真珠の贈り物

 昔々、魈という孤児みなしごの少年がいた。少年は口数こそ少ないものの、心優しく、真面目な気質で腕も立ち、恩人の手助けもあってそれなりに上手く過ごしていた。何より少年は顔が美しかったので、大抵のことはどうとでもなった。どうとでもなったのだが、あまりにも美しかったので、時折よくないものを引き寄せてしまうことがあった。具体的にいうと妖魔や呪いといった類のよくないものである。

「せい! はっ!」

 メキッ、バキィィンッ――ドガァァァァン!!

 けれども少年はとてもとても強かったので、それらすべてを返り討ちにしていた。とてもとても強いのである。突然大岩が上から降ってきても、軽々と粉砕してしまえる。まさか大岩も立場が逆転するとは思わなんだ。山神様もびっくりである。
 そんな少年のかっくいー雄姿をたまたま見ていたものがいた。それは「んしょ、んしょ……」と小さな身体を転がすようにぱたぱた動かして少年の前にやってくる。少年に負けず劣らず、こちらも大層美しい顔をした少女であった。

「すごい、すごぉいっ。ありがとう、たすけてくれて」
「お前は……いきなり何だ?」
「わたし、しゅれん。おおきないわが、おちてきて、あぶなかったの。あなたがたすけてくれた」

 随分と舌ったらずな、独特の間のある喋り方をした少女だった。美しい顔をしていたので、余計に浮世離れした印象を受ける。白痴のようにも感じられたが、それにしては実に神秘的な娘であり、少年でなければうっかり一目惚れでもして連帯保証人を二つ返事でうんうんと引き受けてしまったかもしれない。そんな思わず身を崩してしまいそうな世にも美しい娘であった。

「おんじんさん、おなまえは?」

 その問いかけは、まるでそう問いかけることを誰かに教えられたような、この少女にしてははっきりとした音をしていた。

「……魈」
「しょー……しょう……魈……。そう、そうなの。ふふ、すてき。すてきね。おそらにかがやくおほしさまみたい。ちょうどいま、すてきなおほしさまが……あら? おほしさまが……いない……?」
「今は昼間だ。夜でなければ星は出ないぞ」
「あらまぁ……魈はものしりなのね」

 少年は少し反応に困ってしまった。世間知らずというやつなのだろうかと考えたが、それにしても箱入り娘だとか以前の話である。仮に箱ではなく金庫に入れ替えてみたとしても、こうはならないだろう。学がないというのは少々生きるのに苦労してしまう。だけども生きていれば自然と朝と昼と夜の違いくらいはわかるはずだ。その間に差し込む黄昏時だの彼は誰時だのは複雑かもしれないが、それも分からないとなると少年はちょっとかなりこの少女はまずいのではないだろうかと心配してしまう。何せ彼はとても優しいので。

「お前……」
「おまえじゃなくて、しゅれん」
「しゅれん……」
「うん、なぁに?」

 少女と話すと少年は何だか気力を削がれていくような、そんな気分になる。もしも少女が妖魔であったなら、とんでもない強敵かもしれない。けれども少女からは妖魔特有の嫌な気配も感じず、むしろ名前を呼ばれたことが嬉しいのかにこにことするばかりで、とても悪意があるようには見えなかった。

「親はどうした。一緒にいるんじゃないのか?」
「ううん。おかあさまがえいえんにねむってしまって、おとうさまがかなしくて、いっしょにねむって……おかあさまが、おにいさまにたのんで……わたし、おにいさまにいわれたとおりに、おやまをおりたのよ」

 つまりどういうことだと首を傾げる話だったが、少年はとても賢かったので、少女の話を理解した。どうやら母親が亡くなったらしい。身寄りが母親だけであったなら、この少女はとても困っただろうが、父親もいるらしかったのでよしとしたいところだが、なんとその父親は妻を失った悲しみに堪えられず、この少女を置いて妻の後を追ってしまったという。なんと無責任な話だろうか。けれどもこの少女にはまだ兄がおり、母親は父親の甲斐性のなさもとい、行動を予期していたのか、兄に遺言を残していたという。そしてその遺言通りに少女は山を下りてきた、と――いやそれ、騙されているのでは? と思った少年は、少女を憐れに思った。

「……山を下りてどうするつもりだったのだ?」
「それは……あれ? どうするのかしら……?」
「我に聞いても分からないぞ」

 少女は「うんと、うんと……」と小さい頭を捏ねまわすように両手をぐりぐりしてみたが、どれだけ思い出そうとしても出ては来なかったらしい。ぺしょぺしょした顔で「どうしたらいいの……」などと嘆いている。可哀想なほどに頭が絶望的なのだ。

