
Bookso beautiful yet terrific.
ナイトレイブンカレッジの敷地内は天候を司る妖精と強力な魔法によって季節問わず快適な気候を作り上げている。例えば、春麗かなお茶会日和のハーツラビュル寮に、妖精族には快適な空間のディアソムニア寮、人魚達に適した水温と室温を保つオクタヴィネル寮など。勿論、学園内も然り。この学園で唯一季節感を感じられるのはメインストリートと長らく管理がされていなかったオンボロ寮だけだろう。
さて、何故僕が季節感なんぞ急に頭の中に浮かべたかといえば、その季節感が漂う真っ只中にあるオンボロ寮に足を踏み入れたせいだった。本日は土曜日で学園は休日。しかも、月曜日に週末の部活動は突如中止が発表されたのである。納得はいかないが、若様も仕方あるまいと仰っていたので僕も一応納得することにはした。
それで、話は戻るが僕は現在オンボロ寮の入口に立っている。古びた建物を囲うように意外にも手入れされた庭にはハイビスカスや向日葵、朝顔が咲き誇っていた。いや、正しくは太陽が段々と真上に近づいてきた時間なのでそろそろ朝顔は閉じる準備を始めている。ようするに、この庭は他の学園内に比べればとてつもなく暑いのだ。日差しはジリジリと地面を照りつけ、じーわじーわと鳴く虫達によって余計に暑さを増している。当然、僕の身体も暑さのせいで汗ばんだ。別にこれくらいで倒れるなんぞ無様な鍛え方はしていない。僕は若様の御身を護るために常に稽古を欠かさないので脆弱な人間どもとは違う。
再び話は戻るが、僕は夏の日差しに煌々と晒されているオンボロ寮のチャイムを押そうとしたのだが、玄関は勝手にどうぞと言わんばかりに開け放たれている。いくらゴースト達やグリムと一緒に住んでいるからとここの家主は少々不用心ではと思う。それに、万が一、敵襲でも来た日には入口が開けっ放しなんぞ盾にも使えないではないか。色々と文句を言ってやりたいがまずはチャイムを押す。数秒経つ。返事はない。僕は彼女の不用心さに苛々したままオンボロ寮の談話室まで足を運んだ。
さて、やはりというか家主はいない。それどころか、グリムもゴースト達もいないではないか。
「まったく!!!不用心にもほどがあるぞ!!!」
談話室の中央に立ち、苛立ちを腹の中から声に出してみれば相変わらず彼女から返事はない。一方、僕の苛立ちは暑さのせいで増幅していたにもかかわらず、室内に足を踏み入れた瞬間、急速に熱を冷ましていった。勿論、それだけで苛立ちは消えないが。ぐるりと談話室を見回すと天井には大型の冷房機が取り付けられており、廊下も覗き込むとやはりこちらの天井にも冷房機があった。あの学園長がオンボロ寮に取り付けたのか甚だ疑問だ。それにしても、である。
「何処に行ってしまったんだ」
僕は大きな溜息を吐いて無遠慮に談話室のソファに座る。人工的に作られた冷風ではあるが暑さと苛立ちで沸点までいきそうだった身体には心地良い。ふと、外を見るとオンボロ寮の入口にあったように夏の花々が暑さに負けず鮮やかに咲き誇っていた。ハーツラビュル寮のように春爛漫とした庭も悪くないが、夏の青々とした庭も悪くないと思う。勿論、ディアソムニア寮の庭が一番美しいことに変わりはない。
「しかし、本当に不用心すぎやしないか」
誰もいない談話室に向かって何度目かになるか分からない溜息と不満を溢す。オンボロ寮だってナイトレイブンカレッジの敷地内とはいえ、色んな人間がいるのだから盗難に遭う恐れもある。ましてや、この寮に住む彼女は非力な女性ではないか。
深く、溜息が溢れていく。その時だった。コツコツと靴音を響かせて談話室に向かってくる音がする。ゴーストなら足音なんかするはずない。グリムなら靴音なんか必要ない。そうなれば、やって来る人間はただ一人。僕はソファから立ち上がり口を開いた。
「遅いぞ人間!!!一体何処に行っていたと言うのだ!!!」
ぴたりと靴音が止む。談話室の入口に姿を現した彼女に僕は次の文句を言ってやろうと口を開く。しかし、声は出ない。僕は無様に口を開けたまま大きく目を見開いた。
「待たせてごめんなさい。キッチンで野菜を切っていたところだったから」
彼女の眉が僅かに下がる。僕は彼女の反応にそうかと思いながら口を閉じるが、問題はそこではない。僕の知る彼女は、しっかりと背筋を伸ばしぴしりと皺一つない制服を着ていた。長く美しい髪は後ろに一つに纏めており、あまり表情の変化が豊かではないので、隙がないという印象を持っていた。でも、時折見せる控えめな微笑みや、エースとデュースとグリムにだけ見せる年相応の無邪気さも、たまに一人で図書館に籠って勉学に励む努力する姿勢も知っている。それに、彼女の美しさの秘訣は、彼女が筋トレを欠かさず武術の稽古にも励んでいるこそだ。つまり、彼女の高貴といえる姿を形作っているのは全て彼女自身の努力の賜物なのである。そうだ、彼女は非力な人間ではない。それはとてもとても美しい女性なのだ!!!そんな破廉恥極まりない女性なんぞ決してない!!!
と、心の中で叫ぶが僕の目線は正直で今の彼女をガン見していた。今僕の目の前にいる彼女は下着同然の格好でヒールの高いサンダルを履いている。足の爪にはターコイズブルーのペディキュアが綺麗に彩っているし、いつもは後ろできちんと結ばれた長く美しい髪は彼女の頭の上にくるくると団子のように結っているので細い首筋が丸見えだ。それに、ショーツと思しき場所からすらりと伸びる足は鍛えられているから綺麗な形をしている。唯一救いなのは下着の上にパーカーを着ていることだった。おかげで、彼女の色白の胸元を見ずに済む。これ以上、僕の視線で彼女の裸体を汚してはいけない。いや、勿論、僕には彼女に対して下心なんぞは断じて持っていない!!!
「ご褒美とは思うものか!!!ありがとう!!!」
僕が、あ、と声を出すのと、彼女の頬がぴくりと反応するのはほぼ同時だった。僕の心の叫びが声に出た瞬間だった。気まずい。実に気まずい。これでは僕は彼女のことをそういう目で見る輩と同じではないか。断じて違う。僕は絶対に違う。
「あまりにも暑いからさ、先に水着になっちゃったの。セベクは暑くないの?大丈夫?」
気まずい雰囲気を無理やり取り繕うように彼女の口から理由と気遣いが出た。その優しさが時には残酷に思えるほど僕にはつらい。余計に気まずくなる。だが、これではっきりしたことがあるのも確かだ。彼女は所謂ビキニと呼ばれる水着を着用し、その上からパーカー型のラッシュガードを羽織っているというわけか。
「このくらいの暑さ、僕にはどうってことはない」
腕を組んで誇らしげに言ってみせるが、きちんと着込んだ制服は正直に白状するとかなり暑い。それに、彼女が今あからさまに涼しい格好をしているせいで余計に暑くなった。
「冷房入ってるから、大丈夫、なのかな?」
彼女は分かりやすく僕から視線を外した。それは僕の格好が暑苦しいという意味だろうか、それとも、僕の下心を感じたから不愉快だったのだろうか。どちらにせよ、僕の心は沈んだ。というか、そもそもは、彼女が水着とはいえ下着同然の格好で僕の前で無防備にうろうろしているのが悪い。間違いなく悪い!!!そして、僕は悪くない!!!
