罪を喰らう6
"すみません。今日は準備出来なかったので、ポアロに来てもらってもいいですか?"
 名前は何故ポアロに誘われているのかと不思議に思った数秒後、夕飯のことを言っているのだと、漸く最近の食生活がすっかりおかしなものになっていると気付いた。
「そういえば名前も最近お弁当だね」
「えっ!?」
 携帯を見ていた名前は蘭の声にはっとし、その反応に園子はニヤリと笑った。
「な〜んか隠してる。そのお弁当、誰かに作ってもらってるわね?」
 夕飯と共に明日のお弁当と追加されるようになったそれを見て、蘭もああ、と声を上げる。
「そういえば、この間は安室さんのハムサンド食べてたよね?」
「ちょっと、まさか、安室さんがお弁当作ってるの!?」
「あ、いや...」
「白状しなさいよ〜!」
 園子に肩を揺さぶられ名前は観念する。料理の腕がからっきしで毎食買い食いしている、と告げた結果夕飯とお弁当を差し入れてくれるようになったと。ついでに高校生と知られたことも。
「あんなイケメンの手料理毎日食べてるの!?ありえない、羨ましすぎる!ちょっと分けなさいよ!」
「あっ!ダメ!わたしの!」
「埃が立つからやめて!」
 暴れ出す二人を蘭が一喝して短い戦いは終える。もう知られてしまったため、それで、と名前は言葉を紡いだ。
「今日ポアロにご飯食べに行くけど、二人はどうする?」
「そうだ、お父さんもコナンくんも今日いないんだった。わたしも行こうかな」
「じゃ、わたしも〜」
 話が纏まったところで名前は二人と一緒に行く旨の返事をした。
 彩り豊かな弁当はいつも美味しくて、今日も期待に胸を膨らませ風呂敷を解く。いつかのように蓋の上には紙が乗っていた。
"頑張りました"
「?」
 いつも頑張ってくれていて感謝していますよ、と心の中で頭を下げながら蓋を開くと、飛び込んできたそれに思わず唸った。
「うわっ」
「すご〜い!」
 頭がパンのヒーローが完璧に仕上げられた弁当に園子は悲鳴を、蘭は賞賛の声を上げる。何だ何だと集まってきたクラスメイトに笑われながら、名前は膨れっ面で最高に美味しい弁当を食べ進めた。



「わたし安室さんのご飯から卒業します!」
 完全に拗ねた名前はポアロに入るなり宣言し、唐突な言葉に安室は慌てる。
「何でですか!?毎日美味しいって言ってくれたじゃないですか!あれは嘘だったんですか!?」
 別れ話をしている恋人のような台詞に、園子は何よこれ、と耳打ちし、蘭も苦笑を浮かべる。
「毎日最高に美味しいですよ。感謝もしてます。でも今日のお弁当は...、幼稚園児かって笑われたんです。恥ずかしかった」
「...そうだったんですね。キャラ弁凄いって、ただ喜んで欲しかっただけなんです。すみません」
「......嬉しかったですよ。凄いし可愛かった」
 悲しげに笑う安室に、名前は作ってもらっているのに我儘を言って子供っぽいと反省し、素直な気持ちを伝えた。ぱあっと表情を明るくする安室に、でも、と続ける。
「手が込んでるって分かるから、忙しいのにそこまでしてもらうのが申し訳なくて...。一人でちゃんとご飯食べられますから、面倒なわたしのお世話なんてしなくていいんですよ」
「僕は面倒だとか世話をしてるとか思ったことはありません。確かに忙しい日もあるけど、だからこそ名前さんの素直な喜びが記されたメッセージが嬉しい。少しでも時間が出来たら笑顔を見て癒されたい。──でも僕の我儘を押し付けちゃってるだけですよね。迷惑ならもうやめます」
「迷惑だなんてそんな...!だけど...だけど、このままじゃわたし、安室さんのご飯無しじゃ生きられなくなります...!」
 上気した顔を恥ずかしそうに俯け言う名前を安室はたっぷりと慈愛の込められた瞳で見つめた。
