眠り姫7
 零が再び診療所を訪れたのは一月が経ってからだった。組織の仕事が立て込んでいて中々来ることが出来ず、しかも名前と連絡が取れないことが零を更に焦らせる。着信拒否をされたようで電話は繋がらず、メッセージアプリには既読さえ付かなかった。
 何度も重い溜息を吐きながら漸く辿り着いた診療所で、零はついに頭を抱える。名前は退院していて、病室に姿は無かった。聞いてなかったんですか、と怪訝そうにする看護師に愛想笑いを返し、零は再び車に乗り込んだ。
 名前の実家へと向かいベルを鳴らす。現れたのは名前の母で、零の顔を見ると苦笑した。
「散歩って10分くらい前に出て行っちゃった」
「そうですか...」
 まるで来るのが分かっていたかのようにタイミングが良すぎる。四年前もこうして見えない何かに阻まれ、病院に中々着かなかったことを思い出した。
「追いかけてみます。車は置かせてもらってもいいですか?」
「ええ。ちゃんと仲直りしてきてね」
「......すみません」
「別れ話してたっていうのはびっくりしたけど、お仕事柄仕方ないものね。お父さんが刑事ドラマ好きで見てるの。だからわたしたちはあなたの所属も、何となくそうじゃないかなって分かってる。だけどあの子は人が亡くなったり、怪我をするのが怖いから見ないの。信じて待たなきゃいけないのに、あなたのことが心配で警察を辞めて欲しいって言ってしまいそうだからって。わたしから言わせれば、二人ともお互いのためにって気持ちが強すぎるのよ」
 もどかしいと切なく笑う母に見送られ零は歩き出す。そこにいるはず、と言われた公園の入口に停る赤のマスタングに気付き、思わず顔を歪める。急ぎ足で園内に駆け込めば、名前と想像通りの人物がベンチに並んで腰掛けていた。
「沖矢昴さん。奇遇ですね、こんなところで。米花町からは離れているのに」
 近付くと名前が沖矢へ寄り掛かっていることに気付き、零は苛立ちを露にする。相変わらず掴み所のない笑みを浮かべ、沖矢は零を見上げた。
「あてもなくドライブしていたら、この女性がフラフラしているのを見つけたんです」
「それはお世話になりましたね。名前帰ろう」
「...」
「...名前」
 名前は正面に立つ零の視線から逃げるように、沖矢の背中へと顔を隠す。
「嫌がっているようですが...。お二人はどんな関係なんですか?」
「っ、それは...」
 零は躊躇った。恋人と言えば、赤井と疑い散々な態度を取ってきた沖矢に弱味を教える事になり、どんな報復が待っているか分からない。しかし名前の前ではそう言い、離れない意志を示さなければ、もう名前とはその関係に戻れない気がした。両者を天秤にかけて選んだのは後者だった。
「わたしたちの関係って何だろうね」
 零が答えを口にするより早く、名前が言葉を発した。
「起きたら四年も経ってて、みんなずっと先を進んでた。一人だけ昔に取り残された寂しさも、怖さも分かってくれて嬉しかった。でも、わたし別れ話されたんだよ。恋人なわけないじゃん」
 まるで、零の答えが分かっていて否定したような言葉だった。茫然とする零をそのままに名前は立ち上がる。それを沖矢が支え、送ります、と申し出た。名前もそれに頷き、二人は公園の出口へ足を踏み出す。離れようとする背に、堪らず零は腕を伸ばし引き寄せた。
「名前」
 泣きそうに歪んだ零の顔に名前は心がずきりと痛んだ。揺れる瞳に何も言えず、名前も零を真っ直ぐに見つめた。
「僕は車で待っていますので、話が終わったら来てください」
 沖矢はそう言うと出口へと向かった。零は名前の腕を引いてベンチへ座らせ、その前に膝を着き両手を握ると、暗い表情の名前を見上げた。言葉を探す零に名前は小さく息を吐く。
「わたしね、零に待ってろって、言われたかったんだよ」
 切なげに瞳が揺れ惑うのは名前も零も同じだった。
「零が待てって言うなら、何年だって待てた。会えなくても、10年でも20年でも。別れるなんて言って欲しくなかった」
「...名前、」
「...さよならだよ、零」
「名前!」
