共に生きる
!折れる刀あり
!たぶん燭台切お相手だけど夢ではないかもしれない



「長谷部、何をしているの」
「主...!」
 しまった、という顔をする長谷部に驚いたのは隣にいた光忠だ。長谷部の表情もそうだが、彼が叱られる、ひいては主が誰かを叱るとは思ってもみなかった。
 光忠が目を白黒させているうちに審神者は長谷部へ歩み寄り、乾いて固まった防具の血液に触れた。
「すぐ手入れ部屋にと言ったでしょう。他の五人は来ているわよ」
「申し訳ありません。燭台切に取り急ぎ伝えたいことがあって...」
 悲痛な面持ちの審神者に長谷部も珍しく眉尻を下げ告げた。
「伝えたいこと?それは傷を癒すことよりも大事なの?」
「......誉をとった博多が...、小腹が空いたから明太子のおにぎりを食べたいと零していたので...」
 きょとんとした審神者は真実か問うように視線を光忠へと向ける。光忠が柔らかく笑み頷くと審神者も破顔した。
「それなら怒れないわね。ごめんなさい、長谷部。博多のためにありがとう」
「いえ、隊長の務めは最後まで果たします」
「いつも頼りにしているわ。でも用事が終わったなら早く手入れ部屋に来て。じゃあ、光忠、お願いね。怪我をしないように気を付けて」
 光忠の手を握ったあと、今度は長谷部の手を握り審神者は廊下を歩き出した。一人残された光忠はその背中に送る言葉を掛けて厨へと向かう。おにぎりを握るだけでどう怪我をすると言うのだろうか。
 主は傷を嫌う。
 刀剣が僅かでも負傷すれば、山のように積み上げた書類そっちのけで手入れを行い涙した。いつも笑顔の下に息も出来なくなりそうな感情をひた隠しにしている。
 主は刀剣が、僕が折れてしまわないかを恐れている。

 それは本丸の一員となった翌朝のこと。己を挟む白と端の茶色が寝息を立てる中で、人の身を持て余し布団を握り締めていると近付いてくる足音に気付いた。静かながら感情の乗せられたそれは鈴虫の奏曲を乱している。
 大きい方の白が言っていた体の重みに襲われ、これが寝不足かと光忠は嘆息する。障子戸を開け廊下に出ると、一瞬止まった後で足音は跳ね体に何かがぶつかった。
「光忠...!」
「!」
 柔らかく温度のある存在に光忠は息をするのを忘れていたことに気付いた。ようやっと人の身を得たのだと受け入れ、震える小さな背中に腕を回す。
「主」
「っふ、うぅ...っ」
「主、どうしたの」
「みっ、た...みつた、だっ...」
 冷えた体は温度を求めるように擦り寄ってくる。しかしそれだけでは無いと容易に理解出来た。
「うん、僕がいるからね。怖い夢でも見たの?もう大丈夫だよ」
 審神者の背や頭を緩く撫でてやれば震えも嗚咽も段々と収まった。恥ずかしそうにはにかんで、審神者は光忠から離れ言う。
「朝早くにいきなりごめんなさい」
「気にしないで。眠り方が分からなくて起きてたしね」
「そう...。あ、じゃあ、後で一緒にお昼寝しましょう?きっと二人して眠くなるだろうから」
 泣いていたのが嘘かのように審神者は明るい。しかし頬には涙の筋があり、儚げな印象も残っている。
「うん。それじゃあ今は気が済むまで泣いていいよ。まだ朝も早いし誰も起きないだろうから」
 するり、と指先で下睫毛に乗る雫を掬えば審神者は顔を歪ませ、再度胸に顔を埋めた。
「お願いっ...、お願いよ、光忠。絶対に折れないで、いなくならないで」
「......僕は主の刀だからね。君の命に従うよ」
「命令なんかじゃないわ。確かに貴方は刀よ。でも心を持ち、通わすことができる。貴方の意志で生きて選んで欲しい」

