酸素不足につき




午前中は息をしてる気がしなかった。
もとより話半分に聞いていた授業も右から左へ流れていく。マジカメのタイムラインを漁ってても同級生に話しかけられても、ごぽごぽと海の中で会話してるようで何も残らない。
心の中ではこう思っているけど、外面のオレはいつものオレで軽薄に思いもしない事をペラペラと話していく。だから、みんなオレが今日は心がぽっかり空いてることに気がついてない。
上手く繕えてると自負すべきなのか、みんな上辺だけのオレしか見てないと落胆すべきか。
それでも唯一、彼女以外に気付く人がいた。

「おー、本当に死んでるな。」
「トレイくん。オレはいつでも生き生きしてるけど?」
「周りは気づかなくても俺は分かるんだよ。あと、ナマエもな。今日、ナマエ風邪で休んだって聞いてケイトのこと見に来たんだが、思ったよりも重症だな。
これじゃあ午後も手に付かんだろ。ほらノートもレジュメも取っておいてやるから。」

トレイくんは昼休みに入るとオレの所までやってきて、さも全部知ってるかのように話した。
ナマエちゃんが風邪で休みなのは知ってるとして、オレがこんな風になってる事に何で気づいてるのさ。

「ん、ありがとうトレイくん」
「おう。あ、風邪薬飲ませるときは何か食べさせてからだぞ〜」

それくらいオレだって分かるよトレイくん。そんな台詞を飲み込んでオレは教室を後にした。
向かうのはナマエちゃんの部屋、ではなく購買部から。あ、大好きなプリンもついでに持っていってあげよう。




今朝、寮から出たときにオレのスマホが鳴った。
メッセージの主は愛しい愛しいナマエちゃんから。オレはウキウキで開いて見る。

"熱出ちゃった。体だるくて動けないから授業休むね。ごめん。"

正直、このメッセージを見たとき彼女の今すぐに寮室へ行こうかと思った。
だけど顔を出してたら一限目は遅刻してしまうし、クルーウェル先生の授業は休めないから結局断した。

ぼやっと今朝のことを回想しつつ購買部までやってきた。
冷却シート、レトルトのリゾット、ミネラルウォーター、風邪薬、それと彼女が大好きなプリンを買った。
そして寮へ戻るとキッチンへ行き、レトルトを温めて適当なお皿に入れて全部をトレーに乗せて彼女の部屋に向かった。



控えめにノックをしてドアを開ける。
部屋の奥にあるベッドには膨らんでいて、寝ている彼女が布団から顔だけを覗かせていた。
リゾットを乗せたトレーを適当に机に置いて枕元に寄る。熱があるせいか眉間に皺を寄せて、表情は辛そうだ。汗をかいるから前髪がおでこに張り付いていた。
オレは持ってきたタオルでそっと汗を拭いて前髪をよける。
そして顕になったおでこにさっき買った冷却シートを貼った。

「…ん。けー、くん?」
「ごめん、起こした?」

冷たさからか閉じられていた瞼が開きオレをとらえる。気怠げにオレの名前を呼んだナマエちゃんはまだ状況を理解してないようで、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「ナマエちゃん大丈夫、な訳ないか。今までずっと寝てた?」
「う、ん。朝メッセージ送ってからそのまま。それよりけーくん授業は?」
「んー、ナマエちゃんがいないからサボっちゃった。」
「…ばか」

弱々しくそういった彼女は少し嬉しそうで、言葉と矛盾してるなあなんて思った。
ベッドから起き上がろうとしたから背中に手を回して手伝う。触れた体は服越しにでも分かるくらい熱かった。

「とりあえず熱測ろっか」

こくり、と頷く彼女にベッドサイドに置いてあった体温計を渡す。
数秒して体温計の画面を見た彼女はそのままオレに渡してきた。そこには37.9の文字が表示されていた。

「朝から下がってない…」
「薬持ってきたから、とりあえず薬飲まなきゃね。その前に何か食べた方がいいと思ってリゾット持ってきたんだ。まあレトルトなんだけど…。食べれそ?」
「ん、多分」

ぼーっとオレの顔の一点を見つめる彼女から離れて机に置いたリゾットをトレーごと持ってきた。
ベッドの端に座りスプーンとお皿を持って食べさせてあげる。ふーふーと口で冷ましてから、小さく開けた口へリゾットを運ぶ。

「おいしい…」
「そっか、良かった。」

数回それを繰り返し、お腹がふくれた彼女に薬を渡した。風邪薬を飲んだら少しだけ表情が柔らかくなった。薬飲んで安心したのかな。

「薬も飲んだし、温かしないとね。おでこのシートもぬるくなったら替えてあげる。」

そう言って再びベッドに寝る彼女に肩までしっかりと布団をかけてあげる。
このままベッドに座ってる訳にも行かずベッドから腰をあげたら、ぎゅっと服が引っ張られた。弱々しく制服の裾を摘んでいる彼女は小さな声でこう言った。

「けーくん、どこ行っちゃうの?寝れないから、寝るまでここにいて、ほしい。」
「オレはどこにも行かないよ。ナマエちゃんがお望みなら一晩中でも看病してあげる。」

袖を摘んだ手を包みぎゅっと握る。その仕草、表情の全部が可愛くてベッドに膝をついたらギシッと音がなった。
そして覆い被さるような体勢になり、顔をぐいっと近づけた。

「不謹慎だけど今のナマエちゃん、いつもよりほっぺ赤いし超可愛いんだよね。ちゅー、しちゃ駄目?」
「風邪移っちゃうよ?」
「もし風邪引いたら、ナマエちゃんがお世話してよ」

そう言うと、彼女の許可は下りてないけど唇を重ねた。ちゅっと可愛らしいキスを送ったらぽんぽんと頭を撫でてあげた。
ふふふ、と嬉しそうにする彼女にオレまで嬉しくなった。

「もう、ばか」
「うん。オレは馬鹿だよ。」

ナマエちゃんは酸素だ。
ナマエちゃんがいないとオレは息すら上手くできないみたい。

だからさ、早く風邪、治してね。