 いくら気持ちをぶつけたところで、名前には届かないのが分かりきっている。それでもどうにか引き止めたくて、零は口を開いた。
「景光が死んだ」
 それは成功し、名前の表情が瞬時に固まる。
「何、言ってるの...?」
「お前が事故にあってから一年後のことだ」
「...うそ...」
「もう俺にはお前しかいないんだ。俺から離れないで。一人にしないでくれ」
 引き寄せた名前の手に額を当てて零は懇願する。ぴくり、と名前の手は震えた後で、勢いよく零の手を振り払った。無くなった温もりに零は名前を見上げ愕然とする。そこには先程まで哀愁を漂わせていた名前はいなかった。
「なに、それ」
 呆れと怒りが混ざり合った表情で睨み付けられ、零は言葉を発することも身動ぐことも出来ない。ただ、名前の言葉が全身を抉っていくのだけを感じていた。
「景光くんがいなくなったから離れるなって、そう言ってるの?わたしにはそう聞こえたよ」
「っ、ぁっ...」
「確かに二人は凄く仲が良かったよね。親友と恋人の違いだって気にしたことは無かった。わたしを優先して欲しいなんて思ったこともなかったよ。でも零の一番はわたしだって思いたかった。それが思い上がりだったことがよく分かったよ」
 名前はくしゃりと顔を歪める。涙で潤んだ瞳が瞬いて、涙が零れ落ちた。
「わたしは、景光くんの代わりじゃない」
 名前はベンチから腰を上げると沖矢の車まで走った。覚束無い足取りで、何度も転びそうになりながら。助手席に乗り込むと車はすぐに動き出す。沖矢が差し出してくれたタオルを強く顔に押し付けても、盛れ出る嗚咽は車内に響いた。
 沖矢は暫く車を走らせ喫茶店を見つけると、邪魔にならないところに車を停める。そうして名前が落ち着くのを待ってから声を掛けた。
「甘いものでもどうですか?嫌な事を忘れるには、女性はやっぱり甘いものでしょう?」
「...ありがとうございます」
 沖矢はにこりと笑い、運転席を出ると助手席の扉を開け、名前が降りるのに手を貸した。
「車を停めてくるので、先に入って注文していてください」
 沖矢はぽんぽん、と軽く名前の頭を叩くと、車に乗り角を曲がって行く。名前は叩かれた頭に手をやった後で、言われた通り喫茶店に入った。木目調の店内に落ち着いたジャズが流れている。人の良い笑みを浮かべた店主に促され席へと腰を下ろした。他に客は居らず、店主もやるべき業務があるのか、視線を向けられることも無く居心地がいい。名前がメニューを眺めると、パフェにパンケーキにプリンにと全てがきらきらと光って名前を誘う。フードメニューを見れば写真だけでカレーの香りを感じられた。
「迷ってるんですか?」
「わあっ」
 夢中になっている間に、正面に座っていたらしい沖矢に声を掛けられ名前は驚いた。
 退院して初めて、約四年ぶりになる外食で食べたいものがありすぎて決まらないのだ。それを伝えれば沖矢は、なら、と言葉を続けた。
「実は今日の夕食はカレーなんです。大きなお肉も入れて圧力鍋で煮込んだので、きっと凄く美味しいです。食べに来られませんか?」
「えっ、いいんですか」
「もちろん。たくさん作りすぎてしまいましたから」
「彼女さんとかは...」
「いないので気にしないでください。あなたこそ、彼は大丈夫ですか?」
「あ...、はい。もう、いいんです。今は不思議なくらい落ち着いています。まだ現実味が無いからかもしれませんが。家に帰ったら頭の中を整理してみます。その前にぜひ、美味しいカレー食べさせてください」
「感想聞かせてくださいね。次に生かしたいので。では甘いものは程々に」
「はい!」
 名前は再びスイーツメニューを見る。今度はあっさりと決まり、店主に声を掛けた。
「チョコレートパフェをお願いします。えっと...沖矢さん、はどうされますか?」
「コーヒーを。名前さん、飲み物は?」
「あ...じゃあ、わたしもコーヒーを」
 店主は注文を繰り返し、にこりと笑むとカウンターに引っ込む。名前は沖矢を見て苦笑した。
