おいでませ虚構
「ホークアイ中尉」
「なんでしょう」
「何か感じたかね」
「……馴染んでいないように、思えました」
「ほう。馴染む、か」
「はい。上手くは言えませんが」
「いや、構わない。私も似たようなことを考えていた」
「大佐もですか」
アルフォンスは、思わず動きを止めた。
2人を追おうとしていたわけじゃあない。
2人の話を盗み聞きしようとしていたわけでもない。
ただ、兄のエドワードと共にいるであろう名前を探していただけ。時計を見ていなかったせいか、いつの間にやら時間は過ぎていたらしい。
これで先に戻っていたら、少し怒ってやろう。こっそり三つ編みでもほどいてやろうか。そんな軽い悪戯心を持ちながらも、アルフォンスは2人のことを心配していたのだ。水のように透き通った心で、実の兄と、出会ったばかりの少女のことを。下部の鎧についた水滴を腰に巻いた布地で軽く拭う。あれ、ここってどこだったっけな。いつもと違う入り口から入ったせいか、思ったように道を進めない。そんな時に聞こえてきた、耳慣れた声。
聞こうとしたわけじゃない。
タイミングよく来てしまっただけだ。
東方司令部に入りそのまま彷徨っていただけで、決して。けれど、これはこれでーー。
覗いて、と言わんばかりの中途半端に開かれた扉から漏れ出すのは二つの声。ガシャン、と無意識のうちに足は床に張り付いていて、無意識のうちに気配を消して耳を傾けてしまっていた。どうして隠れるようにしているのかはアルフォンスにも分からない。それもまた無意識だった。話題は名前のことなのだから、アルフォンスが今部屋の中に入って行っても違和感はないはずだ。それでも。
「不思議だったよ。怪しい者か見極めようとしたが無理だった」
「無理だった……とは?」
「記憶喪失。あれが演技なのか真実なのか、残念ながら私は分野違いだ」
「……どうでしょうか」
ドキリとした。
きっとこういう時に心臓があったら、ドクドクと激しく振動して苦しいんだろう。思わず硬い左胸に手を当てて、アルフォンスは2人の会話を思い返す。
記憶喪失。名前。演技。
そのキーワード達は、アルフォンスの頭を回転させるには十分すぎるものだった。名前の記憶喪失なんて信じて疑わなかった。疑う理由もなかった。疑いたくなかった。だって、わざわざ記憶喪失にする理由もないでしょう? 僕達が見つけたのだって偶然なわけで、そうじゃなきゃ今頃名前さんは。それなのに何で大佐達はここまで真剣なトーンで話しているんだろう。
「鋼のはどういうつもりなのだろうな」
「……彼は、優しいですから」
「優しい……ああそうだ、彼は甘い。反吐が出るくらい甘すぎる」
「しれも彼の強みですよ」
「ハハッ、妬けることを言う」
「失言でした」
「ところでアルフォンス君には後で渡したいものがあるんだ。探しといてくれるかね」
「はい」
自分の名前が出されて、ほとんど条件反射でバッと背を向ける。どうしてか盗み聞きをしていた背徳感が今更襲ってきて、聞いていいものだったのかも分からなくなってきていた。モヤモヤと霧がかった気持ちにそっと蓋をする。きっと僕が今何を考えても仕方ない。何も変わらない。何も得れやしない。人の過去に無断で踏み出す愚かさを、アルフォンスは誰よりも理解しているつもりだった。
ポタリと、鎧を伝った雫がなだらな曲線を描いて地に弾ける。思い直したアルフォンスは、本来の目的のために再度足を動かした。
ガシャンガシャン。扉の向こう側に伸びる視線があったなんて、誰も知るはずない。
「……最近はもう大丈夫なのか」
この間ロイさんと話した部屋は病院ではなかったらしい。そして再び最初の病院へ戻ってから、エドワードさんは目に見えて沢山訪ねてきてくれるようになった。時刻は違えど、あれから毎日様子を見に来てくれる。ロイさんが言っていた責任という言葉を気にしてしまっているのかもしれない。
見慣れた動きでベッドの横に腰を下ろしたエドワードさんは、いつものように少し気まずそうに顎を上げて私を横目で見ていた。
