一目惚れなんて有り得ない。
 だってその人のビジュアルしか見ていませんよと公言しているようなものだし、ていうか中身は見なくていいのって話だし、そもそも実際道を歩いていて目を惹かれる人というのは眉目秀麗な芸能人レベルだったりするし、住む世界が違うかったりするし。
 貴方の見た目が好きです!から入ったその後は?ていうかそれって恋なの?好きにカウントされるの?勝手に自分の理想を作り上げて、マックス好感度からスタートしたその後は一体どうするの、相手の性格が思っていたのと違うかったら幻滅して終わりになってしまうのか。それとも顔が良いからで全てを許してしまう無様で情けない人間になってしまうのか。
 だから一目惚れなんて有り得ない。
 そう言い続けていた私は、本気だった。見た目だけで寄ってくる奴等が嫌いだった。嫌いなはずだった。

 と、まあここまで壮大なフラグを立てたのだけれど、つまるところ私はつい先程とある男子学生に一目惚れした。
 あれだけ有り得ないと言い切っていたにも関わらず、見事にフラグを回収してしまったのである。
 意味が分からないと思うが私も意味が分からない。
 この世にこんなにもカッコイイ人が存在してもいいのかと自問自答をしていたら一時間目が終わっていた。本当に意味が分からなかった。
 残念ながら日本史の授業は全くと言っていいほど頭に入らなかったけれど、なるほど傾国の美女というのも真実味が出るものである。昨日までルッキズムなんぞクソ喰らえ!と力んでいた私は砂となって消えていた。
 そりゃそうだ。常識を超えたイケメンがいたのだから、常識を超えた美女もいるに決まっている。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花!?何だそれは!と舌を巻いていた私をどうか許してほしい。そうだよね、存在しているだけで人を狂わせる美女も一人や二人いてもおかしくないよね。そりゃあもう国家なんか簡単に崩壊してしまうだろう。
 と、楊貴妃と書かれたページを真剣に見つめるくらいには恋に落ちていた。

 だって、曲がり角でぶつかって恋に落ちるなんぞ誰が想像できようか。そんなシチュエーションが現実世界で有り得るわけが無い。が、今の私ならイエスを出せる。
 何故なら、私も落としたハンカチを拾ってもらっただけだからである。肩を叩かれて振り向き際に「落ちたよ」とハンカチを差し出される、そんな些細な出来事だった。数秒間しか目は合わなかったし颯爽と通り過ぎてしまったけれど、それでも私は一目惚れをしたのだ。
 ピンクゴールドの髪がふわふわと揺れる姿に。あまりに青い空の下を、堂々と歩くその姿に。
  掌を返すならいっそ潔くをモットーとしている私は確かに今この瞬間、確かに彼に恋をしていた。
 恋に上も下もないと思う。どんな形であれ、恋心というのは共通して甘酸っぱいのだと、私はそう思う。
 
「名前ちゃん!名前ちゃーん!ねえってば、お昼行くよ!」
「……え、お昼?」
「何寝ぼけたこと言ってんの!もう四時間目も終わってるんだから!」

 ハッと顔を上げればヒナちゃんが「早く〜!」と私の机をタンタンと叩いている。周りを見渡してみても皆鞄の中からお弁当を出したりと、明らかに昼休みの空気が流れていた。
 ま、まさか……私が受けていたのは二時間目の日本史のはず……!二時間目どころか三時間目も四時間目も終わっているだって……!?私の机の上には日本史の教科書とノートしか広がっていないというのに、そんなまさか……!
 愕然と教室の時計から目を離せない私だったけれど、ヒナちゃんが腕をグイグイと引っ張るので泣く泣く席を立った。
 もうお昼かぁ、まだお腹空いてないなぁ。恋をしたら胸がいっぱいというのも本当なのかなぁ。「お昼持ってきた?」と問い掛けてくるヒナちゃんに上の空で返事をしていたら、彼女はピタリと足を止めて振り返る。ボブカットが揺れるのをぼんやりと眺めていれば、大きな瞳が目の前まで迫っていた。

「名前ちゃんさっきから変!まさか恋でもした!?」
「…………えっ」

 この瞬間の心情を後から述べるとしたら、どうしてバレたの、であった。
 突然図星を突かれた私は心臓がドキィ!と跳ねるのを感じ、

「えっ、ちょっと!名前ちゃん!」

 逃走した。
 まだ芽生え始めの恋心を突如言い当てられて、気恥ずかしくなったのだ。居た堪れない思いの私はそのままヒナちゃんに背を向けて走り出す。
 如何せん、少し前までの私は所謂スマした自称尖り系女子だったのである。「好きって何?」「愛とか分かんない」それらは早くも黒歴史だった。ああ、過去に戻れるならその頬をぶっ叩いて恋とは何かを説くというのに、私という奴は。

 あらゆる先輩や生徒にぶつかりながら屋上へ駆け上がった私の後をヒナちゃんも追い掛けてくる──が、体力が無いせいで早々に尽き果てた。息も切れ切れで茹でダコ状態の私は見事ヒナちゃんに捕まり、物凄い剣幕で問い詰められる始末である。
 屋上でご飯を食べている人達が好奇な目を向けてくるのが堪らない。そりゃあ目立つよ、目立つに決まってるよ。ただでさえヒナちゃんは目立つのに。

「名前ちゃん!?聞いてないよ私そんな話!どこの誰!?」
「な、名前は……分かんない……あの、その……今朝会ったばっかで……」
「名前も分からない人に恋したっていうの!?名前ちゃんが!?」

