「…………は、」

 いやなものを見た。

 ぽろん、と私の口からは間抜けな声が落ちる。
 突然立ち止まった私に、つい数時間前に彼氏となったサッカー部の爽やか君は「どうしたの?」と握る手に力を込めたけれど、私の視線を辿っていけば納得したように「……あぁ」と声を低くした。

 グッと眉間に寄せられた皺。少し先にいる彼を見つめるその鋭利で冷ややかな目にビクリと何故か私の肩が上がってしまう。爽やか君なのにそんな顔するんだ、てっきりミネラルウォーターみたいな天然サッパリ系かと思ってた。

「あれ灰谷だよな? ……てか一緒にいるヤツ二年のテニス部と付き合ってなかった? マジで見境ねえじゃん」
「………そう、だね」
「アイツらと縁切ったんだろ? 正解だと思う」
「……うん。ほんとにそう思う」
「俺らの中でも灰谷の噂って結構酷くてさ。関係知らないのに失礼かもしんないけど、灰谷とつるむのって絶対悪影響にしかならないよ」

 まあ、実際悪影響どころか凄い勢いで実害出てましたしね。

「……名字さ、ホントに灰谷に手出されてないよな?」
「……あー、うん。ただの幼馴染だったしね」
「どっちからも?」
「ないよ」
「良かった……マジで安心した」
「…………」
「どうかした?」
「……あ、ごめん。行こ」

 この十字路を右に曲がれば、少し遠回りにはなるけれど別の帰り道がある。仕方がないから今日はそっちのルートで帰ることにしよう。
 去り際に見えた女子生徒と蘭は、相変わらずゼロ距離でチュッチュと唇を合わせていた。うげ、嫌なもの見ちゃった。思わず手に力が入ってしまったのか応えるように強く握り返されてギョッと顔を上げる。爽やか君は「ん?」と何も無いように微笑んでいたので、スルーすることにした。下手に動揺してると思われても嫌だし。
 それにしても、こんな誰が見ているか分からない公共の場でキスなんてしないでほしい。ていうかあの人も付き合ってる彼氏がいるのに蘭なんかとキスしていいのか、今までの話を聞いてる限り彼氏を捨ててまで選ぶような男じゃないよ、そんなことしたって捨てられるのは貴方だし、傷つくのも貴方ですよ。蘭もいい加減そういう人に手を出すのは辞めたらいいのに……って、私にはもう関係ないんだっけ。

 なんやかんや話には聞いていたとはいえ実際にその現場を目撃したことはなかったからか、無意識に眉間に力が入っていたようだ。その後私の家の近くまで送ってくれた爽やか君に体調を心配され、初めて私はずっと怖い顔をしていたことに気が付いた。確かに無駄に胃がムカムカしている。浄化した気になっても長年の怨みは中々消えないということか。駄目だ、絶交したと宣言したのだから情緒さえも上手くコントロールしないと。そうじゃないと、また余計な勘繰りを受けて噂を流されてしまう。

「ご、ごめんね、体調は大丈夫。ありがとう」
「ならいいけど……」
「うん、じゃあ、また明日……っ、」

 さすがに家の真ん前まで送ってもらうのはご近所さんの目にもアレだったので、私達は今少しだけ離れた小道にいる。体調は問題ないが、気分はあまり良くない。早く帰って横になりたい一心で繋がれた手を解けば、代わりに手首を強く掴まれ引き寄せられる。そして気付けば、私と爽やか君と唇はピタリと合わさっていた。

──ピシッ。

「……………………?」

 ………………は、え、は?
 待って、何がどうしてこうなった。爽やか君?え?私もしかしてキスされてますか?
 時間差でそう認識するや否や、身体が硬直して悪寒に近いものが背筋を駆け上がる。何度も角度を変えて降り注ぐ柔い感触。ドキドキするどころか、困惑と嫌悪感で全身が震えそうになって、同時に脳裏には先程の二人の姿が過ぎった。生々しくて、それでいて真っ赤な薔薇色の舌が艶めかしく覗いて、菫色の瞳は私ではなく知らない女子生徒に向けられていて──、


