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 確かな答えを導き出せないまま啓介は名前を迎えに来た。とにかく男と別れさせたい一心で。何故そう思うのか予想はつくが、その感情が今まで抱いてきたものと違いすぎて戸惑う心が追いつかない。
「あれ、啓介さん?何してるんですか?」
「そうか。お前、名前と学校一緒だったな」
「ええ、まあ...。苗字ならもう少しで下りてくると思いますけど...、彼氏も一緒ですよ」
「何でお前が知ってんだよ」
 訝しげに問う啓介に、レッドサンズに所属する男は不思議そうにぱちぱちと瞳を瞬かせた。
「聞いてないんですか?後夜祭のイベントで三年連続告白して、ついに報われた伝説の男ですよ。間違いなく今年の文化祭で一番盛り上がった瞬間でした。学校一美男美女の有名カップルですよ」
「...んだよ、それ...」
 可愛い顔してるからモテないはずがないことに今更気付くなんて。三年連続告白してくる奴がいるくらいなんだから、他にも告白してくる奴はいたはずだ。それなのに俺のことを好きでいつづけてくれた。その想いが向けられなくなって初めて、多くの敗れた恋の上に成り立っているものだったと知り啓介は唇を噛み締める。
「あ、噂をすれば」
 手を繋いで昇降口から出てきた二人の姿を帰宅する生徒が見つめている。笑い合う二人に向けられるのは羨望や憧憬、切なさを孕んだ瞳だ。悔しさを滲ませる者も自分では敵わないのだと、確かに二人を祝福しているのが見てとれる。しかし、啓介にそうはできなかった。
「名前」
 校門に立ちはだかる金髪に生徒達がどよめく。見るからにガラの悪い輩がマドンナの名を呼んでいるのだから、その美貌故に目をつけられてしまったのだと誰もが瞬時に思った。
 重なった彼の手の力が強くなる。それに応えるように名前も握り返し口を開いた。
「啓介...。何しに来たの」
「名前、そいつと別れろ」
「えっっ!?け、けけけけ啓介さん!!?」
 メンバーの慌てた声に続き、近くで話を聞いていた生徒たちも驚きの声を漏らす。盛大に顔を顰めた名前の抱く感情は、身勝手な発言に対する怒りでも戸惑いでもなく悲しみだった。
「いい加減にしてよ」
 震えながらも、はっきりと通る声だった。潤みはすぐに決壊して次々に頬を滑る。
 こんなにも大泣きをする名前は以前に一度しか見たことがない。その時も今と同じように傷付けたのは他の誰でもない自分だった。
 どうして俺は名前を傷付けることしか出来ないんだろうか。あの時は俺が悪かった。だけど今は自分がどう悪いのか分からない。どうして自分が拒んだことで傷付けてしまった存在が離れていくのが許せないのか。自分の心が分からない。
「どうして啓介を諦めて踏み出そうとしてるのに邪魔するの...?啓介だってうっとおしいのが消えてせいせいするでしょ?それとも嫌がらせ?そうするくらいに、わたしのことが嫌いなの?それならもう妹としてだって関わらないから...もうほっといて」
 一息で言葉を終えると、彼の手にしたタオルが頬の水気を拭き去る。礼を言い、それを受け取ったような目配せに、啓介の腹の奥底で息を潜めていた燻りが噴き出した。
「俺だって自分が分かんねえんだよ!何でお前が男といるとイライラするのか、お前にキスしたいって思うのか分かんねえ!......でも欲しいんだ。お前の全部が欲しい。誰にも渡したくねえ...!」
 女子生徒の悲鳴も唇に触れた感触も、名前にはどこか遠い。一瞬がとてつもなく長く感じられた。たっぷりと時間をかけて脳が事態を把握したあとで、名前は顔を真っ赤にしてその場にへたりこんだ。見下ろしていた啓介がしゃがみ背中と膝裏に腕を差し込む。浮遊感に自分が何をされているか知り、ついに顔を掌で覆い隠した。激しく心臓が暴れるせいで息が苦しい。込み上げてくる愉悦は現実味が無くて、夢じゃないかと思うのに触れる手の熱さが現実だと語り掛けてきた。
「ちょっと...!」
