
Bookso beautiful yet terrific.
東京駅から交通機関を利用して京都の伏見へ向かう。すっかり秋色に染まる街中を歩き、ようやく目的の場所である神社へ辿り着いた。鳥居の先に広がる神社の敷地内では、はらはらと葉が落ち、地面は黄色や褐色の絨毯と化している。時折宮司が境内を箒で掃いてはいるがやはり落ちる葉が多ければ意味がない。綺麗になった地面は再び色のついた絨毯に戻っていく。そういえば、今から17年前の秋も同じ光景だったなと朧気の記憶を頼りに当時のことを思い出した。その瞬間、北風より強い風が空気を震わせ、空から雷光のように落ちてきた光が私の目の前で弾ける。瞬きする余裕もなく次には目が痛くなるほどの見渡す限り白い塊が私の前に姿を現した。
「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」
誇らしげに唇の端をあげる彼に対して私はゆっくりと首を横に振る。私がこの場所に来たのは彼に約束させられたせいなので。
「自分で来いって言ったくせに」
私はショルダーバッグの中から政府から届いた審神者任命に関する書状の他に丁寧に折り畳まれた手紙を取り出して彼に見せつける。和紙できちんと包まれた手紙には内容が書かれていない。だけど、この手紙は確かに私宛だと感じた。
「覚えていてくれて嬉しいよ。なら、話は早い。行こうか?」
すっと真っ白い手が私に向かって差し出されるので私も僅かに迷ったがすぐに彼の手に自分の手を重ねる。その瞬間、脳裏に何かが浮かんでは物凄い早さで消えていく。不意に、涙が溢れた。途切れ途切れの映像が何かを訴えようとしている。最後に残った記憶は一振りの刀剣が完成した遠いあの時代だ。
「真っ白い、鶴のよう」
震える唇から無意識のうちに吐き出された言葉を聞いた彼は目を真ん丸にしてしまう。だけど、次の瞬間にはくしゃりと笑ってみせた。彼もまた、泣いていた。
長い年月を過ごしていると色々な驚きが待っている。一振りの刀剣が平安時代に作られ、数々の人間の手に渡り、最後は我が国の象徴の元へ行く。これで俺も静かに暮らすのだろうと思っていれば、まさか時の政府の元で戦いに身を投じるようになるのだから先は何が起きるのか本当に分からない。それでも、一つだけどうしても変わらないことがある。物とは違い人は生まれれば必ず死んでいく。
人が深い思い入れをしながら物を作れば奇跡が起きる。その奇跡のおかげで好都合を得た俺は彼女の前に姿を現してやった。
「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」
時は平安時代。この頃、現代では三条宗近の弟子と呼ばれる五条国永の元、一振りの刀剣ができあがった。それが後に鶴丸国永と呼ばれるこの俺のことである。本当だったら俺を作った五条国永を驚かせてやろうと現れたのだが、鍛錬所にいたのは男達ではなく幼い少女がただ一人だけだった。
「つ、つる、まる?え?」
しどろもどろに声にならない言葉を発し、大きな瞳をぱちぱち動かしながら暗い室内の中にいる俺を一生懸命見ようとする彼女の姿に流石に俺も反省することにした。半泣きになりながらも必死に涙をこらえて恐怖に耐える彼女には当然俺が悪霊にしか思えないはずだ。この時点で俺は彼女に一生のトラウマというやつを植えつけてしまったのである。
「いやー、すまんすまん。俺を作った国永に俺の素晴らしさを自慢したかっただけで、悪気はなかったんだ。だから、まぁ、怖がらないでもらえると嬉しいのだが」
彼女の前にしゃがみ込んで早口で弁明するが、彼女が小さな足を一つ、また一つと後ろに引いていく。明らかに、彼女は怯えている。
「国永を驚かせると悪いし、俺と会ったのは秘密にしてくれないか?」
正直、五条国永を驚かせて悪いとか一言も思わなかったが、必死に繕った言葉がこれだった。しかし、彼女は秘密という言葉に反応したようで小さな首を縦に振る。それから辺りを気にしてから口を開いた。
「秘密にするから、私が鍛錬所に入ったことも誰にも言わないで。その、お父様に怒られるのは、」
もごもごと言うので最後の方が聞き取りづらいが、何となく察した。本来、鍛錬所は女人禁制と呼ばれている。しかし、禁止と言われてしまえば幼い子供は気になって仕方ないに違いない。彼女もまた、興味本位でこっそりと鍛錬所にやってきたのだろう。そのせいで運悪く俺に驚かされてしまったわけだけど。