「そろそろ時間だけど、ジェラート食べる?」
彼女が気遣うようにちらりと僕を見た。その瞬間、彼女の動きに合わせて彼女の首筋にぱらぱらと後れ毛が揺れる。色白で細い首筋が妙に色っぽい。
「い、いらん!!!そんなに食べたいならおまえが一人で食べればいい!!!」
余計な考えを振り切るように声を大にして叫ぶように否定してから、今度はハタと考えてしまう。
彼女がジェラートをスプーンで救って食べるところを。そして、その彼女の姿をじっと見つめる僕に彼女は自らの手にあるスプーンと食べかけのジェラートを渡すのだ。受け取った僕は当然ジェラートを一掬いして口に入れる。身体中、冷えるというのに、頭の中だけは沸騰するように熱い。そんな僕を見つめた彼女はあまり動かない表情筋をやんわりと崩し、余裕のある意地悪い笑みを浮かべて言うのであった。
「関節キス、しちゃったね?」
クスクスと小さな笑い声が僕の鼓膜を揺らす。艶やかな唇に釘付けになった僕には成す術がなかった。
僕は叫びながら脳内に映る彼女の存在を消し去るように頭を掻き毟る。僕は断じて彼女に対して不埒な考えはしていない!!!絶対に!!!
「きききききキスなんぞ!?してないぞ!!!」
は?と言いたそうな彼女と目が合う。彼女の大して動かない表情筋が僅かに崩れている。残念ながらそれは艶めかしい笑みではなく、あきらかに僕に対して引いているそれだった。
しばしの沈黙が訪れる。気まずい。僕はとりあえずソファに座った。相変わらず、室内は人工の冷風のおかげで涼しい。
「オンボロ寮に、冷房機なんかあったんだな」
苦し紛れに出た話がそれだった。ちらりと彼女の反応を見ると彼女はその辺のテーブルの上に置いてあった日焼け止めクリームを手に取り剥き出しの首筋に塗っている。あろうことか、水着の上に羽織っているラッシュガードを脱ぎ、さらに露わになった肌へ日焼け止めクリームを塗り出すではないか。これは絶対に見てはいけないものだと分かっている。分かってはいるのだが。
「暑くて大変だろうからって、魔法工学に詳しいイデア先輩が取りつけてくれたの」
なんてことないように彼女は僕を見ないまま答えた。一方、僕は彼女の素肌をガン見しながら脳内にはイデア・シュラウド先輩を映した。
まさか、あの引きこもりとか呼ばれているイデア・シュラウドが彼女のためにわざわざ冷房機を取り付けただと?もしや、奴は彼女のことが好きなのではあるまいな!?
と、叫びたいがぐっと堪える。とにかくまずは彼女から視線を外さないといけない。僕は首筋が痛む勢いで彼女から視線を外し、今度は大きな窓の外に見える庭に動かした。
「それにしても、外は暑いな」
「そうなの。だからカリム先輩がビーチは用意できないけどプールなら任せろって」
は?と僕の口は間の抜けた声をあげた。すぐさまソファから立ち上がり大きな窓を開けて庭を見るとそこには夏の花が咲く青々とした庭があった。そして窓を開けたことにより熱風が僕の全身に降り注ぐ。そんなことより僕は窓の外にあるテラスに出て首を左右に動かした。左はオンボロ寮の前庭が遠くに見えるので違う、今度は右を見る。そこには小型のプライベートプールが作られていた。
まさか、あのカリム・アルアジーム先輩が彼女のためにわざわざプライベートプールをオンボロ寮に建造しただと?この学園で一番人畜無害そうな顔をしたカリム・アルアジームが?彼女が破廉恥極まりない姿になる原因を作っただと?もしや、奴は彼女のことが好きなのではあるまいな!?
つい最近までなかったオンボロ寮のプールに僕はただぽかんと口を開けるしかなかった。いや、呆然としているわけにはいかない。僕はぐるりと彼女に向き直った。一方、彼女は日焼け止めクリームを塗り終えたらしく再びラッシュガードを羽織る。そのまま談話室を出て行こうとするので僕は迷わず彼女を追いかけた。
「あのプール、カリム先輩が一人で用意したのか!?」
スタスタと廊下を歩いていく彼女について行きながら疑問をぶつけると、彼女は特に足を止めず歩いたまま言ってのけた。
「水はね。プール自体はレオナ先輩が用意してくれたの。キングスカラー家の財力も舐めるなってさ」
僕は思わず立ち止まった。脳裏にはニヤついた顔で若様と馴れ馴れしく話すレオナ・キングスカラー先輩の姿がよみがえる。
あの何様俺様王子様のレオナ・キングスカラーが彼女のためにわざわざプールを作っただと?しかも、あきらかにキングスカラー家のマネーを使ってだと?まさか、奴は彼女のことが好きなのではあるまいな!?
脳内では叫ぶのに口は絶句。しかし、ここで無防備な格好をした彼女を一人にするわけにはいかない。彼女の足はくるっと向きを変えてキッチンへ入っていった。当然、僕は再び足を動かして彼女を追いかける。彼女はキッチンに並べられた皿とコップをトレーに乗せ、さらに別のトレーに均一の大きさに切った野菜を乗せていく。慣れたようにてきぱきと動く姿に感心するが、それどころではないと頭を振った。先程から甘い匂いがする。これではまずい。まずいのだ!!!
「その日焼け止めクリーム、ずいぶんと香料が強くはないか?それに、みみみ水着だって!ほ、他にも、足の爪もだな!!!く、首だってほら!!!」
もはや、何が言いたいのか自分でもよく分からない。彼女は表情を変えないまま僕を見るが、それは一瞬でやめて次の作業に手を移した。
「私はこの香り、好きだけど。それに、水着だって気に入ってる。どれもヴィル先輩がコーディネートしてくれたんだから間違いはないと思う」
頭が鈍器で殴られた錯覚がした。がんがんと頭が痛いし、耳鳴りまでする。
あの世界的有名な俳優でモデルのヴィル・シェーンハイト先輩が彼女のためにコーディネートをしただと?というか、美のカリスマと呼ばれるヴィル・シェーンハイトが彼女のためにわざわざ破廉恥極まりない姿を見繕っただと?ゆ、ゆゆゆ許せない!!!まさか、奴は彼女のことが好きなのではあるまいな!?
