オレ達には幼馴染がいる。

 母親同士が仲良しかなんだかで物心ついた時から傍にいたそいつ。幼稚園でも一緒に行動して、小学校低学年でも一緒に行動して、でもさすがに高学年になったら周りの目もあったからか学校では距離を置くようになった。どうせ学校を出たらお互いの家を我が物顔で行き来する仲だったから別に何も思わなかったけれど、オレ達が喧嘩に明け暮れるようになってからは自然と一緒にいる時間が減っていた。

 アイツは女で、オレ達は男。
 アイツは喧嘩が出来なくて、オレ達は死ぬほど喧嘩が強い。
 歳を重ねるごとに性別の違いが浮き彫りになっていく。

「……兄ちゃん、ひまー」
「おー暇ならアイス宜しく」
「それは無理」

 喧嘩をするのは楽しかった。
 明らかに歳上で身長的にも精神的にも見下してくる奴をボコって顔面をぐちゃぐちゃにして、ごめんなさいって泣きながら裸で土下座させるのはめちゃくちゃ気持ち良かった。オレ達は同じ男な上に血の繋がった兄弟だから言葉をかわさなくても意思疎通が出来るし、それを喧嘩に応用すればこの辺でオレ達に叶うやつなんか何処にもいなくて、あっという間にトップの座に立った。トップに立ってから立ったで舐めて掛かってくる奴はいるけれど、大したことは無かったから弱っちい虫けらが湧いてんなぁとしか思ってなかった。

 暴力は一番簡単な人の跪かせ方だと思う。喧嘩をする度に全身がゾワゾワして昂って、得体の知れない熱に浮かされた。この性格はどうしようもない、天性のものだった。
 でも『灰谷兄弟』というブランド名がまかり通ってからは、あんまり絡んでくるやつもいなくなって、ビビって逃げるか下僕になる奴らが増えていった。何もしてないのに灰谷御一行〜って感じで後ろにモブ共が増えていく。違う、求めてるのはそんなもんじゃない。

 発散しようのない熱を持て余してたそんな時だ。オレと兄貴は同じタイミングで精通した。仲良しすぎて気持ち悪ぃと思ったけど、先越されてても嫌だからまあいいかってなった。そんで猿みたいな性欲のガキがオナニーの気持ち良さを知ったらセックスに走るのは自然すぎる流れなわけで。腰振って精子を出せば一時的な快感が全身を包んで超スッキリしたし、燃えたぎるような喧嘩の熱とは少し違うものの、その穴を埋めるのには丁度いいなって思った。女子の中にも大人びて色気づいてくるやつはいたから、そういう事を求めてくる奴の相手をして発散して、喧嘩して発散して、そんな事を繰り返していた中学三年かそんくらいの時だ。
 
「名前ってさあ、セックスしたことある?」

 ただでさえゲームでボコボコにされて不貞腐れていた名前は、兄貴のその質問にもっと酷い顔をした。馬鹿じゃねえの、と思いながらオレはコントローラーを置いて代わりにポテチを一枚手に取る。

「名前がしたことある訳ないだろ」そう言って音を立てながらポテチを噛み砕けば、なんとなく馬鹿にされたと感じたのか名前はオレに向かってコントローラーを投げた。それをなんなくキャッチしてやると、余計にイラついたのかピクリと眉が上がっていく。

「私、好きな人としかそういう事しないし」

 この時、多分オレも兄貴も同じことを考えてたはずだ。どうせ初心な名前だから、悔しそうに顔を真っ赤にしてただ黙り込むんだろうと。なのに幼馴染のコイツは意外にも至極真っ当なことを普通に返してきたからポテチを思わず落としてしまった。驚いた。え、お前何普通のこと言ってんの…………? そんな常識的な模範解答はこの場にいる誰も求めてねえんだけど。
 眉根を寄せて、そのままチラリと兄貴を見る。相変わらず読めないヘラヘラとした顔をして名前を見ていたが、その目には確実に苛立ちが募っていた。

「なーに、お前好きな人いんの?」
「いるし」
「…………は? 誰」
「何で言わなきゃいけないの」
「誰」
「……い、一個上の先輩」

 ……いやいや、一丁前に何恥ずかしがってんの?お前この流れで好きな人いるとかふざけてんのか。知らねえ男に組み敷かれて喘ぐ名前を想像したら無意識に拳に力が入って床を殴り付けそうになる。好きな人としかしないってことはつまりそいつとヤりてえってことだろ。は?キモ。ソイツ殺していいかな。

 たった今、この部屋の空気が変わったことに気付かない奴は世界中探したってお前だけだと言ってやりたい。5度くらい温度が下がったんじゃねえかって思う。それくらいこの瞬間ってのは、オレ達にとっても大きすぎる人生の分岐点だったのだ。

