知ってた?



「チェレンくんは忘れられない人っている?」

名前はクルクルとミルクティーのストローを回し、シッポウシティの街並みを眺めながらそう言った。
アコーディオンの音が緩やかに入ってくるテラス席で、僕は彼女をしばらく見つめた後コーヒーに視線を落とした。

「…いないよ」

どう返せばいいか考えていたら、随分含みを持った言い方をしてしまった。
忘れられない人なんて今は存在しないみたいな言い方じゃないか。

「そっか」
「そういう名前はどうなの?」

未だこちらに目を向けない名前に聞き返す。
名前の忘れられない人なんて大方検討はついている。去年に姿を消したイッシュの英雄、もとい僕の幼馴染のアイツだ。


僕たち3人が旅をしていたとき、たまたまベルと仲良くなったらしい名前と初めて会ったのは確かホドモエシティを抜けたあたりだった。
幼馴染のベルとは違う大人しそうな印象に初めはどう接すればいいか分からなかった。
それにあの頃の僕には名前はおろか周りを見ることよりも、強くなることの方が大事だった。

実際の名前は思ったりよりも強かだとか、アーティスティックで写真を撮るのが好きとか、名前の本質を知ったのはもっともっと後になってから。
その頃の彼女の印象なんて、しいて言うなら僕よりもトウヤの方に話しかけに行っていたような、そんなところ。

僕が彼女の忘れられない人をトウヤだと断定できる出来事が起こったのは、プラズマ団の騒ぎが終わり落ち着いた頃だった。
ある日突然トウヤは僕とベル、そして名前をカフェソーコに呼び出したかと思えば「また旅に行ってくるよ」と言った。
何処に?どれくらい?など、ベルと名前の質問にニコニコと「まだ分からない」とはぐらかして、勝手に4人分の会計を終えるとウォーグルに乗って飛び去った。
随分勝手なやつだ。そう思うと同時に隣にいた彼女の顔が寂しそうな顔をしていた。
その時に「ああ、この子はトウヤが好きだったんだ」と思った。そう確信したあと、僕の心がチクリと痛んだ。
僕は名前のことを少しだけいいな、と思っていたんだ。



「…ねえ、チェレンくん?」
「ああ、ごめん」
「聞いてた?」

少し昔のこと、と言っても1年も経ってないくらいのことを思い出していた。あれから自分の気持ちを自覚した僕は、じわじわと大きくなる恋心にどうすればいいか分からなかった。
流石に健気にトウヤを想ってる名前を口説き落とすことが出来るほどの勇気も実力も、僕は持ち合わせていなかった。

「少し考え事してた。ごめん。何だっけ?」
「結構大事な話してたのになあ」

ようやくこちらを向いた名前と目が合う。声色とは裏腹に表情は落ち込んだ様子はない。
どうしてか分からないけどザワザワと胸騒ぎがした。

「ごめ…」
「私、今度カロスに行くんだ」
「え?」

ごめん、ともう一度言おうとしたら名前は僕の言葉に被せて言った。
突然のこと過ぎて上手く言葉を噛み砕けない。少しの間ができる。
その隙に僕の分も含んだお金を置いた名前は立ち上がる。

「ちょっと待って、カロスってあのカロス地方?」
「うん、そうだよ。カロス地方。」

この時、さっき感じた胸のザワザワはトウヤの時に感じたもと同じだと気付いた。トウヤだけでなく、名前も僕の前から消えるのか。
引き止めたい、けど僕に名前を引き止めれるほどの魅力も上手い言い回しもすぐには出てこなかった。

「私の忘れられない人はね、」

リュックを背負って、腰からスワンナの入ったボールを手に取り名前は振り返った。

「……チェレンくんだよ」

さっきまで普通に話していたのに、恥ずかしそうにそう言った彼女の頬は少しだけ色づいていた。
そしてボールから出てきたスワンナを人撫ですると、美しく羽を広げた背中に名前は乗る。

「じゃあ、ね」

大きく羽ばたいたスワンナと共に名前は空に消えた。
忘れられない人が僕ってどういうことだ?名前はトウヤが好きじゃなかったのか?
聞きたいことは沢山あった。だけど何も言えず、テラス席に残された僕は冷めきったコーヒーを口に付けた。