「分かった。約束しよう」
唇の端を上げてニッと微笑んでみせると彼女が心底安心したように強張らせていた表情を和らげる。子供らしい柔らかな頬をほんのりと赤に染めてから彼女は嬉しそうに返事した。
「ありがとう、悪霊さん」
「やっぱりそうきたか。俺は悪霊ではないぞ」
無邪気な子供に真剣に俺の存在を説明してもなかなか伝わるものではない。結果的に俺が刀剣の付喪神だと彼女が理解するのは彼女が大人になってからだった。
本体がある限り俺の実体は存在するらしく、あれ以来俺は目を覚ますと人と同じように身体を得るようになっていた。もっとも、俺の姿が誰かに見えるわけでもなく、刀剣も俺と一緒に歩くこともなく部屋の一角に飾られている。退屈を嫌い驚きを常に求める俺には人の身は好都合だ。行きたい場所があれば勝手に向かえるし、誰かに咎められたり俺の存在を見てひっくり返る人もいない。どういうわけでこうなったのかは分からないが、作者である五条国永には心底感謝した。そして、俺に退屈凌ぎをさせてくれる友人と出会わせてくれたことも。
「おい、きみ、聞こえないのか?」
今日も退屈凌ぎで大きな屋敷の中を闊歩していると正面から板張りの廊下を早足で歩く彼女の姿を見つけた。彼女は五条国永の娘で、元服を迎えてからある貴族の屋敷の女官として働いている。
「え?あー、鶴丸か。今日も退屈そうだね」
彼女の目の前で何度手を振りながら声をかけても全く俺に気づいてくれないので、思わず細い肩を手で掴んで行き先を遮ってやったらようやく彼女は俺に気づいてくれた。不思議なことに、このやり取りはよくあることだ。彼女の目の前に立とうが声をかけようが彼女は俺に気づかない。何とか振り向いてほしくて彼女の肩を叩いたり腕を掴んだりすれば彼女はやっと俺の姿を見つけてくれる。俺に構ってくれる唯一の友人がこんな感じだとたまにつまらないと感じてしまう。やはり人と物では文字通り住む世界が違うのだろうか。
「これから何処へ向かうんだ?」
「お父様のところよ。刀鍛冶の依頼を預かっているの」
「それはどんな依頼か気になるな。俺も行こう」
「えー、ついて来るの?」
苦笑いを浮かべながらも再び足を動かしていく彼女からは否定を感じないので俺も彼女の隣に並ぶ。俺の戯言に長い睫毛を震わせて楽しそうに笑う彼女の姿を見ているともっと彼女のことを笑わせたくなる。きっと、親心みたいなものなのだろう。俺と彼女はあの出会いからずっと共に過ごしている。彼女が蹴鞠をできるようになるところも、貝合わせを一緒にやったり、和歌を詠んだり、彼女が元服するところもずっと見続けてきた。刀鍛冶が刀剣に思い入れをして作るように、俺にも彼女に対して思い入れがある。唯一人間界を繋ぐ存在である彼女は俺の世界そのものだった。
晩年、俺は彼女と共にいた。あれから彼女は三条宗近の近親者と婚約し、伏見にある神社で婚儀を済ませ子宝にも恵まれている。桜の木が美しいのが印象的な神社だ。時が経ち、我が子が元服を済ませたり父親である五条国永を亡くしたり嫁ぎ先の三条宗近の弟子を面倒見たり、とにかく彼女の人生の全てを俺はこの目でしっかり見届けてきた。相変わらず、俺が一生懸命話しかけないと彼女は俺に気づいてくれないが、それでも彼女は俺にとってかけがえのない友人だ。その彼女が俺の手を握り今まさに人生を終えようとしている。親族は彼女を死なせはしないと良い医者や陰陽師を探しに退室したので彼女の自室にいるのは彼女と俺の一人と一振りだけになっていた。
「私がいなくなったら、鶴丸はどうするの?」
か細い声で彼女が俺に声をかけてくる。俺はしっかりと彼女の手を離さないまま少しだけ考えた。
「退屈は嫌いだからな。一先ず、きみと同じように眠りにつこうと思う」
「それならいいの。鶴丸を独りにするのは気が引ける」
長い睫毛を震わせて悪戯っ子のように笑う彼女の姿に彼女の幼い頃を重ね合わせる。人にとって長い年月でも、物にとっては一瞬でしかない時間。初めて向き合った人の一生に眩しいものを感じた。
「大丈夫だ、安心していい。俺には、きみとの思い出がある。独りにはならないさ」
彼女の表情が緩む。それからゆっくりと瞼を閉じながら彼女は小さな声で最後の言葉を口にしたのだった。
「真っ白い、鶴のよう」
