今日も今日とて、私はヒナちゃんと寄り道してアイスクリームを食べながら歩いていた。隣を歩くヒナちゃんは清純派の美少女で、クリクリと何もしなくても上がる睫毛に色素の薄い瞳、ワンカールされたボブヘアがここまで似合う女の子はきっといないほど。どうして不良(仮)の武道君と付き合っているのかは正直分からない。
 じっとアイスを舐めるヒナちゃんを見つめていれば、私の視線に気づいた彼女は「ついてる?」と慌てて刺繍の入ったハンカチで口元を拭ったので「ついてないよ」と笑う。可愛くて芯があって守りたくなるような女の子。それってもう、ヒナちゃんじゃない?と思う次第である。
 
「……いいなあ、ヒナちゃんは可愛くて」

 そしてそれは本音となって漏れた。無意識の内にぽつりと零れた言葉に、ぱちくりと瞬きした彼女は「それって嫌味?」と口を尖らせる。

「嫌味なわけ!心からの本音です」
「名前ちゃんが言うかなぁ」
「言う言う、だってヒナちゃんは可愛いし強い」
「き、急に何?」
「なんか、いいなあって」

 羨ましいなあって、素直に思ったのだ。なんせ今の武道君だって彼女から告白したと聞いている。フワフワしたように見えて決めるときゃ決める強さも持っていて、好きと言葉に出すことを彼女は恐れない。武道君もそんなヒナちゃんに惹かれたんだろう。ううん、武道君だけじゃない、誰だってヒナちゃんには焦がれるに決まっている。
 私の色んな思いを感じとったのか「何言ってるの」ヒナちゃんは小さく息を吐いて私の肩を小突いた。

「名前ちゃんは自分から尖りにいってたじゃん」
「ウッ……」
「否めないでしょ?」
「黒歴史です……」
「何だっけ?好きが分かんないとか、」
「ア、アア……」
「意外と名前ちゃんって恋愛経験ないもんね」
「黒歴史をほじくり返さないでぇ!」

 穴があったら入りたいとはこのことだ……全身を掻きむしりたくなるむずがゆい思いを噛み殺しながら、大きく深呼吸をする。けれど何も言い返せないのは、ヒナちゃんの言っていることは冗談でも何でもなく、紛れもない事実だからだ。

 容姿は正直良いと思う。幼稚園から現在に至るまでクラスで一番モテている自負はあったし、ヒナちゃんも私と同じような人種なんだろうなと思っていた。
 けれど、彼女と私では決定的に性格が違っていた。ヒナちゃんが真っすぐ純粋に育ったのは対照的に、私はどうしてか捻くり返っていたのである。見た目だけですり寄ってくるカーストしか考えていない女子に下心しか見えない男子、そんな人達に囲まれ揉まれていたらいつの間にかスレていた。
 そしてまともに恋愛もしないうちにプライドばかりが鬼ケ原のように高くなって、その結果愛がなんだと斜めから構える私が爆誕したのだ。

 ……昨日の醜態は特に酷かった。
 最早思い出したくない。自販機に向かって逃げた私は彼等の醸し出す空気に馴染める気がせず、そのままヒナちゃんを置いて帰ってしまった。ちなみにその後ヒナちゃんにはマイキー君のことが好きだと即バレした。それくらい不自然な行動だったんだろうと後悔したって遅いのはわかっているんだけど。

「まだ大丈夫だよ、若いんだから」
「同い年じゃん……」
「名前ちゃんは私の可愛くて自慢の友達だよ」
「彼氏持ちに言われても……」
「もう!名前ちゃんは運命の人に出会わなかっただけ!」
「運命?」
「私にとってのタケミチ君もそうだったんだから」

 そう言って微笑むヒナちゃんは本当に可愛らしいと思った。好きな人のことを想って笑う姿というのは桜が舞うように可憐なのか。今まで理解しようとも思っていなかったから気付きもしなかった。思わず此方まで熱を帯びてしまい、パタパタと片手で風を仰ぐ。
 そっか、運命の人かあ。

「名前ちゃんにとっての運命が、マイキー君だったらいいね」
「…………ひえ、」

 私が少しでもそうであったらいいなと思ったことをヒナちゃんは簡単に口にしてしまう。男前だ……。




 お風呂も入り終わっていつでも寝れる状態でゴロゴロしていた時、ふと何か忘れているような心地がした。嫌な予感がすると同時、間髪入れずにアッと声が出る。そうだ、確かノートが切れていたのだった。時期もあってか全科目まとめて終盤のページに差し掛かっていて、数学に関しては途中からルーズリーフを分けてもらった記憶がある。

「……だるー」

 無事思い出したはいいがすぐに動く気にもなれず、とりあえず一回思い出したこと自体無かったことにしてみる。そうして暫くぽけ〜っとしていたものの『明日の宿題やった?』そんなヒナちゃんからの通知音で、一時間目の授業が数学であることを追加で思い出してしまった。最悪だ、よりによって一番ノートが必要な科目が一発目なんて。確実に必要だけど明日の朝でもいいかなあ、いやでも朝は出来る限りゆっくりしたいしなぁ。ゴロンゴロンと寝返りを打って携帯を開くと、時刻は21:54。まだ22時にはなっていない。

