パンケーキ・ワルツ3
 承太郎は久しぶりに感じる柔らかな素肌の温もりに微睡んでいた。それを現実に引き戻したのは煩い電話で、正直対応するのも面倒だが名前が起きる前に音源を止めなければと身体を起こした。
「もしもし」
「あ、承太郎さんっすか?俺っす、仗助っす」
「仗助か、どうした」
「あーっと、その、承太郎さん、もしかしてまだ名前と一緒にいたりします?」
「ああ、一緒にいるが、それが?」
「.....承太郎さん、勘弁してくださいよ」
 飽きれたと言いはしないものの、言葉にそれが感じ取れて承太郎は何が言いたいんだと問う。
「まじに言ってんすか?そりゃあ俺だったら問題無いんでしょうけど、名前は平凡な女子高校生ってやつですよ。八時前にもなって何の連絡も無けりゃあ、騒ぎにもなりますよ」
「......八時」
「何すっとぼけてんすか」
「いや、すまん。話に夢中でこんな時間になっていたことに気付かなかった」
「二人で盛り上がるような話なんてあります?」
「......」
「あっ!甘い物か!名前のやつ、甘い物について語り倒したんすね!?」
「...ああ、そうだ」
「そんなしょうもない話に付き合わなくていいんすよ、承太郎さん!」
「いや、興味深かった」
「え、そうっすか...?」
 これこそしょうもない話だと、承太郎は唸りたくなるが、今回ばかりは自分が悪い。微睡んでいるだけと思っていたが、どうやら気付かぬうちに眠っていた時間があったようだ。
「とりあえず名前の親には見つかったって伝えるんで、超特急で送り届けてもらっていいっすか?」
 承太郎はベッドで眠る名前を振り返った。煩いコール音に少しの身動ぎもせず、今も起きる気配は全く無い。無理をさせてしまったことは明白だ。それなのに今から帰宅させ、自分のせいで連絡出来なかったことを親に叱られるのも悪い気がした。
「仗助、名前は今日隣の部屋に泊まらせる。名前から家に連絡を入れさせるから、お前からは伝えなくていい。ただ、友人の家に泊まっていることにする」
「...はあ?」
「いいな?」
「...っす」
 仗助は承太郎に逆らうなんて馬鹿なことはしない。何故泊めるのかは少し気になったけれど、それもすぐに美味いディナーってやつを食わせてもらうんだなあ、羨ましいなあ、俺にも今度食わせてくれねえかなあ、なんて思いに上書きされた。
 承太郎は電話を切ると、下着を着て名前を起こした。呼び掛けで反応は全く無く、肩を揺すると鬱陶しいと言わんばかりに眉が寄せられ笑ってしまう。少し力を強めても結局起きず、呼吸を塞ぐという強硬手段に出た。鼻を摘み唇を重ねると、数秒と経たず名前は瞳を見開く。至近距離でそれを確認した承太郎は満足気に顔を離した。
「俺にしては熱烈な起こし方だったが、どうだ?」
「ね、熱烈すぎます...」
 赤くなった頬を撫でて承太郎は直接耳に言葉を吹き込む。
「気に入ったようで何よりだ」
「っ〜!」
 顔を掌で覆う名前に承太郎は気分が良くなり、目的を忘れかけ、慌てて言葉を紡いだ。
「実はあの後、俺も眠ってしまって、今仗助からの電話で目が覚めたんだ。もう遅いから今日は泊まれ」
「...あの後」
 名前は行為を思い出し、身体を隠しているシーツの下に何も纏っていないことに気付く。シーツを手繰り寄せ身体を跳ね起こすと、腰に鈍痛が走り動きを止めた。
「痛むのか」
 暖かな掌が冷えた腰に触れ、意図せず身体が跳ねる。再び走った鈍痛に恨めしげな視線で見上げられ、承太郎は苦笑した。
「すまない。身体が冷えているし、風呂に入った方が良さそうだ。車に座るのも辛いだろうし、今日は泊まるんだ。親御さんに友人の家に泊まると連絡を入れてくれるか」
「...はい...」
 シーツに包まった名前は立ち上がると少しふらついた。承太郎はそれを支えて電話の前に立つと、受話器を名前の耳に当てる。空いた手でダイヤルを押し終えると、名前は承太郎の手から受話器を受け取った。
「もしもし!」
 電話口から聞こえた声に名前は言葉を濁す。
「あ、えっと、お母さん、わたし」
「名前!あんた連絡も寄越さないで!」
「ごめんなさい。友達の家で気付いたら寝ちゃってて...泊まるよう言ってもらえたから、今日は泊まることにするね。本当にごめんなさい」
「はぁ...。いいのよ、無事なら。これ以上親御さんには迷惑かけないようにね」
「うん、分かった。じゃあ、明日ね。おやすみ」
 受話器を置くと名前は深く深く息を吐き出し、後ろで支えていた承太郎に体重を預けると首を後ろに逸らした。全くたるみのない顎を真下から見上げて、体脂肪率はいくつなのだろうかと少し考える。
