最愛 閑話a4
 涼介が帰宅したのは夜の八時を回った時間だった。珍しく玄関に迎えが無く首を傾げながらリビングへと入る。家族五人がいつも座るテーブルで名前、長男、次男は頭を抱え、誕生日席が定位置の長女はにこにこと笑っていた。
「いったいどうしたんだ?」
「あ...、涼介くん、おかえり」
 名前に続く子供達からのおかえりに、ただいまと返し、涼介は定位置の次男の隣、名前の正面の席へ座る。
「それで?」
 涼介の問い掛けに名前はそっと視線を下げる。代わりに答えたのは今年小学校六年生と四年生になった息子達だ。
「今度の授業参観、一年生は作文読み上げるんだって。わたしの両親って題で」
「中身は言わずもがな」
 暗い次男の声に続くのは飽きれた長男の声で、それは長女に対してでなく父に対してだった。
「...」
 嫌な予感がして涼介は長女に手を差し出す。掌に乗せられた作文用紙に目を通し涼介は同じく頭を抱えた。
「これは...ダメだな。とてもじゃないが...」
「何で?パパとママそのものだよ?」
 長女の純粋な言葉が両親の胸に刺さる。もう手遅れだと開き直った長男は笑い、次男は重い溜息を零し、妻は顔を掌で覆った。
"わたしの大好きなパパとママ"
 何て可愛いタイトルだ、と涼介は今すぐ娘を抱き締めたい衝動に駆られるが、出だしの一文でそれは吹き飛ぶ。
"わたしのパパとママはいつまでもしんこんのようにラブラブです"
 笑えない。
"こ年でけっこんして十五年だけど、毎日キスとハグをたくさんしています。わたしにもしてくれるけど、二人がしているのとはぜんぜんちがいます。一ばん目のおにいちゃんはのうこうさのちがいだといっていました。"
 涼介が見遣ると長男は一度顔を逸らすが、戻して視線を合わせると、えへっと笑った。
 可愛いから許す。しかし小学一年生の妹になんて説明をしているんだ。
"出かけるときはずっと手をつないでいるし、車にのっていてしんごうでとまったときもすぐに手をつなぎます。わたしがうらやましいと思っていると、やさしい二ばん目のおにいちゃんは手をつないでくれます。"
 次男は顔を俯けているが耳も頬も真っ赤になっている。
 可愛いからとりあえず頬にキスをして、わたしも!とせがんでくる長女にも同じようにした。長男を見るが結構です、と真顔で拒否され父は悲しくなる。
"パパはとうちょくあけの日はママからはなれません。ずっとママのせ中にくっついています。ママもうれしそうにしていて、二人は本とうにしあわせそうです。"
 正面の名前が恥ずかしそうに視線を彷徨わせている。我慢する選択肢は無く、涼介は立ち上がると机に手を付き唇を重ねた。子供たちは慣れっこで何も言わない。だからこそこんな作文が書き上げられたわけだが、これが両親の実態であり、愛娘が頑張ったのに書き直させるなんて親バカな父には出来なかった。
 涼介は長女の頭を撫でると、優しい父親の顔を見せる。
「よく書けてるな。パパも絶対行くから、発表頑張るんだぞ」
「うんっ!」
 長女はランドセルになおしてくる、と自室へ向かった。入室した時と同じように項垂れる三人の頭を撫でて涼介は言う。
「担任が確認したあとだろうし諦めよう。知られてまずいことは書いてない」
「いや、まずいだろ!友達に知られたら間違いなくからかわれる!」
 冷静な次男は声を荒らげるも、家長がそう言ってしまえば母と兄が加勢に加わってくれることは無いので、諦めるしかないと肩を落とす。
「お兄ちゃん!ゲームしよう!」
 何より妹に笑い掛けられてしまえば、まあいいかと次男も頬を緩めてしまう。長兄は名前で呼び捨てするのに、次男の自分をお兄ちゃんと慕ってくれるのが可愛くて仕方ないのだ。
「うん、二人で出来るのしようか」
「え?俺は?」
 デフォルトされつつあるコントのようなやり取りに、両親は顔を見合わせて笑った。泣き真似をする長男に長女は慌て、次男は呆れ、父の前には妻手製の料理が並べられる。
"いつかお前と結婚して、子供を授かって家族で過ごす。そんなささやかな幸せが、俺の夢だ"
 涼介は以前名前に伝えた言葉を思い出す。
 夢は叶い、明るく楽しく温かな家庭は、想い描いていた以上の幸せを涼介に齎した。毎日が幸せで、幸せすぎて仕方がない。
 名前はどうだろうか。
 涼介が名前を見ると、名前も涼介を見ていた。この先もずっと変わることの無い笑顔で名前は言う。
「...幸せだね」
「...ああ」
 涼介は胸がいっぱいになって、短く返すと箸を取る。それもお見通しなのか、名前は笑みを深くして食事を進める涼介を見つめた。

 授業参観当日。新調したビデオカメラを三脚に固定し涼介の準備は万端だった。父があまり来ない平日の授業参観、しかも長身のイケメンで、母も美人とあって二人は人目を集めている。こそこそ話すのは良くないが、その内容がもぞもぞしてるけど緊張してるのかな可愛い、そうだろうな可愛い可愛い、なんて親バカっぷりを晒すものだから周りの奥様方は年上年下関係無く微笑むだけだ。
 順調に発表は進み、ついに長女の番が来た。涼介は録画を開始すると、少し強ばった表情で振り返った長女に手を振る。ぱあっと明るい笑顔を浮かべた長女に、大丈夫そうだと名前は息を吐いた。
「──そんなパパとママがわたしは大すきです。いつまでもなかよしでいてください」
 締め括られると教室中から拍手が起こった。子供たちは長女に対してだが、親からのそれは涼介と名前に対するものだ。一文読む度に感嘆の声が漏らされていたのだから。苦笑する名前の肩を抱き、涼介はキラースマイルを撒き散らす。それに奥様方がうっとりすると名前は眉を下げ、気付いた涼介が頬を撫でる。すると当然、これか、と再び奥様方から温かな視線が送られた。

 翌日次男の恐れていたことは現実になった。
「高橋んちの親すげえらしいな。作文の内容が」
「あーあーあー!」
「しかもイチャつき出し」
「きーこーえーなーいー!」
 やっぱり同級生まで伝わってきてるじゃん、と次男は泣きたくなる。しかし、ちゃんと発表出来たよ!と昨夜妹に笑顔で報告されたのを思い出すと、やはり文句など一瞬で掻き消えてしまうのだった。


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