きらきらを探し損ねている

 書類を指定の場所に置きに行って執務室に帰ってくれば、何やら中は盛り上がっていた。決して入りづらい空気という訳ではないものの、出る前とは全然違う雰囲気だったものだから驚きを隠せない。仕事の手を止めて笑っている人達もいれば、コソコソと何か言い合っている人もいる。まるで昼休みのような光景だ。
 私がいない間に今日はもう業務終了、とでもなったのだろうか。恐る恐る気配を消して自分の机に向かっていれば、話題の中心であろうロイさんがリザさんやブレダさんに囲まれ何やら言い合っている姿が見えた。
 気にならない訳では無いけれどわざわざ輪の中に入るのも違う気がして席に着く。社交性にスキルを振り切っている訳でもない私は、まだまだ図々しく入り込むような真似は出来そうにない。そう思ってデスクのキャビネットを引いたタイミングだった。誰かに「お、名前帰ったのか」と肩を叩かれ、ビクッと思わず身体が揺れる。顔を上げて正体を確認すると、短くなった煙草を指に挟むハボックさんが真横に立っていた。私と目が合うとチェシャ猫のようにニヤニヤと口許を緩ませている。その表情から面倒事に巻き込まれるような気がしないでもなかったので「……ついさっき」とそれだけ返した。

「あ〜残念、大佐の弱点が名前にもバレちまった」
「別に弱点ではないし隠していた訳でもない」
「とか言っちゃって」
「何を言っている。私と水の相性はすこぶる良いぞ」
「水も滴るいい男ってやつッスか?」
「よく分かったな」
「えっと……」
 
 な、何の話だ……。
 ロイさんの弱点……? 水との相性……? ぽかんとそのやり取りを聞きながら思考をフル回転させる。属性の話? 日本には火属性や木属性とかそういうタイプ別のゲームがあったけれど、そういうお話? でも、なんか当てはまらない。そもそもロイさんに弱点ってあるのだろうか。強いて挙げるならリザさんの存在くらい……となればリザさんが木属性……駄目だ、訳が分からなくなってきた。……というよりロイさんの弱点の話でこんなに盛り上がってたという方に驚きである。何やかんや慕われる上司ってこういうことだよね。

「名前は知らねえだろうけど、中尉に雨の日は無能って言われてんだぜ」

 ハボックさんが更に目許を三日月にしながらコソコソと耳許で教えてくれた。ロイさんに聞こえないようにしているつもりだろうが、ロイさんの片眉が上がっているのを見るに何を言っているのか筒抜けだろう。
 私まで後で怒られるのは嫌なので「そ、そうなんですね……」となるべく当たり障りのないように答えて目線を逸らすと、面白くなさそうにハボックさんが鼻を鳴らした。だって恐れ多いんだもの。ロイさんのことを嘘でも無能と呼べる人なんか限られている。今ここにいるリザさんやハボックさん、フュリー曹長なんかは傍から見てもロイさんに信用されていて距離感も対等に近いのかも知れないけれど、私なんかがその手の話題に同意するには土壌が違いすぎるのだ。

「何を吹き込んでいるかは大体分かるが?」
「おっと、声が大きかったスかね」
「……名前までお前達と一緒になったら堪らんな」
「それいいッスね」
「何も良くない! やめろ!」

 あ、とそこで思い出した。そう言えばそうだ。ロイさんは水属性じゃない、ロイさんは焔の二つ名を持つ錬金術師だということをすっかり忘れていた。水どころか、むしろ純度の高い火属性で、リザさんはきっと岩か水属性だ。なんとなく岩っぽいからきっと岩。
 今朝のトレインジャック犯逮捕の現場を見ても指を鳴らした途端に爆発が起きていたし、発火布を使っている訳だから確かに雨の日は不利なのかもしれない。きっとロイさんのことだから不利なのは理解した上で対策法も同時に用意しているに違いないのだろうけれど、そこはやっぱり仲が良いからこそなんだろうな。

「大丈夫ッスよ! 雨の日でも俺がいるじゃないですか」
「…………非常にゾワッとした」
「ク、クク……俺が守ってあげますよ」
「だからその気持ちの悪い発言は止めろ。野郎に守られる趣味はないぞ」
「うわ、善意だったのに辛辣」
「必要ないな」
「まあまあそんな事言わず」
「じゃあ雨の日は私が守ってあげますね」

