Bookso beautiful yet terrific.

 父は医者。私は看護師。だから、その人の病の進行度がどの程度なのか診れば分かる。勿論、病魔に蝕まれた人間の寿命だって見当がつく。
 母は不治の病に侵されていた。止まらない喀血に吐血、どんどん衰弱する身体、日に日に弱々しくなる優しい微笑みに余命を計算するなんぞ容易い。父が診察して薬を処方しても、私が献身的に看護しても、母の具合が良くなることはなかった。青白い顔で力なく笑う母の骨と皮のような身体つきを見ては、父が一人ひっそりと涙を流す姿に娘として見ないふりをした。
 私も父も、往診で出向いた患者と家族に先生ありがとうと感謝されてはきたけど、肝心の愛する家族を助けることができずにいる。進行する病魔を前にして、医学の知識を持っていてもたかだか人間の私達に成す術がない。無力だった。

「母親を助けてやろう。もうこれで、苦しむことはない。悲しむ必要もない」

 ある日の夜。寿命が尽きかけている母を前にして堪えきれない涙を流す私と父に向かって無惨様はそう言った。音もなくその場に現れた無惨様に私と父は疑問すら抱かなかった。医療に従事する者として笑われてしまうだろうけど、神様でも仏様でも魔法使いでもなんでもいいから縋りたかった。母を、助けてくれるのならば。
 結果的に、母は助かった。それまでの骨と皮だけの身体が嘘のように大層若々しい姿に変わった。父曰く、若かりし母は街一番の美女と呼ばれていたらしくその当時に戻ったようだと嬉しそうに語った。私と似たり寄ったりの年代の見た目に羨ましくないと言えば嘘になるが、母が元気になったのならそれでよかった。

「変わりないか?」

 無惨様は母を助けてくれた後も我が家に顔を出して声をかけてくれた。たまに母に自身の血を分け与えては母の身体をより強固のものにしてくれた。無惨様は大層立派な方で、母を治しても私と父には何も対価を要求しなかった。それでは申し訳ないと感じた父と私は、せめてと無惨様が仰る手順で薬を調合してそれを渡すことにした。材料も、効能も、無惨様の言われるままに。勿論、使い道も尋ねない。無惨様が求めるものに力になれるならと私と父も全面的に強力した。無惨様は、私達家族の恩人だから。
 健康的で若々しい身体を手に入れた母はよく食べるようになった。初めは無惨様からいただいた食料を、次は父が用意した食料を、そして私が用意した栄養分をそれはそれはおいしそうに食べていた。
 こんな幸せが、ずっと続けばいいのに。そんな小さな願いは、ある日突然壊された。


 私が往診先から自宅に戻ると、家の中が相変わらず血生臭さで溢れていた。きっと母が食事中なのだろうと特に気にせず私は母の部屋へ向かう。しかし、そこにいたのは幸せそうに瞼を閉じる父と、絶望感を露わにした表情で首だけになった母。そして、それらと室内に転がる数々の肉塊を刀を手にしたまま見つめる男だった。
 一目で分かった。この男は、私の母を殺したのだと。

「君はこの家の娘さんだな?父親は俺が駆けつけた時には既に鬼に喰われていた。間に合わず、申し訳ない」

 私に向き直った男が刀を手にしたまま深々と頭を下げた。刀には、悪鬼殲滅の文字が彫られている。その男は、鬼狩りだった。

「この鬼はずいぶんと多くの人を食べていたせいで手強い存在だった。親御さんのことは残念だが、君だけでも遭遇せずに済んでよかった」

男が顔を上げて刀を鞘にしまいながら言ってのけた。父が残念だった?遭遇しなくてよかった?男の言葉が頭の中にガンガン響く。私は目の前が真っ暗になりそうになるが、それに構わず男の襟を思いっきり掴んで引っ張った。

「なんてことをしたの!?何故母を殺したの!?返して。私の母を返して!!!」

感情的になって怒鳴る私を男は静かにまっすぐに見つめてくる。男は私にされるままの状態で淡々と答えた。

「鬼は君の母君だったのだな。その母君は、君の父君を食べて殺していた」

「それが何だと言うの!?母に食べられたのなら、父は本望だった。現に、そこで亡くなっている父の表情は幸せそうじゃないの」

「君も父君も医療に従事する者だと報告を受けている。それなのに、この家にはたくさんの死者で溢れていた。何故だ?人々を助ける側の君達が、奪う側に手を貸したのは」

静かに話しているはずなのに、男の声音にはとんでもないほど怒気が孕んでいるのを感じた。私は襟を掴んでいた手を離し、だらりと降ろす。
 男が言っている意味は理解できる。私と父は鬼になった母を生かすために、父は住む家を失いその辺を彷徨う生きた人間を用意し、私は往診先の患者からこっそりと注射針で血液を抜き、それぞれを母に捧げた。それらをおいしそうに食す母を見るのが私と父の幸せだった。