ここまで来れば僕の中の何かがぷつんと切れた。僕はキッチンの中をてきぱきと忙しなく動く彼女の目の前にむんずと立ち塞がった。彼女は岩のように動こうとしない僕を見て眉を寄せる。あからさまに邪魔だと表情が訴えていた。
「色んな男どもから貢がれて、さぞいい気分だろうな?」
は?と言いたそうに彼女の頬がぴくりと動く。その態度が余計に僕を苛つかせた。
「おまえは分かっているのか?男が女に良くするのは下心があるからだ。それなりに対価を求めてくるぞ。必ずな」
日頃からヴィランの権化みたいなレオナ先輩やヴィル先輩なら尚のこと。引きこもりのイデア先輩だっていざとなれば彼女に遅いかかれるし、人畜無害そうなカリム先輩だって例外ではない。つまり、心優しい僕は彼女の身を案じて忠告してやっているのだ。
「鍵も閉めず、ドアは開けっ放しの寮で、無防備な格好でうろうろして。奴等じゃなくとも、僕だってその気になればおまえのことなんか簡単にどうにでもできるんだぞ!!!」
ぴくりと彼女の頬が僅かに動く。彼女は手近な場所にあったフライ返しを僕に渡し、自身はトングを持った。それからの彼女の次の行動は早かった。一息短く吐いた瞬間大きく一歩を踏み込み、僕に向かってトングを突きつける。僕は咄嗟にフライ返しで受け止めるがそれよりも早く彼女の持つトングは動き気がつけばフライ返しはあらぬ方向へ飛んでいった。カランとフライ返しが落ちる音と、僕の喉元でトングの先がぴたりと止まるのは同時。一瞬の間を置き、僕は両手を上げた。
そうだった。彼女は非力な女性ではない。勉学と筋トレを欠かさない、常に己を律して前を向く。高貴で誠実な人間だ。そう、僕は隙あらば彼女の姿を目で追っていた。それなのに、何故僕は彼女に対してとんでもない侮辱を口走ってしまったのだろう。
一方、彼女は表情を変えないままトングを持つ手を下ろしその辺のトレーにトングを戻す。それから何事もなかったかのように作業を再開した。
「僕は、ただ、」
おまえのことが心配なんだ。そう言いたかったがそれ以上は口から出なかった。彼女は決して弱くはない。分かってはいるが、僕には彼女の身を案ずる権利くらい欲しい。彼女から理由を聞かれると困るが。
「この学園で魔法が使えないのはおまえだけだ。だから、誰かに力付くで何かされてしまったら、いくらおまえでも」
彼女の動きがぴたりと止まる。彼女は持っていたトレーや皿を置き、代わりに手をラッシュガードのポケットの中に突っ込み何かを取り出した。
「いざとなったら魔法障壁くらい張るわよ」
彼女の手に握られたのは薔薇の形をしたチャームだった。僕は、ん?と思いながらチャームを凝視する。ワインレッドに色づいた薔薇はどうにもよく知る人物を思い起こさせた。
「それ、まさか、リドル先輩から貰った物なのか?」
脳内にワインレッドの影が振り向いて僕を見る。にやりと勝ち誇った顔が目に浮かぶ。
「セベク、よく知ってたね。リドル先輩がいざという時に使いなさいって渡してくれたの。リドル先輩の魔力が封じ込められているんだって」
彼女は表情を変えないままチャームをポケットの中にしまった。
あのリドル・ローズハート先輩の強力な魔力を込めたチャームだと?ハートの女王が直々に彼女に作って渡したのか?まさか、彼女のことが好きなのか?いや、寧ろ、自身の分身とも言える魔力を渡すだなんて、もうそれは恋仲の域ではないか!?
僕は愕然とした。相手は馬術部で世話になっている先輩だ。しかも、学年首席のあのリドル・ローズハートだ。僕に勝ち目は無いだろう。
がっくりと肩を落としている僕を気にせず彼女は食材や食器の乗ったいくつかのトレーをワゴンに乗せてガラガラと運び出した。相変わらずぴしりとした背中を僕もとぼとぼ歩きながら追いかける。彼女がワゴンを運んだ先はオンボロ寮の談話室の窓の向こうに設置されたテラスだった。
「ねぇ、セベク。悪いけどそこにあるテーブル組み立ててもらってもいい?」
彼女が示した先にあるのは閉じられたままになっている簡易テーブルと椅子のセットだった。木で作られたそれは香りがとてもいい。それよりも、テラスで物作りするとは思わなかった。しかも、こんなに暑い日に。
「構わんぞ。それにしても、ここはだいぶ暑すぎやしないか」
ぶつぶつと文句を言いつつも手は動かす。他でもない、彼女の頼みだ。一番は若様の頼みを優先させるが、三番目くらいに彼女の頼みは聞いてやってもいいと思っている。たとえ、破廉恥な格好をした彼女からの頼みだったとしても。勿論、下心なんぞ僕にはない!!!
「だって、暑すぎないとビーチっぽくないじゃない。文句があるならツノ太郎に言ってよ」
は?と間の抜けた声をあげながら手を止めて彼女を見る。彼女は僕を見ておらず開けっ放しの窓の向こうの談話室のテーブルに食器を広げていた。
確かに僕は今、一人言に近いことを呟いた。その一人言に彼女は返事をした。いや、問題はそこではない。この際若様のことをツノ太郎と呼んだのは大目に見よう。勿論、納得はできない。納得ができるはずがない!!!そ、れ、よ、り、も!!!である。
「この暑過ぎる原因が若様にあるだとお!?」
彼女は眉を寄せながら僕を見る。あからさまに嫌そうな顔をして。
「何言ってるの、セベク」
「この暑過ぎる原因が若様にあるとおまえは言ったではないかあ!?」
「まぁ、間違ってはないか」
「何だとお!!!貴様あ!!!」
「いや、だからね、このオンボロ寮の気候を夏にしてくれたの、ツノ太郎なんだけど」
「はぁ!?」
「ついでにビーチっぽい雰囲気になるように庭に夏の花を咲かせてくれたのもツノ太郎だし」
とんでもないカミングアウトに僕は口をぱくぱく開けたり閉めたりするしかできなくなった。つまり、ようするに、結論的に、である。彼女の破廉恥極まりない姿のもっともな原因は我が主君、マレウス・ドラコニア様ということだ。
「ビーチに行きたいって話してたらたまたま通りかかったツノ太郎が手助けしてくれたの。おかげですごく助かっちゃった。素敵な夏の思い出ができそうで、みんなも喜んでいたしさ」
そう言って彼女が表情筋を崩して、はにかんだ。ほんの少し無邪気さを帯びたそれは僕がずっと彼女の間近で見たかったものだった。しかし、今の僕はそれどころではない。
あの若様が彼女のために色々と力を尽くしただと?そのことを彼女は嬉しそうに僕に話している。気のせいだろうか?彼女の頬がほんのり赤く染まっているように見える。つまり、彼女は、若様のことを恋慕っているというのかあああ!?