コクリと頷いて肯定すると「……そっか」と幾分優しい声が聞こえて、あの日以来どうも彼は私に優しくなったような気がするり罪悪感とも言える感情が入り乱れて胸がキュッと締め付けられるのだ。
「ほんと……ありがとうございます」
改めて、思い出す。雨に濡れて必死な顔をしたエドワードさんを。当然倒れた私を部屋まで運んでくれたのもエドワードさん達なんだろう。迷惑ばっか、かけてるなあ。そう考えたら考えるほどここにこうして2人でいるのが辛くなってきて、布団を掴む手に力が入った。
「歳」
「……え?」
「前言ってたけど、歳17なんだろ。別に敬語使わなくていい」
「あ、えっと」
「つか何でエドワードさん」
「でも、」
「もう他人って距離でもねえし」
「……っ」
「まあ無理して変えてほしいわけでもないから」
「そう…ですか」
「慣れたらでいいよ」
慣れたら、か。
そして、彼はまたツンと唇を立たせて横顔を見せる。綺麗な三つ編みが視界で尻尾みたいに揺れた。エドワードさんの言った"前"が酷く前のことに感じるなんて、私もこの世界に馴染んできたということだろうか。
「……記憶さ、早く戻るといいな」
エドワードさんは濁り一切ない笑みを向けて笑う。ううん、笑うというにはあまりにも小さいものだったかもしれない。ただ、口角を上げて唇をギュッと結んで、私に向かって目を細める。
「ありがとう、ございます」
どこかに散らばっている私の記憶の欠片は、一体どれほど大事なものが詰まっていたのだろう。どれだけ嫌なものが、詰まっていたのだろう。ぼうっと宙を眺めていたら、トントンと控えめに鳴る扉の音に意識が持って行かれた。数秒してスライドされた扉の向こうから見えたのは、艶やかに光沢する鎧。
「……アルフォンス、くん」
「名前さん! もう起きあがって大丈夫なの?」
「う、うん…ごめん、ありがとう」
「で、兄さん」
「あ?」
「ずっと探してた」
奔放すぎるのも困りものだなぁ…項垂れるように肩を落としたアルフォンス君は、それでもすぐに「とりあえず兄さん、これ」と手にしていた紙をチラリと見せる。そこにはぎっしりと難しそうな数式や文字が並んでいて、まるであたしなんかじゃ解けない方程式に、2人は何者なのかと少し驚いてしまった。
「……あ」
まただ。
「ん? 何、お前錬金術興味あんの?」
「え? あ、いえ、その…」
「何だよ歯切れ悪ぃな」
れんきんじゅつ。
聞きなれない言葉に、ぼやけている意識を奮い立たせた。私の視線は分かりやすくアルフォンスの書類に向いているし、エドワードさんも頬杖をついてあたしを見つめている。だから彼の言う錬金術というのは、今私が目にしているもののことを言っているに違いなかった。だけど、でも。……錬金術って、石ころを金に変えたりするやつのこと、だよね?
スッと目を細めてみると、そこにはやはりあの時ロイさんの手袋に見た、魔法陣のような模様が記されている。
手書きなのか、描かれた線からは少しの乱雑さが滲んでいた。知らない世界というだけじゃなく、私の知る錬金術とは違う全く新しい何かが、ここには存在するのだろうか。ドクドクと、胸が嫌な音をたてる。不安と緊張とが混ざり合って、このまま放っておけば中心から溶けてしまいそうだ。
「錬金術って、あんまり馴染み…なくて…」
「? ふーん。まあそりゃそうか」
「あの、錬金術って……?」
「等価交換。錬金術を語るにはこれで十分だ」
「とうか、こうかん」
「何かを得るには何かを差し出さなくちゃいけねえ。この世の真理だよ、等価交換は」
右手を眺めながら、エドワードさんは噛みしめるように口を動かす。
「つーか、ほんとに知らねえんだな…これも記憶のどっかの欠片に置いてかれてんのか?」
「……どうなんでしょう」
「ん?」
「い…え、何でもないです」
本当に、違う世界なのか。
私を見るアルフォンス君の視線には、あえて気づかないふりをした。 ←/
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