「私達は医者と看護師です。だからって、鬼といえども自分の母を見殺しにしてまで患者さんだけを助けられるほど慈悲深くない」

 弱々しく呟く私の姿に男が一瞥したかと思えば、すっと距離を取った。

「それでも。君達がしたことを、俺は許さない」

はっきりと言い切る男を私は見る。だから私も殺すとでも言いたいのだろうか。殺してくれるのなら、さっさとやって。しかし、男は私の想像とは全く違う話を述べた。

「一先ず、しばらくは君の様子を見に来る。君はこれまで通り、君を待つ患者の元へ顔を出しに行くんだ」

「私を殺すんじゃないの?早くしてよ」

「お館様からの命がなければ粛清するわけにはいかない。本来なら、君の父君も救わなければならなかったのだが」

男の言葉が一度止まる。少しの沈黙を挟んだのち、男は再度私に念を押した。

「もう一度言う。君がしてきたことはどうであれ、君はこれまで通り患者の元へ出向くように。いいな?」

「何故私が、そんなことをしなければならないの?父も死に、母もあなたに殺された。私が生き続ける理由なんぞ何処にもない」

「理由はただ一つ。君が、看護師だから」

看護師。その言葉は今の私には不釣り合いだ。私が思わず下を向いても、男はそれを許さず私の顔を覗き込んで目を合わせた。炎の揺らめきのようなその瞳に強い意志を感じ、私は一層惨めな気持ちになった。
 しばらく私と目を合わせた男が、不意に私から離れていく。それから、また来ると言い残して静かにこの場を去って行った。


 男は宣言通り数日間隔で私の元へやって来た。我が家の惨状は鬼狩りの中でも隠と呼ばれる部隊に片付けられて今は普通に住めるよう元通りになっている。

「変わりはないか?」

男は私と会うたびにそう聞いてきた。無惨様と同じように。

「患者の元には顔を出していないと聞いている。もしや、何処か身体の調子が悪いのではないか?」

「行きたくないから行かない。ただそれだけ」

「そうか。大事ないならよかった」

そう言って口だけで気遣うふりを見せる男が気に入らなかった。
 母を亡くして以来、無惨様が私の元を訪れることは一度もなかった。無惨様は私と父のことを気遣い、母を助けてくれた恩人だ。だから、無惨様が何やら良からぬことに巻き込まれていないか心配だった。
 無惨様はやって来ないが、男は変わらずに顔を出し続けた。始めは、母が鬼になった経緯や母の食料調達の方法などについて尋ねてきたが、私が一切答えようとしないと分かるとあっさりと触れて来なくなった。

「食事はもう済んだか?今日は任務で海辺の街へ出かけたんだ。土産もある。共にどうかと思ってな」

 相変わらずやって来た男はろくに食べず動こうとしない私に明るく笑いかけて海産物の干物を渡してきた。その腕には痛々しいほど深い切り傷があった。私の視線に気づいたらしい男は怪我を示して軽く笑ってみせた。

「ただの擦り傷だ。今回の鬼は常人では考えられないほどの怪力でな」

赤黒く染まるその場所はどう見てもただの擦り傷ではなかった。男の顔色も、いつもより優れない。
 私は動くのも億劫のくせに、室内に転がる医療器具に手を伸ばしながら男の怪我に触れる。男が顔を顰めるのを確認してから聴診器を取り出し、男の隊服の上から当てて心臓の音を聞いた。

「この傷、蛇の毒が塗られてる」

「む?本当か?」

「塗り薬を調合するから動かずにそこにいて」

「動いてはならないのか?」

「あまり動くと、血液を通して毒が身体中に巡るから死ぬよ」

「なるほど。理解した」

男から離れて怠い身体を引きずって動かし私は薬を作り始める。それを眺めていた男は目を瞬きさせた。

「看護師というのは診察も処方もできるのだな」

「私は看護師だけど、父の影響で医師としての知識も学んでるから」

「なるほど。だから君も診察に出かけていたのか」

 それ以上答える必要もないので私はあまり無駄話はせずに男の怪我にできた塗り薬を塗布する。私の手当を見つめた男は何故か嬉しそうだった。あまりにも嬉しそうに顔を綻ばせる男に気味が悪くなって見やると、男はああと口を開く。

「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ。まさにその通りだと思って、ついな」

 何度も何度もしつこく男が訪ねて来るので仕方なく話すようになった。時折、任務先でお土産を買ってくるので不本意ではあるが一緒に食事したりお茶したりしている。男は何が楽しいのかよく分からないけど、話すたびに明るく笑っていた。鬼狩りだから人の生死と隣り合わせの生活を送っているくせに、変わったやつだった。

「いつか君も海辺の街へ行ってみるといい。何処までも広い海の景色を眺めることは君にとっても悪い気はしないはずだ。君がその気になれば、俺がいつでも連れて行ってやるがな」