唇に三日月を描いたまま彼女は息を引き取った。ぽっかりと胸に穴があく。俺の手の中からするりと崩れていくように離れた彼女の腕を視線だけで追っていると途端に胸が騒めいた。
「さて、俺も行くとするか」
何とも言えない感覚に苛まれながら俺は眠る彼女に声をかける。次の瞬間には俺の姿はこの場から消えたのだった。
せっかく眠りについてもやはりというべきかは分からないが時折本体から飛び出して好きに歩き回っていた。あれから年月が過ぎ、俺も縁あって神社に奉納されている。そこで久々におもしろいものを見つけた。
「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」
何度声をかけても相変わらず振り向いてくれない彼女に、俺は痺れを切らして彼女の肩を叩いてやった。すると、境内を竹箒で掃き掃除をしていた彼女は突然の俺の登場に目を真ん丸にしてしまう。初めて会ったあの時と顔立ちが全く違うのに、声に出せない悲鳴を口の中で噛み殺す姿は今も昔も変わらないらしい。
「つ、鶴丸って、あの?」
久しぶりという言葉が口から出そうになるが我慢した。巫女装束を着た彼女は、どうやらこの神社の娘に転生したようだ。だけど、彼女には五条国永の娘の頃の記憶など勿論なく、今は別の人間として人生を歩んでいる。俺のことを覚えていないのは寂しいが、また会えただけでも良しとすることにした。
「そうさ。きみの家に奉納された鶴丸国永が俺のことだ。驚いただろ?」
彼女は俺のことを凝視してから恐る恐る近づいてくる。今回の彼女はすっかり大人に成長しているので流石順応が早い。
「真っ白い、鶴のよう」
小さな口から紡がれる言葉に俺は理由も分からないまま瞼が少しだけ熱くなる。だけど、嫌な気はしない。単純に嬉しいと思った。
「綺麗ね」
長い睫毛を震わせてにこやかに微笑む彼女の表情は俺の見たかった笑顔だ。また彼女のことを笑わせてやれる、そう決めたのにどうやら都合良く物事は進まないのだと思い知らされたのだった。
初めて会った時に彼女の人生に干渉しすぎたせいなのか分からないが、俺が次に目を覚ました時に巫女としての彼女の人生などとっくに終わっていた。時代も神社から別の場所へ鶴丸国永が渡っている。それなのに、俺の魂というやつはこの場所から動けずにいた。ある意味、付喪神より地縛霊の方が呼び名として相応しいかもしれない。友人もいないせいで退屈を持て余した俺にできることは指折り年月を数えることだけだった。そうして時代の移り変わりを飽きるほど見てきた頃、ようやく彼女に出会うことができたのである。
「神様。どうか、私の家族を助けてください」
ぼろぼろの衣服を着た幼い子供が必死に手を合わせて祈っている。顔が泥に塗れても、長い睫毛を震わせるその仕草は俺が忘れもしない彼女の癖だ。彼女に会えた嬉しさから俺は祈りを捧げる彼女に声をかけた。だけど、相変わらず彼女の耳に俺の声は聞こえないらしい。いつもの調子で寂しさをこらえながら彼女の小さな肩を叩いてやった。
「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」
振り向いた彼女が俺を見つけて驚きに目を丸くする。しかし、今度は前に会った時とは違い子供らしく表情を高揚させながら笑顔を浮かべた。
「神様だ。本当に来てくれたんだね」
彼女が祈っていた神様とは違う気がするがそれは言わない方がいいと思った。彼女のために。しかし、神様というやつは非情だ。彼女の姿を見れば彼女の人生に酷く辛いものを課せていることなど明らかではないか。
「俺はきみを助けに来た。だから、何があったのか教えてほしい」
俺の問いかけに彼女は目にたくさん涙を浮かべて首を縦に振る。それから短い時間ではあったが彼女の身の上話を聞かせてもらった。彼女の両親は病に伏せ、彼女の弟と妹は毎日腹をすかせて泣いている。彼女にできることは田畑を耕し少しでも収入を得ることだけだった。
「神様に相談したから安心した。私、もっと頑張る」
勝手に話を終わらせた彼女は駆け足で神社からいなくなろうとする。俺はもう少し彼女と共に過ごしたくて呼び止めたのだが、彼女は全く聞く耳を持たない。
「真っ白い、鶴のよう」
去り際に彼女はこう言っていた。長い睫毛を震わせて無邪気に笑う彼女の姿に俺の胸が苦しく思う。そして、さらに会いたい気持ちが強くなってしまったのである。残念ながら、この時の彼女とはこれっきりとなってしまった。どういうわけか俺が神社から出ようとすると何かの力に遮られて出られないのだ。俺は本当に地縛霊にでもなってしまったのかもしれない。