「そうなってください。そしていつかは、僕の作る料理ではなく、僕無しでは生きられなくなるように。 ──以前伝えた時と同じだと思わないでください。責任感ではなく、あなたの人柄に惹かれたから僕は言っているんです」
「!」「「!!?」」
 名前は放心し、蘭と園子は突然の告白に頬を赤らめる。
「返事はいつまででも待ちますよ。一生涯をかけてあなたを守る覚悟はとっくに出来ているんですから」
 大きな手に頬をするりと撫でられ名前は目を見開く。触れられたところから段々と熱が広がり、すぐに両頬と耳まで広がった。
「名前さん、あなたが好きです」
「ひぇっ...!?ぁ、あの、その、っ...!」
「耳まで真っ赤にして照れて可愛いですね。もっとそんな姿を堪能したいですが、真面目な話をしなければならないので、この辺にしておきましょう」
 安室が腰の抜けかけた名前をテーブル席へエスコートし、その後ろに蘭と園子も続く。腰掛けた三人が安室を見上げた時、先程までの柔らかな表情は跡形もなく消えていた。
「この男に見覚えは?」
 低く顰められた声と共に安室の携帯がテーブルに置かれる。写されているのは見慣れたエントランスのポストで、その前にはキャップを目深に被った男がいた。
「マンションの防犯カメラの映像です。一ヶ月前の映像だったので手に入れるのに少々時間がかかりました。申し訳ありません」
「いえ、そんな...。わたしを元気づけるだけでなく、しっかり調査もしてくださっていたんですね。ありがとうございます」
「お礼を言われるほどの成果はまだ上げられていません。手掛かりになりそうなものは、顔も分からないこの映像のみですから...」
「......見覚えはありません」
 弱々しい名前の声に安室も小さく落胆の息を吐く。
「そうですか...。ポストに例のものを入れる時、迷いがありませんでした。恐らく頻繁に家まで後をつけていたのでしょう。今はタクシーで帰っているから尾行されていないと思うかもしれませんが、待ち伏せされている可用性もあります。オートロックを解除する前に必ず人がいないことを確認してください。例え見覚えのある住民が一緒に中へ入ろうとしていても注意は怠らないこと。住民について中に入ることもあるので、誰か確認せず玄関を開けないこと。それから、勝手ながらコンシェルジュの方には話をして、この男を見たら僕に連絡していただけるようお願いしてあります」
 つらつらと止まることなく話されて名前はどうにかそれを聞く。にこにこと笑う、趣味が料理の好青年にしか思えていなかったが、聞いた通り凄腕の探偵だったのだと思わされる。
「あなたを脅かす存在は許せません。時間はかかりますが、必ず捕まえて、あなたを守ります」
 安室の大きな手が名前の手を握った。その温もりと強い意志を宿した瞳に名前の胸は高鳴る。
(あんなことがあったというのに、これじゃあまるで...)
 安室が好きだと訴える心とは裏腹に、冷静な脳はあの酷い仕打ちを忘れはしない。
「...ありがとう、ございます...」
「名前さん...?」
「ぁ...っ、何でもありません」
 薄く頬を色付けながらも、悲しげな笑みを浮かべられ安室は戸惑う。
 実生活での経験は無いが、情報を得るため仕事で甘い言葉を吐いたことは数え切れないほどにある。その女達は総じて喜色を浮かべバーボンを特別だと言った。仮面を被った安室とはいえ、降谷自身が初めてありのままの熱い想いを伝えたのに、少女は喜ぶことも、安室を特別だと言うこともない。
 いざそれが実を結ばず欲しい言葉を貰えないと、今まで思わせぶりな態度で振る舞ってきたことがいかに残酷で罪深いのか、安室は身をもって知った。


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