「おにいさまにききたいけど……かえりかたもわからない……おやまははっぱさんがいっぱいで……きれいなちょうちょさんもいて……あ、しってる? ちょうちょさんはおはねがそれぞれちがうのよ。あおいおはねに、しろいおはね……きいろいおはねに、むらさきいろのおはねもあるの。おはなもたくさんで……あおいおはながおいしくて……でも、しろいおはなはだめなの。とてもにがいから……あまいのは、のいちごよ。あかくて、ちいさくて……とてもおいしいの。まえはね、ふゆさんがくるとたべれなくなっちゃって……かなしかったのだけど、おにいさまが、ふゆさんにもたべられるようにしてくれて……ちょっと、しゃりしゃりなのがおいしいの。ふゆさんといえば、りすさんたちが、ねむってしまって、いつもよりおやまがしずかでね。さみしいのだけど、きつねさんがもふもふで……だっこするとあたたかくて……」

 さて何の話だっただろうか。お世辞にも普通のスピードとは言えない、ゆっくりとした速度で繰り出されたマシンガントークならぬ、タネマシンガン(ウルトラスロー)が終わった頃にはもうすでに水から湯を沸かせる程度には時間が経っていた。結構な時間である。立ち話にもほどがあるだろう。それも今日というかついさっき初対面を迎えたばかりだ。距離の詰め方のなんと斬新なことだろうか。それも今がちょうど冬さん真っ盛りである。冷たい空気に晒されての立ち話。おまけにまだ話が続くような気配であった。よもやこの少女、雪女なのではないだろうか。美しい容姿に浮世離れした言動。そして山から来たというが、冬の山は厳しいのだ。こんなあっぱらぱーな娘が暮らしていける環境ではないだろう。きっとそうだ、そうやって凍死させるつもりなのか、雪女に違いないと大体の人間が思いそうな感じではあったが、「くちゅんっ」と少女が小さくくしゃみをしたことで、少年は一旦話を中止させ、火を起こしてやり、身体を温めてやることにした。くしゃみをする雪女なんて聞いたことがない。もしかしたら違うのかもしれない。

「ほかほか……」
「あまり近づきすぎてはいけない。温かいだろうが、火傷したら温かいどころでは済まなくなる」
「はぁい……」

 炎を前にしても少女は怖がるどころか、さらに近づこうとして少年は慌てて止めた。油断も隙もない。ちょっと目を離したらこの生き物は死ぬのではないだろうか。今までさぞ周りの手厚い庇護のおかげで生きてこられたのだろう。母親がとても頑張ったのかもしれない。けれどこの少女は憐れなことに厄介払いよろしく追い出されたのである。なんだかとても不憫であった。

「お前、名前はどう書く。字は分かるか?」
「うんうん、わかるよ。おかあさまがね、ずっとおしえてくれたの。たいせつなものだからって。こうかくんだよ」

 少女は少年の手を取ると、その掌の上で指先をなぞりはじめた。触れた手は冷たくはあるが、十分温かいもので、やはりこの少女は雪女ではないようだった。描かれる文字の輪郭は上等で、とてもいいところの娘であることが伺えた。美しい少女によく似合う、これまた美しい名前であった。

「珠蓮、か。いい名前をつけてもらったんだな」
「うん、そうなの。おかあさまがね、たくさんたくさん、かんがえてくれたのよ。しゅれんちゃんって、いつもよんでくれた」

 なんと愛情深い母親だろうか。この娘もずっと母親の膝に甘えて暮らせればよかったのだろうが、現実はそうはならなかった。きっと今頃、母親もあの世で最愛の娘の行く末を憂いていることだろう。どう見ても、この少女が一人で生きていけるようには見えない。可哀想なことに、この少女は今や美しさしか持っていないのだ。それでも十分な武器であるが、何事も過ぎれば毒にしかならない。バランスが大切なのだということを少年はよく理解していた。何せ少年も大層美しいので。このままでは大変なことになってしまうことが簡単に予期できてしまった。できてしまったので、少年は少し考えてからひとつ提案をした。

「珠蓮。お前がいいのなら、しばらく我のいる村に滞在しよう。これから冬は更に厳しくなる。冬を越す間だけでもいい。春になったらお前の探し物にも付き合ってやる」
「むら? わたし、魈といっしょにくらすの?」