その後の彼女の人生がどうなったのか分からないままだった。ただ、どんなに待っても成長した彼女が現れるわけではないので最悪の想像はついている。
あまりに長い年月をさらに重ねたせいで彼女が転生した姿を何度も見るようになった。ある時は何処ぞの武士の正室だし、子供に恵まれない平民という時だってある。奥女中として仕えていたと思えば、廓から男と一緒に逃げた遊女として心中したこともあった。そのたびに俺は彼女に声をかけて驚かせ続けている。彼女に気づいてもらえないのなら俺が彼女のことを見つけてやればいい。そうすれば、人の一生は一瞬でも物である俺が覚えていれば彼女の存在は消失しない、決して。
最初は神様というやつは非情だと思ったが明治の始めに出会った彼女を見れば案外違うのかもしれないと感じた。神社に現れた彼女は上質な着物に袖を通しゆったりとした足取りで道を歩む。すっかり年齢を重ねた彼女の手や頬は張りがなく皺だらけだった。
「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」
相変わらず彼女から俺に気づいてくれないので俺から彼女の肩を叩いて振り向かせてやる。神社に祈りを捧げていた彼女は僅かに驚きをみせたが、すぐに柔和に微笑んだ。
「真っ白い、鶴のよう」
長い睫毛を震わせて落ち着いた雰囲気の微笑みを見せてくる目の前の老婦人がやっぱり彼女だと俺に実感を湧かせる。
「ああ、よく言われる」
何度転生しても彼女の俺を見る印象は変わらないらしい。彼女は俺の存在に警戒することもなく世間話に付き合ってくれた。今の彼女は老舗呉服屋の大女将を務めていて、子宝に恵まれて孫もいる。話をする彼女の横顔が幸せに満ちていた。それは俺も喜ばしいことなのに、何故かまた胸が苦しくなっていく。よく分からない感情に俺自身戸惑ったが彼女に気づかれないよう努めて明るく振る舞った。
「あら、もうこんな時間なのね」
ふと、遠くから聞こえてくる子供の声に反応した彼女がそちらに反応する。それから俺に振り向きゆったりとした笑顔を浮かべた。
「帰る時間みたい。さようなら」
「元気でな」
振り向かずに真っ直ぐと鳥居の向こうへ去って行く背中をいつまでも目で追ってしまう。彼女の姿が見えなくなると、先程聞こえた子供と老婦人の楽しそうな笑い声だけが俺の耳に届いた。
「きみはまた、俺を忘れるのだろうな」
行かないで、叫びたくなる衝動に駆られるが必死に抑え込む。そろそろ寂しさをこらえる方法が分からなくなってきた。
どんなに俺自身が伏見の地にとどまっていても刀剣は人から人の手に渡り別の地に行くものである。俺の本体は明治に入り伊達家から皇室へ献上されたようだ。どうせ次の彼女と出会うまでに長い年月を待たなければならないならいっそのこと俺も眠りにつこうかと考えるが、眠っている間に彼女が転生を済ませていたらと思うと踏ん切りがつかない。結局俺は眠らないまま神社に居座り続けたのだった。
平成30年、11月。今年も子供の成長を願うべく数多くの家族連れが七五三のため神社を訪れていた。たくさんの葉が色づき、境内には数えきれないほどの落ち葉で埋め尽くされている。俺は勝手知ったる顔で敷地内がよく見えるこの地に昔からある大きな桜の木に登り退屈凌ぎに参拝客を眺めていた。御神木と呼ばれる桜の木の隣にはイチョウの木々がある。鮮やかな黄色が神聖な神社にはよく似合っていた。
「真っ白い、鶴のよう」
唐突に耳に届いた言葉に俺は驚きつつも気のせいだと思いながら辺りを見回す。敷地内は大勢の参拝客で賑わうが誰も俺のことなど見ていない。
「鶴の神様、聞こえないの?」
今度はしっかりと聞こえた。聞き間違いではない。俺が木の根元に視線をやるとそこには、鮮やかな赤色の着物に袖を通し手に千歳飴を持つ幼い子供が一生懸命顔を上げて真っ直ぐに俺を見ていた。
「まさか」
長い年月を過ごしてきたが相手から俺を見つけられたことはない。ぽつりと呟くとそれに反応したように子供がにっこり笑う。長い睫毛を震わせて無邪気な笑顔を浮かべるその姿は間違えようがなかった。思わず木の上から飛び降りて相手の前に立つ。でも、もっとよく顔を見たくて視線を合わせるようにその場にしゃがんでみせた。
