「歌えよタケミっち」
「え、お、俺?」
「うん。最後まで歌い切れなかったら罰ゲームか90点以上取れなかったら罰ゲーム、どっちがいい?」
「完唱歌い切りまショーのこと!?どっちも難しいです無理っス!」
「ちなみに難易度10な」
「マイキー君そんなの無理ゲーっスよ……」
「タケミっち我儘言いすぎーもう問答無用で罰ゲームにすんぞ」
「いや精密採点の方で戦わせてください」
「さっすがタケミっち〜!」
 
 私は罪悪感に苛まれていた。
 それは目の前で武道君が無慈悲にいじめられているからではない。先ほどコーラを一気飲みさせられていたからでもない。ヒナちゃんが楽しみにしていたデートを、本当に中断させてこちらに呼び寄せてしまったからである。『今日武道君とボーリング行ってくるね』恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに頬を緩めていたヒナちゃんを私はこの目で見ている。それなのに邪魔してしまった。私がいようがいなかろうが、彼等はきっと武道君を誘っただろう。けれどそれを断ることくらい出来たはず。彼女を優先して何が悪いのって話だし、そもそも先約はヒナちゃんなのだから。

「もしも……って、おい!」
「あ、タケミっち?今どこ?あーそこね、俺たち今からカラオケ行くから来てよ。……は?無理?何で?無理とか無理、つーか名前もいるしヒナちゃんも連れて来いよ。じゃーね」
「お前まじか……」

 三ツ谷君の携帯電話を抜き取りあまりに一方的な会話を終わらせたマイキー君の眩しいくらいの笑顔が忘れられない。電話の奥から抗議するような声が聞こえているにも関わらず、マイキー君は強制的に会話を切っている。これ、本当に武道君来るのかなぁ。でも来なかったら来なかったで上下関係にヒビが入ったりするのかな。私はその光景を呆然と、どこか他人事のように見ていた。のだけれど、それが間違いだと知るのはその少し後である。
 いざカラオケにやって来たヒナちゃんは私を見て安心するような顔をしたのだ。隣にいる武道君でさえも。そこでアッと悟った。本当に来てくれたんだ、そんな軽い気持ちで迎えようとしていた自分を殴りたいとさえ思った。二人が来てくれたのは、きっとマイキー君に呼び出されたからだけじゃない。私が居るからだ。そりゃあいくら武道君が普段つるんでいる仲間とはいえ、その中に突然私がいるとなれば話も変わるだろう。しかもほとんど接点もない私が、である。自分のちっぽけさが嫌になって「ヒナちゃんんん……」と抱きつけば、彼女はコソコソと私の耳許に口を寄せて「それより!名前ちゃんやるじゃん!」と嬉しそうに笑った。確かに結果だけ見れば昼間ヒナちゃんがアドバイスしてくれた通りの展開になっている。私が凄いというか棚から牡丹餅というか、むしろ武道君とヒナちゃんの事を思うと後ろめたいというか……。

「もーータケミっち曲選ぶのもおせえ!」
「す、すみませんん!」
「じゃあその間俺歌うわ」

 と、まあそんなこんながあって今に至るのだけど。
 私は三ツ谷君とドラケン君に挟まれてシャンシャン……とひたすらタンバリンを鳴らす役に徹していた。役割も席順さえ謎である。折角呼んだのにヒナちゃんの隣じゃないんかい。

「おっ、これ三ツ谷の十八番じゃん」
「聴き入れよ皆の衆」
「タケミっちはマイキーのパワハラで頭いっぱいだと思うぜ」

 三ツ谷君のやけに上手いバラードが始まったので場違いなタンバリンは膝に置いた。ドラケン君も腕を組み、うんうんと頷きながら聞き入っている。スウィートボイスってきっと三ツ谷君みたいな人のことを言うんだ……女子をカラオケに連れて来たらとりあえず即落ちしそうな感じがする。歌が上手いって男の子ってずるいな。案の定95点という高得点を叩き出した三ツ谷君は、満足そうに笑ってマイクを置いた。

「三ツ谷君って歌上手いんだ……!」
「サンキュ!でもドラケンの声も渋いぜ」
「意外と下手な奴の方が少ねぇからな。パーちんくらいか?」
「パーは下手というよりなぁ……」
「とにかくお上手でした!」

 パチパチと拍手をする私を介してドラケン君が「名前にかっこつけれて良かったな?」三ツ谷君を揶揄うように目線を送る。……その件まだ引きずります?

