A’’ T
 職業訓練校を首席で卒業した降谷零は選ばれし職業である警察官になった。警察組織が新人を迎え入れるのは三年ぶりのことだ。旧時代に警察官はたくさんいたようだが、汚職まみれの警察官は人工知能の発達と共に規模を縮小し、今では適性があるとされた一握りが運営する組織だ。食糧だけでなく娯楽も需要と供給がバランスを取り、ストレスケアも万全な社会で犯罪はほぼ起きない。しかし突発的に事件が起きることがあり、それを解決するのが現代の警察官だ。捕えられた犯罪者は人工知能によって様々なデータベースにかけられ、決められた罪を償うことになる。
 零が昨日起きた事件の報告書をまとめていると、宿直の赤井が出勤してきて隣のデスクに着いた。もうそんな時間か、と零はホログラムキーボードを叩く指を早める。
「何か予定でも?」
 問い掛けられ零は視線をパソコンの画面に向けたまま答える。
「そういうわけじゃないが、定時で帰れるなら帰りたいだろう」
「何だ。恋人と約束があるわけじゃないのか」
「......急になんなんだ」
「さっき経理の女たちが君のことで騒いでいたから、そういえば恋人はいないのかと思っただけだ」
「くだらない話を仕事中にするな」
 零は報告書を作り終え送信するとキーボードを消し、デスク横に掛けていた鞄を手に取る。立ち上がると丁度五時を知らせるチャイムがスピーカーから流れた。
「じゃ、お疲れ様でした」
 正面のデスクの同僚に声を掛けると零はすぐに部屋を出る。席を外していた一人と入れ違い軽く挨拶をすると、廊下を進みエレベーターに乗った。
「降谷は相変わらず帰るのが早いなあ」
「俺まだ仕事残ってるんですけどねえ。帰れない」
 同僚が話しているのを聞きながら、赤井はキャスター付きの椅子に腰掛けたまま零のデスクに近寄る。
 前々から気になっていたのだ。デスクに座る零は度々引き出しを開く。仕事が一段落した時、事件が起きて出動する時、出動から戻った時。そこに一体何があるのか、だいたいの予想はついていて恋人の有無を確認したわけだが答えは得られなかった。だから赤井は鬼の居ぬ間に、と確認しようとしたわけだが、引き出しに触れた瞬間指先に走った痺れに驚き、膝をデスクに打ち付け悶絶する。なんだなんだ、と同僚たちが立ち上がる中、赤井の腕時計型のデバイスに零からの連絡が入った。
「赤井!お前だろう!」
 繋がるなり怒鳴りつけられ赤井はなんて男だと呆れてしまった。
「降谷くん、勝手に開けようとしたのは悪いと思うが、何か必要な備品があっただけかもしれないじゃないか。それなのに同僚を疑いこんな装置まで付けるなんて、どうかしているぞ」
 引き出しを下から覗き込み静電気装置を睨み付け赤井は言う。
「備品棚は別にあるだろうが!何のために開けようとしたのか言ってみろ!」
「......恋人の写真があるんだろうと思ってな。いつも見ているから」
「そんなことだろうと思ったよ。だが残念だな。そこにあるのは恋人ではなく妹の写真だ。妹が家で待っているから、もう切きるぞ」
 デバイスのホログラムが消え、赤井は椅子に座り直す。特にやることも無いし、こうなったら意地でも引き出しを開けてやろうかと思ったが、明日が怖いからやめた。
 しかし数日後、赤井はその妹を目にすることになる。
 何があったのかは知らないが、以前荒れに荒れた零にバーへ連れて来られた。ウィスキーの取り揃えが多く、店の落ち着いた雰囲気も気に入り、赤井はふらりと一人で行くようになったのだが、そこに零が女といたのだ。
「降谷くん」
「なっ、赤井...!?」
「そんなに驚かなくてもいいだろう」
 零は盛大に顔を顰めていて、女は首を傾げている。
「やはりいたんじゃないか」
「......妹だよ」
「......は?」
 引き出しに写真を入れるくらい溺愛している妹。確かに美人だが、赤井は年の離れた幼い妹が可愛くて仕方ないのだと思っていた。驚き瞬きを繰り返していると、零は大きく溜息を吐く。
「...名前、同僚の赤井だ」
「初めまして。名前です。零がいつもお世話になってます」
 にこり、と上品な笑みを浮かべた名前に赤井は息を飲む。ウィスキーのストレートを一気に呷ったかのように、身体がかっと熱くなり鼓動が早まった。初めての感覚に何が起きているのか戸惑うが、表情が豊かでは無いため傍からは分からない。
「...赤井秀一だ。こちらこそ、降谷くんには世話になっているよ」
 どうにかそれだけ言って、零へと視線を向ける。むっとした顔は妹との時間を邪魔しやがって、と無言で伝えてきていて、赤井はじゃあ、と離れようとした。しかしそれを名前がとめる。
「一緒に飲まないんですか?」
「...いや...」
「赤井は一人で来ているようだし、静かに飲みたいんだろう。誘ったら悪いさ」
「あ...、ごめんなさい。わたし、考えもせずに...」
 妹と自分への対応が違いすぎて、赤井は年上の自分を敬うこともしないこの男を少し揶揄ってやろうと思い立つ。
「君さえよければご一緒させてもらえるかな」
「もちろんです...!」
 名前が引いてくれた、店の入口から一番近いカウンター席に赤井が腰を下ろすと、笑顔の名前、その背後に般若面のような零が並んだ。名前が振り向く素振りを見せると、その形相は爽やかな好青年の笑みに変わるのが面白く、赤井は身内に猫を被るとはいい揺すりのネタだと思った。
「女性には失礼かもしれないが...名前はいくつなんだ?」
「馴れ馴れしいぞ、赤井!呼び捨てにするな!」
「なら何と呼べばいい?」
「降谷さん、だ!」
「零もいるんだからまぎらわしいよ。赤井さん、呼び捨てで大丈夫なので、気にしないでくださいね。年は零と一緒です」
「?」
「わたしたち、二卵生の双子なんです」
「そうだったのか...。勝手に年が離れているのだとばかり思っていたよ」
「どうしてですか?」
 きょとり、とまあるい黒曜が愛らしく煌めいて赤井は瞳を奪われる。言葉が続かずにいると、名前の背後で一切の表情を無くした零から冷たい何かが漂い出すのを感じた。
「赤井さん?」
「あ...すまない。降谷くんが妹の写真を机に入れていると言っていたから、年の離れた妹を可愛がっているのだろうと思ってたんだ。年が近いのに仲が良いのは珍しいからな」
 名前の口元が引き攣るのを赤井は見逃さなかった。一瞬で笑顔に覆い隠されたそれが示す事実を確信して戸惑う。
「産まれた時からずっと一緒ですからね。隣にいるのが当たり前すぎて...離れられないんです」
 ──君たちは兄妹だろう、と。


BACK