僕は頭を掻き毟って言葉にならない叫び声をあげた。若様は彼女が好き。彼女も若様が好き。そこに僕の入る余地なんぞあるわけがない。というか、入る余地なんぞ考えるだけでもおこがましい。
だからこそ、僕は彼女の最後の方の言葉をきちんと聞いていなかったし、理解していなかった。オンボロ寮のチャイムの音が鳴っても。
ぞろぞろ歩く音が廊下に木霊する。男だらけのむさ苦しい笑い声も一緒に聞こえてきた。彼女は頬を緩ませながら談話室の入口に顔を向ける。僕も彼女に釣られてそちらを見た。
「ちょうどこいつらと会ったから連れて来たんだゾー」
「あははは!連れられて来てやったわ!というか、セベクなんで制服?暑苦しいじゃん!?」
グリムの両手には買い物カゴがあり、いつもの調子で笑っていたエースは僕を見てあからさまにげんなりしてみせる。その後ろからクーラーボックスを肩から下げたデュースが苦笑いを浮かべた。
「いや、ちょっと、目のやり場に困るかな」
「似合わない?」
「そういうわけではないけど」
若干彼女から視線を外すが、結局はデュースもいつも通りの態度で彼女に接した。すると、デュースを押し退けて談話室に入ってきたエペルがにこにこと嬉しそうに笑う。
「僕、お腹空いちゃった。ジャッククンとオルトクンもすぐ来るって言ってたから、準備して待ってよう」
エペルの声で各々準備を始める。デュースはクーラーボックスを持ってキッチンに。何でも、中身はハーツラビュル寮屈指のパティシエと呼ばれるトレイ先輩が作ったグラニテらしい。一方、エースはまだ組み立て途中だった簡易テーブルと椅子の用意。エペルはグリムの買い物カゴから大量の肉を取り出してテーブルの上に並べた。グリムは彼女と一緒にテラスに来たかと思えば大型のバーベキューグリルや燻製機に魔法で火をつけていく。グリムを除く一同の格好はTシャツにハーフパンツ、そしてビーチサンダルだった。
ふいに再びチャイムが鳴る。その直後、一際大きな足音が聞こえたかと思えばジャックとオルトが談話室に現れた。
「お邪魔しまーす!兄さんから差し入れでーす!兄さんがアズール・アーシェングロットさんにお願いして、モストロ・ラウンジでシーフードピザを焼いてもらったんだー!みなさん!たくさん召し上がってね!」
ピザの箱をいくつも抱えたオルトに、ジャックはこれまた大きなクーラーボックスを脇に抱えている。
「王子様直々に肉の差し入れだ、ありがたーく涙流して食べろよ。だってさ。それじゃあ、遠慮なくじゃんじゃん食おうぜ」
若干似てるレオナ先輩の物真似はさておき、ジャックの格好は上半身裸のため自慢のバキバキに割れた腹筋が丸見えである。下はピチッとしたパンツ。つまり、競泳用水着だった。おまけに自慢の腹筋をほんの少しだけ隠しているのは顔に似合わずピンク色のファンシーな浮き輪だ。
この僅かな時間で大量の情報が目に飛び込んでくる。僕は状況が分からずただただ困惑するしかなかった。
「ちょっとセベク、早く準備しようぜ」
とっくに簡易テーブルを組み立てたエースが僕のところにやって来て、僕が組み立てるはずだったエースとは別の簡易テーブルを手際良く組み立てていく。僕はよく分からないこの状況に事情が分からないまま尋ねるしかなかった。
「おまえ達、一体、何を?」
え?とその場にいた全員が声をあげて僕を見る。次に、僕以外の全員が視線を向けた先は彼女だった。
「言わなかったのか?セベクに」
デュースの問いに彼女が困惑する番だった。彼女はデュースから視線を外し僕を見る。
「言ったよ、ちゃんと。シルバー先輩に」
シルバーに?どういうことだ?僕は目を白黒させるが考えるより先にまた賑やかな声が談話室にいくつも増えた。
「やっと終わったよー!」
「君達、肉のことしか考えてないからビーチボールやパラソルの存在忘れてたでしょう?」
「だから勝手に準備しておいてあげたよ」
文字通りわらわらと音もなく現れたオンボロ寮の住人のゴースト達が誇らしげに言いながら外にあるプライベートプールを示す。僕と、その場にいた全員がプールを見るとプールサイドにはパラソルや簡易ベッドにテーブルや椅子、プールの中では色とりどりの浮き輪やビーチボールなどが既に浮かんでいた。
「すっかり忘れてたんだゾ!ありがとな!」
グリムが礼を言うのと同時に僕以外の全員もはしゃぎながら口々にゴースト達に礼を述べた。ダメだ、益々意味が分からない。
もう考えることを放棄しそうになった時、あの破廉恥極まりない胸元が僕の傍に映る。瞬時に頭の中が沸騰しそうになりながらも僕の目は正直でたわわに実った色白の丸いそれの谷間をしっかりと凝視してしまう。ヴィル先輩セレクトの日焼け止めクリームの香りがさらに僕の中の何かを煽っていく。
「なんかちゃんと伝わってなかったみたいだね」
ごめんなさい、と眉根を寄せる彼女の表情はほんの少しだけ表情筋が動いた証拠だった。しかし、残念ながら僕はバカ正直に彼女の羽織ったラッシュガードの間から覗く色白の姿に釘付けだ。そのせいで、僕ともあろう者が四人と一匹にバシンと頭を叩かれるのと、低圧のビームを喰らうまで意識が現実に戻されるまで時間がかかってしまったのだった。
結論から言うとこういうことだった。海でバーベキューしながら泳ぎたいしキャンプもしたいけど今の時期って混雑して嫌だな、だったらオンボロ寮でやろうぜ!とのことだ。
事の発端は遡ること月曜日。その日、昼食を終わったエペルは中庭のベンチで友人であるオンボロ寮の監督生に愚痴を溢していた。
「たまには盛大に焼肉食べたいなぁ」
勿論、そんなことをヴィルやルークといった美を愛するポムフィオーレ寮の人間に言えるわけがない。己のキュートさを日々磨くためテーブルマナーや食事にとんでもなく労力を取られるエペルの環境をエペル直々に愚痴として聞いている監督生は思わず苦笑いを浮かべた。
「その気持ち分かるよ。私も、焼肉食べたいな。お肉好きだし」
監督生もまた元の世界にいた時に同じことを思ったことがある。
実は、監督生の友人がかなりのスイーツ好きで休日のたびにスイーツ巡りに一緒に駆り出されていたのである。しかもその友人、大層ご立派な貴族のおぼっちゃまだったのでテーブル所作が完璧なので監督生も気を張っていたことを思い出す。
「ボクに気を遣わなくてもいいんだよ?でも、君が一緒にいてくれるから甘えちゃうボクにも原因があることは分かってるんだ。そう思うと、ボクって酷い男だね」
なんて言いながらお上品に微笑む友人の姿が懐かしい。あの頃、たまには甘い物じゃなくしょっぱい物を食べたいなとこっそり思っていたことは秘密。
