愛を謳う声

「ま、つまりこの世の真理の一環でしかないんだよ錬金術も。対価を手渡さないと何かを得られない。等価交換」
「……誰でも使えるんですか?」
「天性的な才能とセンスと血の滲むようような努力が出来る奴ならなれるんじゃねえの」
「……」
「なに、もしかして錬金術師になりてえわけ?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「……ふーん?」
「……ならない方がいいですか?」
「いや別にそういう訳じゃねえけど……今は医療とか色んな錬金術の研究もされてるし」
「医療の錬金術?」
「ま、俺もそっちの方は詳しくない」
「あの、医療の錬金術って」
「何?」
「それって、対価さえ手渡せば何でも治せるんですか?」

 途端に、エドワードさんは分かりやすく目を見開き、眩むような金色の瞳で私を射抜いた。予想外の反応に思わずビクリと肩が揺れる。
 ……変なことでも聞いてしまったかと自分の言葉を思い出してみたけど、別にそこまでのことを聞いたとも思えない。聞いている限り彼等の言う錬金術は理論さえ分かるものの、どちらかと言えば私の思う魔法に近いと思うのだ。そんな魔法に近い錬金術を医療に用いると言うのなら、それこそ不老不死とかも有り得たりするのかなと思って聞いただけなのだけど。

 それでも、もしかしたら機嫌を損ねてしまったかもしれない。「えっと……」恐る恐る声を掛ければ、エドワードさんはさっきまでの表情に戻ったものの、私を見ていた瞳はゆっくりと窓の外に向けられた。そして一言、無理だ、と言う。

「錬金術は万能じゃない」
「……そうですか」
「……ま、とにかく錬金術は才能と知識が物を言うってこった」

 魔法みたいなくせに、万能では無いのか。
 これ以上深掘りするのは何となくいけないような気がして、私も首を回して同じように外を見れば、青みがかった毛並みをした一匹の猫がじっと外で蹲っていた。空を見上げれば、パラパラと小雨が降っていて良い天気だとは言い難い。きっと雨宿りでもしているんだろう……そう思っていたものの、よく見れば猫の上に屋根はないし、長い毛並みはしっとりと湿り気を帯びている。猫は水が苦手だと思っていたけれど、この世界では違うのだろうか。

 じっと動かない猫を眺めていると、じっと黙って数式を追っていたアルフォンス君が顔を上げた。そして私とエドワードさんの視線を辿って「あ!!!!」と声を上げて窓の方へと駆け寄っていく。ガシャンガシャン、そんな音を鳴らしながら両手をペタリと窓に貼り付けると、子供のように「ね、猫だー!」と感動したように声を上げている。
 逆にエドワードさんは興味をなくしたのか、はたまた特に最初から興味はなかっのか、アルフォンス君と入れ替わるように図式が並ぶ書面と睨み合っていた。

「あ! あっち向いちゃった……ああしかも濡れちゃってる……」
「……アルはいつまでたっても動物好きなの変わんねえなぁ」
「動物可愛いよ! でも確かに兄さんはほんっとに興味ないよね」
「旅の途中に無駄な愛は必要なし!」
「……そんなこと言ってるからモテないんだよ」
「? なんか言ったか」
「何にもーー!」









 暫くするとアルフォンス君とエドワードさんは用事を思い出したらしく「また来る!」とだけ言い残して、いそいそと病室を後にした。

 そしてまた1人の時間である。
 2人もそんな暇じゃないということは、短期間しか関わっていない私でも見ればすぐに分かるのにわざわざ来てくれているのだから、彼等は本当に心から優しいのだ。本物のエドワード兄弟だ……! そう言って目を輝かせる看護師さんをあたしは何度か見たことがあるし、最年少がどうたらと言っていたから、きっとエドワードさんは自分で言っているだけじゃなく、本当に凄い才能の持ち主なんだろう。

 その時、ガラリと、人為的に開かれた扉が静寂という音を遮る。

 アルフォンス君から貰った写真集に目を走らせていた私は、突然の来訪者へ驚いて顔を上げた。一体誰が……? そう思いながら視界に入った顔を見て、首を傾げる。

「…………あの?」

──待って、本当に誰?

 来訪者は見知らぬ人だった。少しダボッとした赤いセーターに黒いズボンを着ている男性は、私の姿を確認すると扉に手をかけたまま、驚いたように口を開けている。……どちらかと言えば、驚きたいのは私なのだけど。私に何か用事があるわけではないようで、何度も部屋の外と中を交互に目線を動かしている。ひょろりとした体つきをしているせいか服装のせいかなんなのか、あまり病院関係者とも思えないし、体制だって片足を前に出した中途半端な姿勢のまま止まっている。

 さすがにずっとこのままいるわけにもいかないので「……えっと?」先程よりも少し大きな声で話しかければ、彼はスッと姿勢を正し、ペコリと腰を折った。……………………ん?