 先に弁明しておきたいのは、彼等の会話に何気なく参加しただけであるということだ。本当に他意は無かった。

 だと言うのに、私がそう口にした瞬間──空気が一瞬固まった。時間にしては数秒のことだろう。けれど、私に注がれる視線や虚をつかれたような表情のロイさんや唖然としているフュリー曹長に、笑いを噛み殺しているような表情のブレダ少尉。
 思っていたものとはまるで違う反応が返ってきて私もプチパニック状態だった。別にいらないと、ハボックさんのような返しがくると思っていたのに。私なんかじゃ盾にもならないことは全員周知の事実なのだから、軽くあしらわれて終わると思っていたのに。この展開は全く予想していなかった。

 「……ヒュウ」とハボックさんが口笛を吹いたあたりでハッとした私は慌てて「ジョークですよ、ジョーク」と続けた。そして自分の発言がそういう風に取られてしまったらしいことに気付いてじわじわと内側から熱が込み上げてくる。
 何でだ。ハボックさんだって俺がいるとか言ってたじゃないか。どうして私が言うとそんな過剰反応をするんだ、おかしい、どう考えてもそれはおかしい。

「な、何なんですか皆して……! そんな顔でこっち見ないでください!」

 リザさんなんか分かりやすく眉間に皺を寄せてロイさんのことを凝視しているし、待って、本当にそんな反応されても私が困るからやめてほしい。どうしよう、ていうかどうして!?

 私が混乱の渦に陥っていると、コツコツと靴音が響いた後、ふわりと頭に柔らかいものが乗った。同時に陰る視界に顔をあげれば何とも言えない表情を浮かべたロイさんがいる。「普段ジョークを言わない人間のジョークはジョークに聞こえない」そう言って、すぐに彼の手が離れる。「……だって、ジョーク……」語彙力の欠けらも無い返しをしながら、思わず自分の手で撫でられた箇所を触ってしまう。

「そもそもどう考えても名前は私に守られる側だろう」
「……えっと、それは」
「勝手に捨て身になられたら私が困る」

 それは間違いなくそうなんですけど。これ以上この話をするのは避けたいのであえて濁したまま目線を下げた。周りも興味を失ったのか気を遣ってくれたのか、少しずつ いつもの雑談が聞こえてきて内心ホッとする。まだあんまり注目を浴びるのは得意じゃない、むしろ苦手だった。

「……すみません」

 そしてそんな私はというと、時間差で羞恥心が湧き上がっている次第である。ジョークと言ったものの、実は心からの冗談というわけでもなかったのだ。正直ちょっと、ほんのちょっとだけ本気で言っていたりしていたので余計恥ずかしかった。確かに最近軍に入った雑用しかできないような、それでいて軍とは無関係だった小娘に守るだなんて言われても困るだろう。鼻で笑われなかっただけマシだと思うべきだろうか。口にせず、心の中に留めておけば良かった。
 
「……ところで、行くならそろそろ出た方がいいんじゃないか」
「そ、そうですね……」

 チラリと外の様子を確認したロイさんの視線に釣られて窓の外へと視線を遣れば、眩い空はすっかりと姿を潜め、建物に降り注ぐ橙色には夕暮れの気配が混じり始めている。時折分厚い雲がこの黄昏の空を覆っていた。
 そう、そうだ。今のうちに出ておかないと着く頃には夜、最悪の場合すれ違いという結末になってしまう。それでは全く意味が無い。そんなことを思いながらジャケットを羽織り、もう一度空を見る。このままずっと晴れていたらいいな、そう思ってロイさんから渡された手描きの地図を握りしめた。「……名前って意外とイケメンだったんだな」背中から聞こえたハボックさんの言葉に静かに振り返る。

「……ハボックさんは無属性ですね」
「………………は?」






 とまあ、そうして司令部を出たのが約1時間ほど前である。

「……なあ」
「あ、こっちでしたハボックさん」
「……」
「あれ?やっぱこっちかな……」
「……名前?」
「すみません、ハボックさん。さっき引き返した道で合ってました」
「……」
「多分ここを真っ直ぐ行ったらあるはずなんですけど……」
「……」
「ハボックさん?」
「……」
「……ハボックさん」
「ハボックハボックうるせえ!!」
「わ!?」

 あっちでもないこっちでもない。ブツブツと独り言を漏らしながらも道を進んでいたら、ついに痺れを切らしたらしいハボックさんに後ろから荒い手つきで地図を抜き取られた。それもお怒りの言葉付きである。思わず首だけを捻って彼を見上げれば、器用にも煙草を咥えながら「あっち」と呆れたように声を落としている。

「おお」
「いや、この地図で迷うのがおかしい」
「……土地勘がないもので」
「さっきの仕返しかと思ったわ」
「ま、まさか。仕返しならもっと効率よくやります」
「もしかしてフッツ〜に方向音痴か?」
「……そんな事ないはずなんですが」
「なら大佐の絵心がないってことだな」

