
Bookso beautiful yet terrific.
大切な狙撃銃を構えて、的を打ち抜いた。見事など真ん中。共に射撃訓練を実施していたクラスメイト達からは拍手とたまに舌打ちが聞こえてくる。止めていた息を大きく吸って吐き、構えを解く。そして、授業終了のチャイムが学校に響き渡った。各々射撃場を後にしようとしている中、その流れに逆らうようにこちらに向かってきた人物にみんな道を譲る。男子生徒は呆然と、女子生徒は頬を染め、それぞれ彼の姿を見つめた。
人波を散らしやって来た彼は私の目の前で足を止める。それからにこやかにボンジュールと挨拶してから自慢の緩やかな金髪を風に遊ばせてた。彼の左耳の縁に沿うようにある精巧な作りをした銀色の耳飾りが自慢の金髪と共にきらりと光る。見目麗しい彼の姿に方々から黄色い声と溜息が聞こえてくる。その美しさ、羨ましいと思う。
「週末、忙しいかな?よかったら、ボクと一緒にスイーツ巡りしない?」
毎度彼から言われるお決まりの台詞。彼からのお誘いは一度や二度ではなく、毎週末だ。今度はどこのお店を紹介してくれるのだろうと思いつつ彼に視線を向ける。透明感のあるアイスブルーの瞳をほんの少しだけ震わせているのに、彼の表情はなんてことないと繕っていた。それに気がつかないふりをして私は頬を緩める。
「予定がないから、誘ってくれて嬉しい」
すらすらと出る自分の言葉に内心では驚いている。正直、言葉選びは苦手な方だ。誰かと会話するのも苦手だし億劫にも思う。それなのに、彼とは話がしたい。会話が上手ではないのに、彼のことをたくさん知りたくて私は背伸びしてしまう。
「ふふふ。週末、楽しみだなぁ」
お上品に、心底嬉しそうに笑う彼を見ていると私まで嬉しくなる。週末は甘ったるい匂いで溢れるカフェを何軒回るのだろう、たまには塩っぱい物も食べたいとか思っているのは彼には内緒。焼肉食べに行きたいなんて言ったら、スイーツ好きの彼がどんな表情を浮かべるのか少しだけ興味あるが。
「あ、でも、無理してボクに合わせてないかな?」
ふいに、彼が不安そうに私を見つめる。先程の隠そうとしていた震えるアイスブルーの瞳の奥底にある正体を簡単に晒してしまう彼に私は小さく息を飲む。遠慮なんていらないし、不安に思うこともないのに。
「まさか。私も、あなたのことを誘おうと思っていたの」
彼の不安を取り除こうと口をついて出た言葉がこれだった。すると、彼が頬を赤らめる。言ってしまってから私も顔が熱くなった。そして、二人して顔を赤くしたまま声に出して笑った。
「ボク、今すっごく幸せだよ」
見目麗しい容姿のせいで社交的かと誤解されがちだが、本人曰く人付き合いは苦手らしい。だからこそ、周りくどく言わずまっすぐに気持ちを向けてくれる彼はとても素直な人だった。私には、彼が眩しすぎてその気持ちを受け止めるだけでいっぱいいっぱいだというのに。
「うん。私も」
それでも、私も精一杯彼へ好意を向ける。すると、彼がとても分かりやすく嬉しそうに笑うのだ。そのおかげで、ドキドキとうるさい私の心臓が保ちそうもないんだけど。
「白百合の君と恋仲だなんて、ほんっとうに羨ましい方だわ」
「あの騎士様に気軽にお誘いするなんて」
白百合の君とは彼のこと。騎士様とは私のこと。影からも平時の時も堂々と周りから言われている呼び名に私達はそれぞれ振り向いた。私のクラスメイト達を始め、いつのまにか増えていた人集りが羨望と嫉妬を込めた眼差しを向けながら、あからさまな溜息を吐いている。痛いくらいの視線に気づいた彼は頬を赤く染めたまま手を振り、私もまた赤くなった顔を隠しもせず頬を緩ませてみせた。要するに、公認の仲なのだ、私達は。
それはそれは、幸せな光景だった。
重い瞼を開ければだいぶ見慣れた古びた天井が目に入った。カーテンの向こうはまだ薄暗いので朝はまだ来ない。仕方なくもう一度眠ろうとしたところで視線に気づいた。
「おめー、具合悪いのか?」
タオルケットに潜り込んだまま私を見上げる大きな瞳に私は緩く首を振る。首の下を撫でるとグリムはゴロゴロと喉を鳴らした。猫みたいだなと思う。
「少し嫌な夢を見ただけ。ごめん、もしかして起こしちゃった?」
幸せな夢だけど、嫌な夢。ツイステッドワンダーランドに迷い込んでしまった日から、元の世界で過ごした日々や彼との思い出は、私にはとてもつらい記憶となった。心が悲鳴をあげる前に、この記憶にまた蓋をしないと。
「おめーの寝言、ちょっとうるさかったんだゾ」
僅かに耳を垂れるグリムに私は表情を引き結ぶ。それから今度はグリムの頭を撫でた。するとグリムは心地良さそうに目を伏せる。猫は猫でも飼い猫みたいだ。グリムに言えば怒るだろうけど。
「そっか。じゃあ、もう1回寝よう」
そっとグリムを抱き寄せてから再び目を閉じる。一度だけ触れたことある彼の髪とグリムの毛並みの柔らかさが似てるなんて考える私ってどうなんだろう。私に抱きしめられたグリムは窮屈そうにしていたがすぐに眠気に負けて寝た。一方私は寝つけずにいた。目を閉じてしまったら幸せだと感じていたあの頃をまた思い出してしまう。蓋をした記憶が、また溢れてしまうのだ。それだけは、避けないと。