「おう。これでちょっとは好感度上がったかも」
「い、いやだからその……あれはそういうのじゃなくてですね……」
「さすがの俺もあんな振られ方したことはねぇな」
「いいよ。好感度0からの方が上げるのは簡単じゃん?」
「アアア……!!!」

 その件については謝ったのに……!カラオケ来る前にちゃんと謝ったのに……!今回褒めたのも別にそのやましさがあるからって訳でもないのに……!
 私は逃げるようにヒナちゃんの方を見たけれど、ヒナちゃんはニコニコと笑っていた。私は察した。これは絶対に勘違いしてる。何かは分からないけど確実に何かを勘違いしている。そしてなんとなくマイキー君の様子も気になったのでチラリと目線を動かしてみれば、待っていたかのようにバチリと目と目が合った。まさか目が合うとも思っていなかった私は硬直する。ソファの上で胡座をかき、自身の足に頬杖をつきながらじーっと私のことを見ているマイキー君の視線が動くことは無かった。ま、待って、私、知らない間に何かした?恥ずかしいを通り越して不安が過ぎり始めた頃「マイキー君曲決まりました!!!」と隣にいる武道君が話し掛けた事で漸く視線が外される。

「……」
「名前?お前も歌うか?」
「……」
「おーい」

 硬直が解けない。金縛りにでもあったみたいだ。身体は動かないのに頭の中はフル回転していて、今にも爆発しそうである。武道君の方を向く寸前、マイキー君が意味ありげに目を細めたのだ。それだけでドッと頬の内側に熱が集中していく。かろうじで動いた両手を広げて、覆い尽くすように顔を隠した。「名前ー?勝手にデュエット入れんぞ」やっぱりこの座席で良かった。もしマイキー君と隣だったらと思うと、もうやだ、ほんと、心臓が痛い。


 

 
 気付けばカラオケに来て約一時間ほどが経過していた。
 武道君は歌わされすぎてぐったりとしているけれど、ドラケン君はまだ歌い足りないらしい。下手な奴の方が少ないという言葉通り、ちゃんとしっかり上手いのだ。私もここに居ればまた無理やりデュエットさせられそうな気がしたので「ドリンク取ってきますね!」そそくさと各々のコップを集めた。その際ヒナちゃんの唇が「私も行く?」と動いていたけれど、首を振って断っておく。
 私とヒナちゃんだけとはいえ、女の子は1人ぐらい部屋にいた方が盛り上がるだろう。知らんけど。それぞれのドリンクの希望を聞いてから外に出る。ヒナちゃんがオレンジジュースでドラケン君がコーラ、その他は部屋にいないので初めと同じ飲み物でいいはずだ。

 ガタン、と防音ドアが閉まると同時に壁に背を預けて深く息を吐く。デュエットが嫌なのもそうだけど、思っていたよりも無意識に肩の力が入っていたらしい。冷静に考えてもこのメンバーに私が急遽追加になったのはおかしい。普通なら混じれないし、そこまで仲良くない人は混じらせたくないだろうに。三ツ谷君の優しさに改めて感謝し何度か深呼吸を繰り返した後、コップが沢山乗ったトレーを落とさないよう慎重に歩き出す。残念ながら私達がいるフロアにドリンクバーはないので、階段を探す他ない。コツコツとやたら響く鉄筋の階段は段差も高く急である。降りながら帰りはエレベーターに乗ろう……とそんなことを考えながら最後の一段を踏み切り、角を曲がった時だった。

「…………マイキー君?」

 視界に入るのは見覚えのあるフワフワと跳ねるピンクがかった金髪。
 ドリンクバーのすぐ先はもう出入口になっている。透明な自動ドアの先は此方からも丸見えだし、少し身体を出せば私の姿だって簡単に認識されるだろう。かろうじで良かったと思えたのは、彼等が私に背を向けていることだろうか。

