恋愛モラトリアム



これの続き


ごそっと布擦れの音がして目を覚した。手を伸ばすと隣が空っぽになっていた。先ほどまで布団の中で互いに肌を感じながら寝ていただけに、開いた空間に入り込む空気が少し寒い。
ゆっくりと目を開けると部屋も、カーテンの隙間から見える外の景色も、まだ薄暗かった。寝ぼけ眼をこすりつつ、体を起こすとズシッと腰に痛みが走る。

(これじゃあ、しばらく無理できないわ)

部屋の真ん中に位置するソファには、つい数時間前に欲望のままに名前を抱いた金髪。その後ろ姿がとても寂しそうで抱きしめたくなった。
ベッドから出て、大理石の床に足を付けた。裸足のためぺたりと音がする。クラピカの真後ろまで来るとそっと首へ腕を伸ばし頭ごと抱きしめた。

「何してるの?寝れない?」

サラサラの髪が胸に当たってくすぐったい。今の名前はショーツしか履いておらず、バストを支えるものはなかった。そう、クラピカの後頭部にはそのたわわな胸が思いきり押し付けらた状態になっている。

「…服を着ろ」
「別に減るものじゃないでしょ?クラピカだって嫌じゃない癖に」
「そう言う問題ではない」

はあっ、と大きなため息をついて名前の緩い抱擁から抜けたクラピカはクローゼットの方へ向かった。戻って来たクラピカの手には備え付けのガウンがあった。

「着せてくれるの?」
「そのくらい自分でできないのか」
「クラピカが持ってきたんじゃない。私は別に着なくても問題ないけど?」
「全く。私は君の世話係ではない」

ぶつくさと文句を言いつつ、胸に目を向けないように優しくガウンを着せてくれた。きっちりと前のボタンも全て止めるのがおかしくて笑ってしまう。
そんな名前の顔を見て、ムッとした表情に変わったクラピカはガウンを着せるとすぐソファに座ってしまう。名前もすぐにクラピカの横に座る。

「その、…申し訳ない」

数秒の沈黙を破ったのはクラピカだった。先ほどまでの少し拗ねているような雰囲気の声ではなく、沈んでいるようなそんな声でぽつりと言った。

「それは何に対しての謝罪?」
「今日、は、あまり優しくできなかった、…と。私はどうも君関連の事になると頭に血が登って抑えきれなくなるみたいだ」

珍しい。いつもそんな謝罪なんてないクラピカが。そもそも優しい甘いセックスなんてした事があっただろうか、と考える。その答えはすぐに出たが名前はクラピカには敢えて言わないことにした。

「私がヒソカの事で煽ったこと気にしてるの?」
「ッ…、ああそうだ」

今日はとことん珍しい。会った時から私がヒソカと会っているのか確認したり。いつもは無駄話なんてせずにメモリーカードの受け渡しをすぐ済ましてベッドへ直行なのに。
目の前にいるクラピカはいつもとは少し違ったように見えた。ナーバスで、壊れそうなそんな雰囲気。それにクラピカがこんなにも素直に謝罪するなんて。私とのセックスで抑えきれなくなったことを、本当に悪いと思っていたんだろう。

「ねえ。貴方の背負ってるすごーい使命ってあるじゃない?」
「それがどうした」

クラピカはビジネスとしては信頼している。しかし、プライベートと言う程でも無いにしろ、そういう事に関してはどうも互いに踏み込めないでいた。

「達成されちゃったらどうするの?死ぬ気?」

クラピカは何も答えない。今まで使命のために手段は選ばずにやってきたクラピカの、使命達成の向こうに何があるのか。それが名前は知りたかったし、興味があった。

「クラピカから明日死んでもいい、みたいな感じがいつもするの」
「別に明日死ぬと言われても何も思わない。この感情が風化していくことの方が怖く感じる」
「んー、そういう事じゃなくて」

欲しい回答ではなかった。ただ、クラピカと未来の話をしてみたかっただけだった。名前はクラピカとは未来の話をしたことが無い。するとしてもせいぜい数カ月先の、確定した事実ぐらいだ。
彼にとっての予定の一番先の未来は使命達成であり、その先は一度も彼の口から出たことはない。クラピカにはその先の未来なんて思い描く必要なんてないのかもしれなかった。

「奴らを終わらせる事ができるのなら、私の命もその先も無くてもいい」

隣を見ると色んな感情が混ざり、今にも消えそうなくらいの儚い表情をしたクラピカがいた。自分で聞いておいて名前は後悔をした。彼に少なからず気持ちがあるから、それなりの答えを期待をしていた。しかし欲しい答えなど今の彼から出るはずもなかった。
私にはクラピカを救えない。彼の使命も背負えない。なら、せめて達成された未来に彼が存在できる場所くらいは。

(無くていいなんて、あまりにも寂しすぎるでしょう?)

名前はソファに置かれたクラピカの手にそっと自分の手を重ねた。優しく撫でて顔を覗き込む。鳶色の瞳と目が合うと敢えて明るい口調でクラピカに話しかける。

「そうだ。クラピカの使命が達成されたら、私と恋愛してみない?」
「は?それはどういう…」
「そのままの意味よ。こうみえても私クラピカのこと結構気に入ってるのよ。その先の未来が無くてもいいのなら、別にあっても問題はないでしょう?」

ゆっくりと顔を近づけ、こちらを怪訝そうに見つめるクラピカにそっと触れるだけのキスをした。

「じゃ、考えておいてね。少し冷えちゃったし、私はもう少し寝るわ」
「おい!名前!話はまだ…」

クラピカはソファから立ち上がりベッドへ戻ろうとする名前の腕を掴もうとするも、するりと避けられた。

「誰かさんのせいで、今日はもう疲れちゃったから。話なら後にしてちょうだい」

名前はヒラヒラと手をふりベッドに入る。彼女が布団を手繰り寄せて数分、静かに寝息が聞こえた。


ベッドに入った名前の耳が赤くなっていることも、
1人ソファに残されたクラピカが「いつも君には狂わされる」と頭を抱え呟いたのも、
互いに知らない。