
Bookso beautiful yet terrific.
彼女はいつだって突然だった。
俺が幼稚園の時に近所に引っ越して来てからは同じ幼稚園に通い、そうかと思えば小中高と俺とは違う公立校に通い、大学は留学先のパリへ通うことになったと渡仏直前になって俺に笑顔で報告してきた。彼女とは幼い頃からメールや手紙などで頻繁に交流していて、今も続いている。つまり、俺の中で彼女との関係は腐れ縁というやつだと思っている。
あれからお互い就職し、俺は父さんの会社を継ぎ、一方彼女はミシュランのガイドブックの編集部で働いている。そのおかげで彼女の活動拠点はパリを中心に世界各国に飛んでは有名レストランを取材する日々に追われていた。
そして、お互い三十路近くなった頃に彼女はまた突然やって来て俺に娘を預けると言い出した。
「来年の春から小学生なの。よろしくね」
クリスマスまで残り数日となったすっかり寒くなった12月のある日、そう朗らかに笑いながら言う彼女の影に隠れて恥ずかしさと戸惑いに満ちた目をこちらに向ける少々がいた。顔立ちは幼い頃の彼女によく似ているけど、綺麗なウェーブが波打つ髪と色素の薄い瞳が彼女ではない別人の面影を見せている。話を聞けば、相手の男性はフランス人らしい。らしいと言うのは彼女が詳しく語ろうとしないからだ。男性はパリの有名レストランの見習いで、彼女は男性に子供ができたことを伝えることなく別れたとのこと。それで、何故彼女が日本に戻って来たかと言うとシングルマザーで仕事しながらパリに住むことが難しいと思うようになったからだ。しかし、彼女の実家の両親が共働きなので頼みづらく、そこで思いついたのが家主が外で仕事してようが家で仕事してようが関係なく常日頃たくさんの使用人がいる我が家に娘を預けてしまおうということだった。実に身勝手な母親だと彼女に抗議したが彼女は仕事ですぐに日本を発つと言い残し俺の話なんぞ全く耳を貸さず娘を置いてさっさといなくなってしまったのである。
置いてかれた娘には悪いが彼女の実家に引き取ってもらおうと思ったのだが、できなかった。これでも彼女とは腐れ縁だし、認めたくないが幼馴染でもあるし、何より幼い頃の彼女そっくりの娘の顔立ちがそうさせるのを阻んだ。何故なら、彼女は俺にとって初恋の人だった。彼女自身はすっかり忘れているが俺は幼稚園の時に彼女にプロポーズし、そして彼女から無理と一言で断られている。それでもこの歳になるまで彼女と連絡を取り合っているのだから俺の中で彼女に対する何かがまだ残っているに違いない。その娘となれば、心境は複雑ではあるが、あの頃の彼女の面影を見ていたいのもあり傍に置いておくことにした。
現在、俺は他人の子供の子育てに追われているのであった。
幸い、俺の仕事は父さんから継いだ会社経営なので取り引き先や仕事上の都合が合えば娘のいる時間に合わせて出社することも帰宅することができた。勿論、半分以上は社長職を退き会長となった父さんを無理やり表舞台に引き戻すことで何とかなっている。おかげで娘の授業参観や運動会など学校行事に参加することができた。何故か祖父母参観は彼女の両親ではなく俺の父さんが出ているのだが。ちなみに、何の因果か分からないが娘の同級生に緑間を始めとした帝光中の友人達の子供が揃って通っている。入学式で再会した時、青峰と黄瀬からは娘が俺の隠し子だと思われて誤解を解くのに苦労した。
預かるにあたり心配だったことがある。日本人とフランス人のハーフとはいえ、娘はフランス生まれのフランス育ちなので日本語の読み書きができないのではないかと考えたが、心配いらなかった。娘は彼女によって日本語をしっかり勉強させられていたのである。食事も彼女が日本とフランスの家庭料理を両方作って食べさせていたので文化の相違の壁はとりあえずはなさそうだった。
そんなこんなで、俺は娘からは赤司さんと呼ばれて一緒に過ごしている。あまりにも不思議な関係なので三者面談の時に娘の担任の先生から気まずそうな顔をされるが何回か顔を合わせるうちに慣れた。娘との会話も出会った頃に比べればずいぶん増えたと思う。始めは世間話程度のことが、次第に学校のこと友達のことに増え、月日が経てば最近話題の芸能人のことや休日に行きたい所も話してくれるようになった。たぶん、俺に心を開いてくれるようになったのかもしれない。
