問をされて罰を受けるのだろうが、人の命を危険に晒したのだから当然すぎる結末だ。
 そうしてもう周囲はもう動き出しているというのに、幾つかの動かない影。足が地面に張り付いてしまったかのような錯覚に陥るのは、ばっちりと絡み合ってしまった金色の瞳のせいだった。正しく太陽を内に秘めているような視線に耐えられる訳もなく、私は気まずい空気を誤魔化すように咳払いをするけれど、そんな抵抗はこの場においては何の意味も持たないらしい。こうなれば私を置いて対応に入ってしまったロイさんを恨むしかない。せめて一人、ハボック少尉くらい置いていってほしかった。どうして私を一人残して仕事に行ってしまうのか。雑務とは言え私も仕事を急いで終わらせて駆けて来たというのに。役に立つどころか助けられてしまったけど。それにしたってこの待遇はあんまりじゃないか。
 意味もなく見つめていたアスファルトの溝からそっと目線だけを横に向けてみるものの、ただならぬオーラを感じ慌てて地面へと戻す。
 太陽のような瞳。それはお天道様に見られているのと殆ど同義である。不思議と謎の罪悪感が推し上がってくるのだ。彼の瞳は眩しい。本当、びっくりするぐらいに眩しいや。

「……」
「……」
「……」
「……」

 ……気まずい以外の感情が湧かない。
 そうしてロイさんに「いつまで突っ立っている。戻るぞ」と声を掛けられるまで、私ともう一つの影は少しも交わることなく地面に伸びているだけだった。







 結局東方司令部に戻るまでもエドとの間に会話は無く、アルフォンス君と少し後ろで話すくらいだった。アルフォンス君も何かがあったらしいというのは察してくれているようで「あんまり気にしないでね。僕は名前さんに会えて嬉しいから」と泣ける言葉を投げてくれた。本当にどこまで良い子なんだ。そうして執務室の扉の前まで来た瞬間、私はあれやこれやと拐われることになる。と言うのも、先程の事件の後始末の事務処理を任されてしまったからだ。
 ガタ! と突然開いた扉に驚く間もなく別行動になってしまった。雑用係なのは理解していたけれど……していたけれど……!

「……はぁ」

 それにしたってトレインジャックの始末書というのは内容が内容なだけに中々骨が折れる。しかも私に限ってはまともに現場も見てないやい。最後の私自身が襲われたところくらいしか詳細に書く事が出来ない。どうにか聞き込みを続けながら作成を続け、チラリと壁掛け時計を見みてればお昼はとっくに過ぎていた。二時間ほどぶっ通しで集中していたせいか、グッと伸びをすれば背中からはボキボキと可愛さの欠けらも無い音がする。
 小さくため息を吐きながら終わった書類の四隅をトントンと揃えていれば、目の前に突然突然現れたのはマグカップ。……マグカップ? 白い湯気を踊らせているマグカップの中からは芳ばしい珈琲の香りが漂っている。取っ手から伸びる白い軍手を徐に辿っていけば、そこには同じく片手にマグカップを持つ大佐が立っていた。

 突然の登場にあんぐりと口を開けて驚く私を他所に、大佐は「危うく君の伸びで珈琲を溢すところだった」悪戯げにそう言って笑っている。
 ……この熱々の珈琲が零れたとして、被害に遭うのは間違いなく私の肩か頭である。溢されたら染みがつくどころか大火傷の大事件だ。背筋にひんやりとしたものが伝うのを感じながらも、私は有難く珈琲を頂戴することにした。……それにしても、いつも入れられる側の大佐が珈琲を入れてくれるなんて珍しい。

「順調か?」
「えっと……本当につい先程終わったばかりで」
「流石に早いな」
「全然早くないですよ……皆さんに確認ばかりして迷惑お掛けしてしまってますし……」
「はは、真面目に取り組んでいる者を迷惑がる奴はいないさ。本来は名前がする仕事でもない。むしろ感謝してるだろう」
「そうですかね……」
「少なくとも私は感謝しているさ」

 口の中をほろ苦い珈琲味が占めていく。コトンとマグカップを再び机の上に置けば、ロイさんは喉を嚥下させた後に「……ところで」そう切り出した。

「鋼のとは話していないのか」
「……見て分かる通りです」
「まあだろうな」

 じゃあ聞かないでくださいよ……そんな言葉は寸前のところで飲み込んだ。ガクンと思わず頭ごと肩が下がってしまう。マグカップのちょうど上の方に額がくるせいか、湯気でしっとりとおでこが湿ってしまった。熱い。

「……でも、元気そうで良かった」

 紛れもない本心がほろりと口から零れ落ちる。そうして再び珈琲を飲もうと顔を上げれば、痛いほどの視線が注がれていた。堪らず顔を横に向けてみれば、よく分からない微妙な顔をしたロイさんが私のことを凝視している。あれ? そ、そんな変なこと言ったっけ。

「……まあ彼の生命力は底知れないからな」
「……そうですよね」
「鋼のは今タッカー氏という医療関係の錬金術を極めている錬金術師の元で研究をしている」
「タッカー氏?」
「ああ。『綴命の錬金術』ショウ・タッカー。……帰ってきた途端生体錬成に詳しい者を紹介しろとうるさくてね」
「はは、相変わらずですね」
「一日も早く戻りたいと」
「え?」
「そう言っていたよ」
「……そうですか」

 やはり彼は何も変わっていない。ただ目の前の道を切り拓くために我武者羅に前に進もうとしている。そう思えば思うほど私の中には黒いモヤモヤが湧き上がってきて仕方がないのだ。自分が招いた種のくせに、エドと以前のように話せないことが悲しくてもどかしくてお腹の中が気持ち悪い。彼とは全く違う、ちっぽけな事でこんなにも悩んでいる。

「……先程まで私も挨拶を兼ねて同席していたが、あの様子だと夕方頃まで篭もりっぱなしだろう。アルフォンスもそこにいる」
「えっと……ロイさん?」

 ふわりと頭に感じた温もりはすぐに離れていった。代わりにカサリと乾いた音を立てて渡された紙切れには何処かの住所と簡易的な手書きの地図が描かれている。え、と固まる私にニコリと彼は笑いかけると、整った唇の両端を更に吊り上げた。

「行きたければ地図を渡すが。君の勉強にもなるだろうし、ゆっくり話す時間も作れるだろう」

 ロイさんの真っ黒な瞳は相変わらず此方に向いたままだ。つまり行けと。迷うくらいなら特攻してこいと。そういう意味なのですか、ロイさん。
 なんとも言えない表情であろうままロイさんの顔をガン見していれば、彼は肩を竦めながら優しい声色で言うのだ。

「将を射んと欲すれば、というやつさ」

 ……どういうことですかとは、返せなかったけれど。
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