「はい、乗って」
「……えっ」

 親指をクイッとさせた三ツ谷君に私はぱちくりと彼を見つめ返した。乗れ、とは?

「えっとぉ……バイクは乗ったことないし免許もないです……」
「いや何で運転する側なんだ。俺の後ろ。ほら」

 ヘルメットを渡されてやっと理解する。な、なるほど。そりゃそうか。バイクって二人乗りもできるもんね。忘れてた。先に跨った三ツ谷君の後ろに恐る恐る腰を下ろせば、足も地面に着かないし意外とバランスも安定しない。最後にヘルメットの紐をキュッと締め「の、乗りました!」エンジンをつけた三ツ谷君にそう宣言すれば、三ツ谷君は首だけ振り向いて「いや死ぬぜ?」と呆れ顔で笑っている。そして私の両手を掴むと、自らの腰に回させた。ピタリと頬が三ツ谷君の背中に付く形となるけれど私の頭の中では「死ぬぜ?」の三文字が離れない。死ぬ……死ぬ?私もしかして、交通事故を装って殺されたりする?

「おっしゃ。行くか」
「や、ちょっと待っ…………ってひやぁぁっぁぁ!?」





 突然ぶっ飛ばされた私。
 というと語弊があるけれど、三ツ谷君の腰に手を回した途端に発車したせいで危うく舌を噛みそうになった。ぶおおおおと耳には風を斬る音が響いているし、体が後ろに引っ張られて気を抜けばすぐにでも落っこちてしまうだろう。腰に回す手の力は次第に強くなり、ほぼ全力で、子泣き爺のようにしがみついてる状況だ。三ツ谷君をそのまま絞め殺してしまわないかと一瞬心配になったが、それよりも自分の命の方が可愛かった。
 周りを見る余裕などなかったので目を瞑って到着するのを待っていれば、やがて速度は緩やかになっていく。「もう着くよ」前から投げられた言葉に漸く固く閉じていた目蓋を上げた。完全に止まったところでヘルメットを抜げば、なんてことない平凡な公園が広がっている。

「あ、ありがとうございます」
「はは、怖かった?」
「死ぬのかと……」
「大袈裟だな」

 圧迫感から解放された肌を爽やかな風が撫でる。三ツ谷君がエンジンを止めて降りたので私も倣って私は久方ぶりの地面に両足を下ろした。
 な、流れとノリとはいえ、初めてバイクに乗ってしまった。これで私も不良デビューである。ちなみに自分で運転している訳でもないのに初めて自転車を乗れるようになった時より怖かったのは秘密だ。とりあえず生還できたことに安堵したい。そうしてなんとか平衡感覚を取り戻そうと足の裏に力を入れていれば、「お、来たのか」背中越しに聞こえる低い声。

「三ツ谷…………と」
「うい」
「あり?名前じゃん」

 私はいつぞやの武道君のように背中をピンと伸ばして恐る恐る振り返った。そこにはベンチに腰掛けるドラケンさんと、そう遠くない距離でマイキー君がライオンのスイング遊具に乗って前後に揺れている。ま、待って。聞いてない。いきなりマイキー君がいるなんて聞いてない。何ともシュールな光景だったが、それ以上に二人が此処にいるという事実が信じられない。
 「よっ」そんな掛け声と共に飛んだマイキー君は軽々と着地したかと想うと此方へ歩み寄ってくる。最早バイクの恐怖と高揚感なんぞどこかに消えていた。砂を蹴る音が強まり、やがて私と三ツ谷君の前までやって来たマイキー君は「何で三ツ谷といんの?」そんな疑問を口にする。そりゃあそうだ……と私は心の中で頷いた。武道君を呼びに行ったはずの人間が全く関係の無い女子を連れてきたのだから至極真っ当な意見である。

「いや、タケミッち迎えに行ったんだけど短縮授業らしくてさ。タケミッちもいねえしその彼女にも振られて暇だっつーからついでに連れてきた」
「たまたま?」
「おう」
「てかタケミッち来ねえの?」
「彼女とボーリング行ってるらしい。名前もいるし後で呼ぶかって話になってる」
「うわ、オレの事放ってボーリングとか」
「つーかこの感じだとそもそも誘ってもないだろ」
「だってタケミッちだったらいけるかなって」
「いけてないじゃねえか実際」

