罪を喰らう12
 翌日学校に登校した名前は、蘭と園子にメールでも伝えていた通り、ストーカーの事件が安室のおかげで解決したと報告した。怯えていたことを知る二人は名前を気遣い詳細を聞くのは控えているようだったが、大丈夫だよ、と一言告げればどうやって我慢していたのか不思議になるほど質問をぶつけてきた。その一つ一つに答える度、二人が顔を青くするのが面白くて名前は口元を緩める。
「そんな怖い思いしたくせに何でヘラヘラしてんのよ!」
「......安室さんが守ってくれたから。それにね、これからも傍にいられるの」
 二人の表情が固まったあと、大きく瞳と口が開かれる。
「えっ、ええっ」「ま、まままさか!」
「付き合うことになりました」
 恥ずかしそうに笑う名前に蘭はおめでとうと声を掛け、園子はわたしの癒しがと落胆する。しかしあの時の安室の告白を思い出せば当然そうなるかと納得した。
「昨日一緒にいたってことでしょ?今日の弁当も見物ね」
 そんな園子の期待を降谷は裏切らなかった。今日も愛情をたっぷり詰めましたよ、と安室の口調と笑顔で渡された弁当はオムレツにハートが書かれ、白米にはくり抜かれたハート型の海苔が散らされ、その中をピンク色のふりかけが埋めている。他のおかずにハート型は無いが、同じように愛情がこめられていることに違いはなかった。
「裏切らないね」「これをしれっとやる安室さん凄いわ」
 二人に褒められながら写真を撮り、可愛いと名前は笑った。
 弁当とお菓子を食べ歯磨きまで終えると、お腹の中に消え携帯のロック画面に変わったハートを眺める。今はもうこのお弁当を恥ずかしいとは思わない。目に見えない心を表し、自分を好きだと伝えてくれているのが嬉しかった。
 画面が暗転し考えていた人物の名が表示されると、名前は驚いて携帯を落としそうになった。応答しようとして何だか緊張している自分に気付く。学校まで車で送ってもらって、別れ際にキスまでしたと言うのに。小さく息を吐きニヤつく視線を感じながら応答した。
「名前さん?」
「...はい...」
「ふふ、緊張してる」
「...ちょっとだけ」
「可愛い顔が浮かぶよ。事件のことで警察から来て欲しいと連絡があった。迎えに来てるから下りておいで。学校側には警察から電話がいっているはずだから」
「苗字」
 降谷の言葉尻と被さって担任の呼ぶ声がした。
「うん、今先生に呼ばれました。話し終わったら下りますね」
 通話を終えると教室の入口にいる担任の元へ行く。内容はやはり事件に関してで、警察が保護者を交えて話したいらしいとのことだった。
「大変なことになってたんだな。気付いてやれなくて悪い」
「そんな、先生...」
「とりあえず迎えの人が待ってるらしいから早く行きなさい。詳しい話は落ち着いてから保護者も交えてさせてもらうから」
 名前は頷くと自席へ戻り鞄を手に取る。首を傾げる二人に小さく警察に行ってくるねと告げて、声を掛けてくるクラスメイトに家庭事情で早退と手を振った。
「おかえり」
 校舎からは見えない、正門から少し離れた場所に停まる車に乗り込むと優しい声音が届く。
「......ただいま」
 頬が熱くなるのを感じながら言うと降谷は優しく笑った。少し子供扱いされているようだが、その言葉に不慣れなのは確かだから仕方ない。
「親御さんには内緒で調査を請け負う条件だったけど、警察沙汰になったからにはそうもいかなくて。心配かけたくないって言ってたのに悪いな」
「いえ、もともと我儘を言ってたのはわたしですから。それに来るのは叔母だと思うので、両親にも上手く説明してくれると思います」
 そう言った名前に降谷は安心した。頑なに親には心配させまいとしていたため、怒るのではないかと思っていたからだ。
 名前はそんな降谷の胸中も知らず、滑らかに車を走らせる年上の恋人を眺める。通った鼻筋、シャープなラインを描く顎、可愛い顔に不釣り合いな男らしい喉仏、ハンドルを握る骨張った指に、とくとくと鼓動は速まった。
「可愛い顔してる。見蕩れちゃった?」
「なっ...!」
 降谷は赤信号で車を止めると隣の名前に視線をやる。その口元が楽しそうに緩んでいて、名前はぷいっと窓へ顔を向けた。
「嬉しいんだ。拗ねないでこっち向いてくれ」
 反射する窓にうっすらと降谷の穏やかな顔が映っている。揶揄われっぱなしは悔しいが、振り返るのはもっと恥ずかしい。
「もう信号変わるから、今こっち見てくれないならキス出来ないな」
「!」
 ばっと名前が反射的に振り向くと、いたずらな降谷の顔が目の前にあった。そう認識した時には唇が重なっていて、影を落とす長い睫毛を見つめる。柔らかいものが離れると車体は再び走り出した。
「そんなにキスしたかったんだ。俺もだよ」
「っ〜〜!」
 名前はローファーを脱ぎシートの上で抱いた膝に顔を埋めてしまう。最初は微笑ましく眺めていた降谷だが、捲れ上がったスカートから腿の付け根さえも見えそうで気付かれないように溜息を吐いた。
 警視庁に着き、迎えに来た佐藤に連れられるまま二人は以前と同じ部屋に入る。暫くしてドアを開けた高木を押し退け名前に飛び付いたのはやはり叔母だった。