「名乗るのが遅くなってしまって...苗字名前です。沖矢昴さん...でよろしいですか?」
「ええ。沖矢昴。東都大学院生です」
 零が一度だけ口にした名前を言うと当っていたようで、名前はほっと息を吐く。先に運ばれてきたコーヒーを口にして、名前は沖矢を見つめた。
「先程はありがとうございました。それと、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」
「いえ。それよりも僕は、彼のそういう一面を見て安心したくらいですよ」
「零の、ですか?お知り合いなんですね」
「まあ色々ありましてね。彼は良い意味でも、悪い意味でも真っ直ぐ過ぎる。仕事一辺倒かと思っていたらこんなに素敵な恋人がいて、何だか感慨深く思ってしまいました」
「...はあ...」
 楽しそうに笑う沖矢に首を傾げるが、運ばれたパフェを見て名前はすぐに意識をそちらに移した。
「パフェだ...」
「ふふ、幸せそうな顔ですね」
「だって幸せですもん。感覚的には数ヶ月ですけど肉体的には四年ぶりですから!」
 名前はスプーンでチョコレートソースのかかったホイップとアイスを掬い口に運んだ。途端に蕩けた表情を浮かべるものだから、沖矢はいつもの貼り付けた笑みではなく素で笑ってしまった。
「美味しいですか?」
「はい!」
「それは良かった」
 ぺろりとパフェを平らげた名前は沖矢に何度も頭を下げてから車に乗った。陽が落ちた車内は薄暗く、ポケットの中で光る携帯の通知ライトに名前は初めて気付く。
「あ...母から連絡が。電話してもいいですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
 名前は母に折り返しの電話をする。数秒も経たずに大きな声がして耳から携帯を離した。
「あんた今どこにいるの!?」
「えっと、公園の近くのカフェに...」
「降谷くん帰っちゃったわよ!」
「うん、いいの。今日ご飯外で食べてくるから」
「いいのって、お母さんはよくない!」
「えぇ...とりあえず遅くなるからね」
「あ、こらっ」
 母の言葉を最後まで聞かずに名前は電話を切った。視線を向けた運転席の沖矢も何か言いたげにしている。
「沖矢さん、わたしが今会うべきはカレーです」
「...そうですね」
 沖矢は零を憐れに思いながら工藤邸へと車を走らせる。もしかすると、あの白いスポーツカーが停まっているのでは、とも考えたがそれは無かった。
「わぁっ...!」
 邸を見上げ圧倒されている名前を沖矢は中へ迎え入れた。何度も感嘆の声を上げ、ぱたぱたと走る姿に頬を緩ませる。
「こちらですよ」
「は〜い」
 ダイニングキッチンの椅子に名前を座らせ、沖矢は鍋を火にかけた。漂う香りに名前は胸を踊らせ、脚をぷらぷらと動かす。
「待ちきれなさそうですね。お手伝いをお願いしても?」
「はい!」
「冷蔵庫にサラダが準備してあるので、お好きなドレッシングと取り皿を運んでください」
「は〜い!あ、このドレッシング好き!四年経っても変わらないなんて、ロングセラーですよねえ」
 からからと笑う名前に、沖矢は常に張り詰めていた心がいとも簡単に緩み、暖かな気持ちが広がっていることに気付く。
「あの降谷零が、君を繋ぎ止めようとする理由が分かった気がするよ」
「え?」
「いえ、何でもありません」
「そうですか?あ、カレー焦げちゃいますよ!」
「おっと危ない。最後に失敗してしまうのが僕の悪い所でして」
「最後は気が抜けちゃうことありますよね」
 名前はご飯までよそった皿を沖矢に差し出す。
「おや、随分手際がいいんですね」
「勝手にすみません。でも早く食べたくて」
 二人は微笑み合い、ルーをもう少し、と強請る名前に沖矢も仕方ないですね、と冗談めかして言う。ダイニングテーブルに並んで座ると沖矢に促され、名前はスプーンでカレーを掬った。
「いいにおい、久しぶり、カレー、美味しそう」
「早く食べてください。焦らされてるみたいで...」
「ちょっとは感動に浸らせてくださいよ。いただきます、沖矢さん」
