眠り姫0
 夕食も終わった診療所は静かだった。二人部屋に何年も一人で滞在している名前のベッドに近寄り、零は口を開いては閉じてを幾度と繰り返す。椅子に腰掛け、随分と細くなった手を握る。柔らかな熱は名前が生きていることを確かに証明していた。すっ、と零の頬を一筋の涙が伝う。自分の零した言葉に現実を突き付けられ、零は頭が痛くなった。
「景光が死んだよ」
 焼き付いた光景が蘇る。銃声、飛び散った血液、物言わぬ親友の身体、それを見下ろす憎い男の顔。
 喪われた太陽。喪われようとしている月。
 次々と襲いくる悲劇に零は翻弄されていた。
「名前、早く起きてくれよ。頼むからお前だけは俺の傍から離れないでくれ...」
 悲痛な零の言葉も眠る名前には届かない。
「名前...愛してる」
 名前が長い眠りについて四年が経ち、初めて零はキスをした。起きてくれるんじゃないか、そんな希望に縋って。しかしそんな奇跡が起こるわけもなく名前は穏やかな呼吸を続けるだけだった。
「また、来るよ」
 眠り姫の王子にはなれなかった。零は顔を歪めたままで病室を後にした。先程まで触れていた手がぴくりと小さく動いたことに気付かずに。


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