 昔話あるあるでは、ここで「そうだ」と返答するのがお約束であり、何ならこれ幸いと嫁にするのが王道なのだが、少年はとても誠実でこの時代には珍しく少女の意志を尊重してくれる大変出来た若者であったため、そのようなことはせず、村長でもある恩人を通して、少女が安心して暮らせる相手を探そうとしていた。少年の村は村にしては大きく、親切な者も多い。流れ者を受け入れるのも珍しくはなく、少年とてそうやって迎えられたうちのひとりだった。ちょうどこの間妙齢の女性が流れ着いて、飯処として有名な一家に世話になったところだ。少女によくしてくれる家もまだあるだろうと、少年はにこりと頷いた少女を連れて、村へと戻ることにした。







 村へと少年が少女を連れて帰ると、村の人々はそれはもう驚いた。何しろ、ただでさえ美しい顔がひとつあるというのに、帰ってきたと思ったらそれがふたつに増えていたのだ。少年が説明するよりも村人がはしゃいで回るが早く、「魈が綺麗なお嫁さんを連れて帰ってきた!!」とお祭り騒ぎになってしまった。娯楽の少ない村では何かにつけて騒ぎたがるものだ。
 少年は何度も訂正を試みたが、照れていると思われたようで、何も言わなくても分かっていますよとばかりに温かい眼差しを向けられてとても居たたまれない。少女の方は子供たちに「きれい! きれい!」と引っ張りだこで、子供が珍しいのか何を言われてもうんうんと頷いていた。これが誤解に拍車をかけたのは言うまでもない。何せこのお嬢さん、「魈のお嫁さんなの?」と聞かれても「うんうん……ん? およめ……?」およめってなんだろう、と首を傾げながらもまるでよくわかっていないのにうんうんと頷いてしまう。何度目かもわからない「やっぱりそうだなんだ!」「おめでとう、魈!」と湧き上がる歓声。これでは少年がどれだけ横で訂正しようと意味のないことである。
 そしてついには村長の知るところとなり、少年が事情を説明しようとしたときにはもうすべてが遅かった。婚姻の準備が整えられていたのである。そう、この村長こそが村の誰よりも張り切ってふたりの門出を祝福している張本人であった。少年は言葉を失った。隣の少女はまたしても何も分かっていないまま、何でもかんでもうんうんと頷いている。少年が遠くなった意識を取り戻した頃には、村を挙げた酒盛りと相成り、いつの間にか少年と少女は長編大作ドラマにも劣らぬ大恋愛を経て結ばれたことになっていた。間違いなく村人たちの逞しい妄想力と何にも分かっていないbotもびっくりな延々と頷き続ける少女が原因であった。少年はもう引き返せないところに来ていることを理解した。理解したくなかったが理解するしかなかった。少年が遠い目をしていると、少女が袖を引いてきた。次は何が来るのだろう。怪しい壺でも押し売りされたのだろうか。それはさすがにうんうん頷かれるのは困ってしまうなと思い、少年は少女に「どうした?」と声をかけた。

「これね、あんにんどうふ、っていうのよ。ざいりょうをもらって、つくってみたの。とてもおいしいから、たべてみて」

 ほんのりと甘い香りのする名前通り豆腐のような料理だった。宴だと村の女達に連れていかれた際にどうやら少女が作ったらしい。意外な一面である。ぽけぽけとした様子の少女が作ったとは思えないほど、何だか繊細そうな料理だった。初めて見る未知の料理を前に戸惑う少年に対し、少女は「えい」と実に思い切りよく匙を突っ込んだ。歓声が上がる。「ひゅーひゅー!」「お熱いことで」少年は咽そうになった。

「! 美味い……」

 この世のものとは思えぬほどの美味だった。少年のクールなちょっと影を感じる切なさを宿した美しい顔が、ちょっと明るくなるほどそれは美味しかった。それを作った少女は少年に気に入ってもらえたのが嬉しいようで、にこにこと笑っている。何だか先ほどよりもずっと、少年には少女が輝いて見えた。具体的に言うとぱっちりとしたお目目が真珠みたいで綺麗だとか、ちっちゃなお口が花びらみたいだとか、紫がかった髪が神秘的で触ったらどんな感じなのだろうとか、要するに少年はうっかり胃袋を掴まれちゃって恋しちゃったってこと。恋はいつだって突然、それが冬だろうが夏だろうが関係ない。春一番の嵐がやってきたのだ。少年の青い初恋である。

「珠蓮」
「うん、なぁに?」
「我と夫婦めおとになってくれるか?」
「めおと……あ、わかったわ。おとうさまと、おかあさまみたいにすごすのね。ふふ、すてき。わたし、魈とめおとになるわ」