アルバムなんて物を自分から初めて作った。学校から買った娘の写真に、運動会の時に俺が娘のために思わず買ってしまった一眼レフで撮った写真に、他にも娘の誕生日や雛祭りなどの季節行事を写真や動画に残してはアルバムやディスクに収めていく。そうして思い出を積み重ねていたら、いつのまにか娘は小学6年生になっていた。年が明けた春からは中学生だ。成長するに連れて娘はさらに彼女に似てくるようになった。まるで、彼女の成長を見守っているかのような不思議な気持ちになる。もっとも、すっかり成長しきった彼女は自由奔放で勝手で突然すぎる困った女性になってしまっているわけだけど。
はっきり言えば娘との日々は幸せだったし、楽しかった。彼女の娘であることを忘れるくらい俺の中で娘はかけがえのない存在になっていたのだ。だから、忘れていたし想像する気もなかった。いつかこの幸せな時間が終わりを告げる日が来ることを。
相変わらず彼女から連絡が来るのは突然だった。彼女は月に一度と、季節行事や娘の誕生日になると必ず日本に戻ってくる。今回の連絡はクリスマスに合わせて娘に会いに来るという旨だろうと思っていたが、電話口に言われた彼女からの言葉に頭の中が真っ白になった。
12月に入った平日の昼間、俺は父さんに事情を説明して役員会に代わりに出席してもらい、俺は自宅でインターホンが鳴るのを待った。そして、待ち続けること時刻は午後3時過ぎ、ようやく来客が現れる。玄関の扉を開けると娘と目の色が同じフランス人の男性が立っていた。彼は強張った表情を必死に笑顔に変えようとしながらフランス語で挨拶してくるが、残念ながら俺はフランス語ができない。仕事上、取り引き先と打ち合わせがあるため英語と中国語と韓国語は習得しているがフランス語は畑違いだ。明らかに俺が戸惑っていると彼は分かったのだろう。彼は少し考える素振りを見せたかと思えば納得した表情を浮かべ、再び口を開いた。
「はじめまして。赤司征十郎さん、ですよね?彼女から赤司さんのことは聞いております」
にこりと人の良さそうな笑みを浮かべる彼に俺はホッとしながら手を差し出した。なんだ、日本語できるじゃないかとツッコミたかったが声には出さず彼と握手を交わした。
彼女から連絡が来た時に説明は受けていた。例のパリの有名レストランで働く娘の父親が俺の家に尋ねて来る目的は、娘を引き取りに来るという極普通の話だ。彼は最初、彼女に接触して娘を引き取る旨を話したが、彼女からは娘は日本にいる幼馴染の家に預けているのでそこへ行ってくれと言われたらしい。
「彼女は僕がまだ見習いだったので、僕が修業に集中できるよう妊娠したことを隠したまま別れを切り出し、僕の返事を聞かないまま僕の前から姿を消しました。おかげで僕は料理人として成長し、今は修行先の店でスーシェフとして働いています。だから、今度は僕が彼女を支えたいし、大切な一人娘とも時間を共有したい。赤司さんには散々ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
応接間で出されたお茶すらも飲まず真剣な表情で語り、そして頭を下げてくる彼に対し、やっぱり父親だなと実感する。きっと、彼も必死なのだろう。どういう経緯で自分に娘がいると知ったか分からないが、彼なりに離れた家族を一つにしよう思っているに違いない。彼女自身は彼と一緒になることを否定的ではないのだろう。そうでなければ彼に娘の居場所を教えるわけがない。では、娘はどうだ。娘だって赤の他人とずっと一緒に住み続けるより本当の家族の元で一緒に暮らした方が普通に考えて良いに決まってる。
「俺は別に、大したことはしておりませんので。身勝手なところはありますが、幼馴染の頼みを断るのも気が引けたし」
幼馴染というより腐れ縁って言ってやりたい。内心そう思いながら苦笑いを浮かべた時だった。
