Bookso beautiful yet terrific.

 珊瑚の海は小さな世界だ。王族から貴族果ては一般家庭の子息子女が揃って同じ学校に通うことなんぞ珍しくはない。おまけに魔法士だろうが非魔法士だろうが関係ない。それだけどんな身分に属していようが誰とでも顔見知りになれるということだ。だから、小さな世界だと私は思う。
 私はラコビーの人魚の一族に産まれて育ってきた。家柄だって上流階級だ。第三者から見れば恵まれていると評するのだろう。私自身も、自分の産まれた環境に不満なんぞ全くない。貴族の娘に産まれようが一般家庭に産まれようが、結局のところ、珊瑚の海で産まれた稚魚はみんな同じ場所で育ち成長していくのだから。
 と、たった今まで思っていた。お父様からパブリックスクールの話を聞くまでは。


 潮の流れに逆らいながら私は一目散に泳いでリストランテに向かう。居合わせた人魚が私に気づいて声をかけてくれるので軽く挨拶しつつも尾鰭を動かすことはやめず目的地に向かう。
 やがて、わらわらとお客さんが集まるリストランテと同じ敷地内にある住居に辿り着く。その住居の奥の方にある蛸壺に行き、中にいる幼馴染に声をかけた。

「ねえアズール!聞いてよ!」

「何事ですか名前。騒々しい」

 蛸壺の奥に引きこもっては勉強に励むタコの人魚が私に振り向くことなく返してきた。ぷっくぷくのふくよかな背中に視線を向けながら私は蛸壺の縁に肘を乗せて頬杖をつく。

「私、ミドルスクールに行けなくなった」

思わずはあと大きな溜息を吐いた。彼は相変わらず勉強する手を止めないまま口を開いた。

「何の冗談です?嘘にしてはもっとマシな話をしてくださいね」

「冗談でも嘘でもない。さっきお父様に言われたの」

ぴくりと彼の肩が跳ねる。少しの沈黙の後、彼は持っていた筆記具や勉強道具を起き、ようやくこちらに振り向いた。

「どういうことですか?」

そう問いながら彼はのろのろといくつかの脚を器用に動かして蛸壺の入口に現れる。私の側に来た彼は表情を変えることなく私に視線を向けた。

「何処ぞの金持ちに嫁がせるにはずいぶんと早い気がしますけどねえ」

「そっちじゃない」

「勿体振らずさっさと理由を話してくれませんか?」

やれやれと言わんばかりの彼に私は眉を寄せる。あからさまにめんどくさそうな態度をされると傷つくわあと思う。まあ、彼にしてみれば金持ちの娘が何処に行こうと知ったこっちゃないという感じなのだろうけど。
 それでも、今はとにかく愚痴を聞いてほしいと思いながら先程お父様から言われた内容を彼に話した。

「13歳になる年に、薔薇の王国にあるパブリックスクールに入学することが決まったの」

「なるほど。流石、上流階級のご令嬢ですね」

「嫌味に聞こえるんだけど」

「たっぷりの嫌味を込めてますよ。一般家庭の僕からすれば、大層羨ましいことですから」

今度は彼が深々と溜息を吐いてみせた。私は眉を寄せるのをやめて、肩の力も抜いた。不満を口にするのを続けながら。

「おまけに私が通う学校ってさ。伝統ある魔法士養成学校なのはいいんだけど、女子校なの。あーあ。せっかくなら共学がよかったのに」

「どうせあなたのことだからご学友と少女漫画みたいな恋したいって思っていたのでしょう?」

「よく知ってるね」

「何年の付き合いだと思ってるんですか」

私の話を聞いた彼が心底呆れたように再び溜息を吐く。あまり溜息ばかり吐かれるのも腹が立つものだ。とりあえず私は蛸壺の縁から頬杖を外し、今度はそこに腰かける。暇潰し程度に尾鰭を動かしては水中に泡を作ってやった。

「パブリックスクールなんてただでさえ数が少ないのに。なんでさらに限定される女子校にしちゃうかなあ」

「まだ言いますか」

のそのそとやって来た彼もツッコミを入れながら私の隣に腰かける。特徴的な蛸足が水中に逆らうように動いていた。それに視線を向けてから、海面に上る泡を見る。私の尾鰭で作った小さな泡達を指で突いた。
 私は、海の中しか知らないこの小さな世界が好きだった。