 彼の声がして名前はやっとその存在を思い出した。彼や生徒の前で何て事態に発展してしまったんだろうか。
「...お前、駅までこいつ送れんのか?俺には車があるから家まで送れる。今日は譲ってくれ」
 返事を待たずに啓介は名前を車へ運んだが、彼にはそれを反対するつもりは無かった。例え名前がこの先付き合ってくれるとしても、この男と話をしてからでないと何も終わらず、何も始まらないと分かっていたから。
 立ち尽くす生徒が多くいる校門目掛け、校舎から怒声を上げ生徒指導の体育教師が刺又片手に走ってくるのを見て、メンバーの男はやばい、と呟いた。

 残された二人がどう言い訳をして、警察へ生徒誘拐事件の通報を阻止したかなんて啓介は考えもしない。ナビシートに座る名前は相変わらず顔を覆ったままで、何と話しかけていいかも分からず車内は静まり返っていた。車が停車し名前は自宅に着いたらしいことを知る。しかし未だ赤い顔を晒すわけにはいかないし、何より抜けた腰では立ち上がることも出来なかった。
「名前」
 小さく弱々しい声だった。隣にいるのが本当に啓介なのか疑ってしまうくらいに。
「散々お前のこと傷付けたのに勝手言って悪いとは思ってる。だけどお前が誰かのものになるなんて考えたくねえ。今まで感じてきた好きとお前への好きは全然違って...。だから分かんねえんだ。でもお前が妹なんかじゃなくて、今までの女とも違う特別ってことは確かなんだ」
 いつもより冷えた啓介の手が名前の手にそっと触れる。冷たく頼りない手なのに何故だか安心した。
「嫌だったら殴ってくれ」
 少しずつ力が込められ名前の両手は下ろされた。羞恥と歓喜で震える唇に啓介は自分のものを重ねる。柔らかな温もりを堪能するように短い口付けを繰り返し、荒くなってきた名前の鼻息が顔にぶつかると、くすりと笑みを零した。
「キス、初めてなんだな。よかった」
「あんまり見ないで。恥ずかしい」
 俯こうとする顎をぐいっと指で押し上げ、啓介は湧き上がる欲を抑えきれずに唇を舐めた。
「見せろよ。真っ赤になって可愛い顔」
「あっ、や、んんっ」
 先程よりも強く長く唇を押し付けられたかと思えば、生暖かい水気が這わされる。咄嗟に身を引いてもシートに深く腰掛けることになるだけで、囲いこむように腕が置かれればついに逃げ場は無くなった。
「ん、けっすけ...ちぅ、んっ」
「名前、可愛い」
「もっ、もうやめっ」
 いつまでも解放されない唇と囁く甘い声に、名前は脳が痺れていくような感覚に襲われた。ふっと、意識が遠のき頭が揺れると啓介は慌ててその頬を撫でる。
「名前っ」
「ん、はぁっ...」
 啓介は感じ入った吐息に頬を熱くする。腹の奥底から股座へと移動する、それ以上の熱も欲も抑えることはもう出来ない。
 車から下りると助手席へとまわり再び名前を抱え上げる。車外へ出て初めて名前はそこが自宅ではなく高橋邸であることに気付いた。
「え、啓介、何で」
「うるせえ。我慢できるわけねえだろ」
「...は、?えっ、ちょっ、ちょっと待って!」
「うるせえって。落とすぞ」
「落としてよ!帰るから!」
 暴れているのは口と腕だけで下半身には力が入らない。それどころか、力を入れようとすれば何故だか疼く場所がある。初めて感じる不思議なものに声が漏れそうになり名前は口を閉じた。
「やっと大人しくなった。諦めて抱かれる気になったか?」
 楽しげに言う啓介を名前はきっと睨む。何故このデリカシーの欠片も無い奴を好きになったのか、自分のことながら理解不能だ。せめて兄の方にしなよ、と親友にも緒美にも、極めつけにママにまで繰り返し言われても、それでもやっぱり啓介以外は考えられない。
 案外片付いている啓介の部屋に入ると、名前はベッドに下ろされた。すぐに啓介が覆いかぶさってきて唇と舌、湿った吐息が首筋を這う。得体の知れない何かがぞくぞくと背中を駆け抜け強い疼きに襲われると、名前は小さな身体を跳ねさせた。
「ひぅっ...!けーすけ...!」