 私の元へ来るたびに男は何故かやたらと海を推してきた。断り続ける私にしつこく誘う男の真意は結局分からないままだった。何故なら、そんな男もある日突然死んだのだから。
 男の訃報は男が従えていた鎹鴉が私の元へ伝えに来たことによって知った。男は任務の最中に鬼と戦い命を落としたらしい。弱い人間を助けて感謝され続けた男は、最後は強い者によって奪われた。あの日、私から母を奪ったのと同じように。

「事情はどうであれ。君が奪った事実を俺は許すことができないが、君の存在が誰かの助けになるのもまた事実。君が奪ってきた分を、誰かに与えろとは言わない。ただ、君には待っている人達がいる。どうかそのことを忘れないでほしい」

 鎹鴉曰く、それが鬼狩りの男から私への最期の言葉だった。


 無惨様はもうずっと私の元へ来てはくれなかった。理由は分からない。無惨様の気に触れることを何かしてしまったのだろうか。それすらも、本人が来ないのだから知る術はない。
 あの鬼狩りの男も私の元へ二度と来ることはない。男はもう死んだのだから。
 私は聴診器や薬の調合道具などの医療器具を入れた大きな鞄一つを持って家を出た。この家に男が様子を見に来ることもないから、私がいる必要もない。当てもなく彷徨いながら何処かで野垂れ死ぬのも悪くないかと思って。
 そんなある日、男がやたらと推していた海辺の街へ出向いた時のことだった。たくさんの海産物の干物が売っている店を眺めていると、激しく咳き込んでいる子供を見かけた。子供は私に気づくと何とか咳を落ちつけてからにっこりと笑った。

「お姉ちゃんも誰かにお土産買いに来たの?」

「いいえ。私は、」

「そういえばよく派手なお兄ちゃんがお土産を買いに来てくれてね。その時、お兄ちゃんが言ったの。いつかこの街に、ないちんげーるという天使が来るよって」

唐突に言われた言葉に私は口を引き結ぶ。子供は私の反応なんぞ気にせずさらに続けた。

「その天使はすっごく悪いやつなんだよ。でも、許しちゃいけないくらい悪いことした天使だけど、お兄ちゃんにとっては大切な存在なんだって」

言葉に詰まる。喉の奥が震える。何なの、それ。そう言いたくても声に出せなかった。今すぐ男に向かって、子供に何言っちゃってるの?と呆れてやりたい。だけど、それはもう二度とできないのだ。
 ふと、目の前にいる子供がまた激しく咳き込みだした。私は咄嗟に鞄を開けて聴診器を取り出し、子供の着物の上から心臓の音を聞いた。

「胸の音ってお洋服の上から聞こえるの?」

「厚着してなければね」

子供の呼吸はずいぶんとひゅーひゅーと鳴っていて苦しそうだった。

「あなた喘息持ってるでしょう?」

「ぜんそく?」

「これ結構酷い。医師に言われてるはずだけど」

「お医者様に会ったことないよ。だって、この街にはお医者様いないもん」

「なるほど。だからナイチンゲールが来るって言ったのね、あいつ」

そう呟くのと同時に、あの男がやたらと海を推す理由が分かった。私が思わず深々と溜息を吐くと子供はこてんと首を傾げる。私は仕方ないと思いながら聴診器を鞄の中にしまってから子供に向き直った。

「今から詳しく診察するから。あなたのお家は何処?」

「お家はここの海産物屋だよ」

「それなら、ご両親もご在宅だね。お父さんとお母さんとちゃんと話をしたいから案内して」

「別にいいけど」

子供は困った顔をしつつも渋々店の奥にある住居に案内する。その途中、ハッとした子供は顔を輝かせて私を見上げた。

「もしかして、お姉ちゃんがあの悪い天使のないちんげーる?」

その言い方はどうかと思う。とりあえず、あの鬼狩りは子供にあらぬ誤解を与えたのでフローレンス・ナイチンゲールに謝るべきだ。と思ってはいるけど、結果的に私は頬を緩めながら子供に言ったのだった。

「悪い天使というのは間違いではないかな」

 その後、海辺の街に天使が舞い降りたという噂が立った。死に場所を探していたはずなのに、私はこの街が生きる理由の場所になった。私を人殺しとして許さないくせに私を看護師として信じたあの男の存在は、今も重石として私にのしかかる。もしも、鬼狩りの男がまだ生きていて、今の私を見たら何と言うのだろうか。そう考えるたびに、何故か胸に込み上げるものを感じるので苦しい。理由は分からないが。


 あれからずいぶんと時が経った。診察もできる看護師と噂が噂を呼び、そしてたくさんの人々を呼び、私は忙しい毎日を送っている。
 鬼舞辻無惨を待つ以前の私は、もういない。この罪を抱えて、私は、前を向いて生きていく。

2022.12.28
崇拝|救済措置様