わたしの想いを受けて
離れゆく愛 分岐後 赤井end.

 休職後初めて登庁した名前が心配で赤井は迎えを申し出ていた。いくら知った顔とはいえ男ばかりの部署で名前が怖い思いをしていないか。一日不安で仕事が手に付かなかった赤井は早々に職場を追い出された。おかげで余裕を持って名前を迎えに行くことができ、邪魔にならないところで停車しているが待ち人はなかなか来ない。電話を掛ければすぐに降りるとだけ告げ切られる。少し声が強ばっていたように感じられ、赤井は運転席から建物を見上げた。
 暫くして助手席に乗り込んできた名前は顔を覆い泣きだした。赤井は名前の頭を撫で車のエンジンをかける。車を工藤邸へ向かって走らせていると名前がしゃくり上げながら告げた。
「今日、は、自宅に送って、ください」
「......分かった」
 赤井はウインカーを出して路線変更すると筋を曲がった。一向に泣き止む気配のない名前を今すぐ抱き締めてやりたいが、きっと今の名前は拒否するだろう。降谷と何らかの会話がなされこうなったのは明らかだ。赤井は自惚れではなく、名前が己に対して好意を抱いていることに気付いていた。同時に降谷への気持ちが変わっていないだろうことにも。そして今心が揺れ動き涙している。誰もいない家に名前を帰すのは不安だが、名前がそうしたいのであれば赤井にはどうしようもできない。落ち着いて考える時間が必要なのも確かだった。
 マンションに車を横付けすると名前は、車に乗り込んで初めて赤井へ顔を向けた。すっかり赤くなった瞳で礼を述べる。
「迎えに来てもらった上に、送らせてしまって...ありがとうございます」
「気にするな。食品の買い物は良かったのか?」
「パスタとかがあったはずなので大丈夫です」
「...それならいいが...」
 沈黙が漂う前に、と名前は車から降りた。
「赤井さん、何があったのか聞かないでくれてありがとうございます。気を付けて帰ってくださいね」
 名前は笑顔をつくると、エントランスへ駆け込んだ。事件以降数度しか帰っていないため、ポストには大量の郵便物が溢れていて、名前はそれを引っ掴むとエレベーターに飛び乗る。すぐに背中が見えなくなり、後ろに車が並ぶと赤井は車を走らせた。
 一人で帰宅した工藤邸は静かで寂しさが漂う。そんなことは今まで感じたことが無かったのに、たった一ヶ月名前がいただけで屋敷は明るくあるのが当然になっていた。
 二人で座ったソファ、並んで立ったキッチン、洗面所に置かれる名前のスキンケア用品と歯ブラシ。名前がいた形跡がそこかしこに感じられて、赤井は胸が苦しくなる。名前がこの家に立ち入ることはもう無いのかもしれない。そうして自分も日本での役目を終え本国へ帰還し、二度と会えなくなる。
 名前には降谷がいて、自分の想いが届くことは無いと知っていたから、いずれはそうなるのだと当たり前に受け止めていた。しかし二人の関係が崩れ、想いを打ち明けた今、ただでは帰りたくない。フラれるならばはっきりとフラれて、気持ちを清算しなければ収まらない。
 赤井は久しぶりに持ち出したバーボンをグラスに移そうとしてやめる。好むバーボンも今は恋敵の顔が浮かんでしまい、美味く飲むことは出来ないだろう。ボトルをもとの場所に戻すと、いつから冷やされているのか分からないビールを冷蔵庫から取り出し一気に呷った。

