マイキー君がまさかの暴走族、東京卍會の総長だったと発覚してから、私の日常生活には変化が起きた。

「不良について教えてほしい!?」

 度肝を抜かれたような表情で山岸は私の言葉を反芻する。「なんか奢るから」断られる前に私が間髪入れず両手を合わせて懇願すれば、若干身体を後退させながら「い、いやそこまでして貰わなくても教えるけど……」と有難いお言葉が返ってきた。私はマジで!?と目を瞬かせる。お昼ご飯ぐらい出す気でいたからそれは嬉しい。私とて奢らなくていいなら奢りたくないのだ。ヤッター!と両手を上げて喜ぶ私を、先に教室に入っていたヒナちゃんは目を細めて飽きれた表情で見ていた。……ごめん、ヒナちゃん。

「お願いします!」
「おう任せろ!いつやる?」
「今日」
「え?急だな。明日は?」
「今日」
「いやだから」
「今日の放課後」
「……お、おう。別に何もないからいいよ……」

 行動するならその日のうちに。
 ということで早速、私は溝中の不良辞典と呼ばれる山岸に進研・暴走族ゼミを受けることになった。放課後の空き教室の一番前の席に座る私に、彼はコホンと改まった様子で喋り始める。まずは私達の通う溝中の不良について、そして近隣校の不良事情について、ただの不良と暴走族の違いについて。
 そうしてなんやかんやノッてきた山岸から真面目に不真面目な話を聞いていると、驚くべき事実が判明した。なんと私が大本命で知りたいトーマンとは、構成員100人程からなる巨大な暴走族なのだそうだ。不良と暴走族の違いすらも理解していなかった私はそのスケールの大きさに驚くしかない。100人って一学年全員レベルじゃん……。カツカツと黒板に分かりやすく組織図を書いてくれているのを必死にノートに書き写す。「そ、そんな真面目に受けなくても……」少し引かれた気がするけれど、真面目に受けないと私が困るのだから許してほしい。

「100人はやばいね……」
「間違いなく巨大だな。でも六本木には二人でもやべえカリスマ兄弟もいるんだぜ」
「カリスマ兄弟……?」
「ああ。その兄弟が声掛けりゃすぐ100人は集まる」
「アイドル不良じゃん」
「すっげえよな!」
「凄すぎて実感が湧かない」

 100人集めてサイン会でもするのかな、アイドル不良って。そんなにカリスマ性があって有名であれば、私みたいな人間にもファンサくらいしてくれるだろうか。それは一回見てみたい気もする、と本音を漏らせば山岸に本気で止められた。知識として知るのはいいけれど、あまりにヤベエ奴等なので実物を見に行くのは極めて危険らしい。どちらかというと猛獣扱いである。

「まあいろんな世代の不良がいるけど、やっぱ今勢いがあるのはトーマンだな」
「トーマン!」
「なんてったって総長は無敵のマイキーだ!」
「…………マイキー君……!

 私はそうだろう、そうだろうよと心の底から賛同した。まず100人のトップに立つのがマイキー君という時点でそうだし、それでいてその脇を固めるのはあのドラケン君や三ツ谷君、そして場地達なのだ。勢いがない方がおかしい。六本木のアイドル不良兄弟のカリスマとはまた違う、いつの間にか目で追ってしまうような、人を惹きつけて離さない引力のような何かが彼等にはあると思う。私はアイドル不良兄弟を見たことがないし不良初心者だしで、完全に身内フィルターがかかっているといえばそうなのだけれど。
 それでも「トーマンの隊長クラスはマジでやべえ」と山岸は話すものだから、私も一緒に熱くなりながらウンウンと頷いた。仲のいい彼等が褒められるとなんだか私が褒められているみたいでむず痒かった。そして調子に乗った私はもっと欲しくなって「それってどのくらい凄いの?」と聞いてみた。すると、この辺のちょっと目立つ不良なら全員一度は伸されたことがある程には凄いらしい。いつかエマちゃんが学校で友達が出来ないと私とヒナちゃんの関係を羨ましがっていたけれど、なるほど、有名な暴走族総長の兄を持てばそうなるのも頷ける。私はいつの間にかとんでもない人達と仲良しこよしをしていたようだ。

「……でも意外だなぁ。暴走族ってもっと怖いと思ってた」
「暴走族はちゃんと怖いぞ!?」
「い、いや、なんというか。想像してたより普通というか」
「は!?全然普通じゃねえと思うけど……」
「……そう?」

