カタカタ。キーボードを指で叩いていく音。
 現在十一時五分。朝からずっとパソコンと睨めっこ状態だった大吾はキーボードを打つ手を止め、眉間に指を当てがった。

「会長、この間仰っていた資料、見つかりました」

 淡々とした口調で、都子は資料を差し出す。

「ああ、置いといてくれ」

 都子は変わらない声音で「はい」と返事をし、大吾を見つめたのち踵を返した。
 都子がパソコンの傍に置いた資料を手に取り、内容を確認する。
 しばらくすると、都子が戻ってきた。

「少し休まれてください。会長」

 盆に乗せた湯呑みを机に置く。

「……ああ。そうする」
「私はこれで、」
「都子、」

 失礼します。と繋がるはずだった言葉。
 しかしそれは、大吾により阻まれた。

「どうかされましたかーー」

 そう言いながら、大吾に近づく。
 すると、咄嗟に腕を掴まれた。

 そして気がつくと大吾の顔が至近距離に。
 瞬きを数回。しかしなにが起きたのか都子にはまだ分からない。

べに、変えたのか」

 すっと、指先で唇をなぞられる。
 大吾の言うとおり、確かに都子は口紅を変えた。
 以前は肌色に近い桃色の口紅を引いていた。
 だが今は人の目を引く赤。

「似合ってるじゃねえか」

 にっと大吾は笑ってみせる。
 一方都子は大吾からどこか遠慮しがちに、目線を逸らす。

「……そう、ですか」
「俺のみだては正しかったな」
「……そうですか」

 引いている口紅は、前に大吾が贈り物として都子にあげたもの。自分が普段から使っている化粧ポーチの中にははっきりとした色味の物はない。自分では選ばない色だ。
 似合うという自信があまり持てないから。

 段々と顔中に熱が集まってくるのを都子は感じていた。化粧越しとはいえ、頬が赤く染まっているのをどうしても大吾に悟られたくなくて都子は身を引こうとする。

「もう離れちまうのか?」
「……ええ。戻らないと。こちらの仕事がありますから」

 いくら夫婦だからとはいえ、都子にとってはそれはもう心臓に悪いもの。
 仕方ないな。と腕を離され都子は身を引く。
 大吾の顔を見ると、

「お前でもそんな顔、するんだな」

 と、どこか意地悪げに笑んでいた。

「……失礼、します」

 退出のあいさつを口にし、都子は会長室を音にする。

「……ふう」

 溜め息を吐くと、少しばかり早歩きで会長室から離れる。


2018/12/30