「…………」

 やっぱり朝はゆっくりしたいし、面倒くさいことは今のうちに終わらせよう。
 流石にパジャマのまま外に出る訳にはいかないので、適当にクローゼットにかかっていた薄手のパーカーを羽織る。近所だしすぐ戻るし何だっていいよねと、クロックスに裸足のまま足を突っ込んで家を出た。
 無言でカッサカッサと足音を立てながら歩いていれば、コンビニを視界に入れると同時に男の子達の笑い声が耳へと届き、私は思わずそちらへ目を向ける。
 で、出たな本日何度目か分からない不良君め……。なるべく目立たないよう中へ入り、さっさとノートとシャー芯のお会計を済ませて外へ出る。相変わらずケラケラと楽しそうに笑っている彼等を横切りそそくさと退陣する予定だった私は、その中心にポテチが一つ開封されているのを見た。「……っ!」そして思わず吹き出しかける。
 ポテチ……ポテチ食べてる!しかもみんなで仲良く分けてる!コンビニの前で不良くん達がポテチ一つ囲んでいる!なんか可愛い!
 にんまりと上がる口角を隠しきれない。なんか武道君とか混ざってそうで更にウケる。そんなことを暢気に考えていた私は「なあ」その言葉がまさか私に向けられたものだと思いもしなかった。

「なあってば」
「……」
「聞こえてる?」
「……」
「おい」

 誰かに背後から強く肩を引かれたその瞬間、私はさっきから聞こえるその声が私に対するものだと漸く気付いたのだった。両手をポケットに突っ込んでいた私はグルンと回る視界に思わず転げそうになる。レジ袋が擦れる音がやけに夜の空気に響いた。
 
「…………っへ、」
「あ、やっとこっち向いた」

 刹那、私は幻覚を見ているのかと思った。けれど、すぐにそれは違うと悟る。無造作に揺れる金糸の髪と夜を塗り込んだ深い瞳。月の下に立つ彼は瞬きを忘れてしまう程に目が醒める出で立ちだった。
 ──嘘だ、何でここに。
 私の肩を掴むのは紛れもなく例の男の子、マイキー君だった。目を見開いたまま身体が石のように固まっていくのを感じる。マイキー君が、いる。ここに、私の前に、目の前に、マイキー君がいる。そう認識した途端に襲いかかってくるのは昨日の醜態とどうしようも無い羞恥心で、キョロキョロと視線が定まらない。結局そのまま地面転がる石ころへと落としてしまう。

「昨日タケミチっちと一緒にいたよな」
「は、はい」
「こんな時間に何してんの」
「えっと……か、買い物に……」
「何の?」
「……ノ、ノートを!」
「ノート?何で?」
「何でって授業があるから……?」
「授業でノート使うのか?」

 まるでオウム返しである。
 授業以外にノートの活用法ってある?不良さんだからデスノートとか?いやでもそんなみみっちい事をするならきっと正面から乗り込んでいるよね?
 地面に落ちていた視線をおずおずと上げてみれば「ふうん」吸い込まれそうな程真っ黒の二つの目が私の顔を覗き込んでいた。思いのほか近いその距離にヒュッと喉が鳴る。

「で、今からどこ行くわけ?」
「帰ります!」
「もう帰るのか?」
「よ、用事も済んだので!」
「家この辺?」
「歩いて五分くらいですかね……!」
「ふうん」

 どうして私こんなに質問攻めされてんの!?何で!心臓もドギマギ五月蝿いし頭は追いつかないし目の前にはマイキー君がいるし、ノートを買いに来ただけなのに何この状況、何!?

「じゃあ送る」

 その時、ふんわりと風が吹いた。温く湿っぽい夏の風が私とマイキー君の毛先を揺らしている。言葉の意味を理解するまでの数秒間が酷く長く感じて、呼吸をするのさえ忘れていた。
 肩に乗っていた重みが無くなったと思えば、するすると下がりそのまま私の手首を掴んだ。「……っひ、ぇ」ゆるりと絡まる骨張った彼の指の体温は冷たくて変な声が出てしまう。

「あ、名前何だっけ」
「マ、マイキー君……?」
「それはオレの名前じゃん」

 やっぱり、これは夢なのだろうか。
 マイキー君と偶然会っただけでなく、彼が私の目を見て、家まで送るとそう口にしている。夢なら醒めないでほしい。シャー芯もノートも明日の授業もどうだっていいから、この瞬間がずっと続いて欲しい。「……名前、です」必死に喉から絞り出した言葉は緊張で少し震えていた。けれど、私の思いも知らないマイキー君は「そうだ、名前だ」すぐさまニッと笑って歩き出す。手首を掴まれている私も釣られてカッサカッサとクロックスを鳴らした。

 胸の奥底で熱い塊が粟立っている。火照りが止まらない、頬が釣られて緩みそうになるのを必死に抑えながら後を追う。有り得ない、信じられない。マイキー君と一緒に帰ってるなんて、明日ヒナちゃんに何て言おう。
 家に着くまでの約十分間は、行きと比べたら驚くくらい短かった。本当に私の家へ送り届けてくれたマイキー君は、あっさりと私の手首から手を離すとそのまま制服のズボンに突っ込んでいる。私が名残惜しいと感じる間もなく「じゃあな」背を向けて戻ってしまった。呆気ない、あまりに呆気ない。それなのに、ああもう、やっぱりマイキー君が好きなのだと改めて思ってしまった。

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