何でもない日だった。

 晴れているとも言えないが曇っている訳でもない微妙な空の下で、特に好きでもないストレートティーを飲みながら、ふと思ったのだ。

 あ、そうだ、絶縁しよう。

 そうだ京都に行こうくらいの軽薄なノリで思い付いた割には、非常に名案な気がした。むしろどうして今までその選択肢が私の頭に浮かばなかったのかと、かつての自分を懲らしめたいくらいである。
 そうと決まれば早速スマホを開いて奴等の連絡先を削除し、可能な限り奴等と繋がっている知り合い以上友達未満の名前も消していく。しかし私のアカウントがある限り繋がりは消えないのでは……? と途中で気付いてしまったので、高校が離れた大切な親友二人にだけ報告して全SNSのアカウントを削除してやった。

 そんな行動力に定評がある私はあっという間に絶縁ステップ〜その1〜をクリアしたのである。
 連絡を取れなくした後はリアルで顔を合わせなければいい、ただそれだけ。なんと簡単なことか。むしろ今までの悩みは何だったんだろう、開放感が素晴らしすぎてお花畑で踊っているようだ。

 ちなみにそんな絶縁対象に当たるのは、灰谷という悪魔のような兄弟であった。
 異性の幼馴染といえば甘くてピュアな青春ラブストーリーを想像してしまうかもしれないけれど、その考えは短絡的かつ甘い、甘すぎる。ドロドロに煮詰めた砂糖より甘い、ハンバーグ師匠より甘い。

 ……奴等は悪魔だ。

 元から外面だけは良いものだから、幼少期のアレヤコレに関してはヤンチャなんだな……くらいにしか思っていなかったが、成長してあらゆる知識をつけて本格的に不良の道へ進み始めてからは見事にぶっ壊れた。
 そして私に甚大な被害が出た。生意気にも私より先に性の快感を覚えてしまった幼馴染'sは、中学校に入るや否や手当り次第に私の周りの友達を食い散らしていったのである。

 当時一緒に行動してた友達から「この間蘭くんと……」と顔を赤らめて相談された時は本気ぶっ倒れるかと思った。うせやん……えっ……うせやん……。暫し硬直したのちに「……それマ?」とその日は一日中震えて過ごした。しかし寝たら次の日には忘れていた。ひとつ上の先輩に片思いをし、脳内お花畑だったせいで、じわじわと蝕まれていく惨状に気付くのに時間がかかってしまったのだ。

 そしてどうなったかといえば、見事に孤立した。
 分かりやすく言い換えるとぼっちである。

 理由は簡単、蘭や竜胆は一度味見したらサヨナラのやり捨てポイ野郎だったから──に尽きる。如何せん二人とも顔がいい。悔しいことに蘭も竜胆もタイプこそ違えど、白い肌に端正な顔立ちをしていて、尚且つ喧嘩も強かったのだ。

 思春期の女の子は悪い男に惹かれてしまうというもの。
 しかし理不尽なYSPをくらった彼女達のヘイトは何故か真っ当に生きる幼馴染枠の私へ集中し、華やかな学生生活を送っていたはずなのにいつの間にか地獄の扉をノックしていた。

 ……それでもその時の私は、男子生徒やら一部の女子から異常に恐れ嫌われている彼等をまだ庇おうという良心はあったのだ。呼び出しを受けても「ちょっと性にオープンなだけで、根っこから悪いやつじゃないんだよ」とか健気に言ってた時期があった。

 そしたら「幼馴染だからって調子乗んな」「私の方が知ってるアピールすんな」「ビッチがしゃしゃんな」と余計ぼっちが加速した。解せない。意味が分からない。もうまともな人を探す方が難しい私の交友関係の被害は既に山火事状態。出火の原因はまるで別のところにあるため鎮火も出来ず、もう自力で修復不可能な域まで来ていた。