───わたしの傍からいなくならないと



 帰陣した昼下がりは強い雨が降っていた。洗い流される血液が足元に広がっていくのをぼうっと眺めていると、急に力が抜けて光忠はその場に膝を着く。前を行っていた大倶利伽羅はその姿を確認し焦燥に駆られた。閉ざされる門から飛び出してきた消え逝こうとする短刀の刃は真新しい血で汚れている。けたたましい警鐘が響く中、鈍い閃光が短刀を斬り伏せた。泥の跳ねた真白な外套の眩しさに、光忠は誘われるように手を伸ばす。それは一回り以上小さな手にしっかりと握られた。
「また俺を遺して逝くなんて許さないからな!」
 太鼓鐘の言葉は怒りを伝えるものであるはずなのに、頼りなく震えていた。
「早く手入れ部屋に運ぶぞっ」
「ああ」
 鶴丸と大倶利伽羅が光忠の腕を首に掛け歩き出した。振動を感じる度に傷が痛み意識が遠退く。それを数度繰り返したところで光忠の五感は閉ざされた。



 陽のあたる縁側に審神者は横になり隣の床を叩いた。ぱちぱちと瞬く光忠はこんなところで、しかも布団も何も無く眠るのかとただ驚く。折り畳んだ座布団を頭の下に入れた審神者は口角を上げた。
「お昼寝はそれがいいのよ。長く寝すぎても困るしね。布団なんか敷いちゃったらお夕飯まで寝てしまうわ」
「そっか」
 光忠はおずおずと審神者の隣に寝転んだ。板の冷たく固い感触に違和感があり、眠れるのだろうかと首を傾げる。
「眠れない以外に困ったことはあった?」
「ん、いや...全部手探りだからなあ」
「そうよね。まだ一日だものね。食事は取れた?」
「カレー!あれは美味しくてびっくりしたよ。茶色に具が入ってカラフルで、口の中がちょっとピリピリして、それで......。ごめん、僕かっこ悪いなあ...」
「どうして?美味しかったって嬉しそうに話す光忠も好きよ。確かに可愛いのほうが強いけど」
 くすくすと笑う審神者に光忠は頬を掻く。その仕草は人間のそれと全く一緒で、器用なこの刀ならばすぐ人の身にも慣れるだろうと審神者は安堵した。
「また食べたくなったら歌仙にお願いするといいわ。毎日献立に頭を悩ませているから、誰かがリクエストしてくれると逆にありがたいみたいよ」
「今度お願いしてみようかな。でも、そうだなあ、自分で作ってみたいかも」
「光忠が料理までしたらかっこよすぎて困っちゃうわ。でも楽しみにしてるわね。今日のお夕飯は...何だったかしら...」
 しぱしぱと緩く瞬く審神者の様子に光忠の視線は釘付けになる。眠気というものに興味もあるが、それに抗おうとする姿が可愛らしい。
「おやすみ、主」
「...おやすみなさい...」
 それが呪文であったかのように審神者は眠りに就いた。さらりと顔に落ちた髪を耳に掛けてやり光忠は瞳を細める。不思議な気持ちが胸に広がり身体さえも浮き上がらせようとしている気がした。
 ふわふわ。きっとそんな表現が正しいのだと思う。この心地好い温度が愛しさ。
「ん...」
 擦り寄ってくる小さな身体をそっと抱く。
 主は人間だ。刀剣と違い手入れで傷は治らないし、神と違い寿命がある。脆く儚い。この頼りなく細い身体も魂も唯一無二で、僕達と違い主の替えは無い。
 主を守るという決意を抱いた余韻に浸りたいのに瞼は重い。人間の身体とは随分勝手で欲望に忠実だ。しかし、だからこそ大切な存在を胸に抱くことができる。
 瞼を閉じれば暗闇が訪れる。少しの恐怖はあるものの、一人ではない安心感が背を押し、懐かしい合戦場の喧騒が光忠を迎えた。