 啓介からの言葉は無い。代わりにそこをきつく吸い痛みが与えられる。これから自分がどうなってしまうのか考えると不安を感じたが、痛みの先に啓介の愛があるのならどうなってもかまわないと思えた。
「......ふっ、ぅ...っ、啓介、わたしの...初めて、もらってくれる...?」
 その言葉に顔を胸に寄せていた啓介は動きを止め、それからがばりと勢いよく顔を上げた。
「そ、か...処女なんだよな...」
「やっぱり嫌?ごめんね」
「嫌なわけねえ。お前が誰のものにもなってねえってことだろ。初めて痕を残すのが俺で、これから俺以外を知ることも無いんだ」
 愛しさに胸がいっぱいになるのと同時、健全な青年の身体は情欲に燃える。処女を抱くのも、ましてや女の着たセーラー服を脱がすのも初めてだった。何だかいけないことをしているような気分になってくる。事実、白く清らかな存在を汚そうとしていることには違いなかった。
「お前の綺麗な身体、俺がもらうからな」
 大きな丸い瞳を真っ直ぐに見つめて言えば、その頬は一瞬で赤く染まった。自分が零した言葉を認識した啓介も同じように赤面し、二人は慌てて顔を逸らす。しかしすぐに、そろそろと顔を戻し深い口付けを交わした。口内を蹂躙する熱く濡れた舌が気持ち悪いのに気持ちいい。脳に直接響く水音に酔ってしまいそうだ。
「はっ...ん、む、っぅ...」
 苦しそうなくぐもった声と息が啓介の唇を擽る。開いたセーラー服から露わになったくびれを覆う下着にそっと触れると、名前の腰が跳ねた。
「怖いか」
 知らず寄せていた眉間をとん、と人差し指で突かれ、名前は瞼を押し上げた。揺れた瞳を伏せると頷きを返す。啓介は慰めるように指先を滑らせ頬を包んだ。
「さっきはああ言ったけど、急すぎるもんな」
「ぁ...、や」
 身体を起こそうとする啓介の首に腕を回し名前はぎゅっとしがみついた。薄い布越しに膨らみが押し付けられて啓介は小さく唸る。
「怖いけど我慢するからやめないで。啓介に求められて嬉しいの」
 耳元で囁かれた涙声に啓介は名前を力強く抱き締める。それからベットに背中を沈めさせると、緊張を滲ませ上擦る声で言った。
「もう止めてやれないからな」
「......うん」
 確かな応えが返されると、啓介は胸元に顔を埋め深く息を吸い込んだ。這わせた手でキャミソールとブラジャーを押し上げて、柔らかな膨らみの麓をなぞる。掌に余るそれをゆっくりと揉めば艶めいた声が零された。
「名前、好きだ...。愛してる」
 妹ではなく一人の女として愛しいと、そう思えば言葉はするりと零れ落ちた。名前の全てに触れたくて、啓介は指先や掌、唇、舌で愛撫を繰り返す。擽ったさに似た全く別のものが名前を襲い、小さな悲鳴は啓介の脳を甘く蕩けさせた。震える腹にいくつも痕を残し、そしてついに秘められた花園を暴く。
「あっ...!」
 スカートの下からショーツを取り去り脚を押し開けば、一目で誰の手垢も付いていないと分かる綺麗な桜色があった。そうして啓介は今まで女を抱く衝動に愛など無かったとやっと気付く。この小さな身体の隅から隅までを余すところなく愛してやりたいと、衝動に突き動かされるまま淫らに綻んだ花弁に顔を近付けた。
 キイ、と金属の擦れる音がして名前は全身を凍り付かせる。視界の端でスローモーションのようにゆっくりと開くのは、淫靡な空気漂うこの部屋と外界とを隔てるドアだった。
「おい、啓介。名前はどうだっ...た...」
 切れ長の瞳を大きく見開いて固まる涼介としっかり視線が絡み名前は悲鳴を上げる。掴んだものをそのまま投げつければ重い音が二つ、呻く声も二つ。暫くして脚の裏で何かを蹴ったのに名前は気付くが、ベッドの下に落ちていたタオルケットを羽織るとショーツを引っ掴み部屋を飛び出した。
「ふ、ふたりともだいっきらいっっ!」
 嗚咽に震えた声が響いたあと、高橋邸は静寂に包まれた。

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