「薔薇の王国って、どんなところだろうね。アズールは知ってる?」

「僕が知るはずないでしょう」

私の質問に間髪入れずに返された言葉に私は苦笑いを浮かべる。ぷくぷくと次から次へとできる泡は突いても切りがない。こんな光景、陸に上がれば見られないのだろう。隣にいる幼馴染と軽口を言い合うこともできなくなる。
 自然と、私は口を閉ざしていた。泡を突いていた指も動かすことをやめて蛸壺の縁を握る。少しの沈黙が、私達の間に流れた。

「陸に上がるのが、怖いですか?」

 先に彼が口を開いた。それは私の気持ちを代弁しているかのようだった。私が隣に座る彼に視線を向けると、彼は先程私がしていたように自らの脚が作った小さな泡達を指で突いている。それから、彼は特に表情を変えずになんてことないように言ってのけた。

「二足歩行が可能になっても、あなたはあなたのままですよ」

その言葉を発する彼の声音はずいぶんと優しいものだった。私は彼の横顔を見つめたまましばし考え、そして頷く。そうだねと納得して笑ってみせた。

「ありがとう、アズール。正直に言うと、尾鰭が無くなっちゃうの嫌だったの。おかげで勇気が湧いたよ」

えへへと笑ってから両手をそれぞれきゅっと握って拳を作る。すると、彼は泡を突くことをやめて私を見た。茶化すわけでもなく、ただ真っ直ぐに。

「あなたがいなくなったら、さぞかし静かになるんでしょうね」

「寂しい?」

「寂しいに決まってるだろ。僕を置いて行くだなんて」

返ってきた思わぬ言葉に私は笑顔をやめて瞬きした。彼はそんな私をじっと見つめてくる。時間にして数秒もしないうちに、彼が眉を下げてふっと笑った。

「冗談です。まさか、本気にしてませんよね」

いつも通りの彼の姿に私は瞬きをやめて苦笑いを浮かべてしまう。

「少しは寂しがってくれればいいのに」

「あるわけないでしょう。まったく」

相変わらずの憎まれ口に酷いなあと思うが、彼らしくて何より。
 さて、と私は大きく伸びをしてから蛸壺の縁から腰を上げる。まだその場に座ったままでいる彼に振り向いた。

「愚痴を聞いてくれてありがとう。すっきりした」

「もう聞きませんから」

「うん。言わないよ」

へらりと私が笑うと彼が呆れたように眉を下げる。こんなふうに気軽に愚痴を吐いては叱咤してくれるような間柄の友達がパブリックスクールでもできたらいいなあと思った。
 だけど、アズールは?
 ぴたりと私の動きが止まる。周りの稚魚達に虐めを受けている彼は、私がいなくなったら一人になってしまうのではないか。

「私、やっぱりお父様に嫌だって言う」

「は?」

「だって、」

ぐっと両手を握りしめる。何て言っていいか分からないが、今更ながら彼のことが心配だ。だけど、私が我儘を言ったところでどうにもならないことを頭の中で理解しているのも事実。

「名前」

 彼が蛸壺から腰を上げてゆっくりと進んで私の元へやって来る。そっと伸ばした彼の両手が握りしめる私の両手をそれぞれ取り、きゅっと握った。

「あなたが家に逆らうのを僕は反対しません。しかし、それがきっかけで、あなたが自由を失うことになるのは見たくない」

彼の言葉に私が顔を上げると、彼は眉を下げる。彼はしっかりと首を縦に振ってみせた。

「いってらっしゃい」

彼の瞳の奥がゆらゆらと揺らいでいる。だけど、その表情は必死に何かを取り繕っているようだった。
 本当は、彼も寂しがってくれている。それでも、送り出してくれるのだから、これ以上は野暮だ。

