あるいは同化した陽炎のように

 
 なんやかんや昨晩は帰るのが遅くなってしまった。
 二人と話すのも久々だったし、エドとアルフォンス君との掛け合いも揶揄うような軽口も、気にならないどころか全部が懐かしくて、気付けばあっという間に時間が過ぎていたのである。実家に帰った安心感ってもしかするとこういうことなのかもしれない。烏滸がましいから普段は口が裂けても言わないけど……私にとって二人はやっぱり特別なのだ。
 
 結局じっくり手土産を選ぶ時間などある筈もなく、滑り込みでクッキーを購入し、現在。

「あ、あのこれ……つまらないものですが」
「これは?」
「一応甘さ控えめのものを選んでみました。お口に合うかは分からないですけど……」
「……驚いた。気を遣わせてしまって申し訳ないね。有難く受け取らせてもらうよ」
「勿論です……! 急に押しかけてすみません」
「構わないよ。一人増えたって何も変わらないさ。ニーナ、このクッキーは後で名前さんと一緒に食べなさい」

 なんとなくタッカーさんはニーナちゃんに渡すんだろうなぁと思っていたのだ。実は甘さ控えめのクッキーと普通のクッキーが半分ずつ入っているものを選んでおいて良かった。
 ニーナちゃんはクッキー缶を受け取りながらタッカーさんの言葉に返事をすると「ありがとう名前お姉ちゃん!」此方を見上げてニパッと笑う。私はいえいえ、と笑いながら予想通りの展開にホッと息を吐いた。

「では……宜しくお願いします」
「ああ、そういえば」

 はてさて、とりあえず第一関門はクリアである。肝心の挨拶が終わったので早速資料室へ足を運ぼうとした時だ。「君も国家錬金術師に?」そんな言葉が背中を追うように投げ掛けられる。不意打ちの言葉に思わずその場に立ち止まり、何度か瞬きを繰り返した。…………国家錬金術師?

「…………、へ?」

 意味を理解した頃には心の中で『いやないでしょ』とセルフツッコミをしていた。ならない、というか、なれない。なれるわけがない。多少のズレはあるかもしれないけれど、ベースの知識がない状態で突然難関大の医学部を目指せと言われているようなものだと思う。エドが若くして国家錬金術師なものだから、私も目指していると勘違いしてしまったんだろうか。優秀な人が近くにいるとこれだから……。

 振り返ってタッカーさんを見上げれば、ただでさえ読み取れない表情に暗い影を落としている。

「私は全然……そういうのは」
「全然?研究に興味があるのにかい?」
「その……少しだけ調べたいことがあって、それで。普段はただの事務ですし」
「……そうだったのか。すまない、エドワード君が最年少で国家錬金術師となった天才と聞いたからてっきり君もそうなるのかと」
「い、いえ。私じゃ全然彼の足元にも及ばないので……逆にすみません……」

 納得してくれたのかタッカーさんは「引き止めてすまなかったね」と申し訳無さそうに笑った。やっぱりエド関係かと思いつつ、理由は何にしろお邪魔をしているのは此方の方なのでもう一度頭を下げる。

「えっと、改めて宜しくお願いします」
「あの資料室でよければ好きに使って構わないよ。エドワード君はもう大分慣れているようだから、本の場所も彼に聞けば分かるだろう」

 確かに既にエドはあっちゃこっちゃから本を引っ張り出して読み耽っていた気がする。簡単に想像出来るその光景に思わず笑みが溢れた。……よし、早く私もそこに混じらなければ。
 また後でね、とニーナちゃんに軽く手を振ってから背を向けると笑顔で手を振り返してくれたので堪らずニッコリしてしまう。しかしそれとは反対に、最後に見えたタッカーさんの表情には陰が刺していて、顔色もあまり良くは見えなかった。隈も目立っていたしあまり寝ていないのだろうか。
 自然と早歩きになる廊下の少し先からは資料室であろう部屋から光が漏れ出ている。そういえば初めて来た時が夕方だったから意識していなかったけれど、この家の中はどうも薄暗い気がした。
 
 灯り、もっとつけたらいいのに。








「…………休憩でもすっか」

 エド達に合流してから約数時間。
 首が痛み始め、集中力も切れかけた私を見かねたのか、一区切りついたタイミングで休憩を挟むことになった。タッカーさんは相変わらず自室に籠っているので、ニーナちゃんも誘って皆で外に出る。そのまま元気よくアルフォンス君と追いかけっこを始めた二人を見ながら、私とエドは芝生の上に腰を下ろした。