「どうぞ召し上がれ」
 カレーを口に入れた瞬間、名前は瞳をかっと開いて沖矢を見た。咀嚼を繰り返すにつれて笑顔が増していく。
「美味しい!」
「それは良かったです。では僕も」
 褒めてもらえたことにほっとして、沖矢もスプーンを進める。カレーは普段何の肉を入れるか、今日はどれくらい煮込んだのか、そんな会話をしながら二人はあっという間に食事を終えた。二人分の食器をシンクに置くと、沖矢は冷蔵庫から箱を取り出す。中には彩り豊かなフルーツタルトと幾重にも層を成すティラミスがあった。
「頂き物ですが良かったら」
「そんな...パフェもご馳走になったのに」
「生憎甘い物はそこまで得意ではなくて、二つも食べられないと頭を悩ませていたところなんです。僕を助けると思って食べていただけませんか?」
「そういうことなら喜んで!」
 やったね、と顔に大きく書かれている名前を笑い、沖矢はナイフを手にする。
「お好きな方を、と思ったのですが、どちらか選べないでしょう?半分に切り分けますね」
「お見通しでしたか...」
 肩を竦めて見せた名前の瞳が一瞬悲しそうに揺れて、昴は笑みを消した。
「今、彼のことを?」
「あ...はは。零にもわたしの考えてることは、いつもバレてたなあって。...隠し事なんか出来なくて、でも中々言い出せない時はありがたかった...」
「...彼は推理が得意ですからね」
 切り分けたケーキを半分ずつ皿に乗せ、沖矢はフォークと一緒に差し出す。
「ありがとうございます。推理って程ではないですよ。零は単純なわたしのことなら何でも知ってた、昔は」
「今は違うんですね」
「はい。今はお互いの事なんかちっとも理解出来てない」
「苗字さんは、まだ理解したいと思っているんですか」
「......分かりません。どうしたいのか、どうしたらいいのか。分からないんです」
「僕に話してみませんか。苗字さんの想いを。それで整理してみて、彼と一緒にいたいと思ったなら会いに行けばいい。きっと今からでも遅くないはずですよ」
 先程までの笑顔とは打って変わって暗い表情の名前の口に、沖矢がフォークに乗せたティラミスを突っ込む。唐突な行動に一瞬眉を顰めるが、ほろ苦い甘さが広がりすぐにそれは消える。
「苗字さんは一度彼を拒絶したことがあるんじゃないですか?それでも彼は会いに来てくれた。同じように拒絶されたって何度も会いに行けばいい。彼を心から愛しているなら出来るはずですよ。はい」
 名前は差し出されたフォークに食いつく。すっかり誰かの手から餌付けされることに慣れてしまって、抵抗は全くなかった。沖矢は妹にこうやった記憶も無く、初めての経験が少しむず痒い。何より自分の取った行動に驚き、もぐもぐと口を動かす姿を可愛いと思ってしまった。
 名前はケーキを食べながら頭の中を整理する。食べることよりも考える方に意識がいっているようで、沖矢が甘すぎて断念したケーキを皿に乗せても気付かなかった。
 名前がケーキを食べ終わると、二人はリビングへと移動した。ソファに向かい合って座り、沖矢は名前が口を開くのを待つ。開けたままのカーテンから、雲に隠れていた月明かりが差し込んだ時、名前はぽつりと呟いた。
「沖矢さんは置いていかれる感覚を知っていますか」
 沖矢の脳裏で長い髪が揺れ、それを誤魔化すように長い脚を組み替えた。
「わたしは事件に遭ってずっと眠っていました。瞳が覚めたら四年も経っていて、通い慣れたスーパーはコンビニになって、友達は結婚して子供がいて、散々心配掛けた両親は白髪と皺が目立つようになってた。わたしだけが止まったまま。変わってないなって思えたのは零だけで、口にしてない寂しさや不安を感じ取ってくれたのも零だけでした」
 名前は背もたれに身体を沈め瞳を瞑る。
「事件に遭う直前、わたしは零に別れを告げられました。愛してるから別れて欲しいって。意味が分からないって言っても、それ以上は何も言ってくれなかった。それなら嫌いになったって、言ってくれた方が良かったのに」
「彼は...」
