
Bookso beautiful yet terrific.
幼い頃、ずっと一緒にいようと約束をしながら一晩中手を離さないで眠った。次の日の朝までちゃんと手を繋いでいられたら約束事が叶うというようなおまじないをまだ幼い私が信じて疑わなかった笑い話。今思えば、たかだかおまじないくらいで願いなど叶うはずもないのに。
昔を思い出しながら内心自嘲気味に笑う私に気がつかないまま道場主と相手のやりとりはいとも簡単に進んでいった。立派な料亭で、立派な衣服を着て、立派なお世辞を吐いて。立派すぎるものに囲まれながら縁談が成立していくのを私は他人事のようにぼんやりと眺めていた。自分のことなのに、他人事のように思うのだから滑稽な話だと思う。
「また、お会いできますか?」
私の向かい側に座っている男性が声をかけてきた。誠実さと優しさの両方を携えた柔和な笑みを見つめながら私は愛想笑いを返す。
「ええ、ぜひ」
これが道場主の娘である私の役目なのだから、仕方がない。
じめじめとした梅雨を吹き飛ばすくらい道場の中は活気に溢れていた。重い竹刀を弾く音が室内に木霊する。道場主の弟子達は何度倒されようとも負けずに立ち向かってくるので私は再度竹刀を振っては弟子達の前に立ちはだかった。
いつも通りの光景に、ふと、声がかけられる。玄関を見ると道場主が満足そうな笑顔を浮かべながら道場の中に足を踏み入れてきた。私も弟子達も稽古をやめて戻ってきた道場主を出迎える。道場主は大きな口を開けて笑い声をあげながら土産を配り始めた。
「元気そうだね、名前ちゃん」
和気あいあいと話す道場主と弟子達を尻目に私が手拭いで汗を拭っていると彼が話しかけてきた。私が彼に視線を向けると相変わらず彼は人懐っこい笑顔を浮かべている。
「総司くんも元気そうで」
「元気ではないよ。毎日不逞浪士を取り締まるのに忙しくてもうヘトヘト」
口ではそう言っているくせに彼の表情に疲れなど見えない。彼のお得意のいつもの冗談なので私は特に触れずに聞き流す。視線を彼から道場主と弟子達に戻すとまだ和気あいあいと話に夢中になっているので、これだと稽古再開は当分の間難しいだろう。
「近藤さんから聞いた。お見合い、うまく行きそうでよかったじゃん」
前置きもなく触れた話題に私は視線を彼に向けないまま返事する。脳裏に過ぎるのは先日あの立派すぎる料亭で立派すぎる格好をして執り行われたお見合い。彼の言う通り、このままうまく進む感じが確かにあった。
「相手の男は名門道場の息子なんでしょう?そんな人が婿に来てくれれば近藤さんも安心して隊務に全うできるだろうし」
勝手に口を開いてはペラペラと話す彼に相槌だけは打っておく。道場主としては安心だし、父親としても早く娘の結婚相手が見つかるのだからホッとしているに違いない。ただ、当の私は結婚に関してまだピンと来ないわけなのだが。
「そうだね。局長の手を、お家騒動のために手間を取らせるわけにはいかないわ」
嫌味な女。自分で言っておいて内心嘲笑う。だけど、私の性格をずっと前から一緒に過ごしてきた彼には分かりきっているので彼は別に私を咎めようとしない。
「本当、僕も同じ意見」
屈託のない笑顔で同意を示してくる彼に、やっぱりなと思う。彼の頭の中にあるのは道場主に対する忠誠心だけ。つまり、道場主の娘である私のことなど何とも思っていない。ああ、違う。ただの厄介者とは思っていそうだけど。
わっと歓声が上がるので二人揃ってそちらを見れば道場主が竹刀を手に立ち上がる。それから弟子達も道場主にならうように一斉に立ち上がった。
「近藤さん直々に稽古をつけてくれるなんて最高。僕も参加して来ようっと」