 きもちわるい。


「……っ、か、帰る!」

 力強く押し退けて、そのまま全力で家まで走った。後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえるけど無視して突き進む。
 そもそも付き合ってまだ一日目どころかまだ数時間しか経ってないのにキスって早くない? 付き合うまで愛を積み上げてきた訳でもないのに。今どきの学生ってそんなに交際レベル高いの? ああでも私の元幼馴染達は付き合ってもないのにキス以上のことをしているのだから、まだ付き合うという段階を踏んでいるだけ爽やか君の方がマシなのかな。

「……っ、」

 唇に指を当てると、感触を思い出してしまってそのままベッドに倒れ込んだ。ゴシゴシと擦りすぎて少し表面がヒリついてる。……別にキスに夢見ていたわけではないさ。けれど少しくらい浮かれた気分になるものだと思っていた。何故なら私のことを散々虐めてきた女の子達も、そういう話をする時だけは嬉しそうに頬を赤く染めてたし。好きな人にされるキスが特別であるなら、さっきの爽やか君からのキスは特別じゃない、私は別に心から爽やか君のことが好きなわけじゃない。私は好きな人としかしたくない。ジク、と突き刺すような痛みが下腹部の内側から襲ってくる。

「…………気持ち悪い」

 好きでもないくせに、どうせあの子も捨てるくせに。それなのに、簡単に特別と思わせるキスを安売りする幼馴染達が、心の底から嫌で、気持ち悪い。









 うん、爽やか君とキス以上は無理だ!
 そう悟った私は持ち前の行動力で早速別れ話をすることにした。そしたら「……ごめん」と心底申し訳なさそうに謝られた上「まだ好きでいてもいいかな」と言われてしまい、私の罪悪感ボルテージは崩壊した。

「あ、いや……、なんか私の方こそ、その……すみません」

 ペコペコとお互いが平謝り状態である。
 いやまあ好きじゃないのに軽い気持ちでオーケイした私にだって責任はあるしな……爽やか君と付き合うことで元幼馴染からの呪縛から解き放たれようとしたし、噂をかき消そうと好意を利用したようなものなのだ。周りの貞操観念がティッシュペーパー並に軽く吹き飛ぶから色々と勘違いしていたけれど、恋人という関係であればキスをしたって何も悪くない。むしろ哀れに見られるのは爽やか君の方だろう。

 罪悪感に溺れそうな私がごめんと謝れば彼もごめんと謝り、更に私もごめんと謝れば彼もまたごめんと謝る。最終的には私のずる賢い気持ちも全て理解した上、本当に無理だと思うまではこの関係を続けることでまとまった。
 良い奴過ぎないか、それでいいのか爽やか君……再び罪悪感で押し潰されそうになったけれど、付き合った翌日に別れたという話が広まれば私の立ち位置がまた悪くなるかもしれないと言われて心底納得した。行動力の定評ばかりでなく、これからは計画性も身に付けなければならないな。

 そう深く反省をしていた放課後。
 暇しているとはた迷惑な勘違いをされた担任に職員室に呼び出され、私は断固拒否のポーズを取りながら首を横に振り続けていた。

「頼む」
「嫌です」
「頼むよ」
「嫌です」
「頼むって」
「嫌です」
「明日の天気は?」
「雨です」
「先生の心も?」
「…………」

 ノリよく雨ですとでも言うと思ったか!? 言わねえよ!
 
「そうだ、これ届けてやってくれないか」
「やり直されても嫌です、私以外でお願いします」
「そんな事言わずに頼むよ。ほら、名字か一番家近いだろ?」
「いや、もう彼等と私は……、」
「今までとは違って渡すだけでいいんだ。渡すだけ。簡単じゃないか、回収はしなくていいから。な?」
「だったら他の人に言えばどうですか……」
「その為に個人情報を教えるわけにもいかないだろ」
「…………」
「頼む」
「…………」
「頼むよ、他に頼れる生徒がいないんだ」
「…………あーーもう、分かりました! はい! 渡せばいいんですよね?」
「ああ! 引き受けてくれると信じてたよ!」

 ほんと図太いなこのくそ教師。
 手渡されたA4サイズの茶封筒を二封渡され、私はあからさまに溜息を吐いた。自分で届けろ。それか郵送でもすればいいだろうに、何故この時代に手渡しをさせようとしてくるのか。そんなに不良が怖いか、健気な女子生徒を盾にして得た金で食らう飯は美味いか。
 恨めしい視線を向けながら渋々封筒を鞄の中に仕舞い、一応爽やか君に『今日帰れない。ごめんね』と連絡をしておく。すぐに返信はきたけれど、内容は確認せずそのまま学校を出た。
 仕方がない。渡せばいいんでしょう、渡せば。別にそれが直接じゃなくても、とりあえず渡したという事実があればいいんでしょ、だったらポストに突っ込んでしまえばいいよね?