「俺が見えるのか?」
「勿論だよ。こんにちは、神様」
えへへと歯にかむ彼女の姿に瞼の奥が熱くなった。ずっと待ち続けていた彼女がここにいる。しかも、初めて彼女から俺のことを見つけてくれた。これ以上の幸せが何処にあるのだろう。俺はその場に立ち上がり両手を広げてみせる。震えそうになる声を必死に隠しながらいつもの台詞を述べた。
「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」
小さな手をぱちぱちと叩きながら高揚したせいでふっくらした頬を染めている彼女。彼女のこれからの人生を見届けていきたい。あの五条国永の娘だった頃と同じように。
「きみ、名前は?」
思わず彼女にこの人生での名前を尋ねると何も疑問を持たない幼い彼女はあっさりと教えてくれた。だけど、足りない。名前だけではなく彼女のことを知りたくて、一緒にいたくて、彼女のことをもっと笑わせてやりたくなる。止まらない願いが俺の胸を締めつけた。
これは宿命みたいなものなのだろうか。あれ以来彼女が神社に現れることはなかった。そして、俺はまた彼女の存在を失ったまま過ごしている。再び長い年月が経った頃、突如として俺の意識は神社から別の場所へ移された。そこは見たこともないのに何処か懐かしく感じる住居。左右対称に作られた屋敷と広大な敷地は俺が誕生した平安時代の雰囲気によく似ていた。
この場所が本丸で、刀剣は審神者なる人物に目覚めさせられて歴史修正を阻止するため時間遡行軍との戦いに身を投じていることを顕現した際に管狐であるこんのすけから説明を受けた。ちなみに、俺が顕現したのはこの本丸では他の刀剣と比べるとずいぶんと後の方だったらしい。
「鶴丸様は、人の身で過ごすことに慣れていらっしゃるようにお見受け致します」
本丸で過ごす俺のことをこんのすけがよくそう言っていた。確かに慣れているかもしれない。長い年月を彼女を待ちながら退屈凌ぎに興じていたのだから。
このまま戦いに身を投じ、戦いが終われば美術品に戻るのだろう。そうすれば、俺の意識はまた伏見の地に地縛霊のようにとどまるに違いない。他人事のように自分の置かれた状況を客観的に見ていた。そんなある日、他の本丸の刀剣との演練の際、刀剣達の間で囁かれている噂話を耳にしたのである。
「うちの主は、2015年から来たんだって」
相手方の第1部隊に属する加州清光がそう口にした。時の政府の元、刀剣が収集されるようになったのは2205年のこと。つまり、加州の話が本当ならばその審神者は過去から来たことになる。
「過去の人間が2205年の現代にいるだなんて、歴史に異変でも起きると思うが?」
俺の疑問に対して加州は首を傾げる。だけど次の言葉に驚くばかりだった。
「あまり過去の人間だと影響あるみたいだけど、2015年以降の人間なら政府の調査で問題ないと判断されているんだって。それに、その人間が霊力を持つ者なら寧ろ願ったりみたい。まぁ、噂話でしかないけどね。主はその辺に関して語ることはないしさ」
過去の人間、真っ先に思い浮かぶのは平成に生きる幼い彼女の笑顔だ。ただ、霊力があるかは分からない。もし噂話が本当なら。欲求は尽きない。
神様というやつは案外俺の味方かもしれない、そう思ったのは演練で噂話を聞いてからずいぶん経った頃のことだった。本来、各本丸に派遣される審神者は素性を語らない。万が一審神者が聖域から出られなくなることを政府は何よりも恐れている。確かに、敵の仕返しや或いは味方からの裏切りにより審神者が消失したとなれば政府の面は丸潰れだ。だから俺を顕現させた審神者の素性も分からなかった。
「時間遡行軍は平成を無事に終わらせる気がないようです。政府より刀剣男士を派遣し調査せよとの命を受けました」
「派遣先はつまり平成30年、もしくは年明けの31年ということか」
たまたま通りかかった審神者の私室の前で審神者とこんのすけの会話が偶然耳に入った。平成30年、その言葉に俺は思わず立ち止まり息をひそめる。胸の内が騒ついて仕方がない。
「平成といえば主様のお祖母様が生きた時代ですね」
「お祖母様のお母様だったような。私には遠すぎてあまり実感が湧かないんだけど」
審神者とこんのすけにしてみれば何てことない世間話だったのだろう。だけど、俺には違う。例え決して手が届かない星のように無謀な可能性でも俺にとって喉から手が出るほどの希望だ。
