A’ 伍
 雲が流れて月が見え隠れする。その度に美麗な男女の長い睫毛が悩ましげに影を落とした。
 聞こえるのは風に揺れる葉の音、感じるのは触れ合った部分から伝わる互いの鼓動。
 降谷が膝に座らせた名前を抱えるように抱き締めて数刻が経つ。
 いつまでも消えることの無い二人の愛なのか、終わりを迎えようとしている二つの生命の最期の足掻きかなのか、眼前で燃える炎は随分前にくべるのをやめたはずなのになかなか消えないでいる。
 大きな雲が月を隠し、名前は一つ瞬く。
「零、さん」
「!」
「零さん、愛しています」
「俺も、俺も名前を愛している。...、」
 紡ごうとした言葉を降谷は一度飲み込んだ。
 願うだけなら許されるだろうか。禁忌とされる心中を犯す愚者であっても。
「この身が朽ち果てようとも、魂ある限りお前を愛し続ける」
 降谷はひんやりとした首筋に吸い付いた。名前は首だけで振り返ると月下美人の花が開くように優雅に微笑む。
「わたしは今、幸せです。あなたとの永遠があることを確信しているから」
「ああ...必ず...」
 互いの熱を交換するように降谷の薄い唇と名前の柔らかな唇が重なる。
 大きな雲が晴れると、風が止み二人が発する以外の音が全て消えた。共に逝くことを静かに祝福するように。
 唇が離れると、覚悟を決めた二対の双眸が交わった。
「そろそろ、逝こうか」
「はい。いつまでも、いつまでもお傍に。愛しています」
 名前が前を向くと、降谷は名前を抱く左腕の力を強め、大きさの違う心の臓がぴったりと重なるように身体を動かす。脇に置いていた刀を鞘から抜くと、刀身が月明かりを受け寒々しい美しさを放った。
 多くの敵を斬った愛刀が最後に吸う血がその主のものとはなんと皮肉なことだろう。
 降谷は刃の中頃を懐紙で覆うと、そこを持ち名前の胸に刃先を触れさせた。
 今にも身体が穿かれようとしているのに、愛する女を手にかけようとしているのに、二人には少しの恐怖も無かった。
 死による生からの解放、その先に待つ永遠を疑うことなく信じていた。
 降谷が腕を曲げると、刀身は真っ直ぐに名前の心臓を貫いた。柄に手をやり一気に己の背中へ刃が突き抜けるよう刀を引き寄せる。
「れ...い...、れ」
「......名前...」
 か細い声のあとずしりと重くなった身体を、降谷は力の入らない両手で抱き締める。
 ごぽり。名前の肩を降谷の口から吐き出された血液が汚す。ふっ、と視界が閉ざされ何も感じなくなった。
 いつまでも、そばに
 言葉を発することが出来たか分からない。それでもきっと、名前には届いたんだろう。刀を介し二つの身体は繋がっているのだから。きっと魂だって繋がっている。永遠に二人だけで。


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