 さすがの私もここまでくれば気付く。
 これは何がなんでも友人に手を出すのをやめてもらわなければならないと。いい加減あの緩々な下半身を制御させなければならないと。
 
 事態の深刻さを痛感した私は、ようやく行動に出ることになる。

 一度目は竜胆に説得を試みた。
 下半身事情についてはもう何も言わんから、頼むから私の友達に手を出すのだけはやめてくれと。

 いくら幼馴染とはいえ男女関係……それも生々しい部分へ口を出すことにソワソワとしていた私だったが、当の本人は練習中の寝技をかけてきた挙句「てか何の話だっけ? ポケモン? オレはカビゴンの腹の上で寝たい」と摩訶不思議な回答をしたのだった。話が噛み合わなすぎて宇宙人かと思った。
 そして見事に策に嵌り思考停止した私は、そのまま一緒にポケモンの映画を鑑賞し涙を流しながら家に帰った。良い映画だったなぁ……と湯船に浸かって目を瞑った頃「……〜〜ッ!? そうじゃない!!!」と叫び起きたのだが、血走った母が駆け付けてきた為次回に持ち越すこととなる。

 そして次の日、何故か私は片思いしていた先輩に「灰谷のお手つきはちょっと……」と最低な理由で振られた。

 帰ってから私はおよよ……と涙腺が崩壊するほど泣いた。そして幼馴染と不吉なポケモン映画への憎しみはより強くなり、数年片思いしていた先輩のことは嫌いになった。今思えばポケモンの映画を見た時の方が泣いてたなと思う。

 二度目は蘭に説得を試みた。

 奴は変に悪知恵が働くというか、常に薄く笑みを浮かべ、それでいて幸せそうに人を嬲るから非常に厄介なのだ。
 対策がいる……竜胆の一件で学習した私は、同じ過ちを繰り返さないためにも事前に交渉術の知識を頭に叩き込んだのち、作戦を決行した。
 しかし彼は滅多に学校に来なければ家にも帰らない不良少年だったので、居場所を突き止めるのは困難を極めた。学校中を隅から隅まで探し回り彼等の行きそうなゲーセンや空き地にも赴き、クタクタになって諦めかけたその時。何故か私の家の前で遭遇したのである。その時の私の気持ちはこうだ。

──いや、此処におったんかーい!

 灯台もと暗しとはまさにこのこと! あっちゃこっちゃと練り歩いていた時間は何だったのか、きっと幻のレアポケモンとやらを見つけた時もこういう気持ちなんだろう。そう感動しつつ、曲がり角辺りから目が合い続けている蘭の前で歩みを止め、口を開いた。

「あのさ、私の友達に手出すのそろそろやめてくれないかな」

 出会い頭に早速竜胆と同じ内容の願いを伝える。早く解放されたい一心だった私は、じっと蘭の反応を待った。
 そしてそんな彼は垂れ目がちの眦を更に下げると、その菫色の瞳を三日月に曲げて笑う。

「そいつらってお前に必要なわけ?」
「…………は、え?」

 予想外の反応に唖然とした。その言葉の意味が、まるで分からなかったのだ。
 
 しかし目の前の幼馴染は言う。

「オレが悪いん? 向こうからお前の名前出して股開いてきたのに?
「つかそんなに嫌なら俺じゃなくてあっちに言えよ。
「あーあとさ、お前より私の方がいいとか言ってきたけどオレってお前抱いたことになってんの? マジウケる。
「ああ、あとお熱だった先輩と振られた記念に一発ヤッたって聞いたぜ。今度感想教えろよ。
「あ、情報源はお前の"自称お前のおともだち"な」

 怒涛だった。
 もうポカンと口を開けるしかなかった。
 1言うと100で返すタイプだったのは重々理解していたけれど、果たして私がここまで言われる筋合いはあったのか。
 
 そう思うと同時に顔の内側がカッと燃え上がって、蘭の手首を力強く掴む。
 振り返った蘭は愉しそうに口許を歪ませていた。

「……わ、私が……ッ! どんな思いでいると思って……!」
「知らねえよ、友達作りくらい向いてなかったってことじゃね?」
「ッ、何で私の友達ばっかり!」
「は?」
「……な、何」
「アイツらがお前の友達?」
「……友達、だよ」
「男関係で掌返すのが友達ねえ、いいんじゃん楽しそ、羨ましい〜」
「…………っ」
「ま、人付き合いは選んだ方がいいんじゃね?」
「…………うるさい。蘭だって友達いないくせに」
「オレはボールが友達」
「……………」
「ツッコミくれねえの? つめて〜」