 一度自宅に帰って部屋着に着替えた私は面倒くさ……と内心、いや普通に口に出しながら封筒だけ手にして再び外に出る。さっさとポストに入れて帰って寝よう。ここらは住宅街なので部屋着で外に出たって特に問題はあるまい。

 我が家から徒歩五分ほどの距離にある灰谷家。

 三秒で退散しようとしていた私は、ポストの中がチラシやらなんやらで埋まっているという思わぬイレギュラーに時間を要していた。このままでは入らないのである。ちゃんと毎日ポストはチェックしろよ! ムキー! である。かといって流石の私も他人様の家の前にポイ捨てをするほど廃れてはいない。それぐらいのモラルは持ち合わせていた。
 フリーズすること約数分、そしてポストの中から不必要そうなチラシを抜いて捩じ込もうという結論に至ってからまた暫く。

 せっせとポストの中を整理し終わり息を吐いたその時「名前?」背後から懐かしい声が私の名前を呼んだ。息が止まった。

「…………っ、!?」
「お前何してんの?」

──何で、竜胆がここに。

 いや、冷静に考えれば自分の家に帰ってきただけなので竜胆には何の非もないのだが、このタイミングで遭遇するなんて誰が想像できただろう。私はどれだけ運が悪いんだ。徹底的に避けていた私のリサーチによれば、まだ溜まり場にいるか女の子と宜しくしている時間帯のはずなのに。油断してた、やばい。この場合確実に不審者で不利なのは私だ。
 我が家に帰ってから捨てようと思っていたチラシが握り締めた掌の中でグシャリと乾いた音を立てる。

「聞いてんのかよ」

 吐き捨てるような声色にハッと意識が戻ってくる。癖というのは怖い。絶交を決めたのは自分だというのに、危うく普通に返事をしてしまいそうになった。……そうだ、私は幼馴染としての縁を切ったのだから、焦る必要もまともに取り合う必要なんてない。もう、ただの他人なのだから。

 妙な音を立てる心臓を押さえながら「……先生に頼まれたので。封筒入れといたから後で確認しといて、それじゃあ」他人行儀にそう言ってそのまま通り過ぎようとした時、近頃まともに見ることのなかった顔が視界いっぱいに広がった。
 力強く掴まれた手首に顔を顰める間もなくグッと引き寄せられ、丸眼鏡越しに私を射抜く双眸が陽光に照らされ半透明に煌めく。眦の垂れた淡藤色の甘ったるい目だ。なんだか懐かしいな、なんて一瞬思ってしまうものの、そのまま玄関に向かって歩き出す竜胆にギョッと目を見開いた。

「えっ、なになに!? 離して!」
「何で? やだ」
「私の用はもう済んだの! 帰る!」
「オレはあるし」
「……ちょっ、はッ!?」
「うるせー」

 何で私は引き摺られているんだ!? パニックである、訳が分からない。ぎゃあぎゃあと喚きながら抵抗するけれど、分かっている、私が力で叶うわけが無い。必死に重心を低くしようとも、竜胆は犬の散歩をしているかのように「暴れんなって」有無を言わさず私の手を引いている。
 待って、ほんとに何で? 竜胆が何を考えているのか分からない。分からないからこそ、冷や汗が止まらなかった。

 ガチャ、と玄関の鍵を開けてからはもうあっという間だ。ふわりと鼻腔を擽るどこか懐かしい香りも、靴箱の上に置かれた良く分からない動物の小物も、昔と何一つ変わっていない。昔はよく来ていたのだ。遊びに来てはすぐに階段を駆け上がっていた。二階に蘭と竜胆の部屋があったから。そして、今この瞬間も、竜胆は迷いなく二階に足を進めている。