 はあ……とため息を吐いた三ツ谷君は「そういやエマは?」そう言って辺りを見渡した。途端にドキッとするのは私の方で、ヒナちゃんから言われた言葉を思い出す。マイキー君達と一緒にいる女の子。一緒に遊べる女の子。「なんか呼び出されてた」あっけらかんと言い放ったマイキー君は「何だったっけ?」とそのままベンチに座っているドラケン君へと投げ掛けている。

「俺に聞くな」
「忘れたんだもん仕方ないだろ」
「お前の方が一緒にいるだろーが……」

 これに流れ弾を食らったのは私だった。先回って両腕でガードしていたはずなのにその間をすり抜けて右フックを受けた心持ちである。お前の方が一緒にいる……その言葉の意味を一々紐解く必要はない。思いのほか柔らかく繊細な部分にダメージを負った私は、勝手に傷ついているにも関わらず拳をギュッと握り締める。そしてこの会話は「うん、まあ多分大丈夫」そう欠伸混じりに彼が漏らした言葉で終了となった。
 マイキー君とドラケン君、そしてエマちゃん。この三人はどうやら同じ学校らしい。良いなあ、学校が一緒かぁ。私も同じ学校だったら良かった。そしたらあわよくば仲良くなって、一緒にお昼を食べたり、武道君とヒナちゃんみたいに一緒に帰ったり、何でもない放課後に遊びに行ったり出来たんだろうか。

「ケンチン。エマに連絡しといて」
「人遣いが荒い」
「いいじゃんケチ」
「はいはい」
「はいは一回だろ!」
「お前はいつから俺のオフクロになった」

 なんだか恥ずかしくなって俯く。急に場違いな気がしてきた。三ツ谷君に乗せられてホイホイと着いてきてしまったけれど、私のコミュニケーション能力が追い付いてない。

「三ツ谷君、」

 そして、このモードに入った私が選び取るのは結局そういうことなのだ。惨めな思いをするくらいなら帰ろう。そう思って隣にいる三ツ谷君の名前を呼んだ時だ。
 
 「っ!」誰かが私の手首を掴んだ。
 ……掴んだ?思わず顔を上げて隣にいる三ツ谷君を見上げるも、驚いた顔をしているのは彼も同じで、虚をつかれた顔を見合わせる。勢い余って乱れた前髪の中から見える三ツ谷の両腕は、ぶらんと地面に垂れていた。
 ……てことは、あれ?三ツ谷君じゃない?

「名前はこっち」

 息を飲んで私の手首を掴むその腕の先を辿っていく。この流れでどうしてこうなっているのかなんぞまるで理解が出来なかった。見た目よりも硬い掌。一瞬デジャブのような何かが脳裏を過ぎる。けれどそれも束の間、私から注がれる静心のない視線を捉えた墨のような虹彩が細まった。

 ──えっ……えーー……?
 呆気に取られるとは正にこういうことらしい。私の手首をしっかりと掴んでいるマイキー君に引かれるがまま、来たばかりの公園を引き返していく。困惑、緊張、驚愕のフルコンボが揃って口も開けない私はフラフラと着いていくのみだった。

 待って。
 確かにいきなり来た私に対して『何で三ツ谷といんの?』のみで済まされるのはおかしいとは思っていたけれど。全然触れないなと思ってたけれど!これはまさか連行だろうか。マイキー君自らお前邪魔だからあっち、ついでに帰れなんて言われてしまう?嫌だ、言われるならまだ三ツ谷君に言われたい、その方がダメージが少ない。お願いだからもはや何も言わないで。
 しかし残念ながら、私の心の祈りは届かなかった。「名前さぁ」躊躇なく発せられた声に緩く下唇を噛む。何を言われてもいいけどトラウマが出来るレベルだけは勘弁してほしい。
 と、思っていたのだけど。