 思わずクスリと笑いが溢れた私に、ハボックさんは唇を吊り上げたかと思えば「さっさと行くぞ」と腕を掴まれた。今度は何だと驚いて目を見開くと、意味深な笑みを貼り付けたまま得に何も言わない。それどころか私の腕を引いたまま歩みを進めている。

「あ、あのハボックさん」
「あー?」
「う、腕が……」
「早く着きたいんなら黙って俺に着いてきた方がいいと思うけど」
「はい……」
「初めからこうすりゃ良かったな」
「?」
「早く鋼のと話しねぇと、なんだろ?」

  当たり前のようにそう投げ掛けれて即座に上手く返すことが出来なかった。まさかハボックさんからエドとのことをつつかれるなんて思ってもいなかったのだ。「おっと、」動揺で地図を地面に落としそうになるところを寸前で拾い上げた彼は、そこから特に話を広げるわけでもなく颯爽と歩みを続けている。既に傾いた太陽は長い影を作っていた。私も触れられたくない話、というよりも触れられたところで話せることもあまりなかったので有難かったけれど、何ともいえない気持ちになってハボックさんの背中を見つめたままになってしまう。
 そもそも、ロイさんに言われた段階では私一人で向かうものだと思っていた。結果としてハボックさんがいて助かってはいるものの少し複雑である。導かれるままに足を進めていたら、ふとハボックさんが立ち止まった。何も考えていなかった私はそのまま硬い背中に顔をぶつけた。痛かった。呆れたように「大丈夫か?」と掛かる声に鼻を押さえながら頷くと、パッと引かれていた腕も離される。そういえばずっと腕を取られたままだったと顔を上げれば、ご立派すぎる邸宅が広がっていた。

「ここですか?」
「ん」
「な、なるほど……」

 錬金術師のご自宅と聞いていたから、ある程度は大きいんだろうと思っていたけれど……これは想像以上だ。なんとなく建築的には平屋が多いのかなと思っていた。私の固定概念が古かったのか、案外そんなこともないらしい。おずおずとハボックさんの背中から顔を出すと、いかにも頑丈そうで立派な玄関の扉の奥から微かに笑い声が聞こえた気がした。高く透き通るようなこの声は、アルフォンス君だろうか。思わずハボックさんの顔を見れば、私の視線に気付いた彼は僅かに口許を吊り上げる。

「行けば?」
「ハボックさんは……」
「俺はただの付き添いだからな」
「でも、」
「まあ後でタッカーさんには挨拶しとくかな」
「……じゃあ先入っときますね」

 ゴクリと息を飲む。途端に緊張してきた。何を話そう、何から話そう、何から謝ろう。息を大きく吸い込んで、重厚なノッカーを数回申し訳程度に鳴らしてみるも誰かがやってくる気配は無い。暫く待っても足音も聞こえないので恐る恐るドアノブを引いてみれば、ヒューッと空気音を鳴らしながらも扉は呆気なく開いた。

「お、お邪魔します」

 中を覗いてみるも廊下には誰もいない。カタン、と扉が閉まる音を背にしながら足を進めていく。思ったよりも家の中は薄暗いし、装飾品が沢山飾られているわけでもない。邸宅の見た目に反して生活感もあまりなく随分殺風景な印象だった。確かに国家錬金術師は研究が中心になるのだから華美にする必要なんて全くないのだけれど、やっぱりそういうものなのだろうか。
 日が暮れたせいで余計に暗い廊下を進んでいけば、ポツリと灯りの灯る部屋があった。自然と足音を立てないようゆっくりと慎重に一歩ずつ踏み出している自分に内心笑ってしまいそうになるも、徐々に近付く光に緊張が走る。

「(あ、まずい)」

 光の先に広がっているのは書庫のような空間だった。左右対称に並ぶ本棚に積み重なった段ボール、奥にはロール状にされた模造紙が幾つも乱雑に置かれている。そしてその中心には、丸い影があった。大きな犬にもたれ掛かかっているせいで床に垂れている長い三つ編み、そして周囲に散らばる分厚い本。真剣なその目付きは頁から離れることがない。
 心臓がキュッと縮まったような気がした。すぐそこにエドがいる。いるというのに、私は石のように固まったまま中に踏み込めずにいた。ドクドクと鳴る心音が今にも彼の耳にまで届いてしまいそう。ああ、どうやら私は想像以上に緊張しているみたい。今朝会った時とはまた違う感情がごちゃ混ぜになって脳内を支配していて、私は少しでも心を落ち着かせる為にギュッと胸元を押さえることしかできない。
 その時エドが本を読み終えたのか、モゾモゾと上半身を起こした。パタンと本を閉じ、そしてその動作に刺激されたのか大人しく伏せていたはずの犬まで立ち上がる。