「マ、マジで意味分かんないって……っ、!」

 ねえ、聞いてる?
 私の声はまるで無視して、竜胆は腕を引く。バクバクと焦燥感から心臓が早鐘を打って、声が上擦った。何に焦っているのかは分からない。それでもこうやって無理やり家に連れ込まれたことなど今まで無かったからか、困惑と焦燥感で頭がいっぱいになる。

「……あっ! ちょ、靴! 靴くらい脱がせて!」

 直ぐに帰るからとスポーツサンダルで来なければ良かった。階段を昇る途中でいつの間にか両足とも脱げてしまっている。何度も言うが私はまだモラルを捨てていないため、お行儀が悪すぎるのは意に沿わない。脱げたサンダル達へさよならを告げ、ヒンヤリとした床の温度に青ざめていれば「ぎゃっ!?」自室の扉を開けた竜胆に勢いよく背中を突き飛ばされた。……普通そんな力で押すかなぁ!? 突然のことに受け身も取れず、私はドシャッと情けない音を立てながら絨毯の上に転げ落ちる。ロンTに半パンの部屋着のせいで、摩擦でスレた膝が地味に痛い。

「……いッ、!」
「お前さあ、オレらに何か言うことない?」
「っ、は、はあ? ないけど……てかまじで乱暴……」
「おい」
「……ッだからないってば。何の話?」
「あるだろ」

 そこで漸く気付く。
 竜胆の声色はどこまでも落ち着いて冷静だった。顔を上げれば、扉の前に立つ竜胆が真顔で私を見下ろしている。ぞわ、と表情筋が固くなるのを感じた。

「……な、何怒ってんの……?」

 言い知れぬ不安が腹の底から這い上がる。
 昔から竜胆と蘭の部屋は日当たりが悪いせいか、窓はあっても陽光は入ってこない。真昼間であっても照明を全灯していたくらいだ。薄暗い室内の中で、二つの白菫の瞳だけがぼんやりと月のように浮いている。それがやけに不気味で、此方へ一歩近付いてくるごとにジリジリと尻もちをつきながら後退した。けれど狭いこの部屋でそんな追い掛けっこは長く続くわけもなく、トンと背中に当たった壁で呆気なく幕を閉じることになる。
 
 あ、と壁際に追い詰められた私を、意外にも竜胆は歯を出して笑った。先程とは打って変わった雰囲気にぞわりと肌が粟立つ。

「つーか久しぶりだもんな。ポケモン観たぶり? また観る? あーでも今やってるやつ面白くねえしな」
「……は? え……あ、観ない」
「ストーリー知らないくせにボロボロ泣いてたもんな。あれさ、兄貴に話したらめっちゃ笑ってた」
「…………いや、あの」

 な、何……何なんだ、一体何がしたいんだこの男は……。
 竜胆は先程の表情も消して、ヘラりと絶えずどうでもいい話題を振ってくる。空気がコロコロと変わりすぎて訳が分からない。

 なに、本題に入る前の前座? とはいえ、無理やり連れ込んでおきながら本当にこんな雑談がしたいだけとは思えない。

 適当に相槌を打っている間に何故か一緒にゲームをする流れになっていた。いつの間に引っ張り出したのか、何種類かのゲームソフトが床に散らばっている。その中にはポケモンのイラストが描かれたものがあるのだから思わず苦笑いを浮かべた。相変わらず好きなんだね。知らないだろうけど、実は私もあの後勉強をしたおかげで表紙にいるポケモン達の名前はちゃんと言うことができるんですよ。でもポケモンって確か一人でするゲームだった気がするな、対戦ならまだしも一緒にするものではないと思うが。プレイしてるオレを見てろってことですか、そういうことですか。

 呆れながら竜胆の後ろ姿を眺めていれば、まだ何もわだかまりが無かった頃を思い出してギュッと手に力が入る。
 ……そういえば、彼等が性を奔放にするまでは。無邪気に三人でゲームをしたりしていた時までは楽しかった。私だって二人のことが大好きだった。

「…………」

 何も変わらないでいることって、何でこんなにも難しいのかなぁ。ぼんやりとそんな事を考え、深く息を吸い込む。
 不変のものなんてない。なんて分かってるよ、私が一番理解してる。
 背を丸めてカチャカチャと無機質な音を立てながらゲーム機をセットしている竜胆に、私は声を掛けた。

