Corona1
「手紙?誰に書いたんだ?親には今日会うから書かねえよな?」
 机に置いていた手紙を手にした時、後ろから声を掛けられヴィンセントは振り返った。そこには同室のエドガーがいて、首を傾げている。ヴィンセントは宛名の書かれた封筒を手渡した。
「......ナマエに手紙か。何でまた」
「会えなければ手紙を書く。それが愛すべき婚約者ならばなおさら。そうだろう、お義兄様?」
「はあ...今からそんな風に呼ばれたんじゃ俺はまいっちまうよ」
 ヴィンセントは返ってきた手紙に施した封蝋を指でなぞる。今日は土曜日だ。午前に授業を受けた後は邸へ帰る。その時に手紙も出そうと決めペンを執ったは昨夜の事で、書く内容は悩んだけれど一言だけ記した。
 五日間は寄宿舎に寝泊まりし寄宿学校へ通い、土曜の午前授業が終われば家へと帰り、月曜は家から寄宿学校へと向かう。平日は学業に専念、週末は只管領地を見て周り、時折女王からの命を受け遂行する。毎日が窮屈だと感じるのは仕方のないことだ。
 ナマエにはもうどれくらい会っていないだろうか。唯一ありのままの姿を受け入れてくれる人。それが友人の妹だったのは小言ばかり言われそうで面倒だけど、近付くきっかけとしては最高のものだった。
 来月にはナマエに会えるだろうか。これからは月に一度、決めた日に手紙を出そう。会えない間も俺の事を忘れないでいて欲しいから。今ナマエは何を考えているだろう。眠る前の一瞬でも俺を思い出し、会いたいと願ってくれているだろうか。
「ほら、行こうぜ」
 先に準備を済ませたエドガーがドアを開けて待っている。ヴィンセントは自宅へ持ち帰る大きなカバンの中に手紙を入れると部屋を後にした。
 寄宿学校での退屈な授業を受け─一見教師には真面目に受けているように見えている─寄宿舎へと荷物を取りに戻る。手紙がしっかりと入ってるのを確認してからヴィンセントは正面に迎えに来ていた馬車の中へ乗り込んだ。
 揺れる馬車が眠気を誘う。どうせ今夜も文書確認に追われるのだから仮眠でもとろうか。そう思案していた時、先に花屋が見えた。思い至ってヴィンセントは御者に馬車を停めるよう言う。
 ヴィンセントは馬車から降りると店に並ぶ花を眺める。主人を呼び、目当ての花を指差した。
「これを一輪貰えるかな」

「お嬢様、ヴィンセント様よりお手紙が届いております」
 家庭教師が帰り、ナマエが夕食前のティータイムを母と楽しんでいるとメイドから声が掛かる。
「ヴィンセント様から...!」
「まあ、お花まで...」
 手紙に添えられた花を見て母が感嘆の声を漏らす。
「素敵なお花ですね。ありがとう」
 メイドから手紙と一輪の花を受け取ると、赤い柔らかな花弁を撫で、香りを楽しむ。
「ハーブの香り...ちょっとスパイシーかも」
「ナマエ、その花の名前は知っている?」
「いいえ、まだ夕食まで時間があるから図鑑で調べてみます!」
 ナマエは言うなり手紙と花を手に部屋を飛び出し、リビングルームの隣にある書庫へと向かった。
「本当に元気な子...。あれにもう少し淑やかさが身につけば申し分ないのだけれど」
「お言葉ですが奥様、ナマエお嬢様は十分魅力的なレディです。ヴィンセント様も飾らないお嬢様を好きになられたのですから」
「ふふ...そうね」
 母も淑やかさが無いとは本当は思っていない。同年代と比べてみても劣るどころか秀でていると胸を張って言うことが出来る自慢の娘だ。いささか元気すぎるところが難ありと考える事もあったが、どうやら杞憂のようで夫を訪ねてくる者は口々に褒めるのだ。
「元気で構ってやりたくなる愛らしいお嬢さんだ。息子への輿入れを考えてみてくれないか」
  そう誘われる度に夫は笑って言う。
「自慢の娘を褒めてもらえて嬉しいよ。でも残念。娘には12の時から婚約者がいるんだ」
 小さかった娘がどこへ出しても恥ずかしくない秀麗なレディに育ったことが嬉しい一方で、親の手を離れていく寂しさも感じる。今のも最たる例だ。少し前ならば分からないことは自分に聞いていたはずなのに、今では字が読めるようになり一人で調べるようになってしまった。 母は寂しい、と心で涙し喉を紅茶で潤した。
 ナマエは書庫に着くと、机のテーブルに花を置き手紙だけを手にする。ファントムハイヴ家の紋の蝋を丁寧に剥がすと中から便箋を取り出した。
「綺麗な字...」
 そこにはうっとりと見蕩れてしまうような綺麗な字で、愛の言葉が記されていた。
 "Even distance cannot keep us apart."