「計算上、私の血縁者に当たるその人は平成30年に3歳になると思う」
「ちなみに、当時は何処にお住まいだったのですか?」
「お祖母様の少し前の代から京都から東京に引っ越したって聞いたから、たぶんその人は京都にいたかもしれない」
審神者の顔立ちがほんのりと彼女と重なる。正直平成に会った彼女と審神者は似ていない。でも、霊力があるかどうかで判断するならば審神者の言う血縁者はおそらくあの幼い子供のことだ。
審神者の素性が分かればあとはこちらの勝ちだ。毎夜、皆が眠りについた頃に俺はひっそりと各時代へ遡る。まずは審神者が生まれた年、次は審神者の両親が生まれた年、そのまた次は審神者の両親がそれぞれ生まれた時代へ遡ることで審神者と彼女の血縁関係を確かめることにした。すると、最終的に行き着くのは平成30年、11月。場所は伏見。疑惑は確信へと変えたのである。
そしてこの頃の本丸では現審神者の交代が決まっていた。時間遡行軍との戦いが長期化するため、各本丸では審神者の世代交代がよく執り行われている。例えば審神者の任期が経つに連れて霊力が弱まったり、審神者が現世の人間と婚姻を結んだり、審神者自身が病魔に蝕まれたりと審神者によって引退する理由は様々だ。俺を顕現させた審神者も例外ではなく婚姻のため引退が決定したのである。その新しい審神者の候補がまだ決まっていないことも耳にした。
我が鶴丸国永、一世一代の大勝負に出る。時の政府の中枢に忍び込み次代の審神者の候補の資料の中に平成に生きる彼女の書類を紛れ込ませた。正直、簡単にうまくいくとは思っていない。だけど、長い年月を経て大きくなりすぎた俺の願いは誰にも止められないものだった。何故なら、そもそも俺は末席と言えど付喪神という神様の一員なのだから。
平成30年、11月。京都、伏見にある神社にて。幼い少女が自分の身体より重そうな着物に袖を通し、まだ紅の似合わない小さな唇を尖らせている。ふと、大きな瞳がイチョウの木からこちらに向けられ、不貞腐れたようにじとりと睨む。家族が宮司と話しているなか、少女は履きなれない下駄の音を鳴らしながらズンズンとこちらを歩いてきた。
「真っ白い、鶴のよう」
イチョウの木の隣にある御神木の桜の木の前で足を止めた彼女がそう口にした。
「俺が見えるのか?」
彼女の目線に合わせるようにその場にしゃがむと彼女の視線は俺を見下ろすようになる。それから首を縦に振りながら勿論と返事した。どうやらあの時と同じように彼女はちゃんと俺の存在を認識している。そのことに安堵しながら俺は自分の懐の中に手を入れた。
「ちょうどよかった。きみに話がある」
ふいに彼女の表情が暗くなる。ほんの少しだけ迷う素振りを見せてから彼女はまだ舌ったらずの声音で極当たり前のことを言ってのけた。
「知らない人と話してはいけないってママ達に言われれているけど」
「でも、きみは俺を見つけたじゃないか」
「私、あなたの後ろにいる鶴を触りたかったの。そうしたら、鶴みたいなあなたがいた。知らない人じゃなくて鶴の神様となら話しても怒られないのかな?」
不安そうに考え込む彼女の姿にきょとんとしながら彼女に言われた通り自分の背後に視線をやると何処からやって来たのか分からない真っ白いアヒルがそこにいた。残念、あれは鶴ではない。
「すまんすまん。邪魔しちゃったみたいだな」
とはいえ、せっかくの彼女の興味を削ぐ必要もないのであれが実はアヒルであることを伏せておく。例えあのアヒルがアフラーックと羽根を広げながら鳴いていたとしても、彼女にとって鶴ならそれで構わないだろう。ところで、俺には時間がない。彼女が鶴を触りたさに俺を見つけたとしても、彼女が俺を見つけたことに変わりはないのだ。俺は懐の中から文を抜き取りそれを彼女の幼い小さな手へ無理やり握らせた。
「これ、大切に持っていてほしい」
「知らない人からもらってはいけないってママ達に言われているけど」
「あー、いや、そうかもしれないが」
きちんと躾された彼女のことを今は素直に褒めてやることができない。俺は思わず頬を指でかきながらどうしたものかと悩む。だけど、時間は待ってくれないらしく政府から支給された時計のアラームの音が辺りに鳴り響いた。
「うるさい」