 もう、嫌だ。
 
「ま、お前じゃ役不足だってことじゃね

 するりと私から逃れた蘭は「じゃあな」それだけ言って今度こそ去っていった。追いかける気にはなれなかった。この時点で私のストレスメーターは恐らく100%を超えていたのだ。
 ズキズキと胸が痛むのを感じながら、私はそのまま部屋の布団の中でこんもりと蹲ってまたちょっと泣いた。蘭に泣かされたなんて腹立たしい。それでも痛いところを突かれたのは理解出来ていたから、余計に悔しかった。




 その後も何度か同じように説得を試みたものの、彼等の行動はエスカレートしていった気さえする。
 もはや友達という枠を超え、アイツらは部活の先輩や後輩あたりまで手を出し始めた。必然的に私への当たりも強くなった。何故何もしてない私が嫉妬されなければならないのだ、理不尽すぎる。これ以上酷くなればそれはもういじめと変わらなくなるんじゃと思いながら、たった今も、どう考えても自分のことだろうなぁという悪口を聞いている。

「てか手出されてないのあの子だけじゃない?」
「出されてない訳ないじゃん。幼馴染なんだよ?絶対ヤってるでしょ」

──ヤッてないわ。

「じゃあどっちかと付き合ってんのかな」

──付き合ってもないかなあ、これ否定するの何回目だろ。

「だとしたら最悪じゃない?どんな気持ちで友達の好きな人奪ってんだろ、キモ」
「分かる。裏で笑ってそう」
「そもそもあいつ今友達いないじゃん」

──うるさいな、そっちから先に友達をやめたくせに。

「蘭くんと竜胆くんも可哀想だよね」
「ねー、マジでそれ。アイツがいる限り自由に出来ないってことじゃん?」
「あの二人も迷惑がってるでしょ」

──うるっさいなぁ.........!

 女子更衣室という狭い空間では、小声で話さない限りいやでも会話は聞こえてくる。私がいるのを分かってて陰口を叩いているのかは分からないけれど、私のストレスは知らないうちに限界に近付いていた。

 ガンッ! とわざと大きな音を立ててロッカーを閉めると、まさか他に人がいると思わなかったのか、水を打ったように声は止まった。
 なるほど、意図して言っているものじゃなかったらしい。となるとリアルな声ということですね。なるほどなるほど、少し前であれば一々傷ついていたのかもしれないな、もうこの際どっちでもいいけど。

 露骨な悪口を聞かれたかもしれない人物が誰か気になったんだろう。恐る恐るといった表情で奥の通路から顔を覗かせたクラスメイトは、私を確認するや否や顔を引き攣らせた。そんな顔するならもっと隠れて言えばいいのに。コソコソと耳打ちし合って逃げるように更衣室を出ていく彼女達の背中をぼうっと眺める。ちょっと前まで笑顔で近寄ってきて、散々蘭や竜胆のことを質問してきたくせに。

 一緒に帰るはずだった部活仲間にも突然ドタキャンされたので、なんとなく購買に寄ってストレートティーを買った。別にストレートティーが好きなわけじゃない。本当は甘いいちごオレとかが飲みたかったけど、不運すぎるのか時間帯のせいか何故かストレートティーしか残ってなかったのだ。

 ドタキャンの理由はなんとなく察しがつく。どうせさっきの子達が言ったんだろう。最近仲が良かった気もするし、タイミング的にもピッタリすぎるし。それに誘ってきたあの子も、最近やたらと竜胆のことを聞いてきたから。

「……、………」

 あれ、私っていつから二人のセフレ相談口になったんだっけ。話しかけられる内容は噂の真偽とか蘭や竜胆の名前ばっかり。仲がいいと思ってた友達も離れていってさ、勝手に噂流されてさ、それなのにあの二人はのうのうと相変わらずお盛んに遊んでるしさあ。

 私、なんかした?