 はてさて、意外なことに少女は夫婦の意味を理解していたらしい。てっきりまた訳も分からずうんうんと頷かれてしまうのではないだろうかと思っていただけに、これにはびっくりである。村人たちが悪ノリするかのごとく少年の背中をぐいぐいと力強く押して少女に口づけさせた。宴席は大盛り上がり。文句なしのスタンディングオベーションである。とんでもないことをしてしまったと、いきなりすまないと謝る少年だったが、少女は口づけを気に入ったらしい。不思議がりながらもまたしてほしいとねだるので、つまり少女の方もちゃんとそういうことなのだろう。やり手の村長はこの機を逃さず音頭を取り、この新しい夫婦をさっさと手配した新居に押し込んだ。あとは若いおふたりでというやつだ。
 少年は流石に早急すぎるのではないだろうかと硬派な側面を覗かせたものの、すっかり口づけを気に入った少女にひとつ、ふたつ、みっつと重ねてねだられてしまったことで、そんなものは段々となくなってしまった。遅めの初恋の前では理性など殆ど無力なのだ。そうして冬を越し、春になっても少女は少年と仲睦まじく暮らしていた。頭はよわよわだが、少女には織物を織ったり、料理を作る才能があったらしい。おまけに涙が真珠になったりとちょっと、かなり変な体質だったが、少年の言いつけをよく守ってくれていたのでなんとかなっていた。今日も今日とて鴛鴦のように過ごしていると、それは嵐のように到来した。

「珠蓮! ここにいるのは分かっています。今すぐに私が助け出して――なっ!?」

 勢いよく扉を吹っ飛ばしながら家の中に入ってきた青年は、目の前の光景に絶句した。泣き叫びながら自分の助けを求める少女と、少女をいいように扱うろくでなしの姿を思い描いていたというのに、現実はその逆である。美しい少女に負けず劣らず美しい少年の上に跨った少女が、どう見ても少年を誘惑している場面だった。よもやろくでなしは少女の方だったのだ。何かの間違いだろうかと二度、三度と瞬きをしてみたが、何も変わらなかった。何も変わらないばかりか、少女は顔色ひとつ変えずに青年を見て一言口にした。

「あ、おにいさま」

 その言葉に少年は驚いた様子で青年を見た。その瞬間、青年は反射的に口を開いていた。

「『あ、おにいさま』じゃありません。このおバカさん!」

 ぎゃん! と吠えた青年に少女が「きゃう」と鳴き声を上げる。急いで少年の上から退いた少女は、少年を盾にするように背中に隠れた。戸惑う少年に「たすけて、魈。おこったおにいさまはとてもこわいの」などと泣き縋っている。状況がよくわからない少年だったが、明らかに怒っているお兄様を前に、とりあえず茶の用意をはじめることにした。妻に引っ付かれながら茶を入れている間、お兄様は少し落ち着いたのか吹っ飛ばした扉を直してくれていた。けれど茶の用意が終わると再び目を吊り上げてきたので、まだ怒っているようだ。少女は仔犬のように震えていた。

「お前、どうして山を下りたのです。お母様の冬眠が終わるまで山から出てはならないと言ったでしょう」

 はて、話が違うぞと少年は妻を見た。妻は「……あれ? そう、だったかな……?」なんて言って首を傾げている。そんな返事をすればどうなるか火を見るよりも明らかである。お兄様が「お前という子は……」と静かに怒気を高めているのが少年にもよく伝わった。ついでに凡その流れまで理解してしまった。
 少年の顔から青年も大体のことを把握したようだった。同情するような視線が注がれていた。

「御覧の通り私はこの子の兄でありますが、あなたはこの子とどういったご関係でしょう? 先ほどは随分と妹が無礼を働いたようで……」
「……それは気にしないでくれ。我は、縁あって妹君と番った仲だ。不義理を働いたつもりはなかったのだが……この状況を見るに、誤解があったようだ」
「番……ええ……ええ……それは、もう……なんとお詫びすればよいか……」

 軽くお通夜である。少女だけが相変わらず何もわかっておらず、この不穏な空気に落ち着かないのか、夫の気を引こうと頭をぐりぐり押し付けたりして、お兄様に小さく睨まれていた。悲鳴を上げて今度は少年の懐に潜り込むものだから、なんと学習しないことか。少年は慣れたように少女を宥めながら、状況を整理した。その迷いのない仕草に青年はなお同情した。