「……あ、そうだ。はい、これ」
「あ? ………………あ?」
「ん?」
「え?」
「え、お昼いるでしょ?」
「いや、いるけど……………」

 どうせまた昨日のように本を読むのに夢中で忘れていたんだろう。いつもと立場が逆転していることにドヤ顔で軽食代わりのサンドイッチを用意すれば、エドは口をあんぐり開けて私とサンドイッチを交互に見ていた。その反応にフフン、と満足感が押し寄せるが、なんだかこう……些か驚きすぎな気もする。

「………これ、何?」
「見るからにサンドイッチですが」

 君にはコレがサンドイッチ以外の何かに見えるのか。

「どうぞ、此方はサンドイッチになります」一文字一文字区切ってウェイトレスのようにエドに差し出せば「お、おおおお前…………!」何故かガシッと肩を掴まれた。さっきから情緒が激しめだな。身体を前後に揺らされながら薄目でエドを見るも、瞳をキラキラさせていたのでどうやら感動しているだけらしい。
 少し反応が大袈裟だけど、なんとまあやり甲斐の……いや、花丸を上げたいくらいのリアクションである。

「まじか! お前……まじか!」
「そんなにビックリされるとは思わなかった」
「俺、名前にまさかこんな気遣いされるとは思ってなかった……」
「……私だってこれくらい出来ますけど」
「あっ! 違ぇ、その、喧嘩売ってるとかではなくだな!?」

 流石の私もこの流れで喧嘩を売られるとは思っていないけども。
 あまりにも必死に否定するものだから「ふうん?」とわざとらしく白けた視線を送ると、エドは困ったように目をキョロキョロとさせていた。そしてダァーーッ! と頭を掻いたと思えば、小さな声で「……う、嬉しいってことだよ」と耳を赤くしながらぶっきらぼうに口にするのだ。
 ……ほんと、感情の波が凄い。反応が予想の斜め上だったせいでこっちまで面食らうというか。頬が緩んで変な顔になっていないか心配になってしまう。でもそっか……、嬉しいのか。

「ど、どういたしまして。喜んでくれたなら私も嬉しい」
「…………いや……まじサンキュな。有難く頂くわ」
「どうぞどうぞ」
「……ッで! ど、どうなんだよそっちは。問題なく読めてんのか?」
「そうだね……まあ今のところ何とか」
「おー。なら大丈夫そうだな」
「でもなんか……これだっていう情報は見つかってないかな」
「あのなぁ……んなもん当たり前だ。欲しい情報がいきなりドンピシャで見つかる方が怖ぇよ」
「……ですよね」
「暗い顔は数百冊読んでからにするんだな!」

 エドは肩を竦めておどけてみせるけれど、彼の読むペースだったりを見ればあながち数百冊というのは冗談でも無いのかもしれない。……まあ、でも、そりゃそうか。私の欲しい情報っていうのは一層特殊なんだから、むしろ数時間で簡単に見つかるわけもない。そもそも形として手がかりが残っているかどうかも怪しいくらいなのだから。

「アハハ! たかーい!」

 ふと声の方に顔を向ければ、アルフォンス君に肩車されているニーナちゃんが楽しそうに笑っている。
 芝生に軽食というのも相まって、なんだかふとピクニックしてるみたいだな……と場違いなことを思った。もう少し天気が良かったら最高だったのに。分厚い雲が空を覆う中、芳ばしい茶葉の香りがふわりと空気に溶けていく。

「……にしても、アルのやつ仲良くなりすぎだろ」
「エドもそう思うんだ?」
「思う思う、あいつの好かれ方はたまにヤベエ」
「アルフォンス君優しいしね」
「いやあれは優しいつーか甘いっつーか……」
「ああやって誰とでも仲良くなれるのすっごく羨ましいけどなぁ」

  雲の隙間から太陽が少しだけ顔を覗かせた。エドの髪はキラキラと射し込む光を跳ね返していて、その下にある同色の瞳は猫のようにキュッと細まっていく。……ほんと、綺麗な色だ。思わず自分の横髪を引っ張って宙に透かしてみるも、真っ黒なそれは陽の光を吸収するばかりで煌びやかのきの字もない。自分の髪から手を離し、代わりに風が吹く度にぴょこぴょこと揺れるアホ毛を眺めていれば、コクンと喉仏を上下に動かしたエドが此方を見た。そして目が合う。ギクリと、なんだか悪いことがバレたような気持ちになるのは向けていた感情が感情だからか。
 私はスゥー……ッと視線を逸らし、誤魔化すようにクッキーを口にした。サク、と口の中でバターの香りと軽い食感が広がっていく。けれど甘さは控えめのものを選んでしまったからか、 逆に物足りない気持ちになった。