ただいまと元気な掛け声と共に玄関が開けられる。使用人に俺の居場所を聞いてる声も聞こえ、程なくして応接間にパタパタと軽やかな足音が駆け込んできた。その足音に彼が振り向き、娘と目が合う。一瞬の間、だけど、次の瞬間お互いに両手を伸ばして抱き合っていた。彼は娘の名を呼び、娘はランドセルを背負ったままパパと泣きながら呼ぶ。その隙間に俺が入る余地などなかった。
これでいい。これで俺も仕事に集中できる。これで俺にもちゃんとした家族を作る時間ができる。そう、これで、もう、
彼と娘はフランス語で何か話しながらお互いに感動の再会に浸っている。二人とも同じふわふわのウェーブの髪を揺らし、同じ色の目からは涙を溢し、同じフランス語を話して共有できる。ここには俺の居場所はない。それが分かった瞬間俺は黙って席を外し応接間を後にしようとした。
「パパっ!」
物凄い振動が身体に加わる。え、と思いながら下を見ると娘が俺にしがみつき、そして娘は俺に抱きついたかと思えばそのまま首だけを動かし彼にフランス語で何か言った。それを聞いた彼はがっくりと項垂れる。ゆっくり頭を左右に振ってから彼は泣きそうな顔で俺を見つめた。
「彼女にも言われているんです。引き取るかどうかは娘に聞くように、と。娘がそう言うなら、僕には何もできません」
突然のことに目を丸くする俺に対し、彼は深々と頭を下げる。
「これからも、母子共々よろしくお願い致します」
よく分からないが娘は俺の元に残ることになったらしい。彼が帰ったあと、それだけは理解できた。しかし、何故そうなったのか分からない。俺にはフランス語が分からないのであの時親子で何を話したのか見当がつかないのだ。
夕食の時、分からないままというのも納得できないので娘に聞いてみることにした。
「あの時、お父さんとは何を話したのかな?というか、お父さんのところには行かなくていいのか?」
娘は食事を口に運んだまま俺を見る。少し考えながらごくんと喉を通し、それからとびきりの笑顔で言ったのだった。
「私、ここにいたいの。さっきの話は、内緒!」
納得がいかないが、娘からはこれ以上聞けそうにない。でも、確かにあの時、娘は俺のことをパパと呼んだ。
「いたいも何、ここは君の家だろう。それより、今年のクリスマスプレゼントはサンタクロースに願ったか?」
「うん!もうクリスマスツリーに靴下と一緒に吊るしてあるよ!」
いつも通り和やかな夕食の時間が流れていく。俺はそのことに安堵してあからさまに表情を崩していた。
クリスマスまで残り数日になった朝、俺は起きてからクリスマスツリーに吊るされている娘の願い事が書かれたカードを手に取った。毎年、ここには様々な願い事が書かれている。昨年は新作のテレビゲーム、その前の年はクラスで流行っている少女漫画、一番最初に過ごした時の願い事はママと離れたくないというものだった。今年は何だろうと思いながら願い事を読むとそこには予想もしていなかった願い事が書かれていた。
赤司さんが私の本当のパパになりますように。
それを読んだ瞬間、目頭が熱くなった。てっきり本当の意味で家族になりたいと願っているのは俺だけだと思っていたら、まさか娘もそう願っていただなんて。
パタパタと軽い足音がリビングに向かって来るので俺は慌ててカードを元に戻す。リビングの扉が開くのと同時に俺は笑みを浮かべた。
「おはよう、名前」
娘は驚いた表情を浮かべたかと思えばすぐに笑顔を浮かべた。たぶん、今まで接した中で一番の笑顔だった。
「おはよう!パパ!」
娘と共にテーブルに着きながら頭の中でクリスマスまでの予定を組み立てる。まずは、彼女にもう一度プロポーズせねば。彼女に対する恋情ではなく娘に対する愛情を優先して動く自分自身に内心苦笑いを浮かべた。
「ねぇ、パパはサンタクロースにもう願い事したの?」
娘からの質問に俺はああと思い出す。でも、すぐに必要ないことに気がつき、首を横に振った。
「ずいぶんと前に素敵なプレゼントを貰ったから俺には願う事はないな。身勝手だが憎めない、慌てん坊のサンタクロースからのプレゼントがずっと傍にあるからね」
2019.12.12
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