監督生の相槌にエペルの顔がぱっと華やぐが、すぐに表情を曇らせた。
「学園で焼肉なんか食べたらヴィルサンにめちゃくちゃ怒られるのが目に見えるし、これは夏休みに実家へ帰るまでお預けかな」
あからさまにがっくりと肩を落とすエペルに対し、監督生は否定も肯定もせず曖昧に微笑むしかできなかった。現状、厳しいことは確かである。
「だったら、うちでやればいいんだゾ!」
監督生の膝の上で食後のデザートを貪っていたグリムが誇らしげに提案してみせた。確かに、その手があったかと監督生も思う。しかし、すぐに問題点も見つかった。
「そういえば、小さいホットプレートならあったね。エペルとグリムが食べるくらいだったら大丈夫かな。でもエペル、マジフト部の活動で忙しいんじゃないの?」
エペルの眉間に皺が寄る。夏休み前ということでマジフト部に限らず何処の部活も休み前の悪足掻きよろしくいつもより精力的に活動していた。それに、もうすぐ夏季の試験が実施されるので、そろそろ生徒達は部活動とは別に勉強にも時間が取られていく。お世辞にも、余裕がある時間がエペルにあると思えなかった。
「やっぱり、そうだよねぇ」
壮悲観をたっぷり漂わせながら大きな溜息を吐くエペルを尻目に、グリムもようやく現実を思い出した。めんどくさいけど死ぬ気で勉強して試験に臨まないと結果を見た担任のクルーウェルからどんな罰を与えられるのか考えただけでも冷や汗が止まらない。
「こ、子分がいれば大丈夫、なんだゾ?」
おそるおそるグリムが顔をあげて監督生を見ると、監督生はあまり動かない表情筋を崩しそれはそれは綺麗な笑みを浮かべてみせた。その瞬間、グリムはゾッとした。脳内には監督生愛用のフェンシングの剣で盛大に串刺しにされる己の姿がまざまざと映し出されてグリムはエペルとは違う意味で項垂れる。本来なら、フェンシングの剣は曲がるので串刺しにならないはずだが、監督生の怒りの程度によっては否定できそうにない。
その暗く沈んだ空気を壊すように明るい笑い声と時折物騒な言葉でツッコミを入れる声が近づいてきた。
「やっぱさ、夏といえばビーチだよなー。白い砂浜に青く輝く海。さいっこうじゃん」
「ナンパする気満々って顔に書いてあるぞ。白い砂浜に沈めてやろうか?」
中庭にやって来たエースとデュースはベンチに座る暗い顔をした一人と一匹に気づく。その理由を相変わらずぴしりと背筋を伸ばして座っているだけでも高貴に見える監督生に尋ねると、監督生はそれはそれはとても素晴らしい笑みを浮かべて先程の話を教えてくれた。
「あ、そうなんだ」
話を聞いたエースは思う。グリム、これ絶対に頑張らないとヤバいやつ。一方、監督生も微かに聞こえてきた海の話題について二人に問うと、デュースはああと思いながら口を開いた。
「エースがビーチに行きたいって話してたんだ。でも、今の時期って砂浜も海の家も混雑するからちょっと嫌だなって話だよ」
エースがナンパ目的でビーチに行きたいってところは伏せておく。話せばきっと監督生は自分が異性として見られていることに気づき、警戒して友人達に心を開かなくなるかもしれないことをデュースは恐れた。もっとも、監督生のことだから自分を性的に見て襲いかかってきたものなら自慢のフェンシングの腕前で撃退しそうではあるが。
「ビーチ、か。砂浜で足場の悪い場所で筋トレしたら鍛えられそうでいいよね」
至極真面目に考える趣味が筋トレの友人の姿にデュースは自分の考えが稀有であることに気付いた。この脳筋にならエースの本心を教えても問題ないだろう。
若干、いや、かなり監督生に対し引きつつあるデュースは次なる人物達の声が聞こえて振り向いた。
「いいなぁ。僕も、キャンプ行きたいなぁ」
「夜通し火を眺めながら筋トレするのは悪くないぜ。それに、天気が良ければ星空も綺麗だし」
オルトと脳筋その二もといジャックの姿にエースも反応した。
「オルトとジャックじゃん。なんか、意外な組み合わせじゃね?それで、キャンプだっけ?誰かキャンプ行くの?」
聞こえてきたキャンプの話題にエースは食いついた。夜通し火を眺めながら筋トレすることに関してはスルーしておく。
「行くわけではないけど、ジャック・ハウルさんの話を聞いてたら、行きたいなって思ったんだ」
「静かな山の中で筋トレすれば最高だろ」
「静かな山の中まで行って筋トレする必要ある?」
エースはツッコミを入れずにはいられなかった。ついでに言うと、オルトはその話のどこに魅力を感じたのか理解できない。それはエース以外にもエペルとデュースとグリムも思った。
「静かな山の中で筋トレ、素敵ね」
珍しくにっこり笑う監督生を除いて。
とはいえ、結局のところ静かな山の中でキャンプするのは難しい。
「キャンプってお泊りするじゃない?僕が遠くに行っている間、兄さんのことが心配だし。それに、万が一僕に何かエラーが起きてしまったら、兄さんが近くにいないと対処できないんだ。だから、残念だけど」
しゅーんと幼い子供のように悲しそうに項垂れてしまうオルトの姿にその場にいた全員が心を痛めた。一番良いのはそのキャンプにオルトの兄であるイデアが共に行けばいいのだが、あの自寮すらから出たがらないイデアには当然無理な話である。
「人の子らよ、何をそんなに沈んでおる?」
ぴくりと全員反応する。視線の先にはぞくぞくと中庭のベンチに集まる後輩達を音をなく現れては眺めていたマレウスがいた。この世界の事情を知る人間達は一瞬にして顔を青ざめる中、グリムは不躾にもマレウスに向かって指を差した。
「ツノ太郎なんだゾ!おめー、いつからそこに?」
「ばっかでねえの!?」
驚きで素に戻りつつあるエペルは慌ててグリムの口を力強く手で塞ぐ。一方、監督生は膝の上にいたグリムをそのままエペルに渡しベンチから立ち上がった。
「ごきげんよう、ツノ太郎」
両手で制服のスカートを摘んで軽く引っ張り挨拶をしてみせる。流れるような一連の動きにその場にいた同級生達はほうと見惚れた。
「上出来だな。悪くない」
マレウスは自身が教えた挨拶の仕方を流麗な仕草でやってみせた監督生に対し頬を緩めた。監督生が元の姿勢に戻るのを待ってからマレウスは腕を組み、片手を顎につける。
「それで?先程の話はおおよそ聞いてはいたが、おまえ達は何をそんなに沈んでおる?」
え?聞いてたのにまた聞くの?という声は全員心にしまっておく。グリムだけは言ってやりたいがエペルに口を押さえられているのでもがもがしか出てこない。
「察しの悪いやつじゃのう」