 ストン、とふと浮かんだ疑問はそのまま腹に落ちた。そうじゃん、私、何もしてない。何かしてるのはあの下半身ゆるゆるの二人であって、私じゃない。なのに被害をこうむってるのも私だけで、直接やめてと訴えても言うことを聞いてくれない。向こうは私を助ける気なんてないのに、何で私あの二人のこと庇おうとしてたんだろう。

 晴れているとも言えないが曇っている訳でもない微妙な空の下。特に好きでもないストレートティーを飲みながら、天啓を受けた私は──ついぞ、そのまま幼馴染と絶縁することを決めたのだ。
 


 意思さえ固まってしまえば後はもうあっという間である。
 絶縁ステップ〜その1〜をクリアした土日明け、私は久しぶりにルンルンな気分で学校へ向かった。SNSのアカウントを全消しする前にわざとグループトークを抜けるという小技を見せたので、きっと私に何かがあったことは広まっているだろう。そして予想通り教室に入れば私の元友人達はチラチラと此方の様子を伺っている。でももうどうでもいいのだ。私はリセットボタンを押したし、新しいコミュニティを作る!

 隣に座る女の子は、ヤンキー校にしては大人しめの真面目系女子である。私はとりあえずパフォーマンスの為にその子とお近付きになることにした。

「ねえ、今日一緒にお昼食べよ」
「……っえ!? わ、私と……?」
「うん、ダメかな?」
「ダ、ダメじゃないけど……」

 突然話し掛けられて驚いているけれど、その子の視線は私と私の元友人達を行き来している。めっちゃ分かりやすいな、おもしろ。確かにあの子達に目つけられたくないもんね、いい子達なんだけどね、ちょっと恋愛が絡まると猪突猛進になっちゃうから私は距離を置くけど。

「てかいつも一人で帰ってるよね?今日一緒に帰ろーよ」
「えっあ、あの……その……」
「ダメ?」
「ダメじゃない……けど……良いんですか……?」

 私はヨシキタ、と心の中でガッツポーズを決めた。この子が言いたいのは恐らく噂のことである。私が毎放課後、何故か灰谷兄弟とあんなことやこんなことをしているという、あられもない噂のことである。どうやったらそんな噂信じれるんだろうと吹っ切れた今になれば笑える話だ。

 私はにっこり笑って、かつ少し大きい声で答えた。

「私、ついこの間幼馴染と縁切ったんだよね。そうだ、私ラインも新しく作り直して友達いないからさ、追加してよ。はい、これQRコード」

 強引すぎる。でも許してほしい、私は躍起になっていた。とりあえずパフォーマンスでも何でもいいから新しく友達を作って、元友人達と喋らないようにして、蘭や竜胆と遭遇しそうな場所をとにかく避ける。また家の前に居たらどうしようとも思ったけれど、そういえばあの二人は私が縁を切ったとて特に困らなさそうだなと気付いた。絶縁というより一方的な絶交に近いのかもしれない。

「…………それはそれで腹が立つな」

 困ればいいのにと思ったけど、悔しいくらいに向こうは平常運転なんだろう。そうだよね、だってドーナツみたいに私を除いて、周りの友達ばっかり食らっていってたもんね、興味無いよね。ていうかそもそも最近そんなに会うことも無かったもんね。
 
 元のコミュニティから外れて灰谷という名前を出さないよう徹底して約一週間。効果は中々順調だった。私から縁を切ったのではなく、私が二人に縁を切られたという噂になっているのがムカつくけど、以前のような目も向けられなくなってきている。一部の過激派を除いて、私は普通の生活に戻りつつあった。

「……オレと付き合ってくれないかな?」
「えっ」

 そしてコレである。私はついに勝利した。
 ちなみに目の前の男の子は最近ちょこっと話すようになったサッカー部の爽やか君である。別に好きというわけじゃなかったけど、普通に感動して固まってしまった。

 だって、あんなに灰谷のお手つきだとかビッチだなんだと陰口を叩かれていたこの私が……! ついに普通の告白を受けるまで浄化していたなんて……!
 そりゃあもう赤飯ものである。ここで私が頷いて付き合えば、完全にあの幼馴染の不始末から解放される……!

「わ、私で良ければ」

 そう笑って、手を握り返したのは、確か数時間前のことだった。


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