パンフレットや書類を添えて、合格通知が来た。

 親はびっくりするぐらい喜んで豪華な食事やらプレゼントを買ってくれたけれど、当の私といえば「あ、受かったんだ」くらいの感想しか出なかった。一人暮らしをするかと聞かれて頷けば、下宿先のマンションが埋まってしまうからと仮押さえまで済ませてしまった。着々と新生活のカウントダウンが迫る中、私の心は相反するように置いてけぼりだった。

「燃え尽き症候群みたいなものじゃない?」お母さんが私の物件を見ながら口を開く。

 燃え尽き症候群……?
 何そのあしたのジョー的な症候群は……と思って一応調べてみたら、まあ見事にチェック項目が埋まっていったので、私はどうやら燃え尽き症候群とやらのようだ。万能薬はなく自分の精神力を試される恐ろしい病だった。
 もしこのまま灰になってしまったら、こっそり庭の家庭菜園もどきの土に混ざって肥料となろうと思う。灰を被ったままよりは、断然エコで地球に優しいはずである。

 とかなんかとかゴチャゴチャと思っていたら、結局私が土に還ることは無いまま卒業式を迎えた。大学に受かったという実感がなければ、高校を卒業しても実感は無いらしい。

 淡色の桜が風が吹くたびに宙で踊っている。

 小さな花束と卒業証書を持って各々が謝恩会に移動し始めている頃、私はぼんやりと一人で校門へと歩いていた。写真大会で混雑している道をミスディレクションもどきで華麗にすり抜けながら進んでいく。
 悲しいことにこの学校には驚くほど思い入れがないので、謝恩会は不参加にしておいた。部活も辞めたから仲のいい後輩もいない。本当の友達と言える友達もいない。じゃあ行く意味無くない?となったのだけど、まさかの不参加は私だけだった。ずっとぼっちだと思っていた山田君でさえ謝恩会に行くのだから、最後の最後で汚れなき孤高のぼっちの座を得たというわけだ。
 究極のぼっち、此処に極まれり。後世なので誰か表彰してほしい。

 麗らかな陽光を浴びた桜は光を縁取りながら美しく揺れている。ふんわりと目の前を漂う花弁を拾おうと手を差し出せば、下駄箱の方から焦ったような声が私の名前を呼んだ。桜は諦めてくるりと振り返ると、案の定爽やか君の姿がある。此処で呼び止めてくれなかったら色々とお礼を言い損ねてしまったかもしれない。


「…………爽やか君、」


 沢山の花束や色紙を両手に抱えた爽やか君に向き直ると、走ってきたのか彼は頬を少し上気させていた。ひらひらと曲線を描きながら、上履きに桜が乗る。

 そっか、爽やか君とも今日でお別れか。

「卒業しちゃったね、確かに早かったかも」
「あ、あのさ!」
「うん?」
「俺……最後にもう一回だけ言いたいことがあって」
「…………えっと、」
「……周りの目が良くなるまでって条件だったけど……その……俺やっぱり名字のことが、」

「ス、ストップストップ!」

 私から返される答えなんて、きっと分かってるだろうに。遮られた爽やか君は文句を言うわけでもなく、此方を見ていた。

「ごめんね、多分…………応えられないと思う」
「ちょっとも可能性ないかな」
「……………ごめんなさい」
「……そっか。分かった。こちらこそごめんな、答えてくれてサンキュ」
「い、いやいや、謝るのは私だって。爽やか君マジで物好きすぎない? ビックリする」
「そんなことないと思うけど……あ」
「あ?」
「なあ……また連絡先って新しくすんの?」
「連絡先? ……あー、いや、どうだろ……分かんないけど、もしかしたらするかもしんない 」
「卒業しても連絡ってしていい?」
「れ、連絡?」

 本当に物好きだといっそ感心してしまうが、それで満足していつか昇華されるならそれはそれでいいのかもしれない。……どうせ大学に入学さえしてしまえば、忙しくてお互いそれどころじゃなくなるだろうし。
「それくらいなら全然……、」そう頷きかけた時だった。


「──ダーメ♡」


 次の瞬間、ふわりと脚元が浮く。浮遊感と共に蒼空が広がった。力強く引かれたせいで後ろに倒れていく身体を、そのまま痛いくらいに抱き止められる。驚いた表情の爽やか君と目が合った。いつの間にか私と爽やか君の間に立っているその生徒は卒業証書も花束も何も持っておらず、人より長い髪に桜の花弁が零れている。雪のように白い肌は春の空気に溶けてしまいそうで。

 目の前の光景は、現実だろうか。

 愕然と全ての意識を奪われていた私は、「…っ、ひ!?」突然耳許で囁かれた声に大袈裟なくらいビクッと体が跳ねた。そんな私の反応が面白かったのか、クスクスと笑われる。忘れようにも忘れられない声だった。その度に熱い吐息が肌に当たってぞわぞわと電気が走ったみたいに背筋が粟立っていく。

「り、んどう……?」そう名前を呼べば背後から「ん〜? なに」と当然のように返事が返ってくる。

 ……あれ? 声が、返ってくる。返ってきている。有り得ない、どうして。私は白昼夢でも見てるんだろうか。背中触れている熱と甘ったるい華の香りにじわりとクラクラと目眩がしそうだ。
 
「それ以上はお手つき判定な。次でアウト、罰ゲーム」
「……っ、灰谷……? なんで……」
「あ? 何でもクソもねえけど」
「ま、待てよ……何で今更……」
「オレ達人気者だからさぁ、最近はちょーっと色々忙しかったんだよなぁ。後はあれ、なんつーの? モラトリアムってやつ?」
で、まあタイミング的にも時が来たからじゃじゃ馬チャンを迎えに来たってわけ。

 じゃじゃ馬チャン……? モラトリアム……何なのそれ、脳みそがパンクする。まるで現実味がない。映画を観ているような気分だ。

 竜胆は硬直する私の身体にギュッと力を込めると「オレはそんなのいらねーつったのに」と蘭の背中に向かって声を投げる。熱い体温に包まれる感覚はやっぱり本物で。ゆっくりと振り向いた菫色の瞳が淡く彩られていく。
 視線が絡み合うと、どろりと瞳の奥が溶けて花が咲いた。

「とか言いながら竜胆だって最後は乗り気だったじゃねえの」
「はぁ? うぜえ、一緒にすんな」
「汚えなぁ。ずっとそわそわしてたくせによお」
「兄貴がモタモタしてっからだろ……つーか早く帰ろうぜ」
「はいはい、相変わらずせっかちな弟くんなこった。……ま、そういうわけだから。オレ達の代役ご苦労さま、今日でお前クランクアップな」

 だから理解が追いついてないんだってば。説明してほしい。どういうこと。代役って何、何のこと──そう口に出そうとしたら目の前が暗くなった。


「……ちょっとだけお休みの時間な?」


 項に生温い吐息が当たる。それに反応する余裕は無かった。インクがじわりと滲んでいくように、視界の四隅が段々と狭まっていく。

 こんな時に限って憎たらしいほどの快晴なのだ。淡い桜なんてぼやけて見えるほど鮮烈で、それでいて蕩けるような甘い光から目が逸らせない。



 やがて針ほどの丸さえも塗り潰された時、プツン、と何か糸が切れた音がした。
 


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