「…………?」

 マイキー君から溢れた言葉は、私が想像していたもののどれとも違っていた。
 聞き間違いかと目を見張るも「だぁーから、三ツ谷好きなの?」再度落とされた台詞に意識がハッとする。
 き、聞き間違いじゃなかった。聞き間違いじゃないらしいけど質問の意図が不明すぎて答えられない。突拍子も無さすぎる。どうして私はそんないきなり女子小学生の恋バナみたいなノリで三ツ谷君のことを聞かれているのだ。しかも自分での好きな人に。
 一種の恐怖を感じガクブルと震える私……を、じっと見つめる双眸から感情は読み取れない。
 数秒の間を置いた後、私はようやくそれを否定した。「そ、そそそんな訳ないじゃないですか」動揺しすぎて声がひっくり返りそうになりながらもエンジンがかかってしまい、段々と否定が強くなっていく。さっき出会ったばかりだということ、そもそも学校も違うということ、私なんかが烏滸がましいこと、それはもうペラペラと話した。近くにいるであろうドラケンさんがブファッ!と吹き出した声が聞こえ、マシンガンの如く舌を回らせていた私はハッと意識を取り戻す。

「いや、あの……すみません……お友達として三ツ谷君と仲良くなりたいとは思ってます……」

 下手すれば侮辱したと捉えられかねない。私は最後に付け足すように本音と願望を顕にした。今度はブヒャー!とパワーアップした笑い声が響く。「元気出せよ三ツ谷ァ!」とバシバシと何かを叩く音まで聞こえた。やばい。今度は三ツ谷君の顔が見れない。
 けれどそんな私の答えに満足したのか、マイキー君は「そっか」と軽く笑うと何事も無かったかのように再び歩き出した。
 え、それだけ?と魂を削って回答した私は肩の力が一気にガクッと抜ける。な、何だったんだ今の時間は……。

「……あ、あの…………」
「……」

 野良猫も木の影へ逃げるような陽の高い真昼間。
 空が澄んだ晴天の下、ハイトーンを煌めかせながら歩くマイキー君の後ろにくっつき歩く私。どこか既視感があるこの光景に目を細めれば、太陽ではなく月光に照らされていた彼の姿がチラついて仕方がない。学ランの揺れるその背中に視線を寄せる。

「…………」

 やっぱりそうだ。コンビニの帰り道、あの時もこうやってマイキー君に手首を掴まれて歩いていたような気がする。
 ゴクリと生唾を飲み込んで大きく息を吸い込んだ。生温い夏の空気が肺に届いたところで、私はマイキー君の名を呼んだ。「んー?」ゆっくりと精悍で、それでいてどこか気だるそうな顔が此方を向くその瞬間まで私の朧気な記憶と重なった。ゆっくりと心臓が思い出したかのように重く響き始める。

「マ、イキー君」
「何?」
「あの、不快にさせたら申し訳ないんですけど、その……昨日、」
「うん」
「昨日マイキー君と私、コンビニ前で会いましたか」

 ついに聞いてしまった。
 私が言い終えると同時、マイキー君はピタリと足を止め清い眉間にグッと皺を寄せる。

「覚えてねえの?」

 そして続け出た言葉に、緊張を訴えていた胸を押さえながら「……いや、確認しただけ、です」たどたどしく呟く。
 覚えてねえの?ってことは、そういうことだ。そういうことなのだ。この既視感も正しかった。昨日コンビニで出会って一緒に帰った、紛れもない事実だった。夢じゃなかったんだ。それを実感してよほど気の抜けた表情をしていたらしい。花が咲いたような心地の私を、マイキー君は不審そうに見ている。

「なーんか怪しい。ほんとにそれだけか?」
「それだけです!それだけでいいです!」
「嘘は無しだかんな」

 そう言いながらもマイキー君は本当に意味が分からないといった顔をしている。けれど確信を得た私は強かった。ときめきを感じるままに朗らかに微笑んで「昨日はありがとうございました」と口にする。案の定「今更?」なんて言葉が返ってきたので、尚一層のこと私は笑みを深めるしかない。
 
「あ、そういやオレ道知らね〜」
「え」
「ケンチンー!三ツ谷ー!先歩いてー!」

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