彼女が耳障りだと言わんばかりに眉間に皺を寄せる。周りの人間達の耳には音は届いてないので誰もこちらを見ようとしない。いや、俺と彼女のすぐ隣を横切る家族連れも俺達のことなど全く気にかけていなかった。あのアヒルでさえも音に反応せずアフラーックと羽根を広げて鳴いているだけ。
「そういうわけだから、よろしく頼む」
「どういうわけなの?」
「今は説明できないが、きみが成人の年を迎える頃にまた来る」
彼女が首を傾げるのを見た瞬間、俺の身体は眩い光に包まれる。神社の地面の上の落葉も数枚舞い上がってから世界が暗転した。そして、俺の姿はその場から消えたのだった。
ふと、何もなくなった一点を幼い双方が見つめている。
「名前、帰るわよ」
彼女は虚空を見つめていたかと思えば母親に呼ばれてパッと振り向く。彼女は難しい顔をしてから不貞腐れたように唇を尖らせた。
「鶴、逃げちゃった」
「鶴?そんなのいたの?ああ、だからそんな所で突っ立っていたのね」
親子の会話を聞いていた宮司が柔和な笑みを浮かべる。それから彼女の目線に合わせるように腰を屈めた。
「たまにやって来るんだよ、鶴が。でも、滅多に人間の前に現れない鶴の神様なんだ。鶴に会えた名前ちゃんにはきっと良いことがあるよ」
宮司の言葉に嬉しそうにする彼女。彼女の両親もまた満更でもなさそうに微笑んでいたのだった。
身体に纏わりついていた突風が晴れたので目を開けるといつもの見慣れた本丸がそこにあった。広大な敷地の中に作られた畑やら庭には本丸で暮らす刀剣達の思い思いの理想が詰め込まれている。共に同じ部隊で遠征に出かけた仲間達は疲れた顔をしながら各々部屋に戻っていく。時折俺に労いの言葉をかけてくれるので俺も片手をあげて返事をした。自分一振りになってから俺は板張りの廊下を進み目的の部屋を目指す。しばらくして辿り着いた開けっ放しの襖の向こうには行儀良く座るこんのすけがいた。
「鶴丸様、お待ちしておりました」
こんのすけが深々と頭を下げてくるので俺はいつものように笑って返す。刀を腰から下ろして畳の上で胡座をかく。すると、ようやくだんまりだった審神者が口を開いた。
「お役目、ご苦労様です」
審神者の双方がやんわりと細められる。先程の会った彼女と審神者が血縁者だと理解しているせいなのか分からないが、二人の顔立ちがほんのりとだけ重なったように見えた。
「主こそ、俺達の留守をいつも守ってくれて感謝している。ありがとな」
「それが私の仕事ですから」
まだ幼さが残る審神者の笑みを見つめながら内心罪悪感が芽生えてきた。だけど、ここで怯むわけにはいかない。俺には長い年月を経て膨らみすぎたどうしても叶えたい野望がある。
「平成の歴史は無事に幕を下ろしそうでしたか?」
今度はこんのすけが恐る恐る声をかけてきた。先日、政府から受けた報告では時間遡行軍が歴史改変を目論むとあったのである。その狙われた時代が平成最後の年だ。今回、部隊長の俺を始めとする6振りで平成30年の伏見へ遠征に行くように審神者から命を受けたのである。
「俺達が辿り着いたのは11月だった。あの段階では、特に異常はなさそうに見えたけどな」
「では、次に狙われるとすれば年を明けた平成31年の何処かということになりますね」
難しい顔をしたこんのすけが審神者を見る。審神者はこんのすけに視線を向けて小さく頷いたかと思えば再び俺を見た。そして、いつもの調子で微笑むだけ。
「鶴丸、ゆっくり休んでくださいね。あとは私とこんのすけで話し合いますので」
「分かった。それじゃあ、よろしく」
俺はさっさとその場から立ち上がり部屋を出る。審神者とこんのすけは俺が退室するなり声を潜めて話し出したが俺は耳に入れる気にもならず自室へ向かう。道中、短刀達が審神者の交代について話していたけれど、それも聞こえないふりして歩みを進めたのだった。
月夜が美しい11月の夜。外から冷えた風が襖が開いたままの室内に入り込んできた。地面の上を埋める枯れた葉がかさりと音を奏でている。透明で澄んだ空気を深く吸ってから吐き出す。その瞬間、身体の芯から冷えた感覚がした。それと同時に未だにどんちゃん触ぎ状態の広間に残る審神者の顔が思い浮かぶ。どうしても拭い切れない罪悪感とやらは人の身を得たことにより生まれる人間らしさなのだろうか。
「新しい主は過去から来るらしいな」
罪悪感というやつをひた隠しにしながら音もなく現れたこんのすけに俺から声をかける。こんのすけは何も答えないまま俺の隣に座った。
「これで満足ですか?」