 次々襲いくる検非違使と刃を交える。せり合っては土が舞い、いくつもの金属音があたりに響いた。
 全てが終わった時、皆がその場に崩れ落ちた。深手を負った者はいないが長時間の戦闘で体力、気力共に限界を迎えていた。
「ふっ」
 誰かが吹き出し、それは波となり全員に広がった。
「初めての検非違使戦にしては十分だよね?」
「よく中傷までで堪えたよ。あ〜お風呂入りたい」
「その前に手入れしないと主が怒るよ。唯一の中傷さん」
「安定今馬鹿にしたでしょ!?」
「心配したんじゃないか。一番傷が深いってね」
 追いかけっこを始める清光と安定をしり目に立ち上がった光忠は帰陣のため門を開く。そして一向に門をくぐろうとしない背後の二人にやれやれ、と肩を竦めた。
「ほら二人とも終わりにして。ここは戦場だよ」
「はい、隊長」
「安定お前ってほんと調子良いよな」
 二人が門をくぐったのを確認し光忠も続く。本丸の正門では審神者が出迎え皆に声をかけていた。一人、また一人手入れ部屋へと向かうのを見送り、審神者は光忠へと視線を移す。
「おかえりなさい」
「ただいま、主。第二部隊無事帰還したよ。報告は手入れの後に、だよね?」
「ええ。傷を癒してからよ」
 閉門する審神者を残し光忠は本丸へと向き直る。数歩先には言い合いを再開し、結局手入れ部屋に辿り着いていない加州と大和守が、更にその向こうでは、おかえり〜、と太鼓鐘が手を振っていて光忠も手を挙げ応えようとした。
「あ」
 背後で審神者が小さな声を漏らし、兇猛な気配の到来に光忠の肌は粟立つ。加州の赤い瞳が、大和守の青い瞳が大きく見開かれた。振り返った先、審神者に迫るのは片腕を無くし腹に風穴を開けても尚立つ、禍々しい妖気を纏った大太刀。
 ごめんね、と 誰よりも速く動いた光忠が呟いた。
 呟く暇があるなら抜刀すればいいのに、と自分でも思ったけれど、やはり一人でに動いた身体は審神者を守るための盾となることを選んだ。
「燭台切っ!」
 加州の鋭い一太刀で大太刀は黒い靄となって消え去った。
 審神者を腕に抱いたままで光忠は仰向けに倒れる。冷たく硬い石畳に身体を打ち付けても、それを感じることはもう出来なかった。
「光忠!」
 大和守の手を貸り起き上がった審神者はすぐに声を張り上げた。呻きさえ上げない光忠に全員の視線が集中し、最悪の結末が脳裏を過ぎる。
「すぐに手入れ部屋へ...!」
 震える声を発した審神者の小さな手を光忠の手が包み込んだ。手袋越しでも伝わった温かさと力強さに審神者は僅かにほっとした。しかし光忠は静かに首を振り、途端に温もりも力強さも遠退く。ぽたぽたと大粒の涙で石畳を濡らしながら審神者は問い掛けた。
「どうして庇ったの...!なんで、なんで...!」
「......君を死なすわけないだろう。僕と違って君には代わりなんていないんだから......」
 すうっ...、と光忠の姿が薄くなり弾けて消えた。
 顕現が解けただけであって欲しいと、その場にいた誰もが願った。
「みっちゃ...」
 駆け付けた太鼓鐘が石畳に転がった刀に手を伸ばす。
 キンッ
 触れる直前でそれは最期に笑った。審神者の息がひゅっ、と空気を震わせる。柄を握り刀を抜くも剣尖が露になることはなく、鍔から七寸程のところでそれは途切れていた。
「あ゙あ゙あ゙あ゙ああああ゙あ゙あ!!!」
 それが何を意味するか理解して華奢な身体を丸め泣き叫ぶ審神者の声は、己の命を削ってでも散った魂を引き寄せようとする咆哮のようだった。
「主...!」
 ふらりと身体の力を失った審神者は大和守に支えられたままで叫び続ける。
 審神者の慟哭に重なるように、その声はした。

──君にも代わりはいないんだよ。

 耳元でした己と同じ声に光忠は飛び起きた。そこは寝た時と同じ涼しげな風の吹く縁側で、違うのは自分と同じ姿形の透けた何かが腰掛けていること。黒い手袋のはめられた手が審神者の髪を優しく梳いた。
「主を悲しませないでね」
 その燭台切光忠は背を折ると審神者に顔を近付けた。次の瞬間には姿が無く、光忠は乾いた笑みを零す。
「なんだあ...。僕二振り目だったんだね」
 主に代わりはいないけれど、やっぱり僕は代わりでしかないと思うよ。