「すみません! 部屋間違えました!」
「は、はあ……?」
「いや、決して別に故意的ではなく、本当にただボーッとしていたら階を間違えてて、ていうかどのフロアも部屋の配置は同じだからややこしいというか、とにかくすみません!」

 突然流暢になって弁明する姿にキョトンと瞬きを繰り返す。そして時間差で自然と口元が緩んでいく。何だこの人。え、本当に何なのこの人。こみ上げてきたのは小さな笑い声で、気付けば薄らと目尻に涙が溜まるくらいには笑っていた。何でこんなに面白いのかは分からなかったけど、切り詰めた時間が多かったから何気ない日常を感じてしまったのかもしれない。私の笑いがおさまるまで、彼はずっと扉の傍から離れなかった。初めは驚いた表情を変えなかった彼も、徐々に唇の端を上げて控えめに笑っている。

「……す、みません…いきなり笑い出して」
「いえ、むしろ笑い飛ばしてくれて助かりました」
「なんだか何か蓋が外れちゃって……すみません」
「だから謝らないでください!怪しまれてナースコール鳴らされてもおかしくなかったので」
「あ……」
「その手があったとか思いました?」
「……まさか」
「フフ、冗談です。長居してすみません。とりあえず俺はこれで!」
「は、はあ」
「それでは!」

 勢いよく閉じられた扉は、余韻でガクガクと小さく揺れていた。これじゃあ彼が本当にいつかナースコールされるのも時間の問題かもしれない。それにしても、怒涛の嵐のようだった。さっきよりも断然静かに感じてしまう空間に、そっと瞼を閉じる。
 ……そうだ、名前。名前くらい聞いておけばよかったかなぁ。

──その時だ。コンコン。先ほどとは違う、控えめの音が響いたのは。

 今日は来訪者が多すぎる日だと思った。今度は一体誰なのだろうとジッと扉の方を見つめていると、もう一度コンコン、と音がする。
 どうやら今度の人は随分と礼儀正しいようで、私が返事をするまでは入るつもりはないらしい。エドワードさん達は返事をする前に入ってきてしまうので、恐らく彼等が戻ってきたという可能性も少なそうだった。

「……どうぞ」扉の向こうの誰かへと声を投げかければ、数秒後、静かに扉が開かれる。特徴的な青い軍服と、黒髪が視界を占めた。

「突然訪ねてすまないね」

 ニッコリと微笑んだ彼は、人の良さそうな顔で手にしていた籠を胸元まで上げた。ピンク色のリボンが申し訳程度についている籠には、色鮮やかな果物が所狭しと並んでいる。 そして戸惑いながらぎこちなく会釈するあたしに言うのだ。
 数秒前の微笑みが一切消えた至極真剣な顔をして、薄く形のいい唇を開いて、籠をギシリと鳴らして、言う。

「突然訪ねてすまない。失礼を承知を言わせてもらうが、」本当に記憶は思い出せないのか、と。









「なぁにが少し片付けをしてくれだ、あんのバカ大佐!」


 ガン、と手にしていたモップを床に投げ捨てる。少しの衝撃でホコリが舞うこの空間は、一見してゴミ屋敷という言葉が何よりもふさわしいように思えた。換気が不十分なのか、どこか湿り気のある空調がますます気持ち悪い。どうしてここまでの無法地帯になった、ていうか一体全体何が起きればこうなれるんだ。

 エドワードは長い三つ編みを揺らしながら、やれやれと呆れたように首を振る。こんな雑用中の雑用、普段なら絶対に受けないのに。
 ググ……と雑巾を握りしめて大佐の言うことを聞いてしまったことを今更後悔したものの、ここまできて無理だと放り出すのも気が引ける。何より、こんな雑用みたいなことをする必要なんて本来ならどこにもないのに、それでも引き受けたのには確かに理由があるわけだし、ここで投げ出してしまえば何の罪滅ぼしにもなりやしない。

 深い深いため息を吐きながら、羽織っていた赤いコートを脱いで腰へと巻きつける。これは大佐に対する妙な背徳感を拭うためだ。他の何でもない。そう、きっと。

「……やるか」

 カサカサと天井付近で嫌な音がする。そろりと上を見れば、人の頭ほどはありそうな蜘蛛の巣、そして天井を走り回る黒い影、今にも落ちてきそうな埃の塊。
 ああ、いつから俺は清掃係りになったのだろう。こんな雑用中の雑用、大佐ならいくらでも部下を遣わせられるだろうに。壁にたてかけてある毛の広がったモップを掴むと、ダン! と床に振り下ろす。


「クソ、こんなもんさっさと終わらせてやらぁぁ! ネズミでもゴキブリでも出てきやがれ! 俺が生態系ごと綺麗に掃除してやる!」
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