時が過ぎるのは早いもので、退出十分前を知らせる無機質な電話音で楽しかった女子会は幕を閉じた。後半はほとんど歌っていただけだったものの、エマちゃんとはかなり打ち解けられたし親睦を深められたと思っている。部屋の伝票を持ってカウンターの方へ向かえば、既に会計を終わらせた男子組が私達を待っていた。お腹をさすりながら各々が「腹減ったー」と言い合っているのできっとこの後ファミレスでも行くんだろう。ていうかあんなに熱唱してたらカロリー消費も凄そうだし、そりゃお腹空くよね。
 私達も精算を済ませて外へ出れば、むわっと湿度を多く含んだ空気に包まれる。

「オレら飯食って帰るけどエマ達どーすんの?」
「えーウチもお腹空いたし一緒に行こっかな」

 何となくここで解散かなと思った。
 武道君もいるから恐らくヒナちゃんは一緒に行くだろうし、エマちゃんは言うまでもない。カラオケにお邪魔した挙句その後のご飯にまで混ざるのは少し気が引ける。気を遣わせるのは申し訳なかった。
 チラリと携帯で時刻を確認すれば、時刻は17:24。いつも大体授業が終わるのが16時ぐらいで、そっからヒナちゃんと寄り道したりして大体家に着くのが17時くらい。閃いた私はポンと片手を叩く。今から家に帰ってもいつものルーティンをすればいいわけで、どうせいつもこの位の時間なわけで、それってつまり、寂しいも何も無いのでは……!?そもそも真昼間に家に帰って一人でゴロゴロするのが寂しかっただけだったのでこの時刻になればそれも関係ない。
 改めてきっかけを作ってくれた三ツ谷君に感謝である。きっと彼が溝中に来てくれなかったら今頃虚しく一人でDVDを見終わり、感想を言い合う相手もおらず余韻に浸っていただろう。

 だから良かった。
 別にココで解散となったとて、私は本当に十分満足していたのだ。マイキー君とカラオケに行けたし、エマちゃんとも盟友になれたし、三ツ谷君やドラケン君とも仲良くなれた。それだけで本当に充実していたし十分だった。
 もう皆はぞろぞろとファミレス目掛けて歩き出している。どの店に行くだ、やっぱり餃子が食べたいだと話している彼等に向かって「じ、じゃあ私はこれで……!」そう言えば、足を止めて皆が振り返った。も、もう少し静かにフェードアウトすれば良かったかな。興醒めさせてしまっただろうか。視線が集中したことに一瞬ビクリとするも、小さく手を振り返せば、余計に皆の表情が不思議なものに変わる。え、あ、と困惑する私に最初に口を開いたのはエマちゃんだった。

「この後何かあるの?」
「え、あ、いや特には」
「じゃあいいじゃん、名前も行こうよ」

 予想外の反応にパチパチと何度も瞬きを繰り返す。それは相手も同じようで、エマちゃんも何の問題があるの?といった表情で私の顔を見つめていた。
 行っていいの?私も一緒に?今度こそ身内で話したいとかそういうのじゃないの?そんな思いは分かりやすく顔に滲み出ていたようで、少し離れた所にいるドラケン君が「俺らに変な気使うなって」と片側の口角を上げる。彼がそう言ったことで皆も理解したのか「何だそんな事か」と頷いた。

「俺、もう名前とはダチだと思ってたけど?」
「ダチ……!」

 いいの?本当に私も御一緒していいの?
 私は感動で思わず両手を組んだ。三ツ谷君の発したダチ、その響きがあまりに擽ったくて心地よくて身を捩ってしまう。「な、マイキー」しかしあろう事か彼はマイキー君に振りやがった。青春の一ページを味わっていた私はピシッと固まる。
 え、えー……。この流れでマイキー君に振っちゃうの?
 皆が再び歩き出し始めたので私もそろぞろと足を踏み出すも、特に三ツ谷君に対するマイキー君の返事はない。「うん」とか「ああ」ぐらい言ってくれていたのかもしれないけど、私の耳には届いていなかった。三ツ谷君も気にしている様子もない。み、三ツ谷君……。君が振ったんだから最後まで責任取ってフォローしてよ……恋する乙女のハートは何気無いことで欠けるんだからね……。恨みがましい視線を送るも、彼は無垢な顔で「何だ?」と首を傾げていた。そういうところだと思いますよ、ほんとに、そういうとこ。複雑な気持ちを誤魔化すように私は三ツ谷君やマイキー君から顔を背け「そういや!」と近くにいたドラケン君に話し掛ける。