「離れていても、心は一つ」
 彼も離れていることを寂しく思っていてくれているのだろうか。わたしだけではないのだろうか。
 もう二ヶ月近く会えていない婚約者にナマエは想いを馳せる。返事を書きたいけれど、生憎字には自信が無い。練習をしてこんな風に素敵な手紙をヴィンセントに送りたい、とナマエは思った。
 ナマエは夕食の後に字の練習をすると決め、手紙をテーブルに置くと花の図鑑を探す。いくつも立ち並ぶ棚には様々な本が収められている。先祖代々の本で、家系図から始まり童話や手芸の本など花嫁修業用のものまである。その中から草花の図鑑をいくつか抜いていく。花の名前が分からないため、全ページを見なければならないことに気付き怯むが、ヴィンセントから送られた花の名を自分で調べ上げるためだと奮起する。
 一冊目の図鑑は絵が載っている花と載っていない花があり、早々に見るのをやめた。二冊目はかなり分厚く、名前順にしっかりと絵が載っている。ペラペラとページを捲り、それらしい花を認めた。
「カーネーション?」
 花を手に取って、呼び掛けるように囁く。当然返事は無いが、途端に可愛く思えてきた。
「赤い花といえばバラのイメージだったけど...カーネーションも素敵。何よりヴィンセント様がくれたお花だもの」
 花弁に鼻を寄せると先程と同じ品のいい香りがする。何だかヴィンセントの様だ、とナマエは笑う。見目は甘やかで麗しいのに、秘められたものはちょっぴり刺激的。
「ヴィンセント様...」
 ほうっと、息を吐き出してしまう。会いたいと口には出来ない。寄宿学校へ通い週末は家の仕事をする。学校ではあまり食べられないから、と帰ってきては暴飲暴食している兄とは大違いだ。
 書庫を出て、メイドを見つけるとすぐに呼び止める。
「ヴィンセント様から頂いたの。なるべく長く持つようにしたいのだけれど...どうしたらいいのか分からなくて」
「かしこまりました。ただわたしは普通に生けることしかした事が無くて...分かる者がいないか探してみます」
「それなら普段通りに生けておいて!自分で調べてみるから!」
「ふふっ、かしこまりました」
 ナマエはメイドへ花を託すと再び書庫へと舞い戻った。
 先程見た図鑑をもう一度取り出し、花の生け方が載っていないか確認するが載っていない。他にもいくつか本を取り出しているうちに見慣れない文字を発見した。
「花言葉?」
 花の挿絵は全く無く、味気ない文字がたくさん並んでいる。言葉の海に飲み込まれそうになり、ナマエは本を閉じた。薬学の本を開いてみれば、思いのほか早くその記事は見つかった。早速試そうと腰を上げると、テーブルに置いたままの花言葉の本が瞳に入る。ナマエはもう一度腰を下ろすと本を手に取り開いた。ペラペラとページを捲っていくと、どうやら花には一つ一つ花を象徴する花言葉というものがつけられているらしい。
「花に想いを託し、恋人へ贈る風習...素敵...」
 ナマエは索引からカーネーションのページを探し出し開いた。
 ヴィンセントから受け取ったのは赤いカーネーションで、カーネーションは色によって花言葉が変わるようだ。ナマエは文字を指でなぞり、熱を持った頬を手で覆う。
「わたしも同じ気持ちです。ヴィンセント様」
 母はメイドがカーネーションを手にしているのを見つけ、声を掛けた。
「あら、その花」
「ナマエ様からお預かりしたんです。長持ちさせる方法を調べてくるからって」
「そう。何か他には言っていた?」
「いいえ。何かございましたか?」
メイドの言葉に軽く首を降ると母はカーネーションの花弁に優しく触れた。
「あなたはこの花の花言葉を知っている?」
「カーネーションのですか?お恥ずかしいですが、存じません」
「いいのよ。カーネーションはね、花の色によって花言葉が変わるの。赤いカーネーションは"あなたに逢いたくて堪らない"」
「まあ...!ヴィンセント様はお若いのにとても粋なことをされますね」
「ほんと、素敵な紳士だわ。きっと結婚したら幸せな日々を送れるはずよ、あの二人なら」
「はい、奥様」
 慎ましく微笑む二人は娘とその夫に訪れる幸せを心から願った。ただ幸せになって欲しい、そんな気持ちが悲劇を生み出すとも知らずに。


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