「何か食べるか」
「は、はい!」

 賑やかな熱気とどこからか聞こえる太鼓の音。キョロキョロと両脇に立ち並ぶ屋台に目を奪われ落ち着きを失っていた私は、笑いを隠さないマイキー君によって足を止めることとなった。呆気なく離れていった体温が少し名残惜しい。
 そうして瞬く間に買い出しに向かったマイキー君の背中をぼんやりと眺めながら、私も目的の屋台を探すべく辺りを見渡す。たこ焼き、たこ焼き……っと。









 ふむ、花より団子とはよく言ったものであるなと、私は500円玉をチャラそうなお兄さんに渡しながら心の中で呟いた。

「あづっ!!!!」
「あ、それマジの出来たてだから火傷すんなよ!」
「は、はい…………」

 いや、出来ればもう少し早く言ってほしかったなお兄さん……。危うく落としかけたたこ焼きを一度お兄さんにリターンさせて頂くと、お兄さんも「あっづ!?!?」と目をひん剥いて驚いていた。
 ちなみにお会計を担当しているこのお兄さんとたこ焼きを渡してきた人は別なので、横でたこ焼き職人をしている兄貴と呼びたくなる風貌した方の指皮が広辞苑並みに分厚いんだろう。平然とフードパックによそってはパチンと輪ゴムで止めていっている。きっと前世は屈強な猛者である。
 私はハンカチを底にして受け取り直してから、あ、とあることに気付いた。

「すみません。お箸もう一膳貰えますか」
「ああ二人で食うのか。悪いな、はいよ」
「ありがとうございます!」

 まずは腹ごしらえでもしようというマイキー君の意見により食料を確保しにバラけた私達だったけれど、ノルマであるたこ焼きをゲットしたので、後はマイキー君との合流を待つだけだ。……早く戻ってこないかな。りんご飴を買いに行ったマイキー君を道の端に寄って待ちながら、目の前を通り過ぎる人達を眺める。

 そしてとあるカップルが「喉乾いたー」と漏らしているのを聞いて、そういえば飲み物を買っていなかったなと気づいた。ナイスカップル。何だろう、やっぱり祭といえばラムネかな。

 ここ数年夏祭りに来てなかったので新鮮な気持ちで辺りを見渡していれば、少し歩いたところに一際賑わっている屋台を発見した。飲み物から食事まで販売しているようで、カウンターの奥では楽しそうにお酒を交わす人達の姿がある。どうやらそのまま持ち込みが出来る空間となっているらしい。

「あ、ラムネ二つください」
「毎度〜!ちょっと待っててな」
 
 あまりウロウロするのもどうかとは思ったけれど、誘惑には勝てなかった。そこまで離れていないし、ラムネを買うくらいそんなに時間もかからないだろう。とにかくラムネを飲んでみたかった私は、迷いなくお祭価格のラムネを二本購入することにする。
 マイキー君は祭=食べ物という見事な花より団子思考だと思う。じゃあ私はどうなのといえば、何でもいいのだ。食べ物でもラムネでも金魚すくいでも、祭っぽいものをとりあえず楽めたらそれでいい。マイキー君と一緒に楽しめるなら、何でも。

 氷水に浸されたラムネ瓶がキラキラと反射している。ぼんやりとどこか心地いい水音を立てながら取り出されるそれを眺めていた時、「名字?」私の名前を呼ぶ声がした。

「え、」

 と、顔を上げてすぐに後悔したし、声の主を確認するや否や眉根に力が入ったのを感じた。あっちゃーと心の中で嘆く。どうして素直に反応してしまったんだろう。

「やっぱ名字じゃね?」
「うわっ、マジだ!名字じゃん!」

 ラムネを受け取りながら声のする方へ顔を向ければ、5,6人ほどの男女グループが私の方へと歩いてくる。
 うわ、陽キャ集団だ。それに見た事のある顔がひい、ふう、みい、よ……もっと露骨に嫌な顔をすれば良かったと思ったのは、まさかこんなところで同じ学校の人達に会うなど思いもしなかったからだ。つまるところ、完全に油断していた。
 声を掛けてきた男の少し後ろで浴衣を着た女の子が上から下まで私を確認した後、鋭く睨みを利かせてくる。そ、そんな睨まないでよ、声掛けてきたのはお宅の男子達でしょうが。

「名字って祭とか来るんだな。しかも浴衣着てっし」
「私が浴衣着て祭来たら駄目かな」
「えーーだって俺が誘っても来てくれねえじゃん。てか誰と来てんの?橘?女?男?」
「…………」
「だんまりかよ〜なあ、お前らも気になるよな?だって名字のデート相手だぜ?」

 そうデリカシーの欠けらも無い男の投げかけに反応するのは同性だけだ。是非隣の女の子の顔を見てみてほしい、私がスベッたみたいになってるから。

「私は興味無いー」
「私も。ねーもう行こうよ、いいじゃん。名字さん相手いるみたいだし」
「………って言ってますよ。私のことは気にせず楽しんで」
「そんな早く離れようとすんなって、見られたくない奴でもいんの?」
「……っあのさあ、」