 名前はどうしているだろうか。そう考えたくなくて仕事を遅くまでこなし、赤井が工藤邸へと帰ってきたのは日付が変わる時分。名前が自宅に帰り丁度一週間が経過していた。白い息を吐きながら赤井が玄関へ向かうと、センサーに反応してライトが足元を照らした。
「!」
 蹲る人影に赤井が構えると、ゆっくりと顔が擡げられた。
「赤井さん遅いですよ...」
「名前...!」
 引き上げた身体はすっかり冷え切っていて、唇は紫に変わっている。
「何して...!こんな寒い中で死ぬつもりなのか!?」
「だってこんな遅いと思わないじゃないですか...」
 くしゃみをする名前を慌てて抱え、赤井は浴室へ連れて行く。
「とりあえず温まってこい」
「今お風呂入ったら全身ヒリヒリしてジーンってなるから嫌です」
「風邪を引きたいのか」
「風邪は引きたくないけど、今は赤井さんのココアが飲みたい」
 腰に緩く腕を回し見上げられ、赤井はかっと腹の奥に熱が灯る。期待に踊る胸を押さえつけ、名前の手を引くとリビングのソファに座らせ着ていた上着のコートを肩にかけた。頬に一つ口付けると、ナイトは護るべき愛しいレディの希望に応えるためココアをつくる。猫舌の彼女がすぐ飲めるようにと、熱すぎない温度のミルクをマグカップへと注いだ。
「ほら。熱いからな」
「...ありがとうございます」
 この二ヶ月程で名前にとって適切と言える飲み物の温度を、赤井はすっかり覚えてしまった。そんな特別なココアを名前はゆっくりと飲みくだす。赤井の優しさと、甘いココアとでぽかぽかと内側から名前の身体が暖かくなる。カップをローテーブルに置くと、名前は隣に座る赤井へと身体を寄せた。赤井も肩を抱くと頬を擦り合わせる。
「隣で待っておけば良かったものを」
「そしたら赤井さん先にお家に入っちゃうでしょ。だから待っておきたかったの」
「連絡をくれれば早く帰ってきた」
「それじゃ意味無いの。赤井さんを待たせたんだから、わたしも赤井さんを待たないといけなかったの」
 名前は赤井の大きな手を握ると、視線を合わせた。
「降谷さんとは別れました」
「!」
「恋人と別れたばかりの女なんて信用ならないですよね。でも赤井さんと一緒にいたいんです。...赤井さんが、好きなんです」
 赤井は名前を腕に閉じ込め、小さく震える背を撫で頬にいくつもキスを送る。
「名前、好きだ。本当に俺と一緒にいてくれるのか?降谷くんを君は忘れられるのか?」
「赤井さんが忘れさせてください。わたしを赤井さんでいっぱいにして、赤井さんしか考えられないように」
 薄い唇が名前の言葉を掠めとる。すぐ近くで合った瞳が瞬いて、名前の瞳から涙が零れ落ちる。その美しさに赤井は嘆息を名前の口へ吹き込んだ。水音が静かなリビングへ響き、ココアの甘さを宿す唾液が口内を行き交う。息が苦しいと訴え胸を叩く手を赤井は絡め取ると気にせず呼吸を奪い、くたりとしなだれ掛かってきた身体を膝の上に抱え込んだ。すっかり馴染んだこの体勢が赤井は気に入っている。触れ合った胸から名前の優しくも強い鼓動が伝わってくるのが酷く安心した。名前の息が少し整ったのを見計らい、赤井は再び唇を重ねる。
「んぅっ!?ん、っん...!」
「はっ...ん、ん」
「あ、も...苦しぃ...」
 潤んだ瞳で息を乱す姿に赤井は背筋がぞくぞくし、今すぐ組み敷きたい欲望を必死で抑え込む。恐怖を克服して日の浅い名前を再び怖がらせたくはないし、嫌われるのもごめんだ。せっかく降谷と別れ、自分を選んでくれたというのに。
 上気した頬とふっくらとし濡れた唇、とろりとした瞳を真正面から捉え赤井は舌舐めずりするに留める。
「ますます降谷くんに嫌われてしまうな」
「わたしがその分まで赤井さんを好きだからいいでしょう?」
「充分すぎるな。お前からの愛があれば他人からの愛など必要ない」
 赤井は全身の力を無くし、自分に全てを預ける名前を心から愛しく思う。ふわりと誰もが見蕩れる笑みを向けられ名前は鼓動が早まる。
「...秀一さん、愛してる...」
「っ、馬鹿、襲われたいのか」
 距離を取ろうとする赤井の胸に名前は顔を埋める。
「秀一さんなら、たぶん大丈夫。降谷さんも、男の人は皆怖かったのに、秀一さんだけは怖くなかった。だから...」
 以前誘った時は名前に当たり前ながら断られて、今度は名前からという堪らない誘いに赤井は喉を鳴らす。一瞬だけ唇を重ねると赤井は笑みを深くした。
「今日はお預けだ」
「...次はいつしたいって思うか分かんないよ?勿体無いことしたかもね?」
 名前が挑発して、重ねた唇から舌を挿し込んだ。お世辞にも上手いとは言えない舌の動きが逆に赤井を煽る。くびれを撫でる手付きが厭らしいものに変わると、名前はその手を掴んだ。
「今日はお預けだもんね?」
「...ちっ」
 盛大に顔を顰めた赤井を笑って、名前は立ち上がった。
「お風呂行くけど一緒に入る?」
「っ!...っ!?」
「...時間切れ〜」
 ぱたぱたと走り去る足音に赤井は熱くなった顔を覆う。年下に良いように掌の上で転がされているのにそれが嬉しい。いつまでもこの暖かな温もりが傍に在ることを赤井は心から祈り、脱衣場から聞こえる鼻歌に耳を澄ませた。
 玄関には役目を果たさなかった小さな花束が隠すように置かれている。白いハナミズキだけのそれは、赤井に帰れと言われた時渡そうと準備していたものだった。風呂に浸かりながらその存在をした思い出し、名前は後から渡そうと笑う。愛には愛で応えるものだと。

ハナミズキ/わたしの想いを受けて
→返礼

あとがき



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