「凄く盛り上がってましたよね!こっちの部屋まで聞こえてました」
「ま、男ばっかだしな」
「ちなみに誰の選曲だったんですか?」
「選曲?八割はアイツ」
「アイツ?」
「タケミっち」
「タケミっち…………」

 私は静かに頷いた。
 非常に納得がいく人物である。やはり君だったか、タケミっち。ちなみに津軽海峡冬景色は?と聞けばドラケン君は「それは俺」と答えた。ポカンと口を開く私の顔が間抜けだったのか「アイダッ!」彼は小さく笑って私の額にデコピンをする。

「俺が演歌歌ったら不満か?」
「まさか!ギャップがあって良いかと」
「ギャップ?」
「なんとなくロックとかバンド系が好きなのかなって思ってて」
「まあ嫌いじゃないけどな」
「ですよね」
「ハハ!また一緒にデュエットしようぜ」
「おまかせあれ!」

 ちなみに私は意外とカラオケが好きだし歌も上手い方だと思っている。さすがに演歌は範囲外だけれど、一回ぐらい挑戦してみるのもありかな。

 そしてドラケン君との会話がそうして一度途切れた時、ふと導かれるように視界の中央でピンクゴールドの髪を捉えた。跳ねる毛先を風に遊ばれているその人物は、ポッケに手を入れ、顎を空に向けながらフラフラと歩いている。……やっぱり、どうしても目に入ってしまうよなあ。それとも無意識に私が探してるのだろうか。一度視野に入れてしまえば、私の両目はその一点に縫い付けられてしまった。
 日が傾いた夕暮れ時。
 昼間の蒼い空は消え去り、代わりに浮いているのはぽわぽわと夕陽を滲ませた薄い雲。遠くの方ではカラスの鳴き声が聞こえ、皆の影は長く地面に伸びていた。理科の教科書で見たことがあるような、そんな模範的な日暮れだった。確かに綺麗だけれど決して珍しい景色ではない。明日も明後日もこの時間になれば目にすることは出来るはずだ。
 赤く滲んだ雲から視線を外せば、彼はまだ空を見上げている。
 あなたは今何を思っているんだろう。なんて、そんな恋愛ソングの歌詞みたいな台詞が出てきてしまうのはカラオケ終わりだからということにさせてほしい。
 

 



 そうして着いたファミレスでは席が空いてないからと二手に分かれることになった。なんとなく女の子達がいるテーブルに行こうと思っていたところで「名前ー」私を呼ぶ声にビクリと肩が上がる。
 
「こっち空いてるぞ」

 振り向けば、トントンと人差し指で自分の隣のソファを叩くマイキー君がいた。正面にはドラケン君と武道君が座っており、通路を挟んだ反対側のテーブルには三ツ谷君とヒナちゃん、エマちゃんが座っている。ちなみな私はどう考えても、というか絶対エマちゃん側のテーブルだと思っていたから、身体は既にそっちを向いていた。数秒の空白が生まれた後、もう一度マイキー君は「座んねえの?」と口にする。

「座ります!ありがとうございます!」

 明日もしかして隕石でも落ちる?それか槍の雨でも降る?それとももっと恐ろしい何かが起こったりする?
 善の裏は悪という。嬉しいと同時に悪いことも起きそうで非常に怖い。大丈夫かな、私変なニオイしたりしないかな。「し、失礼しまあす……」ドギマギとしながら隣に腰掛ければ「ん。どーぞ」とマイキー君が歯を見せて笑った。死ぬかと思った。ドッと太鼓を打ったかのように心臓が響き出す。拳一つ分ほどしかない距離にくらくらと眩暈がしそうである。

 メニュー表を皆で覗き込むも、隣のマイキー君を意識しすぎて適当に目に付いたおろしハンバーグを頼んだ。そうして運ばれてきたおろしハンバーグは熱いだけでまともに味がしなかった。味がしないならもっと可愛らしいものを頼めばよかったと後悔したって遅い。いつもなら気にせず頬張るところを心なしか丁寧にナイフとフォークを使って、尚且つゆっくりと口にする。ちなみに隣のマイキー君はお子様ランチを頼んでいた。可愛い。ドラケン君がどこからか取り出した小さな旗を刺している。可愛い。武道君もそれで足りるのかという量のパスタを頼んでいた。可愛い。ドラケン君はステーキだった。心の中で拍手を送らせて頂いた。それでこそ漢、それどこそ育ち盛りの男子学生。
 ハンバーグを食べ終わり、ごちそうさまでしたと息を吐く。無性に喉が渇いた。全部緊張のせいだ。ちびちびと水を飲みながら、お冷のおかわりを貰うべく店員さんを呼ぼうと片手を挙げ、