「これは我の勝手な推測ではあったが……ご両親は亡くなったものとばかり思っていた」
「大方永遠に眠ってしまったとでも言ったのでしょう。ただの冬眠です。母が先に眠り、その後を追って父が眠りました。父は母にぞっこんなので、母が眠ると生きる気力をなくしたとばかりに眠るんですよ。冬眠など必要ない種族ですのに」
「……母親の言付けを兄が預かったと……兄は山を下りるようにと言ったが、何をどうすれば良いかわからぬようだったので、村で引き取ることにしたのだが……」
「何とお礼を申し上げてよいか……あの子のことですから不用心に山を下りてさっそく死にかけていたことでしょう。誰が聞いても兄に追い出された憐れな娘でしかありませんでしたでしょうし、保護していただき感謝いたします」

 流石はお兄様。妹に対する解像度が高くいらっしゃる。整理するとこうだ。母親は別に死んでおらず、ただ冬眠をしただけであり、父親はそれが寂しくていじけ、特に必要のない冬眠をしたということだ。ここは大体あっているのがそこはかとなく血を感じる。この親にしてこの子ありといったところだろうか。そして母親から少女のことをよく見ておくように命じられたお兄様は、その言いつけ通り、母親の冬眠が終わるまで遠くに行ってはいけないよと言い聞かせたところ、色々混ざった少女は、逆に山を下りてしまったという。いやそうはならないだろと普通は思うが、あの少女ならそうなるかもな、と思わざるえないものがあった。何せ、綿毛のようにぽやぽやしているので。

「私も気づいてすぐに追おうとしたのですが……生憎、冬眠に入ってしまいましてね。こうして目を覚まして駆け付けたところなのですよ」
「それは……すまない。さぞ心配をかけたことだろう。ほら珠蓮、お前も謝らねば」
「う……おにいさま、ごめんなさい……」

 しょもしょもと謝る少女は随分と反省したようだった。変わらず少年の懐から離れようとはしなかったが、お兄様も鬼ではない。少女の無事がわかると、「もう慣れましたよ」と眉を下げて微笑んだ。

「お前が無事で何よりです」
「お、おにいさま……」

 ぴえ、と少女が涙を零す。ごめんなさいとお兄様に立ち上がって駆け寄ろうとする妹を、お兄様は受け止めようとした。受け止めようとして、固まった。

「待ちなさい。珠蓮、お前……まさか身籠っているのですか?」
「あ、うん。そうなの。あきにはね、もううまれるって」
「秋――?」

 にこにことした様子で「たのしみね」などと宣う妹に、お兄様の導火線がキャンプファイヤーの如く燃え盛った。お兄様は鬼ではないと言ったが訂正する。鬼である。この瞬間お兄様は紛れもなく鬼ぃ様であった。

「いくら何でも早すぎる!!」
「ぴゃあっ」

 派手に落ちた雷に少年は逃げ帰ってきた少女を抱きとめるが、火に油でしかなかった。この瞬間、鬼ぃ様は先ほどの友好&同情ムードから一転、少年を仇として認識したのだった。

「貴様、まさか最初からこのつもりで珠蓮を拐したのか。痴れ者め。叩き折ってくれる!」

 凄まじい迫力だった。ピリ突く空気。これほどの緊張感は少年も久しかった。鬼ぃ様のかつてないほどの怒りように少女はぴゃあぴゃあ泣いている。
 まさか交際〇日婚ならぬ、出会って〇日婚だとは口が裂けても言える雰囲気ではない。知らぬうちに回避したはずのろくでなしの謗りを受けるのは阻めそうになかった。

「どうしてぇ……おにいさまがうえてくれた、のいちごさん、たくさんたべちゃったからぁ……?」
「やはり犯人はお前でしたか。起きたらほとんどなくなっていて驚きましたよ。お母様のものまで食べてはいけないとあれほど――」
「だって、おかあさまがいいっていったのだものぉ……」

 ぴえぴえと泣く少女に鬼ぃ様は頭を抱える。でも今はそれよりも大事なことがあるのだ。兄として、決して看過してはならないことだ。頭はこのとおり足りないが、たったひとりの可愛い妹なのだ。その妹が傷物にされたとあって黙っているわけにはいかないだろう。
 鬼ぃ様は矛先を再び少年へと向ける。どんな言い訳も無用だと睨みつけようとして、少年が折り目正しく頭を下げているのが目に入り、僅かに目を瞠った。