 夢と夢。起き抜けの頭ではどれが夢でどれが現実であったかが分からない。
 折れる怪我を負ったのは夢での自分ではなく、一振り目の現実で、審神者やこの本丸の皆が乗り越えた過去。
 自分が負った重傷は既に癒えている。ぐっ、と手に力を込めた時、何かを握っていることに気付いた。視線をあげれば審神者と視線が絡む。
「み、つただ...!」
 覚醒した審神者は横になったままの光忠に覆い被さったあと、ぐったりと力を無くした。
「主!?」
「よお、起きたか、光坊」
 慌てる光忠にのんびりと声を掛けたのは、襖を開き入ってきた鶴丸だった。
「お前の手入れを夜通しして、終わってからも傍を離れなかったんだ」
 審神者の頭を撫でる手も声も酷く優しい。慈愛、この本丸にはそれがいつも溢れている。
 光忠は審神者を抱いたままで身体を起こすと、審神者を布団に下ろそうとする。しかしそれを鶴丸が止めた。
「今はお前の体温が安心するはずだ。それに襟元がっちり掴まれてるぞ」
「はは...主を抱き締めるなんて緊張するなあ」
「色男が何言ってやがる。大切に抱いてやれよ」
「何かそれ意味が違くない?」
「違くないさ。主の心を抱いてやれ」
 にっと口角を上げた鶴丸に反して光忠は眉根を寄せる。それから言いづらそうに切り出した。
「鶴さん、僕知ってるんだ。二振り目だってこと」
 鶴丸の瞳が鋭く細まる。しかしそれはすぐに閉ざされ深い溜息が吐き出された。
「そうか。まあ隠していたわけでもないがな...。ただ誰かが話すとも思わない。どうして気付いた?」
「信じてくれないかもしれないけど...。顕現した次の日に、彼が僕の前に現れたんだよ。いや、主の前に、かな...」
「...そうか。あいつなら来るかもなあ...」
 鶴丸は畳に後ろ手をつき首を逸らした。天井しか映らないはずなのに、そこに彼がいるかのように懐かしむ。
「主とそいつは恋仲だったわけではないが、近侍もしていたしだいたい一緒にいたよ。だからそいつが折れて主も壊れかけたし、俺たちだって苦しんだ」
 鶴丸は天井から審神者へと視線を移す。
「悩んだよ。お前を見つけた時、連れ帰るかどうか。俺たちはお前に会いたかったけれど、一振り目と重ねて嫌な思いをさせてしまうかもしれない。お前を見る度に主は自分を責めて今度こそ壊れるかもしれない。だから俺は反対した」
 鶴丸には珍しい不安げな表情が一転し楽しげに瞳が煌めく。
「でも連れて行くと譲らない奴がいた。誰だと思う?」
「......貞ちゃん、かな」
「はっ、聞いて驚けよ。大倶利伽羅だ」
「......伽羅ちゃんが?」
 馴れ合うことを嫌う彼が、と予想外の人物の名に光忠はただ驚く。
「立ち止まるのは終わりだ。前に進むぞ、ってな。かっこよかったぜ、あの大倶利伽羅は」
「そっか、伽羅ちゃんが...。でも顔見合せた時普通だったけどなあ」
「胸がいっぱいだったのさ。あいつも、俺たちも、お前に会えたことが嬉しくて。主なんか泣いてたしな」
「...うん、覚えてる」
 桜の花弁を舞わせる僕を見て、主は秋の夕暮れを背に泣いていた。その涙の理由が分からなくて、知りたくて、知ってからは少しショックだった。どうやったって一振り目には勝てないんだと、そう思ったから。でも違った。一振り目とか二振り目とか関係無く、みんなも主も僕に笑顔を向けてくれた。騒がしく食事を共にして、縁側で季節の移ろいを楽しみ、誰かの寝言を聞いて笑いを堪える。降り積もる幸せが崩れていくかもしれないと考えるのは怖いけれど、手放したくないから強くなって守るんだ。

──ごめんね。

 勝手に勘違いして。一緒に生きてあげられなくて。
 光忠の呟きにもう一人の声が重なった。戸惑いに揺れる鶴丸の黄金色の瞳が光忠と審神者、それからもう一人の燭台切光忠の姿を映す。
「君は僕で、僕は僕なんだ」
 光忠の言葉に燭台切光忠は笑むと弾けて光の粒になった。光忠と審神者に降り注いだそれはやがて消え、庭からは鳥の囀りが届く。新たな朝がそこまで来ていた。
「もう二度と君を残しては往かないよ」

 共に生きる。
 僕と彼と。刀剣と主と。



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