 沖矢は零を擁護する言葉を発しそうになって口を噤んだ。
「?」
「いえ...。きっと何か言えない理由があったんでしょう」
「それは分かっているつもりです。でも、それにしたって言葉が足りなさすぎる。いつか必ず迎えに行くから今は別れろ、なんて、わたしその間どうすればいいのって。まあ、結局は眠っちゃってたんですけどね。別れたはずなのに零は何度もお見舞いに来て、別れたことを無かったことにして。本当に降谷零なのか疑ってしまうくらいに、やってることがめちゃくちゃ」
「そういうことですよ。あの降谷零が適切な言動が出来なくなるくらいに、あなたは特別な存在なんです」
「!」
「あなたにとって降谷さんはどんな存在ですか?特別な存在なんじゃないですか?」
 鼻の奥がつんとして、涙が滲む。名前は小さく息を吐くと、笑みを零した。
「特別です。ずっと一緒にいたい、離れたくないと思った、唯一の人です」
 ぽろぽろと涙が溢れて名前は顔を覆った。沖矢が膝の上に乗せた箱からティッシュをとって、目元を押さえる。
「その気持ちに変化は?」
「...ありません。彼を心から愛しています。いつまでも傍にいてほしい」
 沖矢は何も言わずに名前の頭を撫でた。擦り寄ってくる小さな頭に驚きながらも、優しく抱き締める。小さな寝息が聞こえて来た時、名前の携帯が着信を告げた。母、と表示されたそれに沖矢はどうするか思案した後で応答する。はい、と沖矢が発した言葉は母の声に完全に掻き消された。
「ちょっと今どこにいるの!」
「すみません」
「...どなた!?」
 驚き方が似てると、笑いそうになるのを堪えて沖矢は言葉を続けた。
「娘さんの友人で沖矢昴と言います。実は苗字さんが食事の途中で眠ってしまいまして...」
「あ、そうなんですね。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「いえ、迷惑だなんて少しも思っていませんから。お送りしますので住所をお伺いしてもよろしいですか?」
「そんな!こちらが迎えに伺いますので!」
「ついでがあるからいいんですよ。お気になさらないでください」
 沖矢の丁寧ながらも譲らない物言いに、母は住所を告げ電話を切った。名前の目尻に残る涙を拭ってやり、沖矢は今度は自分の携帯が着信を知らせていることに気付く。赤井の携帯だ。名前が深く寝入っていることをもう一度確認してから電話に出る。
「キャメルか。どうした」
「組織に動きがありました。すぐに合流してください」
「...わかった」
 沖矢は電話を切ると名前をソファに寝かせ、準備に取り掛かった。名前をこれから送り届けるため変装を解くことは出来ない。ライフルなどの一式と、赤井用の着替えをマスタングへと積む。リビングへ戻り名前を抱え上げると、随分と軽い身体に儚さを感じずにはいられない。
 確かにこれでは彼も不安になるだろう。それが愛してやまない存在ならなおさら。
 赤井は永遠の闇に飲み込まれずにすんだ小さな身体を、一度ぎゅっと抱き締めてから助手席に乗せた。
 車はギリギリで変わった赤信号を無視して走る。15分程で着いた名前の家のベルを押すと、ばたばたと走る音がしてよく似た顔が覗いた。
「ぐっすり眠っているので、話を聞くのは明日にしてあげてください」
「ええ...」
 零に少し話を聞いていたらしい母は頷くと、二階の名前の自室へ沖矢を案内した。ベッドに寝かせてやると母が丁寧に布団を掛ける。
「では僕はこれで」
「あ、せめてお茶でも...」
「いえ、急ぎの用が入ってしまったので、お気持ちだけ。ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらです。ご面倒をお掛けしました」
「本当に気にしないでください。それでは」
 階段を降りながらそんな会話をして、玄関で頭を下げると沖矢は車に乗り込んだ。猛スピードで消え去ったそれを母は茫然と見送った。


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