「兄君の怒りはもっともだ。ご両親への断りもなく、ご息女との婚礼を挙げたばかりか、身重の体にしてしまった。罰なら如何様にも受けよう。ただ、妻にはどうか容赦していただきたい。夫婦になってほしいと望んだのは我であり、心の優しい妹君はそれを受けてくれたに過ぎないのだ」

 このとおりだと鬼ぃ様へ敬意を払うばかりか、妻を庇う姿に鬼ぃ様は暫し沈黙した。庇われた妹は驚いたように、慌てて兄に弁解する。「ちがうの、ちがうのよ、おにいさま。わたし、魈がよかったの。おとうさまと、おかあさまみたいに、魈とすごしたかったのよ。ちがうの、ちがうのよ。わかって、わかっておにいさま」なんてぽろぽろ真珠を零しながら兄の足へと縋っている。いつも怒られれば母の後ろに泣いて隠れていた妹が、である。鬼ぃ様はこれが結構衝撃であった。

「魈にひどいことをしないで。おねがい、おねがいよ」
「珠蓮……」

 少女の身体を気遣うように起こす少年の瞳が、とても優しい色をしていることに鬼ぃ様は気づいた。妹はぺしょぺしょ泣きながら少年と離れたくないと主張している。美しい夫婦愛だった。もっぱら母親の気を引こうとして鬱陶しがられている父親とのそれより、ずっと健気な愛だった。

「……顔をこちらに」

 鬼ぃ様が少年の顔を凝視する。少年は若干困惑していたものの、顔を背けることなく真っ直ぐに見つめ返す。それに満足した鬼ぃ様の吟味が終わると、納得したように頷いた。

「許しましょう。あなたの顔は妹にも劣りませんので、丁度よい釣り合いです。夫婦の仲もよろしく、わざわざ引き裂くこともないでしょう」
「おにいさま!」
「……いいのか?」
「良いも何も……過ぎたことは仕方ありません。大事なのは今ですからね」

 その過ぎたことに怒りを爆発させたのは鬼ぃ様なのであるが、少女はぽやぽや、少年は賢く礼儀を弁えていたので、誰も何も言わなかった。何はともあれ鬼ぃ様はお兄様に戻ったのでよしとしよう。

「それにしても、まさかお前まで美しいものに目がなかったとは思いませんでしたよ。お母様の宝物にも興味を示さなかったというのに。しっかり血は継いでいたようですね」
「うん……? うんうん」
「よくわかってもいないのにうんうん頷くのはやめなさいとあれほど言い聞かせたでしょう……本当にお前という子は……」

 だがこの時ばかりは頷いて正解だとお兄様は苦笑する。何を隠そう、このぽやぽやな妹を母に続いて何だかんだと可愛がっているのはお兄様なのだ。あまりに頭がよわよわで、何度見放そうかと思ったことか。それでもかまってしまうのは、この妹の顔がそれはもう美しかったからに他ならない。美しければお兄様は何でもいいのだ。びっくりするほどおばかさんでも、何もできなくても、余計なことばかりもってきても、この顔を見ればまぁ許してやるかという気になる。美しさとは最大の武器だ。その点でいえばお兄様には最初から勝ち目などなく、同時に同じくらい顔のいい男と番ったのなれば、言うことなしであった。むしろよくやった。今までろくなことをした試しのなかった妹の、最大の快挙である。少年もまた、その美しさに救われたのだ。不細工だったならお兄様は許さなかった。美しさとは残酷なまでの絶対的な正義なのだよ、ワトソンくん。

「ですが、私はともかく、お母様が何というか……きちんとお前も説明なさい」
「うんうん、おかあさまに、魈をしょうかいするわ」
「お前は身重ですからね。産んでしばらくして、一緒に山に来なさい。お母様がこちらに来るのは少々都合が悪いですから」

 この少女はすっかり山に帰る道を忘れていたので、お兄様の提案はとてもありがたかった。お兄様はころころ床に転がった真珠を拾い集めて、少年に話をした。

「とっくに御分りだとは思いますが、これも私も人間ではありません。けれど、私はともかくとして、これは邪悪なものでもありません。見たところあなたもまた、こちら側のものとお見受けいたします。母の考え次第ではありますが、共に山で暮らす道もあるとお含みおきください」

 少年は驚いた。常々自分は人とどこか違うのではないかと思ったことがあったが、まさか本当にそうであったとは。道理で軽々と巨岩を粉砕できたり、妖魔と渡り合えるわけである。けれども少年は大変に義理堅かったので、恩人への恩に報いるため、この村を守り続けるつもりであった。ただ、気がかりなのは、妻がどう思うかだ。大変に可愛がられていることが端々に伝わる娘であるので、山で暮らしたがるかもしれない。その時はまた、話し合わねばならぬなと思いながら、少年は兄君の言葉に静かに頷いた。