 ーー瞬間、目の前を何かが過った。
 自分の腕ではない。虫かとも思ったけれど、そこまで小さなモノでもない。右から左へ、というよりかは上から下へと、眩い何かがポスンと膝の上に落ちた。同時に感じる少しの重みと人肌程の温もり。ポチャンと手にしていたコップの水が揺れる。半分以上飲んで、零れるほどの量がないのは幸いだった。武道君は口をあんぐりと開けパスタを絡める手を止めているし、ドラケン君は呆れたように溜息を吐いている。脳裏を過ぎるのはある可能性であるが、まさかそんなわけがない。そんなわけがないのだけれど、徐々に熱を帯びてくる頬が煩わしい。
 ゴクン、と息を飲み、薄目でゆっくりと視線を下に向けていく。

「……………………」
「……………………」
「……………………うえッ?」
「おい、名前がびっくりしすぎてワンテンポ遅れてんぞー」

 魚のように口をはくはくとさせるしかない。
 もぞりと、重みの正体が膝の上で動いた。見た目よりも柔らかい金糸が肌に当たってくすぐったい。「コイツ食べたらすぐ寝んだよ」あたかもいつもの事だという口調でドラケン君が言う。でも、待って、それは分かった。この状況を見れば、それは分かる、確かにマイキー君は寝る姿勢に入っていることは見たら分かる。けれど、もうちょっと他に言うことはないのだろうか。中途半端な位置で宙に投げ出されている両手すら仕舞うのが億劫だった。こうなると身動き一つとってはいけないような気さえする。ドキドキだとかそんな可愛らしい感情を飛び抜けて、火山が噴火したかのような衝撃が私の中で走っている。

「起こしたら起こしたで面倒だから暫くそのままにさせてやってくれ」

 そんなドラケン君の言葉に頷く以外の選択肢は無い。正面だけを見つめ、ひたすら時が流れるのを待つ。見事なまでの石像であった。私は岩だ、大仏だと念じていないと気を保てそうになかった。
 正直ここからは後の出来事はあまり覚えていない。何事もないかのように武道君とドラケン君は会話をしていたこと、ドラケン君が慣れた手付きで悪いなと言ってマイキー君を背負って帰ったこと。大まかな出来事は覚えているけれど、ふわふわと浮遊して自分を上から眺めているみたいだったし、家に着いて、ベッドの中に入ってからもぼうっと見慣れた天井を見つめていた。寝る寸前まで意識は宙に浮いたままだった。
 きっと前回みたいに、実感するのは次の日になるのだろう。そんな予言めいたことを思いながら重くない目蓋を閉じた。

 相変わらず朝は蝉の声で目が覚める。
 カーテンの隙間から零れ落ちる朝日は既に高く空に昇っているはずだ。ゆっくりと上半身を持ち上げて、ぼうっと焦点を合わせていく。携帯を開けば浮かび上がる6:24の文字。暫く携帯の画面を眺めて、そっと閉じた。アラームが鳴る1時間も前に起こされて当然機嫌は良くないけれど今日の私も寛大だった。布団から出て顔を洗い、ちゃんと髪を梳いてヘアオイルを塗って、前髪も巻いて、今まであまり意識していなかった色付きリップを丁寧に塗ってみる。
 また布団に戻るのも違う気がしたので朝ごはんを食べた後そのまま学校へ向かってみたが、部活ガチ勢の朝はもっと早いらしい。朝練をしている爽やかな生徒の声が既に校庭に響いている。下駄箱で上履きに履き替え、教室に入るとまさかの私が一番乗りだったようで、差し込んだ朝日で空気中の塵が煌めいていた。誰もいない教室は珍しい。それも朝となれば、尚一層のことだ。ほう、と謎の感嘆が出る。いつもの私は授業開始5分前に学校に着くか、チャイムと同時に教室に滑り込むようなタイプだったから。
  きっとあれなのだ、恋をしたらの生活習慣も変わるのだ。そうに違いない。
 自分の席にゴロンと上半身を寝そべらせて携帯を開けば口許がニヤニヤと緩んで、それだけで今日も良い一日になりそうだと思える。そしたら折角朝早くに来たにも関わらず、いつの間にか授業開始数分前になっていた。

 『佐野万次郎』の文字が連絡先にあるだけでこうも腑抜けしまう私を、どうか許してほしい。
 

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