 ああもうお願いだから、私の事は透明人間とでも思ってどこかに行ってほしい。若干苛立ちが混じり始めた自分を落ち着かせる為に、静かに息を吐く。
 もしヒナちゃんが隣にいたらきっとすぐに言い返して追い払ってくれただろうな、なんて相変わらず他人頼りな思考をしている自分にも呆れてしまう。

 おじさんにお金を払っている間も何やらずっと話し掛けてきていたメンズの名前は何だっただろう。今度遊ぼうぜだの、先輩が紹介してほしいって言ってただの、もはやメンタルが鋼並に強いことしか印象に残っていないし、それにしたって女子達の視線が氷のように冷たくて笑いそうになる。この男子達のことが好きなのかな。嘘でも自分の前で違う女を口説こうとする人、あんまり良いと思わないけどな。
 一際大きくため息を吐けば、ラムネ瓶越しに何とも言えない表情の私が映りこんだ。……何だか懐かしい。最近ヒナちゃんやエマちゃんばかりと関わっていたから、ここまで露骨な敵意は久々な気もする。まあ本来の私はこうあるということだろう。

 用も済んだので踵を返そうと身体の向きを帰れば、先程から鋭い視線を寄越していた女の子が立ち塞ぐように前に出る。「名字さん」とコーラルピンクに染められた唇をゆっくりと開いた。髪についた向日葵の花弁がヒラヒラと揺れている。

「……名字さんに本気になってる人なんかいないから。勘違いしないでよね」

 き、きっつ〜……。
 半強制的に立ち止まっていた私は、思わずピクリと頬が引き攣った。えげつない精神攻撃である。私のメンタルがもう少し弱ければ危うく豆腐のように握り潰されていた。彼女を咎めんとする男子の声も聞こえるけれど、少し笑いが混じっているような気もするので本気で怒っている訳では無いらしい。いやそこで庇われても困るし全然良いんだけれど…………。

 …………なんか、ちょっとやだな。

 お姫様扱いされたい訳じゃない。こういう展開だって初めてじゃないし、勝手に勘違いされては引っぱたかれたことだってある。最早苦笑いを浮かべるしかない私は、無意識に「……マイキー君」と呟いていた。こんな人達じゃなくて、早くマイキー君に会いたかった。そしたら目の前から「何?」と声が返ってくる。

 ……返ってくる?

「えっ」

 ギョッと目を見開いた。その声は聞き間違いでも何でもなかったらしい。いるのだ、本人が。いつの間にか奇妙なお面を顔の横につけたマイキー君が、我慢出来なかったのかりんご飴を齧りながらそこに立っている。そ、そのお面は……何だろう、ひょっとこってやつ?

「マ、マイキー君……!?」
「ん。名前、コイツら誰?」
「……あ、えっと……同じ学校の人達で」
「仲悪いの?」
「い、いや……悪いというか……?」
「んじゃ仲良いの?」
「……よ、良くはない……?」
「ふうん」

 ひどーいなんて女子の声が聞こえるけど、じゃあ逆に私と仲良し認定されて嬉しいのかと問い返したい。それよりもいつからマイキー君はそこにいたんだろう。どこから聞かれてたんだろう。
 両手が塞がっているので「行きましょう」と視線だけで訴えると、マイキー君はその目を眇めて「ぶん殴る?」と言った。ぶん殴る……?首を傾げて問い返すと「そいつら」と私の後ろのクラスメイト達を指差す。ぎゃあ、と私は心の中で叫んだ。

「い、いいです!!!大丈夫!!」

 当然腹は経つけれど、マイキー君がぶん殴ったらとんでもないことになってしまう。しかし私以上に大袈裟な反応をしたクラスメイト達はヒソヒソと話し合うと顔を蒼くしてそのままどこかへ早歩きで散っていった。その逃げ足、龍が如し。というか男子の内の一人がずっとマイキー君のことをガン見していたので、もしかしたらトーマンのことを知っていたのかもしれない。
 総長の力ってすごいな……と感動していれば「何絡まれてんの」じとりとマイキー君に睨まれた。いやはや、仰る通りです。

「ご、ごめんなさい。お手数お掛けしました」
「はぁー。別にいいけど」
「……マイキー君」
「ん、なに」
「たこ焼き、出来たてらしいので食べませんか」
「食う」

 そろそろ手もしんどいので、と困ったように笑えば彼は私の腕を引いた。その衝撃にラムネを落としそうになったけれど、そのまま暫く無言で後ろを着いて行く。

 それにしたって恥ずかしいところを見られてしまった。
 言わずもがな、私が黒歴史を刻む原因となったのはああいう人種の方々のせいである。学校では正義感の強いヒナちゃんがピシャリと言い返してくれるから忘れていたけれど、一歩外に出たらやはりこうなるのか。謎の泥棒猫ポジションはそろそろ卒業したい。かと言って私にも本当に好きな人が出来ました!!!!なんて大っぴらに宣言する訳にもいかないしなぁ。

