罪を喰らう4
 軽やかなドアベルの音が安室はわりと好きだった。しかし今ではその音も聞くと名前のことを、彼女を傷付けたことを思い起こす嫌なものに変わっている。今日だけで何十回と聞く音に泣きたくなりながら、安室は笑顔を貼り付けた。
「いらっしゃ...」
 ドアの前に立つ俯きがちな名前の姿に安室は言葉を失う。彼女は唇に瘡蓋をこさえ、帝丹高校の制服を着ていた。名前が後ろ手に持っていた白い封筒を差し出し安室は戸惑った。
「タクシーの、お釣りです」
「あ...、ありがとうございます」
 律儀に返しに来たことに好感が持てた。しかし上から物を言える立場では無い。
「もうすぐ閉店なので、お待ちいただけますか」
 名前はこくりと頷くと、一番奥のテーブル席へ歩いて行く。身体が痛そうな素振りの無いことに安室はほっと息を吐いた。
 あの日から三日が経つ。連絡が来るまでまだ時間が掛かると思っていたが、まさか連絡無しに釣りまで携えて来るとは思いもしなかった。
 安室は前回名前が絶賛してくれたハムサンドとチョコレートケーキ、それからコーヒーをテーブルに運ぶ。瞬きを繰り返す名前に僕からです、と短く告げるとテーブルを離れた。
 それからは客も来ず、閉店の作業も30分程で終えた。ドキドキした心臓を呼吸でいくらか落ち着かせた後、安室はカウンターから出て名前の前の椅子に手を掛ける。
「座っても大丈夫ですか?」
 名前が頷くと安室は礼を言い腰を下ろす。近くで見ると頬には僅かな赤みがまだ残っていた。
「先日は本当に申し訳ありませんでした」
 名前は何も言わず、怯えを隠し静かに安室を見つめている。準備していた言葉を言うことも忘れ、安室は先程の名前のように茶色い封筒をテーブルの上に滑らせた。眉がひそめられ、しまった、と思うも、中身を確認した名前が低い声を発するほうが早かった。
「これで手打ちにしろと?」
「いえっ...それはダメにしてしまったドレス代です...」
 安室がそう言うと名前は中から数枚抜き取り、封筒を安室へ突き返した。先程までの怯えは消え、高校生とは思えない威厳の中に混じる怒りがひしひしと伝わってくる。
「一生涯をかけて責任を取らせてください。あなたへの償いは誠意を持って果たしたい」
 安室は嘘偽りの無い気持ちだと真剣な眼差しでも訴え、それは名前にも十二分に伝わった。しかし名前が求めるのはそんなものでは無い。
「そんなのは誠意じゃありません。あなたの身勝手な責任感をわたしに押し付けているだけです」
「!」
 安室ははっとする。その通りに違いなかった。再び彼女に勝手を強いろうとしていたのだ。
「言葉の意味も分からず、勘違いで怖い思いをさせられた。わたしがあなたに求める誠意は説明です」
 厳しい言葉に安室は唇を噛み締めた。
 名前が言うことは正しい。説明が必要でそれこそが示すべき誠意だと理解出来る。しかしそれは己の身元を明かし、機密事項を伝えるということだ。職務規定に違反するのは勿論、名前が情報を洩らすことも、知ったがため名前自身が危険に陥るリスクだってある。
 苦悩する安室の姿に名前は大きなものを抱えているのだろうと、何となく分かった。
 幼い頃誕生日パーティに間に合わなかった父を責めた時の表情とよく似ていたからだ。そんなものと比べるのは良くないのかもしれないが。
 蘭や園子からは優しい人だと、コナンからも少年探偵団を助けてくれたと聞いている。きっとあの日の狂暴な悪魔こそが幻で、本物はみんなが知る安室さんなんだと思う。そんな人と結婚出来る機会を手放すのは、園子に言わせれば勿体無いのかもしれないけれど、女に生まれたからには心から愛した人と大恋愛の果てに結婚したい。
「......もうわたしが未成年ということはご存知ですよね。依頼を両親に内緒で請け負っていただけるのでしたら、もうそれでいいです」
「え」
 すっかり抜け落ちていた依頼のことを持ち出され、安室は間抜けな声を出す。そんなものとっくに破棄になったと思っていたし、第一ストーカーより酷いことをした男に依頼を継続するなんて。
 過ちを犯した俺ではなく、今目の前にいる俺を彼女は信じてくれている。それに応えたい。
 降谷は心が震えるのを確かに感じ、安室は破顔した。
「ええ、承りました。勿論ご依頼は無償で、それからポアロの飲食代も僕が持ちましょう」
 貼り付けられたものではない笑みに名前も肩の力を抜いた。
「では遠慮無く。ちなみにわたし料理の腕はからっきしで...母がいない今は毎食買ってるんですよ」
 名前が笑みを浮かべると、反対に安室の顔は引き攣った。本当に遠慮無く食うつもりだと。しかし、からからと楽しそうに笑う姿はまさに高校生で、酷い仕打ちをした自分を許しそんな表情を見せてくれるのが嬉しかった。


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