 ぶっちゃけ今まで私の中の不良というのはよく分からない生き物だった。喧嘩は殴った方も殴られる方も痛い。不良だからといって痛覚が無くなる訳でもない。それなのに彼等はどれだけ怪我をしても懲りずに喧嘩を繰り返すのだ。壊れたロボットみたいに喧嘩しかしていないのか?と思っていたけれど、彼等のおかげで少し近付けた気がしている。だって私と一緒にいる時の彼等はあくまで普通の中学生にしか見えなかった。彼等はカラオケで演歌を歌うし、ボーリングでガーターも出すし、たまに口が悪くなるけれど、食べたらすぐ眠くなって寝てしまうような、そんな普通の人達なのだ。
 フフ、と思わず笑みが零れてしまう私を、何故か一緒に講義を受けていた武道君はギョッとした顔で見ていた。ハッと慌てて顔を取り繕い、山岸に視線を向ける。し、しまった……二人がいるというのに油断して思わず頬の筋肉を情けなく緩めてしまった……。

「名前ちゃん。ど、どうして急に不良の事について調べ出したりなんか……?」

 連日山岸に不良講座を開いてもらっていたある日のこと。今日も今日とて何故かちゃっかりと参加している武道君が、恐る恐るといった風貌で尋ねてきた。突拍子もない質問だな、と突拍子も無いことをしている自分の事は棚に上げて黒板を見つめながら頬杖をつく。確かに不良について学ぶなんざ傍から見ればさぞ頓痴気で気が狂ったように見えるかもしれない。けれど私はあくまでマイキー君のことを知りたいだけだし、特に喧嘩をしたい訳でもレディースを立ち上げたいという訳でもない。これといって壮大な理由がある訳でもないのだ。
 暫く質問を無視したら諦めるだろう。そう思ってトイレに行った山岸が戻って来るのを待っていたものの、隣から突き刺さる視線が消えることは無かった。むしろ謎の圧が増したような気さえするし、この様子じゃ私が答えるまでは目を逸らすことはしなさそうである。……ね、粘り強いなタケミっち……。さすがマイキー君やドラケン君が「タケミッちの根性はすげえ」と認めただけある……。でもなぁ、ここで馬鹿正直にマイキー君の名前を出すのも違うしなぁ……。
 私はそうして少し悩んだ後「……ちょっとでも近付きたくて」嘘でもない内容でそう小声で呟く。瞬間、武道君はその大きな瞳を更に大きくして「ち、近付くぅ!?」と声高に叫んだ。その声量に今度は私がギョッとする番だった。「声が!!大きい!!」慌てて彼の肩を叩いて注意するが、武道君はその叩かれた肩さえも押さえて私を凝視している。

「ふふふ不良になるってこと!?」
「何でそうなるの!てか武道君には関係ないし、そもそも何でいるわけ!?」
「名前ちゃんが危険な目にあったら俺が怒られる!」
「うるさいやい!誰に何で武道君が怒られるの!」
「そ、それは……!」

 途端にモゴモゴと声を小さくさせる武道君にハッと何かを察した。彼がたどたどしくなる時は大体ヒナちゃん関係だった気もするし、そうとなると、突然言いにくそうにしている理由も彼女の他ないだろう。自己完結である。……ま、まあ、確かに最近の放課後は山岸の不良講座を受けているからヒナちゃんと一緒に帰れていないし、私の行動に何か物言いたげな様子ではあったけど。そこは私もなんとなく感じ取っていた部分ではあるので特に何も言わないことにした。私のことを心配してくれているのは有難いし嬉しい。でも学ぶだけで危険な目に合うのなら幾つ命があっても足りないよ。
 ギャーギャーと騒いでいる武道君はもう放っておくことにして、パタンと『暴走族まとめ』と表紙に書かれたノートを閉じ、無造作に鞄に突っ込んだ。そうしてそのまま教室を出ようとすれば「ど、どこ行くの!?」と武道君が身体を乗り出す。……なんか最近やたらと武道君が構ってくる気がするんだけど気の所為かしら。君は私のパパか。私が何をしようがあなたには関係ないだろうに。「ヒナちゃんのことだけ考えてなよ」そうからかうように笑って、私は今度こそ教室を出る。最後に見えた武道君の顔は少し赤らんでいて、なんだか面白かった。
 後でヒナちゃんに教えてやろう。






 
 