「本当に怪我はしてないのよね!?ああ、もう、びっくりしたあ...」
「......驚かせてごめんね...」
「謝るくらいなら先に相談しなさい」
「心配かけたくなくて...」
「まだ学生なんだから心配くらいさせてよ。兄さんたちにあなたのこと任されてるんだから、わたしのためにも頼ってちょうだい」
「...はい」
「ん、いい子」
 微笑み合う二人を見守っていた佐藤は頃合を見て口火を切った。
 まず保護者である叔母に連絡が遅くなったことを詫び、被害者と加害者双方の聴取から分かったストーカー行為の顛末を語る。叔母は頷きながら冷静に聞いているが、その表情は固く色が悪い。普通であれば恐怖が蘇り取り乱すはずなのに、名前がそうならないのはやはり降谷のおかげだ。名前は隣の降谷を見上げると僅かに笑み、そんな名前に降谷は首を傾げた。
「安室さん、本当に姪を助けていただいてありがとうございました」
 話の中で調査を依頼され男を取り押さえた探偵と紹介された安室に、叔母は深々と頭を下げた。
「いいえ、彼女を守るのは僕の役目ですから」
 ぱちぱちと瞬きを繰り返す叔母と佐藤、高木を見て、名前は隣で爽やかな笑みを浮かべる安室の腿を叩いた。その頬は朱に染まっていて嬉しさを隠しきれていない。
「あのっ、佐藤さん、続きを...!」
「えっ、あ、ああ、そうね。それで今後のことですが...」
 それから裁判など今後の大まかな日程について説明を聞き、いくつか書類に署名をすると帰宅が許された。高木に続いて叔母、名前と部屋を出るのに安室が続こうとすると、その背中を佐藤が呼び止める。
「少し、よろしいですか」
「ええ。先に下りていてください」
 安室は叔母に頭を下げるとドアを静かに閉める。先程と同じ席に座りなおすと、佐藤は机の上で手を重ね僅かに身を乗り出した。
「昨日加害者の家に行きました。名前ちゃんの登下校時や体育祭などの隠し撮りが大量にありました。自宅での写真や盗まれた私物が無かったのは幸いだと思っています。でも他に目立つものがありました」
 言い淀む佐藤に安室は顔を顰める。嫌な予感がした。
「使用済みの紙コップが20個ほど。男がアルバイトをしていたコンビニで使用しているものでした。聞くと彼女が飲み終わったあと、自分が処分するからと受け取っていたそうです。そのまま持ち帰り日常的に使用したり、......精液を入れたり...」
「......彼女にそれを渡したのが一度ではないと...?」
 立ったままの安室の顔が怒りに歪んでいる。握られた拳は震えていて、男がこの場にいれば一発殴るだけではすまないだろう。佐藤は嘆息し首を振った。
「聞いてもいない妄想は話すのに、それだけは吐きません。ニヤニヤしながら俺を裏切ったんだから苦しめばいい、と」
 穢らわしい。あの男の汚い体液が名前の中に入ったと思うと怒りで頭がおかしくなりそうだ。汚い。汚い。俺の名前が穢された。殺したい。殺してやる。殺してやる。
 醜い感情ばかりが生まれては降谷の正義の心を黒く侵していく。
「安室さん」
「っ、」
 佐藤に名を呼ばれ安室は唇を噛み締めた。悔しいのは佐藤も同じだ。
 大人になりきれていない多感な時期の少女を守れず、せめてと考えてもしてやれることが何も無い。しかし安室なら傍にいるだけで少女の傷を癒し支えてやれる。自分には出来ないことがあなたには出来るのだから落ち着きなさい。
 そう諭してくる佐藤の瞳に安室は抱いた醜い感情をぐっと腹の奥に押し込んだ。
 正面玄関前で待っていた名前は安室が来ると笑顔を浮かべた。それに安室も応えようとするが、得意の笑顔が上手く作れない。
「安室さん...?」
「何でもありませんよ」
 弱々しい声に名前が手を握ると強い力で握り返す。心配そうに見上げられ、やはり笑えないと名前の前髪を乱しその視界を奪った。
「安室さん。依頼は無償でお受けしていただいたと聞きました。せめて夕食だけでもご馳走させていただけませんか」
 叔母の提案に安室は名前の髪から手を離し首を振った。
「あいにく今日は仕事の予定が。苗字さんも名前さんとお話ししたいことがあるでしょうし、お気持ちだけで結構ですよ」
「でも、」
「でしたら、僕が名前さんを貰い受ける日に、もしお父様が反対されたら援護してください」
 思ってもみなかった安室の言葉に名前は瞬時に顔を赤くさせ、叔母は叫びそうになった口を押さえる。任せて、とグーサインを出せば安室は助かります、とだけ残し頭を下げ背を向けた。
「安室さん、かっこいいわねえ...。わたしが若かったらな...」
「若くてもダメ!わたしが安室さんと結婚するの!」
「あら、大胆」
「!」
 名前が熱い顔を掌で覆うと叔母は愉快そうに笑った。夕食はどうする、と問い掛けられ思案するが思い浮かばない。それを邪魔するのは降谷の思い悩んだような、あの悲痛な面持ちだった。



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