「ありがとう、アズール。私、アズールが友達でよかった」

ぴくりと彼が反応をして固まる。彼は瞼を伏せて首を緩く横に振ってからもう一度瞼を開いた。

「ええ。それは何よりです」

 すっと彼の手が離れる。彼は私から一歩引いてからいつもの調子で口を開いた。

「そんなことより、早くご自宅へお帰りになった方がよろしいかと」

「何故?」

「何故って。あなたのことだからあなたのお父様から話を聞いた瞬間、家を飛び出してここに来たのでは?」

「まあ、間違ってはないかな」

「ほら、やっぱり。心配してますよ」

彼が呆れたように溜息を吐いた。私も彼に言われて確かにまずいかなと納得して笑ってしまう。きっと、我が家では笑い事で済んでいないのだろうけど。

「それじゃあ、そろそろ帰るね!」

「ええ。また明日」

「うん!バイバーイ!」

 彼と挨拶してから帰路についた。
 そして、また明日と何回か挨拶を繰り返したしばらくの後。13歳になる年を迎えた私達はそれぞれ別々の学校へ入学したのだった。


 季節は巡り、私は17歳になる年を迎えた。陸に上がって4年目のおかげで二足歩行にはすっかり慣れてそれなりに毎日を楽しんでいる。陸のファッションを楽しんで、地面を踏み鳴らす。おまけに、尾鰭だと絶対に履けないハイヒールには未だに目を輝かせている。とても充実した日々を送っていた。
 パブリックスクールは全寮制だ。薔薇の王国から珊瑚の海は遠いので、実家に帰省するのはウィンターホリデーだけにしている。だって、年末年始は寮じゃなくお家でゆっくりしたいし。ちなみに、彼がミドルスクールに通い始めてからは色々と忙しいらしくせっかく帰省しても電話でしか話していない。
 結局、彼が16歳になる年に賢者の島にあるナイトレイブンカレッジに入学するって聞いたけれど、それっきり。ナイトレイブンカレッジも全寮制のため、彼も帰省は滅多にできないらしい。風の噂程度に聞いた話だと、サマーホリデーにはジェイドとフロイドと一緒に帰省しているそうだ。というか、エレメンタリースクールの頃の彼ってジェイドとフロイドと仲良かったっけ?って感じなんですけど不思議。それでも、あの頃と違って友達がいるのならと私はホッとした。
 そんなこんなで彼とすっかり疎遠になりつつあるこの頃、私は軌跡の国にあるノーブルベルカレッジ主催の魔法士養成学校の交流会に参加していたのだった。

「色々あったけど、無事に舞踏会に参加できてよかったね」

「私!あのマレウス・ドラコニアと踊っちゃった!」

 一緒に参加していた友人達が口々に話すのを相槌を打つ。この舞踏会に辿り着く前に色々と大事件が起きてしまったけれど、とりあえずみんな無事で何よりだ。
 再び他校の生徒と踊りに行ってしまった友人達を見送ってから私は大講堂の端に行き、壁に背中を預けて辺りを見回す。仮面を被った全国の魔法士養成学校の生徒や教師が和気藹々とそれぞれ談笑している。
 そういえばと子供の頃、我が家で開かれるパーティーが苦手だったことを思い出した。別に家柄に不満があるわけではないが、知らない人魚または人間にニコニコ愛想笑いを浮かべて挨拶をするのが嫌だった。そのたびに家を抜け出して彼が籠る蛸壺に行っていた。今思えば大して嫌がる必要も特になかったわけだけど。
 不意に、私の目の前にすらりとした男性が立った。私がそちらを見ると相手は仮面越しに目を細めてみせる。この人、さっき壇上で歌唱していたナイトレイブンカレッジ生だっけ?と思いつつ私は渋々ながらも顔に笑みを貼りつけた。

「ごきげんよう」

挨拶を口にしながら壁に預けていた背中を外しドレスの裾を持って腰を折る。私が再度顔を上げると相手は仮面の下に隠していない口元をぽかんと開けていた。変な人だと思いながらも特に気にせずに私は続けていく。

「先程の歌唱、とても素敵でした」

社交辞令ではあるが嘘ではない。舞踏会の前にナイトレイブンカレッジ生が披露した歌の贈り物は会場全体が聞き入っていたのは事実だ。
 しかし、相手からは反応がない。というか、人の目の前に立っておいて話を聞かないとは失礼極まりないと思う。

「あの?」

痺れを切らした私は思わず尋ねた。もうとっくに、私の顔から表情を消しているが、仮面越しなので少しは隠れてマシだろう。
 ふっと、目の前の人物が吹き出す。は?と言いたげな私を無視し相手は腹を抱えて笑い出した。やがて、一通り笑ったらしい失礼な男性は顔を上げて私を見る。一歩、距離を詰めた相手が仮面越しに双眸を真っ直ぐに私に向けた。

「まだ気がつきませんか?名前」

私が眉を寄せると相手は辺りをちらりと見てからそっと仮面に手をかける。ほんの僅かに仮面の位置をずらした彼は目元を細めた。

「相変わらず、ごきげんようが世界一似合わない貴族のご令嬢ですね。あなたって人魚は」

と、艶やかに微笑んだ相手に対して私はぴしりと固まる。というか、この人って。

「え?誰ですか?」

「失礼ですねえ。一般家庭の出自の幼馴染の顔なんぞとっくにお忘れですか」

私が素直に口にした言葉に相手は思いっきり深々と溜息を吐き出した。あからさまに呆れた雰囲気を隠しもせずに仮面を付け直す相手を私はまじまじと見つめる。一生懸命記憶を引っ張り出して頭の中に浮かんだ幼馴染は一人しかいなかった。私が貴族の娘で陸に上がった人魚だと知るのは、パブリックスクールの学友か珊瑚の海で共に育った人魚しかいないはず。そのまさかと思いながら私は再度口を開いた。