 学校を出てフラリと街に寄り道しながら、暴走族総長の隣にふさわしい女性像とは何か、を考えてみた。
 真っ先に頭に思い浮かぶのはルパンの不二子ちゃんのような妖艶で言葉巧みに男を操る魔性の女。後は『おもしれー女』と頬を引っぱたくことで恋に落とすタイプのヒロイン女子。最近こういう展開が携帯小説で流行っていると風の噂で聞いたのでエマちゃんに言ってみたところ「あーヒナもマイキーの頬っぺた殴ったって言ってた」まさかの身近に存在したのだ。携帯小説の中の話だと思っていた私からすれば衝撃の事実である。それも武道君が彼等に付き纏われてると思っての行動だったようで、マイキー君もそれがきっかけでヒナちゃんの事を認めたらしかった。……ヒナちゃんが凄いだけかもしれないけれど、実際に存在する限りやっぱりヒロイン系女子の需要があってもおかしくない。

「名前」

 とまあ、峰不二子やおもしれー女現象がどうなのかは一旦置いておくとしても、不良に好かれる女の子というのはきっと存在するはず。例えばヒナちゃんのような花が咲く笑顔の中にある男気であったり、エマちゃんのような色気の中に隠れた積極性であったり──とその時、自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。一瞬立ち止まるも、突然足を止めたせいで後ろを歩く人が怪訝な顔で通り過ぎていく。その背中に「す、すみません」と謝罪した私は空耳かと思って再び歩き出そうとし、

「おい」

 そしてデジャヴが起きた。肩に何かが触れたかと思えば、グルンと視界が一転し、目の前にピンクゴールドの髪が桜のようにさざめいている。

「…………えっ」
「名前って声掛けても全然気付かねえな」
「マ、マイキー君!?」

 驚きすぎて声がひっくり返った。まさかこんなところで会うかもしれないなんて誰が予想出来ただろう。「どうしてここに……!?」恥じらいと困惑で震える声でそう問いかければ「ケンチンに面倒ごと全部押し付けたら怒って帰ってった」ポケットに両手を突っ込みながら、さも退屈そうに彼は答えた。面倒ごとの中身は不明なものの、確かに普通の人なら面倒ごとを全部押し付けられたら怒ると思う。しかしマイキー君のマイペースぶりもドラケン君の苦労ぶりも理解し始めていた私は苦笑いを浮かべる。

「多分謝ったら戻ってくると思いますよ?」
「何でオレが謝んの」
「……え、あ、面倒ごとを押し付けたから……?」
「はぁ?だからって帰ることねーじゃん。ケンチンがケチなんだよ」
「あ、あれぇ……?」

 ドラケン君を一緒に悪く言わない私の反応が気に食わなかったのか、マイキー君はその精悍な眉を吊り上げた。そして 「それよりもさぁ」とズイッと身を乗り出し、近距離で私の顔を覗き込む。

「前から思ってたけど周り見えなさすぎ。夜も遅い時間に一人で出歩いてるし、そんなんじゃ襲われても文句言えねえかんな」
「!?すみません!」

 何故か急に私に飛び火した。至近距離で黒曜石のような双眸を真っ直ぐに向けられるものだから、訳が分からなくても反射的に謝ってしまう。「分かればいいけど」口ではそう言いつつも、マイキー君は未だその目を眇めている。

「世の中名前にとって良い奴ばっかとは限らねーの」
「はい……」
「てかオレが名前呼んだら一回で返事な」
「はい…………」
「っとに、タケミッちももう一回絞めとくか……」

 ロボットのようにただコクコクと頷く。確かに世の中良い奴ばっかとは限らないし、夜遅い時間に女の子一人で出歩くのは危ない。それは全くもって正論だ。……しかし私は心の中でイヤイヤと首を振る。マイキー君、もしかして私を不良娘と間違えてないだろうか。確かにちょっと遅めの時間にコンビニに行ったりはするけれど、日付を跨いだことは一度もないし、別に背後から襲われるような恨みを買った覚えもないし、武道君が何故締められることになるのもよく分からない。でもまあ必死になって止める義理もないので、明日学校で会ったら先回って絆創膏くらいはあげてやろうと思う。
 「てか今帰り?」また無条件に謝ろうとしていた私は、反射的に開いた口を慌てて閉じた。どうやら彼の中のお説教タイムは終了となったらしい。