「座りますか?」
「ん」

 そうこう考えている内に、いつの間にか神社のあたりまで来ていたらしい。人気も少なく喧騒とは離れたこの辺りは、空気までひんやりとしている気がした。石段の途中に並んで腰を下ろして、手一杯に持った戦利品を膝の上に置く。チラリと横を見れば、相変わらず謎のひょっとこお面を着けたままのマイキー君がりんご飴を舐めている。

「そういやそのお面いつ買ったんですか?」
「名前が絡まれてるちょっと前。あ、たこ焼きちょうだい」
「あ、どうぞ」
「これ爪楊枝で食うの?箸?」
「あ、お箸貰ってます!」

 ひょいパク、とマイキー君はりんご飴を食べるのをやめて、たこ焼きを口に含んだ。あれだけ熱々だったので火傷するのでは……と思ってヒヤヒヤしたけれど、たい焼きの激アツ餡子に慣れているらしいマイキー君は少し顔を顰めただけで「うっま」と目を輝かせていた。反応が素晴らしくて、私が作ったわけでもないのに嬉しくなって一緒に破顔してしまう。甘いものの後に塩っ辛いものを食べたら美味しさ倍増のはずだ。

「お面被って登場!みたいなのやろうとしたけど普通に暑ぃーしうぜぇからやめた」
「……?さっきの人達にですか?」
「そう。お面より見せつけた方が良さそうだったし」
「どういう………むぐっ!?」
「ふは、変な顔」
「!?なんでふかこれ………ん、あまひ?」
「いちご飴。名前にりんごは早いかなって」
「……お、おいひいでふけど!」

 突然口の中に突っ込まれたのはどうやら本当にいちご飴らしい。物体を確かめるように舌でなぞると、コーティングされた砂糖が体温で溶けていく。
 何故りんご飴が早いのかと問えば「名前の歯が折れるかもしんねえから」と老人のような心配をされた。流石にもう乳歯ではないので折れることも無ければ抜けることもないはずなんだけどな。それか介護の方か。
 これ見よがしに目の前で実ごと齧るマイキー君を真似て私も歯を立てれば、シャリシャリとした歯触りの後に水気を含んだ甘酸っぱい味が広がっていく。

「美味い?」
「あ、はい!お祭に来てるって感じがします……!」
「名前って祭来たことねえの?」
「さすがにありますよ……でも確かにここ数年は来てなかったですね……」

 だからこれといった思い出は無いかもしれない。そう言うとマイキー君は意外そうに「へえ」と言った。
 
 ただでさえ謎に敵視されるというのに、夏祭だとか初詣だとかの行事イベントは特に男女絡みのやっかみが酷くなる。あまり関わりたくなかった私は誰からの誘いにも乗らないことが多かった。友達が少なかったというのもあるけれど。
 だから嬉しい。久しぶりの祭で、マイキー君と一緒に回っているという事実がとんでもなく嬉しい。ニヤけそうになる口許をいちご飴で隠しながら「なので、今最高に楽しいです」と口にすれば、マイキー君は虚をつかれたような表情をした。……そりゃあ『夏休みは何するんですか?』の質問に『夏っぽいことは全部やる』と答えるマイキー君からすれば、なんて悲しい奴だと思われるかもしれないけども。

「……名前って大袈裟」
「大袈裟だったらいいんですけどね……。残念ながら本当でして」
「…………」
「あっ、そういやラムネも買ってみたんです!ラムネ!そしたらあの人達に絡まれちゃったんですけど……でも多分まだ冷えてるはず……」
「…………」
「マイキー君?」

 横に置いていたラムネを取ってひとつを差し出すも、なぜか受け取って貰えない。……え、もしかしてラムネはあんまり好きじゃなかっただろうか。
 そう不安になって顔を上げると目が合った。すぐに逸らされるかなと思ったけれど、マイキー君は何故かじっと私の顔を見たまま。りんご飴で真っ赤になった唇が艶やかに照っている。おずおずとその真っ黒な瞳を見つめ返すと、ふわりと甘い砂糖の匂いが鼻腔を掠めた。

「これ買いに行ってたの?何で?」
「えっ、いや……喉渇くかなと思って……」
「それだけ?」
「ごめんなさい普通にラムネって夏祭りっぽいなと思ったら私が欲しくなりました……ビー玉とか形に残るし……って、あの……マイキー君……」
「んー?」
「ち、ちょっと近い……かも、しれないです……」

 ちょっとというか、かなり近い。
 文字通り目と鼻の先に迫ったマイキー君に私は地蔵のように硬直していた。どうしてだ。汗をかいてるかもしれないしあんまり近付かないで欲しい。それに鼻息が当たってしまうんじゃないかなんて考えたら、まともに呼吸さえ出来なかった。何より吸い込まれそうな深い瞳に見つめられると、全部見透かされてるみたいで変な気分になってしまう。ラムネを買いに行ったのがそんなに駄目だっただろうか。いやでも確かにお手数をお掛けした原因はラムネなのか……ラムネなのか……!

「マ、マイキー君……あの……」

 とうとう至近距離の視線に耐えきれずギュッと目を瞑った時、ふわりと唇を何かが当たった気がした。え、と反射的にすぐに目を開けば、目の前で睫毛がふるりと震える。

「思い出、できた?」

 心臓が、跳ねた。……え?

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