「ん?」振り向いた竜胆と過去の竜胆の面影が重なる。思わず怯みそうになるが、この家に長居する気など、今の私には微塵もない。

「……ゲームはしない」
「じゃあ違うやつ? それともやっぱ映画?」
「ど、どれもしないよ。帰る」
「何で?」
「……何でも」
「おい」
「もうここにも来ない」
「だから何で? 別にお互いの家行き来するくらい普通じゃね、幼馴染だし」
「……お、幼馴染じゃない」
「──は?」

 途端にワントーン低くなった声。
 周囲の温度が下がって、氷漬けされたように一瞬身体が強ばる。けれどすぐに平静を装った。

 チャンスだと思えばいい。先生に面倒事を押し付けられたことも、偶然竜胆が一人なことも、二人で話す機会が出来たことも。出来れば自然消滅みたいな形が理想だった。でもここでハッキリ言わなければ、きっとこの兄弟は分からないのだ。

 しんどいのは、早く終わらせたい。だから。

「……もう辞めよう、幼馴染」

 私がいくら否定しようが、幼少期から共に過ごした事実や過去は消えない。でもそれだって永遠じゃない。距離が変われば名前も変わる。恋人と別れるのと一緒、友達と仲違いするのと一緒、幼馴染という関係をやめてそれ以前に戻るだけ。単純な話だ。私は周囲にもう親しくないと否定した。親しくないのであればそれは幼馴染じゃない、たまたま学校が同じで家が近いだけのただの顔見知りだ。それが一番私にとって有り難い関係。幼馴染だから、という変な絡まれ方もされない。別に君たち兄弟には何の支障もないでしょ、だから、そうなろう。合意の上での絶交だ。

 私の言葉に竜胆の片眉が上がり「……何勝手なこと言ってんの、お前」一歩こちらに近付く。
 初めて聞いた低い声に後退りそいになったけれど、グッと堪えて迎え撃った。蘭はまだ帰って来ないようで、狭い部屋に響く音は私ともう一人の息遣いだけ。いつの間にか手を伸ばせば届く距離までやって来た竜胆はトン、と私の肩を押した。途端に視界は半転して、甘ったるい香水の匂いが強くなる。ベッドに上半身だけ倒れた私を見下ろす宝石みたいな瞳から視線を逸らせない。

「……っ、だってそうじゃん」震えそうな声を抑えてなるべく平常心を保ちながらそう言うと、代わりというように目の前の長い睫毛がふるりと揺れる。

「それが一番まるいんだよ」
「辞めるつって辞めれるもんなわけ?」
「だから絶交してって言ってるの。ていうかもう絶交したことになってる」
「どこで」
「……学校。不登校の君達は知らないかもだけど」
「……………お前さあ」
「もういいでしょ、全うしきったよ」

 いや、本当によく耐えたと思う。孤軍奮闘、四面楚歌。言われのない理不尽すぎる攻撃を、よくぞ潰れず受け止めた。褒め称えてほしい。
 竜胆はいつの間にかすっかり表情を消して、ただじっと此方を見つめている。蘭はあの時、私に言った。そいつらって名前に必要な奴等なわけ、と。あまりに重く鋭い言葉にすぐに頷くことは出来なかったけれど、実際あの頃私が友達だと思っていた人達は必要な存在じゃなかった。蘭は正しかったのだ。

「…………私って別にいらなくない?」

 そしてそれは、私とこの幼馴染達自身に向けた言葉だったのかもしれない。だって私が近くにいたところで二人には何の影響もない。何も変わらないよ。どうせ私ばっかりが苦しくてしんどい思いをするんだから。じゅわりと黒いインクが滲むように燻った感情が全身に広がっていく。熱を伴って心臓がゆっくりと沈んでいく。

「幼馴染じゃないならオレらって何?」

 私の痛みなんて、全く知らないくせに。どうでもいいくせに。嫌だって声を上げても無視して、私の友達を抱いてたくせに。その手で、色んな女の子に触れたくせに。解放されたいんだ、もう、しんどいのは嫌なんだ。フッと少し濡れた笑いが零れ落ちる。その時、ただでさえ薄暗い部屋が陰った。とうとう外の陽が落ちたか雲で隠れてしまったんだろう。

「…………さあ、他人なんじゃない」

 だから君がそんな顔をする理由が、全くもって分からないよ、りんどう。


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