「それではまた、春にお迎えにきましょう。珠蓮、くれぐれも無茶をしないように。夫君の言うことをよく聞くのですよ」
「はぁい、おにいさま。またいらしてね」

 お兄様は立派な龍へと姿を変えると、そのまま天へと昇っていかれた。山に帰ったのだろう。立ち込めていた霧は徐々に晴れ、見慣れた村の景色がよく見えた。秋に子が生まれ、春には遅い義父母への対面が決まった少年は、はてさて大変なことになったと頭を悩ませたが、隣の妻は相変わらずぽやぽやした様子で、「おにいさまに、おやまのきのみ、たのめばよかったわ」などと食べ物の話をしている。どうやらヤマモモが食べたかったらしい。「やまもも……」としゅんとしているのがまた可憐で可愛らしかったので、少年はすぐに「後で我が採ってきてやろう」と慰めた。少女はとても喜んで少年にぎゅうぎゅう抱き着いてきゅうきゅう喉を鳴らしている。本当に仲が良かった。









 そんな風に暮らしていると、夏も来ないうちに再び嵐がやって来た。まだ春である。春二番がやってきたのだ。お兄様の到来から三日も経っていない頃であった。

「珠蓮ちゃーん! お母様が来たわよー!!」
「! おかあさま? おかあさま!」

 来年の春という話はどこへ行ったのか。到来したお母様は愛娘との再会を喜ぶように、ぎゅうっと抱きしめる。少女も嬉しそうににこにこしていた。少年は驚いて、問答無用で妻を山に連れ帰る気なのではないかと気が気でなかった。

「あの子から聞いたわよ。珠蓮ちゃん、結婚したんですって? お腹に赤ちゃんがいるって本当?」
「うんうん、そうなのよ、おかあさま。わたし、魈とけっこんして、おなかにあかちゃんもいるの。あきにはね、うまれるのよ」
「そう、そうなの。そうなのねぇ」

 うんうんと穏やかに相槌を打つお母様はとても優しそうだった。だがあのお兄様のお母様である。少年はやや緊張した面持ちで「お初にお目にかかります。名を魈と言います」と前に出た。お母様が上から下までじぃっと少年を見つめる。何故だかわからないが、蛇に舌先で舐められているような、そんな気がした。

「うんうん、なるほどねぇ。そう、そうなの。珠蓮ちゃんはこういう男の子が好きだったのねぇ。そうねぇ、こぉんなにかっこいいんじゃ、他の男の子なんて蛙にしか見えないわねぇ」
「かえるさん……? わたし、かえるさんより、ことりさんがすきよ」
「うんうん。珠蓮ちゃんは小鳥さんが好きだものねぇ」

 お母様は娘が何を言っても可愛いのだろう。よしよし、可愛い可愛いと少女の頭を撫でている。少女が何でもうんうんと頷くのは、もしかしなくてもこのお母様が原因のようだった。

「お土産をあげましょうね。お兄様ったら、よっぽど慌ててたのね。大事なものを忘れておっちょこちょいなんだから困っちゃうわ。ヤマモモさんも野イチゴさんもあるからねぇ」
「きゃっ、おかあさま、ありがとう!」
「うんうん、いっぱい食べてたくさん栄養つけてね」

 籠いっぱいに盛られたヤマモモと野イチゴに少女はにこにこすると、すぐに一粒とって、少年の口に押し込んだ。また見事な勢いだったが、少年はもうとっくに慣れたようで、大人しく咀嚼していた。

「どぉ? 魈、おいしい?」
「ああ、美味だ。お母上に感謝しなければな」

 これにはお母様も「あら」なんてお上品な仕草で手を口にやりながら驚いている。繊細な美しさに反して、結構かなり大雑把なところのある少女のあれを受けて、びくともしないのは今まで父親である夫しかいなかったので、思わぬ頑丈さにお母様はとても気を好くした。やだ、うちの子ったら見る目があるわ♡ といったところである。

「ねぇねぇ、ちょっと。私のことお義母さんって呼んでみてくれる?」
「!? お、お義母……様……?」
「お義母さんでいいわよぉ。うんうん、本当に綺麗な子ね。綺麗な子は好きよ。そこにいるだけで目の保養になるもの」

 どうやら少年は気に入られたらしい。やはり顔だ。顔の良さはすべてを解決してくれる。隣にいる妻はもぐもぐとゆっくりヤマモモを食していた。にこにことご満悦である。それを眺めているお母様の顔も実に幸せそうであった。