 ……多分今日はこのまま遊んで終わりだろうなぁ。私はそこまで効率がいい訳じゃないからある程度絞って資料を探さないといけない。明日こそは身になる何かを見つけなければ。

「……うっし。俺も運動がてら構ってやるか」

 ニーナちゃんとアルフォンス君の笑い声が響く中、パサパサになった口内に紅茶を流し込む。サンドイッチは綺麗に完食されていた。






「名前お姉ちゃんにも『査定』があるの?」

 資料室で気になる本を何冊か読み終わって伸びをしていた時、タイミングを見計らったニーナとアルフォンス君がやって来た。急遽飛び入り参加してから数日。相変わらずいい資料は見つかっていないけれど、ニーナちゃんをニーナと呼べる位にはなったので無駄な時間ではなかったと思いたい。唐突なニーナの質問に私は首を横に振りながら、アレキサンダーの上にあるふわふわの頭を撫でる。
 チラリと視界の隅の方では、本を開きながらこちらの様子を見遣るエドの姿が見えた。

「私はないけど、エドはあると思うよ」

 そもそも私には査定は国家錬金術師に求められるもの、くらいの知識しかない。助けを求めるようにエドへと話題を逸らせば「……ま、そうだな」案の定会話を聞いていたらしいエドがペラリと頁を捲った。

「あんなの年に一回も必要とは思えねぇけど」
「やっぱり大変なの?」
「ん? や、大変つーかめんどくせぇ」
「査定の度に軍部に戻らないといけなしね」
「……あー、なるほど」
「でも兄さんは大体列車の中でレポートでっち上げてるよ」
「う、うるせえな! それで許されるんだから問題はねえだろ……で? その査定が何なんだよ」
「……お父さん、いっぱい勉強してるのに最近ずっと不安そうで」
「大丈夫だよ、ニーナ。タッカーさんの研究は大佐も注目されてるって言ってたし」
「………査定が上手くいったら、お母さんも戻ってくるのかな」

 ニーナの言葉に、全員の動きが止まった。

 思わずエドを見れば「あー……確か、その……」と言いづらそうに目線をキョロキョロとさせている。どうやら何かしらの事情は知っているようで、微かに鼓動を大きくする心臓をそっと上から押さえつけた。今朝のタッカーさんの顔色を思い出す。もしかするとあの違和感は査定へのプレッシャーから来るものだったんだろうか。

「二年前にね、『実家に帰っちゃったって』ってお父さんが言ってた」
「……そっか。こんな広い家にお父さんと二人じゃ寂しいね」
「ううん!平気!お父さんも優しいしアレキサンダーもいるし!」

 トクトクと心音が全身へと広がっていく。撫でている手がぎこちなく動きを止めたからか、ニーナが私を見上げた。ニパッと笑ったニーナを見つめ返していれば、穢れのない丸くて大きな瞳が一瞬不安そうに揺れる。

「………ほんとに平気なの。でも、」そう続けるニーナの声は、なんだか似合わないなと思った。

 甘いお菓子を食べてアルフォンス君と外で遊んでる時の、軽やかで花のような笑い声がニーナには似合っている。トクトク。反対側の手が無意識の内にニーナに近付いて、触れる寸前で行き先を失ったように宙をさ迷った。

「お父さん、最近研究室に閉じこもってばかりでちょっと……さみしいな」

 ドクンドクンと心臓が健気に震えている。静謐な空間ではもう何処から聞こえているのかも分からない。私のものかもしれないし、触れているニーナのものかもしれない。思考がぐるぐると必死に回転しているのに、掛ける言葉がまるで見付からなかった。

「……、っ」

 不意に左手が温もりに包まれる。ハッと視線を下に遣れば、宙に浮いていたはずの手をニーナがギュッと握りしめていた。会いたい? そんな問い掛けにやはりニーナは首を横に振る。言ってから主語を言ってなかったなと気付いたけれど、誰のことかは分かってるんだろう。小さく柔い手は温かくて、時折垂れた三つ編みが当たって擽ったい。……何だろうな、この感じ。

「……あーーー」

 エドとアルフォンス君が顔を見合わせて、そして私を見た。コクリと小さく頷いたのを確認して、そっとニーナの頭から手を離す。
 
 今私の心を占めているのは、一体どんな名前の感情なんだろうか。どこかモヤのかかったような頭の片隅で、庭で運動するかぁと話す声を聞きながらそっと目蓋を閉じた。今日もまたいつもの流れで、ニーナ達と遊んだらそのまま帰るに違いない。外はそろそろ暮れかけで淡い西陽が射している頃だろう。次開ける時には元に戻っているといい。そう思いながら数秒後、薄目で視界を確認する。

 やっぱり薄暗いなぁ。
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