これまた音もなく現れたリリアに監督生とグリム以外の頬が引きつる。一方、監督生はマレウスの時と同様にリリアにも挨拶してみせた。
「ごきげんよう、リリア先輩」
ほうとリリアも関心したように口にしてからすぐに笑みを返して挨拶する。それから隣にいるマレウスに向かってこそこそと耳打ちした。
「躾けたな?」
「違う」
リリアはニヤつく顔を隠しもせずに言うが、マレウスの方はぶすっとして不服そうである。
とりあえずリリアは話を戻そうと後輩達に向き直る。ふむ、と一瞬だけ考えてからすぐに閃いた。
「その願い、わしが叶えてやろう」
え、と思いながら後輩達は顔を見合わせて首を傾げる。一体、どうやって?と疑問を顔に出しているがリリアは構わず続けた。
「その代わり、条件がある」
そう言ったリリアは監督生に向かって指を向けた。それからにっこりとかわいらしい笑顔を浮かべたのだった。頼んだぞ、と。
リリアの作戦は、まずはマレウスを使って学園長に週末は天気が大荒れになるので部活動を休みにさせるように仕向けた。マレウスの言葉を簡単に信じた学園長のおかげで週末の部活動はどこも揃って休みになった。次に、リリアが1年生達がオンボロ寮でバカンスを楽しみたいから手伝ってくれと彼等が懇意にしている先輩達に声をかけた。リリアの後ろにいるマレウスの存在が頭の中にちらついた各寮の先輩達は渋々応じた。マレウスの存在はある意味脅迫に近いものがある。それに、自分達の後輩達がオンボロ寮で一晩も世話になるのだから礼も弾まないといけない。リリアはそこまで見越していたのだった。
結果的に、作戦はうまくいった。かわいい弟のためにイデアは渋々オンボロ寮に出向き冷房機を取り付け、エペルと一緒に監督生もバカンスを楽しむと知ったヴィルはポムフィオーレ寮生の隣に並ぶのがじゃがいもなんて許さないと監督生に美を叩き込み、見返りは求めずただの人助けのカリムに水は用意できるけど海は作れないからレオナ助けてと言われればあの王子様だって困っている後輩と自分を慕っている自寮の後輩を思えば重い腰をあげるしかなかった。
ちなみに、リドルだけはリリアの頼みを聞かずとも先に動いた。エースとデュースからオンボロ寮でバカンスを楽しむので行ってきますと聞いた瞬間カッと目を見開いたのだ。
「まさか、あの男どもに囲まれて彼女は大丈夫なのかい!?無事なのかい!?これはまずい。彼女のことはボクが守ってあげなければ。こうなったら、当日はボクもバカンスとやらに参加しよう。ボクのトランプ兵達も一緒にだ!粗暴な男どもに囲まれて彼女は震えているだろう、なんてかわいそうに」
と、暴走し始めたリドルをケイトとトレイがなんとか宥め、結果的に監督生を守るためにリドルの強力な魔力を込めた薔薇の形を模したチャームを作って贈ることで落ち着いた。
仕上げに、マレウスがオンボロ寮の天候を暑さが大変厳しい夏にし、庭も夏の花々を咲かせることでプライベートコテージと化したオンボロ寮が完成したのである。
事の顛末を聞いた僕は頭が痛くなった。まさか若様とリリア様が人間如きのためにかなり尽力を尽くしてくれていたとは、恐れ多いにもほどがある。つまり、今回の一件は僕の同級生達の嘆きが招いた結果だった。
理由は分かった。若様とリリア様を巻き込んだことは本当に許せないことではあるが、お二人が自ら協力してくださったということなのでこれ以上はお二人の御心を無碍にすることになるので不服ではあるが目を瞑ろう。
それにしても、である。
「そのバカンスとやら、僕だけ誘われていないではないか!!!」
その場にいた彼女以外の全員が気まずそうに視線を宙に彷徨わせ、それから一斉に彼女を見る。だが、彼女だけは僅かに眉を寄せるだけだった。
「リリア先輩からセベクを誘うように言われてたから、バカンスが決まってから探しに行ったの」
「リリア様に言われなければ僕のことは除け者扱いだったのか!?」
「まさか。私は最初からセベクを誘うつもりだったわ」
「現に誘われていないぞ!!!」
「だからね、リリア先輩の協力は、私がセベクをバカンスに誘うことが条件だったの」
「やはり嫌々だったではないか!!!」
「とにかく、最後まで話を聞いて」
「しっかり聞いている!!!」
先程から違う意味で頭の中が沸騰している。少々困り顔の彼女を見ていると余計に苛つき、噴火しそうになった。
「まぁ、私が悪いからしょうがないか」
彼女は小さく息を吐く。僕は目をギンギンに光らせながら彼女を睨みつけるが、彼女は怯むことなく僕を見つめた。
「伝わってなかったの、確かに私が悪い。だから、ごめんなさい」
じっと僕を見つめてくるので僕はぐっと言葉に詰まる。彼女の誠実そうな瞳に見つめられるのは苦手だ。何故なら、僕の心の中まで知られてしまいそうで。
その時だ。オンボロ寮の談話室にチャイムの音が鳴り響く。それからすぐにコツコツと靴の音を響かせてから談話室に顔を覗かせたのはディアソムニアの寮服に身を包んだシルバーだった。
「お邪魔する。セベク、やはり伝わってなかったようだな。すまなかった」
は?と思いながらシルバーを見るが、シルバーは見覚えのある大きなボストンバッグを僕に渡しながら口を開いた。
「名前からの伝言の途中で寝てしまったから、伝わっていたか心配していたんだ。起きてからマレウス様、いや、マレウス先輩に尋ねたら、セベクが制服をきっちり着込んで走って寮から出て行ったと聞いたから」
んんん!?益々分からない。僕は見覚えのある大きなボストンバッグを受け取りながら怪訝な顔でシルバーを睨む。というか、このボストンバッグは僕の物なのだが。
「まわりくどい!!!はっきり言え!!!」
「名前がおまえのことをバカンスに誘いに来たと伝え損ねたお詫びに、おまえの荷物を持ってきた」
僕は呆然としながら彼女を見る。彼女は僕と目が合うと苦笑いを浮かべてしまった。他の人間達は僕に憐れみの目を向けてくる。その目には、あーあ、と言いたげだった。
「な、な!?何故途中で寝てしまうんだ貴様あ!!!」
僕がシルバーに怒鳴ると、シルバーは半分うとうと眠りかけている。だから、寝るな!といつも言っているのだが。
「あのさ、」
ふと、デュースが遠慮がちに声をかけてくる。僕がデュースをぎっと睨むとデュースは気にするそぶりを見せずに続けた。
「バカンスのことを知らなかったのなら、セベクはなんでオンボロ寮に来たんだ?しかも、制服着て」
思わず僕はぴしっと固まった。首を傾げるデュースの肩をエースが軽く叩く。エースは何かを察した顔で僕に視線を向けた。おい!!!ニヤつくのはやめろ!!!