「はい。まあちょっと、寄り道はしちゃってますけど……」

 二人して街中で立ち止まってるせいか、気付けば私達を避けるように人の波が出来上がってしまっている。なんとなく居心地が悪いので「ちょっと端っこにいきましょうか……」とマイキー君を道の脇に誘導すると、それの何が悪いんだ?といかにも不良らしい顔をしながらも大人しく着いてきてくれていた。何だかむず痒い気持ちになった私はニヤけそうになる頬にグッと力を込める。危ない、油断したら直ぐに頬が上がってしまう……!
 道端まで寄った私達はそのまま横並びの状態になった。ポールのチェーンに器用に座ったマイキー君は「ケンチンいねえし暇なんだよな」と唇を尖らせている。どうやらツーリングをする予定だったのが無くなったせいで予定が総崩れしてしまったらしい。
 ブーブーと文句を垂れるマイキー君を前に、私の脳裏には、もしかして、とある可能性が過ぎった。ゴクリと唾を飲み込む音がやけに大きく耳を通り抜ける。ドラケン君も三ツ谷君も、私をからかう場地も今日はここに居ない。マイキー君のことを知るために遠回りをして山岸に不良事情を教わっているけれど、本人に直接色々と聞くことが出来るなら、当然それに超したことはない。
 つまり、今こそマイキー君を知るチャンスなんじゃ。
 そう自覚した瞬間、もう駄目だった。大人しくついてきてくれたマイキー君を見て、今更ながら心臓がドキドキと鳴り始める。
 まだ高い陽射しが降り注ぐ中、ペタペタとマイキー君のビーチサンダルの音がやけに鮮明に聞こえていた。心拍数が異常な上がり方をしていた私は、きっとテンパっていたんだろう。

 「何?」気付けば、マイキー君の甚兵衛の袖を掴んでいた。突然の私の奇行にマイキー君はただただ不思議そうに首を傾げている。

「マ、マ………」
「あ?ママ?」
「ち、違!その、マ、マ……!」
「早く言え」
「マ、マイキー君のこと!教えてください!」
 
 咄嗟に頭に浮かんだ思いが、精査される間もなくそのまま言葉になって吐き出た。『恥ずかしがらずに自分を表現してみるのが吉!』と雑誌に書かれていた占いがゆっくりと再生される。考える時間も無ければ練る余裕もなかった。恥ずかしがらず表現したとはいえ、あまりにも直球すぎたとすぐに後悔する。もし、いきなり貴方のことを教えてくださいと迫られたら人は何と思うだろう。私なら引く。恐らくその他大勢の人々も同じ意見だと思う。
 じわじわと、頭のてっぺんからつま先までこの蒸し暑さとは別の熱を帯び始めていた。さぞ困惑しただろうな。何だこいつと、いっそ清々しい程にドン引いてくれた方がこちらも茶化しやすい……まるで和太鼓の如くドンドンと心臓を内側に響かせながら、私は恐る恐るマイキー君の反応を伺おうと顔を上げ、

「いいよ」

 しかしそこにあったのはあっけらかんとしたマイキー君の姿だった。あまりにいつも通りの様子でオッケーを出すので、逆に私が「…………えっ」と困惑してしまう。

「いいんですか……?」
「だからいいよ。オレの何が知りてぇの?」
「え……あの、えっと、え!?じゃあ、好きな食べ物は何ですか!?」
「今はたい焼き」
「嫌いな食べ物は……!」
「辛いもの」
「今日のお昼は何食べましたか……」
「オムライス」

 やばい。
 いきなり何でも聞いていいよと両手を広げられても緊張しすぎて大した質問が思いつかない。スピード感も相まってただの食べ物の一問一答みたいになってしまっている。私は自分のポンコツ具合に絶望した。

「えっと、じゃあ、じゃあ…………!」
「名前」
「はい!?」
「名前の好きな食べ物は?」
「あ、え。私の……?」
「うん」
「え……私は……えっと、逆に辛いものが好きで……」
「じゃあ嫌いな食べ物は?」
「トマトです……」
「へえ。同じ赤なのに好きで嫌いなのか」
「?何で私に質問を……」
「だってオレばっかフェアじゃねえじゃん。オレも名前のこと知りたいし」

 これは心臓に悪い発見だった。どうやらマイキー君はこういう事をすんなりと言えてしまう人らしい。それとも私があまりにお花畑になってしまっているだけで、本当に言葉通り自分にとってフェアかフェアじゃないかを考えているだけなのだろうか。
 マイキー君の真意を測りかねていると、たんぽぽのような髪を翻しながら私に背を向け、どこかに歩き出していく。

「ちょっと走ろうよ」

 くるりと振り返ったマイキー君はその薄い唇の両端を持ち上げて、ニコリと笑っていた。

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