
Bookso beautiful yet terrific.
人を好きになると臆病になる。いつぞや読んだ本の一説にそう書かれているのを見たことがある。さて、僕は現在、その本の通りになっている。
放課後。彼女が1-Aの教室から出て来るのを近くの廊下の曲がり角の影から見つけた。残念ながら、現れたのは彼女一人ではなく魔獣を含めた友人達と一緒だった。僕は内心ドキドキしながら彼女の正面に出る。つかつかと早足で彼女の元へ行き、震えそうになる口をなんとか開いた。
「こんにちは、監督生さん。今日はとても冷えますね」
「アズール先輩、こんにちは。本当に、寒いですね」
ぴたりとすぐに会話が止む。僕はこれ以上続けずに、にこりと彼女に微笑みかけた。
「では、僕はこれで」
彼女の返事なんぞ聞かずできるだけ早く足を動かして彼女の隣を通り過ぎる。それから適当なところで曲がり角に入り込み、そこで深々と溜息を吐いた。
「き、緊張する」
まさかこの僕がたかだか挨拶するだけでこんなにも緊張と動揺するとは思わなかった。だけど、仕方がない。彼女を前にすると、彼女に光の粒子が降り注いでいるように見えてしまい直視できずうまく話せないのだ。ちなみに、先程の挨拶程度の言葉だって昨日の夜から何度も頭の中で練習してなんとか吐き出したのである。
思わず、頭をガシガシとかく。かっこわるい。それをちゃんと自覚している。自己嫌悪に陥るようにずるずるとその場にしゃがみ込むと、不意に影が重なった。
「体調悪いんですか?」
え、と思いながら顔を上げると彼女が僕のことを見下ろしていた。先程別の方向へ友人達と一緒に歩き去ったはずの彼女が一人で僕の元にいる。もしかして、挙動不審の僕を心配して彼女は僕のことを追いかけてくれたのだろうか?違うとしても、彼女が目の前にいるだけでも嬉しく思う。
「ああ、いや。お気遣いありがとうございます。大したことではありませんので」
何事もなかったかのように装ってその場から立ち上がると、彼女がじっと僕の様子を見つめてくる。それから、ふっと表情を緩めた。
「無理はなさらないでくださいね」
どうせ社交辞令に違いないだろう彼女からの気遣いに、僕の心臓がドクンと飛び跳ねる。いつもならすぐにでも言葉が出てくるのに、僕のよく回る口は彼女を前にしては機能してくれない。
「ええ」
それだけ返すだけで精一杯だった。僕の返事を聞いた彼女は特に気にする様子もなく、では、と頭を下げてから僕に背を向ける。
本音を言えば、もう少し長く彼女と話したい。だけど、僕の足は地面に貼りついたまま動いてくれなかった。
「かっこわるいですね。フロイド」
「タコちゃんかっこわるいねー。ジェイド」
「というわけで、」
「オッケー、」
それは、突然だった。僕の背中が、せーの!!!という掛け声と共にドンと強く押されて足が動く。振り向かなくても分かる双子の悪戯に僕は思いっきり、顔を顰めるがそれどころではない。勢いのついた僕の足は止まらずたった今僕に背を向けた彼女の元へ行く。そして、ドン!!!と強く鈍い音を立てながら彼女の背中に僕の身体が前から突っ込んでいった。
僕にぶつかられた彼女がほんの僅かに驚きを露わにさせてから、すぐにパッと離れて僕に向き直る。
「余所見していました。すみません」
照れるわけでもなく、怒るわけでもなく、特に表情も態度も変わらずにすっと頭を下げる彼女の姿に僕の顔から血が引いていった。
「あ、いや、その。僕の前方不注意です。すみませんでした」
双子達の悪戯のせいで僕が彼女にぶつかったのは不可抗力だろう。それでも、自分でも分かるくらいに情けないほど沈んでいく。好意を寄せている女性に迷惑をかけるのは居た堪れない。
「それじゃあ。私はこれで失礼いたします」
きちんと折り目正しく一礼した彼女が再び前を向いて歩き出してしまった。僕は、待ってと思い手を伸ばすが、彼女の手を掴んだところで何を言えばいいのか分からず結局は元の位置に戻すだけだった。
立ち尽くす僕の両隣にウツボ達がやって来た。ジェイドとフロイドも呆れた口調で言ってくる。
「本当にかっこわるいですね」
「マジでかっこわる」
「うるさい」
即座に返しつつも、僕の声に覇気がなかった。彼等の気まぐれによる悪戯すら利用できない僕は情けないほど臆病だ。いっそのこと、天災地変でも起きれば何か劇的にこの関係が変われるのだろうか。なんぞ、無意味な願いすらしてしまう自分に笑える。
僕は彼女が去って行った方角に背を向けて歩き出すと、ジェイドとフロイドも一緒になって隣を歩く。二人はからかうわけでもなく、そういえばと今日あったことを話し出した。おそらく、この二人なりの気遣いなのだろう、たぶん。彼等の話に適当に相槌を打ちながら耳を傾け始めた時だ。
一際強い風が廊下の中に吹き荒れる。バサバサバサッと大きな音が辺りに鳴り響き、僕もウツボ達も思わず振り向いた。そこには、先程まで掲示されていたはずの部活勧誘のポスターやら、学校行事等の報告やらのたくさんの掲示物等が廊下のあちこちに散乱していた。おまけに、いくつかは僕の足下にある。
「無視するわけにもいきませんね」
僕は深々と溜息を吐いてから掲示物を拾いながら先程までの場所に戻る。ジェイドは仕方ないと、フロイドは渋々と、彼等もまた散乱している掲示物に手を伸ばしていく。
辺りに散らばる物を全て拾い上げてから顔を上げると、先程去って行ったはずの彼女がたくさんの紙束を持って掲示物があっただろう場所に立っていた。僕は思わず彼女の元へ近づき、声をかけた。
「監督生さん。それは?」
「掲示してあったのが、風で外れてしまったらしくて」
彼女が持つ紙束も、先程までこの辺りに掲示してあったはずのポスターばかりだった。彼女の後ろの方でも、他の生徒達がぶつくさ文句を言いながら掲示物を拾い集めている。
「実は、僕の方もそうでして」
内心ドキドキしながら彼女の隣に並ぶ。僕と彼女が持っている紙束と、周りの生徒達がまだ拾い集めている紙束の量を見ると相当の数だ。これは元のように掲示するには時間がかかるだろう。
「あの、」
勇気を振り絞って彼女の方に向き直る。僕に改めて声をかけられた彼女は表情を変えずに隣に立つ僕に顔を向けた。
「元に戻すの、手伝っていただきたいのですが」
いつもならきちんと具体的に話すくせに、これ以上緊張しすぎて口が回りそうもない。一方僕の言葉を聞いた彼女は、数回瞬きしてから緩く微笑んでみせた。
「はい」
たった一言返されただけなのに、彼女の微笑みと目が合ってしまったせいで僕の顔にかあっと熱が集まる。
「では。頑張るとしましょうか」
そう言ってから、パッと彼女から顔を背ける。なんとかドキドキする心臓を落ちつけようとしていた僕は、ハタとこちらを見るウツボ達に気がついた。
「不可抗力というやつですよ。フロイド」
「天災地変ってやつ起きてよかったね。ジェイド」
同じ笑い方でニヤニヤと僕を見つめてくる双子に僕は赤い顔のままじとりと睨むことしかできなかった。白々しく笑う彼等のマジカルペンがきらりと輝いたのを僕は見逃さなかった。
2023.01.21
不可抗力|女監督生受け版ワンドロワンライ