 分かってる、分かってるの。自称尖り系女子だった私がこんなに顔を真っ赤にして好きな人が出来ましたなんて、馬鹿げてるよね。分かってるんだよ、分かってるんだけど。眉間に皺を寄せて考え込んでしまったヒナちゃんを前に、うううと私は両手で顔を隠す。そうだよ、名前も知らない。名前も知らないのに恋をした。一瞬で恋に落ちてしまったのだ。
 ……でもそうだな、確かに名前くらい聞いとけば良かったとは思う。


 
 そしてヒナちゃんの地獄のような質問攻めを乗り切ったその日の放課後、事件が起こる。

「ヒ、ヒナァァァ!」

 それはヒナちゃんに誘われてクレープを食べていた平和な帰り道だった。
 突然私達の方を目掛けて、誰かが両腕を懸命に振りながら猛ダッシュしてきたのである。風の抵抗をモロに受けるその表情は般若より恐ろしい。私は余りの形相に思わずクレープを落としそうになったというのに、隣のヒナちゃんは「あ、タケミチ君」と暢気に手を振っていた。
 キキー!と見事に私達の前で急停止を果たした彼は、数年ぶりに再会したかのような勢いで「ヒナ!?どうしてここに!?」と目をキラキラさせている。

「そこのクレープ屋さんが美味しいって教えてもらったから寄りたくなっちゃって。帰り道に会うなんて珍しいね」
「それはその……ちょっとな!」
「ふ〜ん?また隠し事?」
「い、いやいや!そうじゃなくて!」

 私は花が咲きそうな二人を暫く見つめ、早くも溶けかけているアイスクリームを一口齧る。
 花垣武道くん。ヒナちゃんの彼氏。ヒナちゃんの大好きな人。武道君とは何回か会ったことがあるけれど、こんなに忙しない人だったかしら。
 私がジト〜と横目で二人を見ていると「ごめんね、名前ちゃん」とヒナちゃんが此方を向いて笑った。そして漸く私の存在に気付いたらしい武道くんが顔を真っ赤にして「よ、よう!名前もいたのか!」なんて今更挨拶をしてくる。少しイラッとしたので最初からいたけどな!ハンッと鼻で笑ってやれば、ヒナちゃんに怒られてしまった。私、悪くないもん。
 その時である。「タケミっち〜!」武道君の後ろから声がした。
 ……タケミッチ〜って何?私が疑問を覚えると同時、武道君は瞬時に曲がっていた背筋を伸ばし、少し緊張した様子で振り返る。私もそれに釣られて視線を奥に遣れば、ドクンと心臓が大きく鼓動するのを感じた。

「…………っぁ、」

 時刻は恐らくもう五時を回っている。西陽が混ざる紫陽花色の空の下、運命なのか偶然なのか、私は信じられない光景を見た。
 そして寸刻、時が止まる。
 肩に掛けられた学ラン。肩まである色素の薄い髪は、陽の光を浴びて歩く度に金色にも桃色にも反射している。隣に並ぶ背の高い男の子とどこか気だるそうに大股で歩く姿に、目を限界まで見開く。気付けば私は小刻みに震えていた。
 ──う、嘘だ。どうして彼が。
 プルプルとヒナちゃんの腕を引っ張りなんとか助けを求めようとするも、その意思は伝わらない。あろうことかヒナちゃんはペコリと頭を軽く下げ「お久しぶりです」なんて言い始めたのである。

「……え?」

 お久しぶりですって、どういう意味であっただろうか。久方振り、ということは随分前に会っているということで、私はヒナちゃんが何を言ってるのかまるで理解が出来ない。

「おー久しぶり」

 まさかの自体であった。ヒナちゃん、私の一目惚れの相手と、知り合いであった。
 もう思考回路はショート寸前である。ジェットコースターを連続で乗ったってこんな浮ついた気持ちにはなれないだろう。今にも胸を突き破って飛び出そうなほど心臓の音は大きくなってきていた。

「俺達置いて走り出したと思ったらそういうことかよ、タケミチっち」
「ド、ドラケン君!ごめん!」
「しかも二股か?」
「ち、ちち違うよ!こっちはヒナの友達で名前!」
「ふ〜ん?」
「コラ!タケミチ君!名前ちゃんのこと『こっち』とか言わないで!」
「え!?ご、ごめん!」
「そうだぞタケミチっちー」

 隣でドラケンと呼ばれた男の子に小突かれた武道君が盛大に転げているが、私はもう例の彼から目が逸らせないでいた。それはもう、まるで縫いつけられているかのように身体が動かない。他者を圧倒するような存在感、そして嵌め込まれた黒曜の瞳が私を視界に捉えた時、やはり私はこの人が好きだと確信してしまった。
 駄目だ直視できない、どうしよう。こんな再会の仕方をするなんて全然予想していなかったのだ、心の準備が全く出来ていない。彼の薄い唇が動こうとしたその瞬間、私はどうもして居られなくなって「ジ、ジュース買ってきます!」と謎の宣言をしてくるりと背を向けた。彼が何を発するのか分からなくて、それが悲しい言葉だったら辛くて、勝手に不安になって怖くなった。
 握り締めすぎてふにゃふにゃになったクレープをなんとか落とさないようにしながら、そのまま少し先の自販機へ一直線に駆け出していく。

「い、今マイキー君のこと見て逃げた……?」
「マイキーお前なんかしたのか」
「え、何も?」
「ほんとかよ……」
「ほんとほんと。てかあいつ名前何?」
「名前のことッスか?」
「名前ね、なるほど」
「何がなるほどなんだ」
「それはケンチンでも言えないな〜」
「んだそれ」

 アイスクリームはもうとっくに溶けていた。

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