「どうした、きついのか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうか。風呂の準備をしてくる」
 承太郎は名前をベッドに座らせると、頬に口付けてドアの向こうに消えて行く。触れられた頬を暫く押さえた後で、名前は散らばった衣服を集めた。
 帰ってきた承太郎は名前が畳んだ衣服を紙袋へ詰める。
「!?」
 ぴしっ、と固まる名前を見て可笑しそうに喉を鳴らすと、紙袋を左右に揺らした。
「明日も学校だろう。今のうちに頼めば朝には洗濯されたものが届く」
「え、でも...」
「夜着は準備しておく。下着は我慢してくれ」
「...はい」
 承太郎に言われては頷く他無い。お風呂お借りします、と短く告げると、気を付けろよ、と心配する言葉を受け取って名前は浴室へ向かった。
 張られた湯でしっかりと温まった名前が脱衣所へ出ると、さっきは無かったふわふわのネグリジェが用意されていた。ザ高級ホテル、と呟いてしまって慌てて口を覆う。ドライヤーで丁寧に髪を乾かして戻ると、テーブルには軽食が用意されていた。
「おかえり。食事にするぞ」
「そんなっ、泊めていただく上に食事まで...!」
「気にするな。スープが冷めないうちに食うぞ」
 承太郎はワゴンに乗った筒状の食缶からカップにスープを移す。
「承太郎さん!わたしがやります!」
「いいから、座っていてくれ」
 スープといくつかの軽食がテーブルに並べられる。最後にオレンジジュースを名前の前に置くと、承太郎は名前の隣に腰を下ろした。促されて名前はいただきますの挨拶の後、カップに口を付けた。
「このカツサンドは美味いと評判らしい。この間仗助が食いたいと言っていたから、自慢すると悔しがるぞ」
「ふふっ、仗助に自慢しま...」
「どうした?」
「あ、いや...パンケーキじゃないのかって言われるなって」
「仗助は君がここに泊まることを知っている。親御さんには言わないよう口止めはした。パンケーキはまた今度にしよう」
「え、え?泊まるの知ってるんですか?パンケーキ?」
 どちらに対しても思考が追いつかない。段々と眉を寄せる名前に承太郎も眉を寄せた。
「仗助から君とまだ一緒にいるのかと連絡があって、親御さんが心配していることを知ったんだ。わたしがホテルに泊めていると知られれば色々とまずいだろう。だから友人の家に泊まることにすると仗助には一応伝えた」
「そうだったんですか...」
「それで、パンケーキの件だが...、君はどちらの意味で疑問を抱いたんだ。パンケーキを食べに行こうと誘われたのを単純に忘れていたのか、それとも」
「......その、また会ってくれるのか、と」
 重い息を吐きだす承太郎に名前は視線を手元へ落とした。
 言わなければ良かった、承太郎に呼ばれた時だけ会う、やはりそういう関係だったのだと。
 掌の中でカップが温くなっていくのを感じていると、それは突然奪われ、膝の上に残った両手に承太郎のものが重なった。
「わたしは君とこれからも会うつもりだが、どんな風に思われているのか自信が無くなった」
「どんな風にって...」
 何も本当に承太郎がヤリたい時にだけ呼ぶような最低の男だと思っているわけではない。ただ一回きりの関係だとそう思っただけなのだ。
「待ってくれ。やっぱりやめだ」
 口を開こうとした名前を止める承太郎の顔は真剣だった。思わず名前は表情を固くする。
「いくつか片付けなければならないことがある。それが終わった時、俺から君に伝えよう」
 この街に巣食う悪と、アメリカに残してきた家族の問題を。
 日本に来た目的はジョセフの隠し子たる仗助に会うためだったが、凶悪なスタンド使いの存在が明らかになった。そいつを片付けない限りアメリカには帰れない。つまり名前に関する一番の問題が片付けられないのだ。
 アメリカに残してきた妻と娘。娘は可愛いが、夫婦仲は冷め切っていてる。後はタイミングだけという状態が続いていた中で、名前と出逢った。名前と一緒にいるためには話をする必要がある。妻と正式に別れたあとでなければ、好きだ、愛していると伝えてはならない気がして、その言葉を幾度も飲み込んだ。せめて妻子がいることだけでも話すべきかと悩んだが、とても今話す気にはならなかった。暖かな温もりを手放したくはないし、家に帰らないと連絡をさせたのに、ここから飛び出してしまうなんてことも避けたかったからだ。
 しかし、空条承太郎は伝えなかったことを後に酷く後悔する。


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