「え!?もしかしてアズール!?嘘でしょ!?別人じゃん!?何かの間違いかな!?」

「あなたって人魚は。女性じゃなければぶん殴ってやるところでしたよ」

 彼は大袈裟なくらい芝居かかったように額に手を当てて首を横に振ってみせる。目の前に立っていたのはいつのまにか疎遠になっていた正真正銘の私の幼馴染のタコの人魚らしい。ただ、私の記憶にある彼の姿ってずいぶんとふくよかなぷっくぷくのタコちゃんだったのですが。

「人魚って変わるんだね」

「今は二足歩行ですので」

「そういう意味じゃなくてさ」

彼のビフォーアフターに驚きつつも、色々と努力したのだろうと感じた。
 変わってしまったけど、久々に会えた幼馴染に懐かしくて頬が緩んだ。すると、彼もまた微笑んでみせる。それから彼はすっと私に手を差し出してから口を開いた。

「積もる話もたっぷりありますので、踊りながらいかがですか?」

「いいね!そうしよう」

彼の手を取って一緒にステップを踏む。ノーブルベルカレッジ生の演奏する音楽に合わせて踊りながらまずは何から話そうかと考えた時だった。

「僕、許してませんので」

 前置きを全くなく言われた言葉に、何かしたかな?と思いつつ彼の顔を見ると彼の双眸が仮面越しに歪む。私に真っ直ぐに向けられた瞳は僅かに濡れていた。次に続く言葉にはたっぷりと苛立ちが込められている気がするけど。

「あの時、あなたが先に陸に上がったことを」

「え?快く送り出してくれたよね?」

「送り出しはしましたが、僕のことを忘れていいとは言ってません。本音と建前に気がつかないとは。やれやれ」

「本音と建前って何さ。それだったらあの時、寂しいなら寂しいってちゃんと言ってくれればよかったのに」

「この僕に涙一つ流してあなたを引き留めろと?そんなことをしたところであなたのお父様が納得するわけがないでしょう。それに、貴族の機嫌を損ねて僕ん家がお取り潰しになったらどうしてくれるんですか」

「そりゃあそうだけど」

「どうせあなたのことだからご入学先のパブリックスクールが楽しくて僕のことなんか忘れちゃったのでしょうね。たまの帰省をしてもちっとも僕に会いに来ようともしませんし」

「別にアズールのことを忘れたわけじゃあないんだけど。というか、ウィンターホリデーの時に私が帰省しても会ってくれないのはそっちじゃん」

「あなたが帰省するタイミングはいつも書き入れ時なんです!僕ん家の家業をお忘れですか?」

「リストランテのお手伝いをしてたの?そりゃあ会えないわけだわ」

「その口振り、さては忘れていましたね。これだから連日パーティーばかりの貴族のご令嬢様ってやつは」

「なんかごめんなさいね。世間知らずで」

「別に構いませんよ。どうせあなたにとって、僕はただのお友達でしたからね」

側から見ればダンスというより取っ組み合いだ。売り言葉に買い言葉の繰り返し。でも、これが私と彼らしいと思う。
 だからつい、ふっと笑いが溢れた。次から次へとクスクス笑うのを止められない私の姿を彼が呆気に取られたように口を開けて見つめた。

「まったく。あなたって人魚は、呆れるほど相変わらずですね」

吐き捨てるように言ってから、重ねた手にきゅっと力を込められた。

「また貶してくる気?」

「貶すだけで済めばいいですけどね。それ以上に、僕はあの日からずっとあなたに対して怒っているんです」

 不意に、音楽が止まる。もう一曲終わったのかと思いながら彼から離れようと手を引っ込めるつもりがさらに上回る力で掴まれる。

「大変だったんですよ。一般家庭の僕が上流階級の人間達を認めさせる道のりを歩むのは。おかげさまで、何処ぞのラコビーの人魚を迎え入れる準備が整いつつありますけどね」

流れるような仕草で彼が私の指先にキスを落とした。思わぬ状況に私はびっくりして固まる。そんな私の様子を見ては、彼はまるであの頃のように子供っぽく声を上げて笑ったのだった。

「僕を置いて行ったこと、後悔させてやる」

 そう言い放った彼の瞳は、仮面越しでも分かるくらい言葉のわりには優しかった。

2022.12.08
瞳|題名様