冷たい声だ。俺は冷え切った身体をあたためるようにすっかりぬるくなった熱燗をお猪口に注いで一気に飲み干した。
「あなたがこれからしようとしていることはこれまでの主様の努力を無にするでしょう。そして、主様だって」
「まぁ、消えて無くなるだろうな」
こんのすけが俺のことを睨みつけてくることを気配で分かる。それでも、どんなに罪深いことであっても俺にも譲れないものがあるわけで。
「どうするつもりだ?罰として俺を刀解でもするか?」
しんと辺りが静まる。聞こえるのは冷たい風の音だけとなった。少しの沈黙の後、こんのすけは辺りを気にしながら一層小さな声で口を開く。
「主様には次の審神者に関する一切のことを伝えていません。それが時の政府が定めた掟ですから。でも、今回の一件はあまりにも主様がかわいそうです」
俺を真っ直ぐ射抜くような非難を受け止める。審神者は本日で役目を終了、今晩は審神者との別れを惜しむ宴会を催していた。審神者の最後の任務である平成の年は無事に幕を下ろすことになっている。残念ながら平成が無事だとしてもこれから就任する審神者のせいで2205年に生きるこの審神者は何かしら影響を受けるだろう。
「鶴丸様はどうされたいんですか?」
「どう、とは?」
「あなたの想い人と恋仲なりたい、そう解釈してもよろしいですか?」
こんのすけの責めるような言葉に少しだけ考える。確かに、こんのすけの言うことも一理あるかもしれない。でも、俺はそれ以上に知りたいのだ。
「彼女の見ている世界と同じものを俺も見たい。ただ、それだけの話さ」
彼女が五条国永の娘だった頃と同じように俺は彼女の隣で彼女と共に過ごしていきたい。願わくば彼女が最後の眠りを迎える時に見送るのが俺の役目でありたいし、彼女を守り抜いた結果俺が壊れるなら尚のこと喜ばしいのだ。
「もう独りになるのは、嫌だ」
予想以上に弱々しく溢れた本音にこんのすけは何も言わなかった。そのせいで、風に舞う落ち葉の音がやけにうるさい。
朝方、審神者を送り出してから俺は政府の使者として過去へ向かう。場所は平成30年から17年経った伏見の地。過去へ転送する際、こんのすけと目が合ったがこんのすけの瞳からは迷いが消えていた。いや、無駄だと悟ったという表現の方が正しいのかもしれない。
時空を超えて宙に歪んで作られた時の歪みから抜け出し、目的の場所へ足を踏み入れる。景色はあまり変わらない神社の拝殿の前で彼女は驚いたようにこちらを見ていた。
「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」
内心不安で仕方がなかった。もしかしたら、彼女はまた俺を忘れているかもしれないと嫌な想像ばかりが浮かぶ。それを振り切るように誇らしげに唇の端をあげる表情を作る。すると彼女は驚いた表情を消し、瞼を伏せてゆっくりと首を横に振った。
「自分で来いって言ったくせに」
そう呟いてから瞼を開いた彼女は肩にかけていた小さな鞄の中から政府からの書状の他に丁寧に折り畳まれた手紙を取り出して俺に見せつける。和紙できちんと包まれた手紙には内容が書かれていない。だけど、この手紙は確かに俺が書いたものだった。
「覚えていてくれて嬉しいよ。なら、話は早い。行こうか?」
少なくとも17年前に俺と会ったことを忘れているわけではないらしく、俺は嬉しさに頬が緩む。早く彼女を連れて本丸に戻りたくてすっと手を差し出した。彼女が僅かに迷った素振りを見せるがすぐに俺の手に自分の手を重ねる。その瞬間、脳裏に彼女と過ごした長い年月の記憶がよみがえるが物凄い早さで消えていく。途切れ途切れの映像が最後に残したものは一振りの刀剣が完成し、幼い少女と出会うあの時代だった。ふいに、目の前にいる彼女の瞳から一筋の涙が溢れる。
「真っ白い、鶴のよう」
震える唇から吐き出された言葉を聞いた俺は驚きに目を丸くする。だけど、状況を理解してからいつものようにくしゃりと笑ってみせた。嬉しすぎて、目頭が熱い。
お互いの手が触れたことによって目覚めた奇跡のおかげで、手紙に文字が浮かび上がっている。今度はもう、この文字は消えないだろう。決して。
拝啓、親愛なる、きみへ。
きみはまた俺のことを忘れているのだろう。だけど、俺はきみのことが忘れられず今もここにいる。どんなに長い年月が経とうとも、ずっと、きみを待つよ。
2018.11.28
秋便|スタージュエリーに墜落様