彼もまた私の隣から立ち上がる。だけど、すぐには輪の中へ向かわず足を止めた。
「ねぇ、名前ちゃん。覚えてる?」
「何が?」
「ううん。何でもない」
今度こそ離れていく彼の背中から私は目を逸らした。彼の感情なんぞ、私には昔からずっとよく分からないままだから。
二回目の顔合わせは梅雨らしく蒸し暑い雨の日に行われた。相手の男性は前回とは違い、道場主ではなく私に積極的に話しかけてくる。私は男性からの質問や世間話に作り笑顔を絶やさないようにしながら応じていた。
このままこの人と結婚すれば幸せになれる。新選組局長、近藤勇の娘が男勝りのせいで結婚できないなど隊士の間で笑いものになる。それならば、名門道場の息子を婿に貰えるなら試衛館だって安泰だし、道場主が連日不在ということも打破できるので、弟子達にも喜ばしいことだろう。
そうやって、内心自分を納得させている時だった。突然スパーンと勢いよく襖が開けられる。何事かと男性も私もそちらに視線を向けると、そこには鮮やかな色した浅葱色があった。
「御用改めである!そこの者達よ、おとなしくお縄につけ!」
彼の号令によって彼の背後に控えていた新選組隊士達が一斉に男性やその家族を取り囲む。ぽかんと間抜けに口を開ける私の腕がぐいっと引っ張られ、無理やりその場に立たされてしまった。
「それから、彼女は返してもらうね」
男性の目がギラリと彼を睨む。一方彼は飄々としながら私をその場から連れ出したのだった。
「近藤さん、すみません」
去り際、彼が道場主に小声で言うが、道場主はにっこりと微笑むだけで何も言わなかった。
しとしと降っていたはずの雨がいつのまにか止んでいる。空に映るのは憎らしいほど美しい茜色だけ。その下をズンズン歩く彼を私はひたすら追いかける。だけど、ようやく状況を理解した私にはおとなしくされるがままではいられなかった。
「総司くん!何なの、あれは。ちゃんと説明してよ」
「説明も何も、見たままの話。名前ちゃんのお見合い相手が取り締まる対象だったってこと。近藤さんも人が良いから今まで気がつかなかったみたい。全く、土方さんが気がつかなかったら後々どうなっていたことやら」
「取り締まるって、あの人が何をやらかしたの?」
「色々とね。分かるでしょう?幕の国は治安が悪いんだから。察して」
相変わらず飄々としていて彼の考えなど読めない。彼はこれ以上の説明する気もないし、何処に向かって歩いているのかも教えてくれそうにないだろう。
「お見合い、台無しになっちゃったじゃん」
わざとらしく溜息を吐いてやると、彼は笑い声をあげる。心底楽しそうに笑うので腹が立った。
「心配しないで。近藤さんには悪いけど、始めからお見合いなんかぶっ壊してやるつもりだったし」
「は?」
「ずっと一緒にいるって、おまじないしたこと忘れたの?」
ようやく彼が振り向いて立ち止まる。彼はさらりと言ってのけたのだった。
「お見合いなんか許さない。名前ちゃんと一緒にいるのは僕だけだよ」
一拍置いて、頬に熱が集まっていく。私が顔を赤くするところを見た彼はまた楽しそうに笑い、再び前を向いて歩き出した。
「あーあ。帰ったら近藤さんに怒られちゃうだろうな」
「なんで?」
「取り締まること、言ってなかったし。でも、近藤さんなら笑って許してくれそうだけど」
反省の色はなし。だけど、それが彼らしくて私もつられて頬を緩めてしまう。
「神様ってやつは許してくれなさそうだけどね」
そう言いつつも彼の手に自分で手を重ねた。いつか終わる人生なら、神様なんてどうでもいい。彼と楽しく笑って過ごせるのなら、子供じみたおまじないだってかわいいと思えるから。
2019.12.12
呪い|救済措置様