罪を喰らう5
 自宅マンションのエントランスに入ると、コンシェルジュを見る。それが最近の当たり前になっていた。名前に気付くとコンシェルジュはにこにこと笑って言う。
「またお預かりしていますよ」
 足元にあるという冷蔵庫から取り出されたのは、紙袋に見立てたデザインの保冷バッグだ。今日も中には美味しいおかずが入っているのだろう。
"来ないんですか?"
 そんなメッセージが届いたのは、安室とポアロで話した翌晩のことだ。どうやら待たせてしまっていたらしいことに気付き、脅しすぎたなと名前は苦笑する。
"気を遣わせてしまったようですみません。今日は友人とファミレスで食べました。"
"ちゃんと食事をしていたなら良かった"
 そんなやり取りをして、更に翌朝登校しようとマンションを出た名前は、スポーツカーに寄り掛かる安室に出迎えられた。
「実は昨日、てっきり名前さんが来ると思ってハムサンド作っておいたんです。なのでお昼に食べてもらおうかと。あとこれは夕飯のおかずに」
 説明しながら一つ一つ手渡されて名前は戸惑う。安室は両手で抱えることになった名前を見て笑うと、ハムサンドの紙袋を取り上げた。
「学校まで送りますよ。とりあえず夕飯は冷蔵庫に入れてきてください」
「あ...はい」
 言われるがまま名前は部屋へと引き返した。
 二回目のいってらっしゃいをコンシェルジュから受け取り白いスポーツカーを視界に収める。運転席から手招く安室に促されるまま名前は助手席に腰を下ろした。
「じゃあ、出しますよ」
「...お願いします」
 滑らかな発進に思わず、おお、と声を上げた。母の下手くそな運転とは大違いで感心してしまったが、眉根を寄せると隣の安室に視線を向けた。
「安室さん、わたしもご飯くらいは炊けます」
 冷蔵庫に入れるため、保冷バッグから取り出した黄色いタッパーには何やら文字の書かれた紙が乗っていた。
"ご飯くらいは炊けますよね?"
 料理の腕はからっきしと言ったがために添えられた文は、名前の劣等感を逆撫でしていた。
「ふふっ、それは良かった。味付けを濃い目にしたので、きっとご飯が進みますよ」
「......ありがとうこざいます」
 安室は名前の苛立ちに気付きながらも、それをひらりと躱し食欲を唆らせることを言うので、名前も口を尖らせながら素直に礼を言った。
 名前は高校の近くで車を降り、安室の手から紙袋を受け取った。
「いってらっしゃい」
「!」
 近頃コンシェルジュにしか言われていなかった言葉のむず痒さに名前は動揺した。
「......いってきます」
 頬が熱くなったのに気付き素っ気なく言うと、すぐにスカートを翻した。恥ずかしげな表情を堪能した安室は頬を緩める。高校生らしい一面を新しく知る度に喜びを感じてしまう。見送る背がふと足を止め、こちらを振り返った。
「?......!」
 安室が不思議に思っていれば、名前は手を振り再び歩き出した。不意打ちの行動に安室の頬まで熱を持ち、ハンドルに置いた腕に顔を埋め落ち着け落ち着けと繰り返す。
 ああ、ダメだ、ダメなのに。彼女の色々な表情がもっと見たい。高校生らしからぬ彼女に甘えられたい。あの柔らかな身体にまた触れたい。
 深入りは身を滅ぼすと分かってはいても、この衝動を抑えることは難しい。
 安室はずぶずぶと名前にはまっていった。
"ハムサンド、勿論美味しかったです!肉じゃがは久しぶりに食べたこともあって、もっと美味しかった!濃い目の味付けが本当に最高で、頑張ってご飯を炊いた甲斐がありました!ありがとうございます!"
 興奮がそのまま打ち込まれた文章に安室は機嫌を良くし、次の日、また次の日と、やり繰りして出来た時間で作った料理をせっせと名前のマンションに届けた。最初は不審がっていたコンシェルジュも、胃袋を掴もうとしてるんです、と伝えれば受け渡す係を快く引き受けた。
 現に今も名前が戸惑うくらいには、満面の笑みを浮かべている。
「ありがとうございます...」
「いいえ、また明日の朝に」
「はい...」
 コンシェルジュは弁当の受け渡しと併せて、タッパーと保冷バッグの返却も請け負っていた。いつも悪いからと、たまに安室から差し入れという名の報酬を受け取っている。何より、イケメンの頼みは断らない、それが彼女の心情だ。
 名前は玄関の鍵を開け誰もいない部屋に帰宅の挨拶をした。人の気配に反応したセンサーが足元に明かりをつけていく。キッチンカウンターに保冷バッグを置いて中身を確認すると、蓋をした陶器の器からチーズの香りが漏れてきた。
「グラタンだ...!」
"トースターかオーブンでお好みの焼き加減にして食べてください"
「はうぅぅ、毎日ありがとうございます!安室さん!」
 名前も容易に胃袋を捕まれ、安室の手中へとはまっていく。
 迷ったあとグラタンを冷蔵庫に入れ、名前は鼻歌交じりに浴室へと消える。
 身体に刻まれていたあの日の傷は全てが綺麗に無くなっていた。


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