 考えれば考えるほど苛立ちが業火となって胸の内が赤く染まっていく。収まらない。きっと兄貴もだ。薄紫の瞳が段々と濁っていくのを見てオレは口許が緩むのを感じた。オレ達は兄弟だからわざわざ言わなくても、大体意思疎通することが出来る。だから分かった。兄貴とオレの中に宿ったこの苛立ちは、ちょっとやそっとじゃ、野郎をボコる程度じゃ、肉便器とするセックス程度じゃ、絶対ェに消えねぇんだろうなって。

 それからは兄貴提案の世にも奇妙な遊びを始めた。初めて聞いた時は頭おかしいなって思ったけど、兄貴は元から頭がおかしいから仕方ねえなって思い直した。名前の周りの友達とやらをターゲットに引っ掛けてはヤリ捨てしていく逆ドーナツみたいな遊び。別にタイプの奴がいる訳でもないから頻度はマチマチで気分が乗らない時もあったけど、そこは思春期特有の性欲で上手いことカバーして確実に狙いを定めて喰っていく。思春期の男が性欲に抗えないのだとしたら、思春期の女はくだらない色恋沙汰に溺れるらしい。名前は馬鹿だから暫くはお友達が堕ちていくのに気付かなかった。ああ本当に馬鹿だなぁ。

「私、竜胆の下半身事情についてはもう何も言わない。言わないからさ、お願いだから私の友達に手出すのだけはやめてくれないかな」

 ある時漸く自分の置かれてる状況を知ったらしいアイツは、バカ正直にオレに会いに来て開口一番にそう言った。今にも腹を抱えて笑い出しそうだったけど、何も知らねえ振りをして、それでもちょっとは腹が立ったから押し倒すように寝技をかけてやった。オレの下で呻き声を上げてバタつく名前のTシャツがズレて首元が大きく開かれて、ごきゅりと喉が鳴ったのは今でも思い出せる。今すぐその白い肌に噛み付いてドロドロのめちゃくちゃにしてやりたい衝動に駆られた。

 けど、我慢した。

 まあでもあの時我慢しといて良かったと思う。計画が台無しになると兄貴が黙ってなかったと思うし。ネチネチうるせえし。
 そっからは適当に流してあしらって、昂りが冷めきらないからそのまま家を出て、たまたま出くわした例の先輩とやらをボコボコに絞めてやった。どんな奴かと思えばただのモブだったから心の底から死ねと思った。ただ、少し垂れた目元と色素の薄い目だけはオレ達に似てないこともなかったから、ちょっとだけ名前の罪を軽くしてやろうとは思う。

 そうして一人スッキリして家に帰ったら「楽しいことは混ぜろよ」と兄貴が案の定グチグチ言いながら背中を殴ってきたから、オレも脛を蹴り返す。

「ってぇ!」
「普段イイトコ取りしてるんだし別に良いだろ」
「はぁ? 何、そんなの気にしてたわけ?」
「どうせ名前もすぐそっち行くだろ」
「竜胆の後かよ、オレのがお兄ちゃんなのに」
「うざ」
「ひでぇなぁ」

 くつくつと笑う兄貴の中で、その計画とやらの進捗は今何パーセントくらいなんだろう。でもなんとなくそろそろだよなぁ、というのは感じ取っていて、多分兄貴もそれを分かってるからこんなに愉しそうなんだろうなって思う。さすが兄弟。あっ、こっち見てポーズ決めんなうぜえ。

「なあなあ次の抗争っていつ?」
「あー? 知らね、違うやつに聞けよ」

 チーム同士のいざこざに顔を出してそれなりに暴れて忙しい生活を送っていたけど、人を殴って痛めつけて、それだけじゃあ昇華出来なくなってきている。そろそろ? まだ? もういい? なんて思い続けて、季節が知らぬ間に変わっていく。

 もう少し。

 後ちょっと。 

 オレ達にはまるで似合わない桜がヒラヒラと舞い落ちるのをぼうっと見つめて、グリグリと踏みつけた。

 アイツを閉じ込めて誰の目にも触れさせないようにしてやりたい。運命の赤い糸じゃないなら、引きちぎって燃やしてドロドロに溶かして、もう一回紡ぎ直せばいい。それでも物足りないなら、他に結ばれる糸が現れないように周囲を消していけばいい。
 そして、オレ達は実際にそれが出来る気がするから。


「ただいま、名前」


 目の前で気を飛ばしている名前の頬を撫でる。無理矢理眠らせたからか少し呻いたその声は掠れていた。コイツが次その目蓋を開けた時、ようやくオレ達の遊びは終了する。
 だから早く起きろよ、なんて心の中で投げかけても当たり前に眉根を寄せるだけだ。

 ああそうだ、と、名前の耳に顔を近付ける。

 意識はないくせにオレの吐息はくすぐったいのか身を捩るから、ついでにペロッと耳の縁を舐めてやった。ピクと揺れた身体にコイツ本当は起きてんじゃねえのか? なんて思うけど、多分根っから感じやすい体質なだけなんだろうなって自己完結する。
 名前、と聞こえていないのを分かっていて、それでもあえて名前を呼んだ。

 今から数ヶ月越しの返事してやるんだからさぁ、心して聞けよ。



「       」


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