「そういえば変なんだゾ。おめー、うちに用事でもあったのか?」
グリムもきょとんとした顔で僕を見る。僕は顔が熱くなりながら昨夜のことを思い出していた。
夕食後、談話室に行くと先にシルバーがソファに座って寛いでいた。その目はうつらうつらしている。
「ああ、セベクか。ちょうどよかった。昼間、名前がおまえを探していたが、会えずに困っていたんだ」
彼女が?僕を?と思いつつ脳内には彼女の姿が映し出される。ぴしりと背筋を伸ばした彼女に想像だけでも頬が熱くなる。
「名前が、どうした?」
「明日、オンボロ寮でおまえを待っている。と」
想像上の彼女が僕に振り向いて頬を緩ませる。当然、僕の顔にさらに熱が集まった。
「彼女は、おまえのことを、」
ぐう、とシルバーは寝た。いつもだったら話の途中で寝ることを咎めるが今はそれどころではない。シルバーは確かにこう言った。彼女は、おまえのことを。それはつまり、つまりはそういうことだな!?
「まったく。寮に呼び出して想いを伝えてくれようとするとは、かわいいやつめ」
やれやれと態度に出すが頭の中はそんなことはない。彼女から愛の告白をされると本心では狂喜乱舞していた。それからは自室に戻っても眠れなかった。明日のことを思うと楽しみと緊張と嬉しさと、彼女にどうしたらかっこよく返事をできるかを一晩中考えた。そして、朝食を終えた後、せっかくの彼女からの愛の告白を受けるのだから誠実に見えるようきちんと制服を着込んで寮を飛び出したのである。勿論、マレウス様とリリア様に挨拶は欠かさずに。
と、そんな理由を言えるわけがない。盛大な勘違いをしたあげくに彼女からバカンスに誘ってもらってないと幼い子供のように駄々をこねたのだ。
「僕は別に用があったわけでは」
「用事がないのにオンボロ寮に来るかよ?」
言い淀む僕に間髪入れずジャックが口を挟む。思わず視線をうろうろさせるとエースと目が合う。次にエペルと目が合う。二人とも顔がにやけていた。そのせいで、僕は顔が熱くなりながら再び視線を宙に彷徨わせる。頼みのシルバーは立ったまま眠っているではないか。
ダメだ、言いわけが見つからない。この場を乗り切れそうにないと悟った僕に助け船を出したのは意外な人物だった。
「まぁ、いいじゃない。セベクがオンボロ寮に来てくれたおかげで無事にバカンスができるしさ」
え、と思いながら声の主を見ると、そう言った彼女はちらりと僕を一瞥した。彼女はあまり表情を変えることなくふいっと僕から視線を外し、今度はエペルを見る。
「それより、お腹空いたね。早くバーベキュー始めようよ。結果的に焼肉ではなくなっちゃったけど」
「あ、うん!そうだね。でも、外でバーベキューになったけど、お肉を好きなだけ食べられるから僕は嬉しい、かな」
話を振られたエペルは少し残念そうな顔をして僕を見たが、すぐに彼女に同意した。エペルは僕の恋心より食べることを優先したようだ。そうなれば話は早い。僕の話に興味を失った面々は各々バーベキューの準備を始めた。ぽん、と僕の肩を叩くシルバーを除いて。
「な、なんだ?」
「いや。だが、いつか届く日も来るだろう」
いつのまにか起きたシルバーが僕の目を見て頬を緩ませた。その生あたたかい視線は今すぐやめてくれ!!!
僕から視線を外したシルバーは人間達に目を向けて手をあげた。
「セベクのこと、頼んだぞ。せっかくのバカンス、みんなで楽しんでくれ」
1年生達は揃ってシルバーに明るく挨拶し、それを聞いたシルバーもオンボロ寮から出ていった。ふと、バーベキューの準備に取りかかっていたデュースが僕を見る。
「で?セベクはどうするんだ?」
きょとんとした顔をしたデュースに、再びニヤついたエペルとエース、ジャックとグリムはバーベキューグリルに食材を並べながら僕に視線を向け、オルトはふよふよと僕の元へやって来た。
「セベク・ジグボルトさん、一緒にバカンスを楽しもうよ!」
オルトの屈託のない笑顔を見せられれば僕に拒否する気持ちがなくなった。だいたい、若様とリリア様が全てお膳立てをしてくださったのだ。しかも、シルバーから荷物まで届いている。
それに、本音を言えばこのまま帰りたくはない。好いた女性が破廉恥極まりない格好でいるのに1人野獣の群れの中放り出せるほど僕に度胸はないのだ。いや、そんな度胸がある奴なんぞ恋をする資格はない!!!
「楽しむに決まっているじゃないか!!!人間ども!!!この僕が心から楽しめるバカンスの心得を教えてやろう!!!」
心から楽しむバカンスの心得って何?と僕以外の全員が心の中でツッコミを入れたことに僕は気がつかないまま夏の思い出作りを始めたのだった。
先輩達がいないバカンスというのは気を遣わなくてそれはそれは楽しかった。
昼間はバーベキューを楽しみながらプライベートプールでふやけるほど泳いだ。暗くなった頃にはシルバーから届いた僕の荷物の中に突っ込まれていた花火をやり、夕飯はみんなでわいわい言いながらオンボロ寮のキッチンであり合わせの物を作って食べたし、今、順番にシャワーを浴びた僕達はオンボロ寮の談話室で寝袋に包まりながら大きな窓の外から見える星空を眺めている。
「冷房ガンガンにきいた部屋で寝袋で寝るって、どういうシチュエーション?」
呆れるエースの隣では寝袋から飛び出したジャックが筋トレに勤しんでいる。本当に、筋トレするとは思わなかったが。
「ところで、セベク・ジグボルトさんって名前さんのことが好きなの?」
オルトが口にした言葉に各々僕を見る。グリムなんかはあからさまに嫌そうな顔で僕を見ているではないか、失礼な。
「まぁ、バレバレだしな」
「ば、バレバレだと!?そんなバカな!!!」
エースのカミングアウトに恥ずかしさのあまり声に出した瞬間、友人達が唇に指を当ててしーってやる。想い人である彼女は今、シャワー浴びているのでこの場にはまだいないが、そのうちにやって来る。
「え?そうなのか?でも、名前って確か」
きょとんとしたデュースが口を開いた瞬間、寝袋に包まっていた面々が揃って飛び出しデュースの口を盛大な音を立てて手で塞いだ。デュースは苦しそうにじたばたともがいている。この反応、もしや。もしかしたら!?