「本当にねぇ、珠蓮ちゃんは可愛いのよねぇ。性格なんて父親にそっくりなのに、不思議よねぇ。ちょっとだけ抜けているところも珠蓮ちゃんだと可愛くてたまらないのよ。女の子だからかしら? ふふ、可愛いわぁ」

 少年は少女が何故こんなにもふわぽやに育ったのか分かった気がした。ついでにお兄様の苦労も。少女のふわぽや具合はどう見てもちょっとだけ≠ネんて可愛いものではなかったが、お母様にとっては文字通り目に入れても可愛くない娘なのだ。何をしてもかわゆくてたまらないらしい。そんな大事な大事な愛娘を搔っ攫ったのがどこの馬の骨とも知らぬ男とくれば腹も立つだろうが、少年がお母様に気に入られるほど美しかったおかげで何とか収まったのだ。これがもし醜かったらと思うとどんな逆鱗に触れたことか。ひとまず村が祟られるような事態は避けられたようで、少年は密かに胸を撫で下した。「ところで、子供は何人の予定?」おっと、雲行きが怪しいぞ。

「もちろん一人じゃないわよね? 三人くらいは当然として……五人は欲しいわよね。そのうち三人は女の子が欲しいし……男の子もみたいものねぇ」
「あ、あの……」
「でも都合よく三人女の子が生まれるかわからないし、もっといてもいいじゃない? 五人と言わず十人くらいは――」

 当人たちを置いて進められる家族計画に少年は密かに頭を抱えた。少女はというと、気にした様子もなくもきゅもきゅと今度は野いちごを食べている。ようやく先程の一個目のヤマモモを食べ終わったところらしい。対してお母様のマシンガントーク(正真正銘)は止まる気配もなく、いつの間にか子供が成人した後の話にまで飛躍していた。少年が相槌を打つ暇さえなく、ただただ圧倒される横で、野いちごを食べ終わった少女がくぁ、と欠伸をして少年の膝に甘えるように丸くなって眠った。こうなった少女はもうただのかわゆい子猫ちゃんである。冷えるといけないと柔らかい織物をかけてやり、お母様の話を大人しく聞くこと早数刻。お母様がこちらに来ていることを知ったお兄様が到来した頃には、もうすっかり日は傾いていた。

「こちらにいらしたのですね、お母様……って、これは……」
「あらいらっしゃい、お兄ちゃん」

 お兄様の目に映ったのは、夫の膝ですやすや眠りこける妹と、人形遊びでもするかのように義弟にあれこれと布を宛がう母親の姿だった。家の中には母親が持ち込んだであろう織物や果実、茶器などがあちこちに散乱しており、しかも織物には明らかに一人や二人と言わない、幼子用のものが多く混じっている。瞬時に事態を悟ったお兄様が同情するような眼差しで少年を見つめた。少年のどこか虚ろな瞳に、母に思う以上に気に入られたようで、その苦労がよく伺えた。

「身内がすみませんでした……」

 少年は「いや……」と口に出したものの、何と言っていいものかと沈黙する。とても優しいのだ、今も言葉をよく探しているようで、お兄様は肩身が狭かった。とりあえず一刻も早く引き取らねばと「帰りますよ」と母親を引っ張り出すことにした。母親はまだいたいようで、何であればここに住むと言い出しかねなかったため、お兄様はやや強引にお母様を連れ出した。見送りはいいと去り際もまた、深々と頭を下げるお兄様に少年も妻を膝に乗せたまま頭を下げた。何だか本当に、嵐のようだった。

「んぅ……あれ……? おかあさまは……?」
「もう帰ったぞ。兄君が迎えに来ていた」
「おにいさまが……そう……」

 寝ぼけ眼を擦りながら、少女は辺りを見渡す。いつの間にか増えていたあれそれに首を傾げながら、ぽつりと呟く。「なにか……ふえた?」何かどころではなく、明らかに増えている。少女の反応に思わず少年がふっと笑った。

「そうだな。たくさん増えた」

 殺風景だった家が少しだけ広くなり、けれど温かみは増す一方で、子どもだって生まれる。天涯孤独だったはずの身の上は、少女との出会いで嵐のように変わってしまったのだ。
 もしかしたらこの少女もまた、妖魔であったのかもしれない。だとしたら、少女が与えた呪いの何とかわいらしいことだろうか。またしても何にも分かっていない様子でうんうん頷く少女に、少年は優しい目を向けるのだった。めでたしめでたし