 ーーそう、彼等。
 マイキー君は一人じゃなかった。それどころかその腕には女の子が巻き付いていて、マイキー君もそれを受け入れている。距離が近いなんてものじゃない。その光景の迫力たるや。肩より少し長い髪は綿毛のように揺れ、ばっちりと上がった睫毛に縁取られた瞳はキラキラと光を放っている。これが街中なら思わず立ち止まって、チラリと目で追ってしまうような華やかな出で立ちだった。

「(終わった……)」

 ドリンクを取りに来ただけなのに、ほんの数十秒の間でとんでもないものを見てしまった。こういう時、もっと鈍感に生まれていればと思う。心のどこかでもしかしたら彼女こそが噂のエマちゃんなのだろうと察しがついてしまった。エマちゃんがカラオケに着いて、だからマイキー君が迎えに来た、そんなところだろうか。
 途端に襲いかかってくるのはなんとも言えない恥ずかしさで、バッと身体ごと後ろに向けて視線を地面に落としてしまう。

 あ、ダメだ、ちょっと泣きそう。もうダメだ。失恋した。分かりやすく失恋した。

 そもそも告白もしていないけど、それでも一世に一度の大恋愛だと思っていたのに。壮大な大恋愛に描いていた期待は、呆気なくパリンパリンに砕けてしまった。
 ……ドリンクバー、確か一個上の階にもあったよね。別にこの階で入れなきゃいけないわけでもないし。無意識に来た道を戻って、更に階段を上っていく。視線は相変わらず自分の足元で、顔は上げられなかった。明るそうな子だったな。きっと自分の気持ちに正直で真っ直ぐなんだろう。ヒナちゃんを大胆にしたようなタイプだろうか。マイキー君の好きなタイプが彼女ならますます無理だ、勝てっこない。ていうか学校も一緒にいる時間だってまるで違うのだ、そもそも同じ土俵にさえ上がってない。彼女と張り合えるほどの何かもきっとない。胸を張って歩けるほどの勇気も持ち合わせていない。
 館内に流れるBGMに、扉越しに聞こえる知らない人達の歌声。不協和音ばかりが頭の中で蠢いて気持ちが悪い。

「…………はぁ」

 見てはいけないものを見てしまった、そんな感覚。暗くて終わりの無い穴を覗き込んでるみたい。傷つかないよう必死に逃げていたはずなのに。それでもまだ傷つくなんて、恋って残酷すぎる。私ってどれだけ弱っちい人間なんだ。マイキー君の言動一つに喜ばなかったら良かった。昨日の出来事が夢じゃなかったからって、それが何だっていうんだ。心のどこかでもしかしたら、なんてそんな期待を持っているから悪いんだ。
 ほんと恋愛経験が少ないとこうなるからしんどい。恋って苦しくて面倒くさい。

 感情が荒ぶったままドリンクを入れていたものだから、気付けばトレーに乗っている全てのコップがコーラで埋まっていた。「…………あり?」首を傾げて瞬きを繰り返すが、区別できるよう配置していたはずのコップも誰が誰のものか分からない。全てのコップの中身が茶色かった。あほ過ぎる。あーーー!と掻きむしりたくなるのを堪えて、全部捨てて一から新しいコップに入れ直していると「名前?」そんな声が背中にかかった。

「み、三ツ谷君……」
「遅いし何を手間取ってんのかと思ったら」
「情緒が暴走してました……」
「ん。持つよ」

 最後のオレンジジュースを入れ終わったところで、三ツ谷君がトレーを持つと腕を伸ばしてくる。やはり彼は女子に大層モテるのだろうな……と思いながらお言葉に甘えた。こうなると私は時間をかけて間違ってコーラを入れただけの人になってしまうけど、もう何だっていいやと開き直る。

「あ、そうだ。エマがもう来てるんだけど」

 ピシッと一歩踏み出そうとしていた足が固まる。待って今それ、地雷……。

「エマちゃん……」
「おう。名前に早く会ってみたいってよ」
「えっ」

 …………もしかして、牽制かしら。

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