「……っ!」

 どうしようと焦ってしまったのが悪かったらしい。折角こんな所まで来たのだから、うじうじしてないで堂々と話しかければ良かったのだ。ぼうっと彼等を見つめていた私に気付いてしまった、そのつぶらな瞳とバッチリ目が合う。そして思わず後ずさりしてしまったことでギシ、と床が軋んだ。

「ワン!」

 尻尾を振りながらこちらに駆け寄ってくる耳の垂れた大型犬と、驚いたようにこちらを振り返る金の瞳。徐々に大きく見開かれていく動作に音がつきそうなほど、それらはスローモーションに感じられた。

「……名前?」

 目を逸らせない。きっと今朝会った時もそういう顔でこちらを見ていたんだろう。私が一方的に気まずいと目をきちんと目を合わせられずにいただけで、私が勝手に罪悪感を抱いて向き合えなかっただけで。脚元でふわふわとした毛並みが揺れているけれど、そちらに意識を遣る余裕は無かった。
 身体を起こした彼が、私の前に立つ。

「……名前」

 呟くようにもう一度私の名前を呼ばれるまでの空白が、とても長く感じた。久しぶりに向き合って名前を呼ばれたような気がする。必死に何か返さなければと精一杯捻り出したのは「……今朝ぶり」そんな一言だった。けれど声を発して、そうして初めて気付いた。光の束を集めた眸子には眉が下がり、見るからに情けない顔をした私が映っている。あれ、こんな顔をして会いに来るつもりではなかったのに。私はただ話がしたくて、そうだ、そのはずだった。ロイさんに気を遣われてハボックさんに道を案内してもらってまでここに来て、どうしてこんな気まずい再会を繰り返しているんだ。これじゃあ今朝と何ら変わらないじゃないか。

 ──突如、エドの耳がピクリと動いたと思えば表情が少し強ばった。
 連動するように私の喉がゴクリと鳴った時、部屋の更に奥からガシャンガシャンと金属の擦れる音が響く。少し距離があるのだろうか、徐々に近付いてくる足音に気を取られていれば、強く腕を引かれ、凍り付いたように身体が固まった。視界いっぱいに色素の薄い長い睫毛に縁取られた瞳が揺れている。文字通り目と鼻の先にエドの顔があった。それを認識した途端、心臓は飛び出そうな程に激しく鼓動を繰り返している。おかげさまで無理矢理絞り出そうとしていた台詞も全て吹き飛んでしまった。だって頭の中が真っ白で、どうしようもない緊張感だけが私の中を埋めつくしているのだ。思わず仰け反りそうになるも、思ったよりも力強く腕を掴まれていて更に驚いてしまう。
 鼻がぶつかりそうな距離から私を見据え「……後で、」エドは薄い唇を開いた。

「後で、俺の部屋来い」
「……え?」
「飯食ったらで良い 」
「……エド、私、その」
「そこで全部聞く」
「ぜ、全部って……」
「……だから名前も絶対逃げんなよ」
「あれ、兄さん……って名前さん!? どうしてここに!?」

 エドの声に重なるような形でアルフォンス君の声が室内に響いた。私がここに居ることに驚きを隠し切れない様子のアルフォンス君とブロンドヘアを三つ編みにした小さな少女が真ん丸い瞳をパチクリとさせて私を見つめている。「あ! この子はニーナ!」なるほど、彼女はタッカーさんの娘さんで、私の足元にいる大きなワンちゃんはアレキサンダーと言うらしい。やっぱりエドもアルフォンス君も誰かと仲良くなるのが早いなあ。

 いつの間にか離れていたエドをちらりと見た後、私は苦笑いを浮かべながら軍らしく「お迎えに上がりました」と敬礼してみる。まだ顔が熱かった。もしかしたら火照っているかもしれない顔色をアルフォンス君達に悟られないよう手の側面をなるべく頬に近付ける。久しぶりにちゃんとした会話が出来たからなのか、緊張からくるものなのか、思いのほかエドの表情が以前より大人びていて気圧されてしまったからなのか。男の子の成長は早いというけれど、この短期間でまたもや彼は色んな経験をして強くなったんだろう。

 ちなみに案の定「止めてよ」と敬礼は止められてしまったのだけれど。
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