「そうか。名前も僕のことを好いているのだな」
腕を組んでうんうんと頷いてみせるが体は正直で正常ではいられないほど動揺していた。一方、僕の反応とは裏腹にグリムはさらに顔を歪める。
「こいつ、頭の中がおめでたいにもほどがあるんだゾ」
グリムの悪態なんかこの際どうでもよかった。彼女の態度はなかなか分かりにくいが、友人達の反応に僕は確信した。彼女と僕は互いに想い合っている。つまり、両想いなのだ。それならば、話が早い。僕のやるべきことは今すぐ彼女に交際を申し込み、学園を卒業後はすぐに挙式をあげるように手配せねば。この夏休み中に彼女を僕の家族に紹介することも忘れてはならない。
「喜べ人間ども!!!僕と彼女の結婚式のあかつきには若様とリリア様の次に素晴らしい席を用意してやろう!!!」
えー、という声は僕の耳に入っていない。ジャックはダンベルを落として僕を呆然と見るが、喜びすぎてどう反応していいか分からないのだろう。
その時だった。一際大きな咳払いが聞こえる。全員揃って談話室の入口を見ると昼間とは違ってTシャツにショート丈のパンツを履き、長い髪を肩におろした彼女が立っていた。破廉恥極まりない格好ではない想い人改め将来の妻の姿に僕は安心しつつ頬を緩ませた。
「ああ、名前。ちょうどよかった。僕はおまえに大事な話がある」
「結婚前提の交際の申込みでしょう?」
「何故それが分かった!?魔法が使えるようになったのか!?」
「廊下までうるさく響いていたけど」
彼女が盛大に溜息を吐いた。彼女の溜息を聞いた瞬間、僕以外の全員が寝袋の中に急いで戻る。グリムはおろおろとしながらエペルの寝袋に居候してしまった。
「僕、もう眠くなっちゃった!おやすみなさーい!」
オルトの声を合図に全員寝袋を頭まで被って次々に挨拶をして寝た。いや、正しくは寝たふりだが。しかし、それはそれで構わない。空気を読んで寝たふりをしてくれた友人達には感謝しよう。
さて、と彼女に向き直る。寝袋の上で正座して彼女を見つめるが彼女はジャックの隣りにある自身の寝袋にさっさと包まっていた。
「では名前。改めて、話をしようではないか」
「そうだね」
「僕はおまえの気持ちに気づいてしまったんだ」
「そっか。私にとってセベクは大切な友人達の一人なの」
「は?」
「私の気持ち、気づいてくれてありがとう」
さらりと返された言葉に絶句する。え?今なんて言った?友達?と、友達だと!?
「バカンス、楽しかったね。またいつか、できたらいいな。みんなで」
寝袋に潜り込んだ彼女の表情は分からない。声音は淡々としている。照れ隠しでもないことは理解できた。
「それじゃあ、おやすみ」
あ、と言葉にならない声を出すが彼女からこれ以上話すことはなかった。代わりに、そーっと寝袋から顔を出した彼女以外の面々が僕を見る。憐れみを込めた生あたたかい視線を向けられ、僕は呆然となったのだった。
それから翌日。わいわい言いつつもみんなで朝食を作り食卓を囲んだのだが、僕を振った彼女は相変わらず表情を変えずいつも通りである。友人達はかわいそうなものを見る目で僕に視線を向けてくるのでこれはこれでつらい。こうして、オンボロ寮で過ごしたバカンスは僕の失恋と共に幕を閉じたのだった。
ちなみに、この生あたたかく憐れみを込めた視線はディアソムニア寮に戻っても続いた。
「セベクのやつ、オンボロ寮の監督生に振られたんだってさ。かわいそうに」
「しっ!本人に聞こえるぞ!」
廊下や談話室で他の寮生に噂されるので傷口が抉られる思いだ。しかも、若様とリリア様も僕に会うたびに眉を下げながら無言で僕の肩を叩いてくるのでもっとつらくなる。おまけに、シルバーは僕を見るたびに表情を曇らせた。
「まぁ、気にするな。きっと、いつかは、」
そこまで言ってから押し黙るのでもうやめてほしいと叫びたくなる。慰めは不要だ!!!
ところが、話はこれで終わらなかった。バカンスを楽しんだ休み明けには、あっというまに僕の失恋話が学園中に広まっていたのだ。クラスメイトからはヒソヒソ話の種にされ、リドル先輩からは慰めの言葉をかけられ、アズール先輩からは両想いになる怪しい薬品を高値で勧められ、カリム先輩からは無邪気な笑顔で失恋パーティーを開催しようと誘われ、ヴィル先輩やルーク先輩に会えばにこやかに笑ったかと思えばすぐさま向こうが踵を返し避けられ、イデア先輩はリア充阻止されてざまあふひひと笑われる始末である。あのレオナ先輩すら、人生長いし気にするなと言ってきたのだ。頼むから、傷口に塩を塗るのをやめてほしい。
噂をすれば何とやら。僕が疲れきった顔で歩いていると中庭のベンチに姿勢をぴしりと正して座る彼女がいた。彼女の傍にグリムはいないし、エースとデュースもいない。彼女は一人、膝の上に乗せた包みを開き、長い指で菓子を摘んで口に入れていた。その瞬間、いつものあまり動かない表情筋を崩し、ほんの少しだけ頬を緩める。慈愛に満ちた表情に僕の心臓がどくどくと激しく高鳴った。
ああ、ダメだ。諦められない。僕は彼女のことが好きだ。いや、好きで好きでたまらないんだ。
中庭に向かって足を動かすと彼女がぴくりと反応して僕を見つける。僕を見つけた瞬間、彼女はいつものように表情を崩すことをやめた。
「ティータイムの邪魔をして悪かった」
彼女は近づいてきた僕を見て怒っているわけではない。でも、振られた相手になんて言っていいか分からず出てきた言葉がそれだった。一方、彼女は表情を変えないまま膝の上にあった包みをしまう。色とりどりのマカロンが微かに見えたので、彼女はマカロンが好きなんだと記憶した。今度、マカロンをプレゼントしたら喜んでくれるだろうか。
「別に邪魔じゃないよ」
「ならば、隣に座ってもいいか?」
ぴくりと彼女の頬が僅かに動いた。少しだけ表情が曇る。それに気づかないふりをして僕は彼女の返事を聞く前に隣に座った。心臓の音が驚くほどうるさい。彼女に拒絶されるのではないかと思えば思うほど背中に嫌な汗が伝ってくる。だけど、彼女は何も言わない。しばらくの間、僕達はお互いに無言だった。
やがて、先に口を開いたのは僕だった。
「僕は、おまえのことを諦めないからな」
ぴくりと彼女が反応して僕を見る。一瞬だけ彼女の長い睫毛が震えるがすぐに表情を引き締めた。
「それはちょっと、困るかな」
「ちょっとなのか?」
「かなり困るわ」
困る理由が知りたい。理由を知れば諦められるかもしれない。いや、知ったところで諦める気がないことも分かっている。失恋したことは確かにつらい。だけど、諦める理由にはならないのだから。
「私ね、セベクに言ってないことがあるの。隠し事、多いし」
「僕もおまえに隠していることがたくさんあるぞ」
「とにかく、私は、セベクをそういう目で見れないの」
彼女が立ち上がって僕に背を向ける。これは二度目の失恋だ。だけど、僕は負けない。
「おまえが僕を見なくても構わない。僕が、おまえのことを見ていればいい。たとえそれがおまえの隣ではなく後ろからしか許されないとしても」
彼女が振り向いた。僅かに表情が崩れた。くしゃりと歪んで瞳が揺れる。その姿は、高貴で誠実な彼女から想像できないほど弱々しく見えた。
「だから、おまえの返事なんぞ、必要ない!!!」
僕はいつも通りに自信に満ち溢れた態度を取ってみせた。
彼女は眉を下げて、少しだけ笑ったのだった。
2022.07.31
夏|救済措置様
(夏企画のため救済措置様では9月公開になります)
Title by 雨降り