ぐっと気持ちを押し殺しても一度開いてしまった記憶はなかなか戻せるものではなかった。脳裏に過ぎるのはスイーツ大好きな彼の姿。温厚で、華やかで、とても麗しい人。でも、ちらりと別の影が私を見ていることも知っている。私の愛した彼とは正反対の、頑固で気難しいミストグリーンの影が。
結局眠れないまま朝を迎えた。登校するために身支度と朝食を済ませる。時折グリムが気遣うように私を見るのでグリムには夢の内容をうっすら知られているのかもしれない。別に、知られて困る話ではない。元の世界に好きな人がいる、それだけの話だ。だから、あのシャンパンゴールドの視線が苦手だった。まっすぐに私への気持ちを隠そうともしないセベクが憎い。私と彼は、周りに恋仲だと思われていても、直接は想いを伝え合うことができない間柄だったというのに。
何事もないように努めていても人の口に戸は立てられないようで、登校した早々にエースとデュースに捕まった。
「え?名前って、ルーク先輩が好きなの?知らなかったわー」
エースに身に覚えのない話をされた時には困った。何故そうなったのだろう。戸惑う私をさておき、デュースは声を顰めて私に言った。
「頑張れよ。僕達、応援してるから」
いや、応援いらないし。とツッコミを入れる前に一体どういう話になっているのか知らないといけない。私はエースとデュースの後ろで隠れるように聞き耳を立てるグリムをむんずと捕まえた。
「なるほどね。私を置いてさっさと一人で登校した理由はそういうことだったの」
「オレ様は、その、」
にこりと微笑むとしどろもどろだったグリムが押し黙る。今すぐグリムを的に括りつけて狙撃してやりたい衝動に駆られるが我慢しよう。残念ながらこの学園に射撃場はない。そんな私の姿を恐る恐る眺めるエースに私は顔を向ける。
「それで、私が、誰を好きなの?」
「いや、えーと、誰だっけ?なぁ?デュース?」
「僕に振るな!」
エースは苦し紛れにデュースに話を振るが何かを察したデュースは顔を青ざめる。だいたい、何故こんな話になったのだろう。まぁ、原因は私の寝言とやらにあるらしいが。
「ルーク先輩をそんなふうに思ったことないよ」
「だっておめー、寝言でボンジュールって言ってたんだゾ」
グリムがそーっと顔を覗かせて言うので私はなるほどと理解した。朝食の時、気遣うように私をちらちらと見ていたのはそういう理由だったわけか。
「そうね。私の好きな人は柔らかな金髪に、優しい笑みを浮かべてボンジュールって挨拶してくれる人」
紛れもなくルーク・ハントじゃんってエースとデュースとグリム以外にも聞き耳を立てていたらしいクラスメイト達にもツッコミを入れられた。
「確かに、ムシューと呼んだりメルシーってお礼言ったりしてるけど、ルーク先輩ではないよ」
完全にそれルーク・ハントじゃんって再び方々からツッコミを入れられるが違うものは違うのだ。
「この世界の人じゃないの。私が好きになった人は」
その瞬間、教室の中が暗くなった。みんな気まずそうに私から視線を外した。だから、言いたくなかったのに。
「ちなみに、そのルーク三世って彼氏?」
一人だけ空気を読まず、ずけずけと深堀してこようとするエースに若干呆れたが、エースらしい。というか、そのルーク三世って呼び名はやめてほしいんですけど。
「彼氏じゃない。ついでにいうと、ルーク三世でもないよ。というか、何故、三世?」
「ルーク先輩の血縁者っぽいじゃん、そいつ。で?そのルーク三世とはどんな関係?クラスメイト?それとも幼馴染とか?」
「隣のクラスの人、かな。だから、ルーク三世じゃないってば。だいたい、血縁者でもないし」
「へぇー。それじゃあさ、名前はルーク三世の何処が好きなわけ?」
段々と想い人がルーク先輩に変換されていく気がする。きっと、スイーツを一緒に食べに行った時も素敵な笑顔を浮かべてトレビアン!と言うのだろうな。突然気分が高揚した時には詩を歌うのかしら。
そう思いつつある私の頭の中にストップをかけたのは担任のクルーウェル先生がやって来たからだ。朝のホームルームが始まるので各々席に着き、クラスメイト達もクルーウェル先生の話に集中する。躾けられた仔犬達はそれはそれはお利口さんに飼い主に向き直った。
朝のホームルームが終わっても、エースは私の恋バナに興味を失せることなく再び話を振ってきた。これから移動教室なのにと思いながら顔を顰める。そろそろ、しつこい。
「人間!!!何をしている!?次は移動教室だろう!?」
一際大きな声が廊下から聞こえてきて私は更に表情を曇らせる。一方、エースを始めとしたクラスメイト達は思わず両手で耳を塞いだ。
「いや、今さ、」
そこまで言ったデュースの口をばっとエースとグリムが手で押さえる。エースは苦笑いを浮かべながら教室の外にいるセベクに声をかけた。
「今行こうとしてたんだ!な?グリム?」
「そうそう!そうなんだゾ!」
こういう時だけファインプレーな一人と一匹に苦笑いが溢れる。エースとグリムの言葉を鵜呑みにしたセベクはそうかと頷いてから遠慮なくずけずけと教室の中へ入ってきては私の目の前に立った。
「次は僕と共に受ける合同授業だからな。迎えに来た」
「というか、1年生全員一緒に受ける授業だけどね」
「そうだ!だからおまえが1番授業を受けやすい席を早く取りに行かねばならない!」
強引に私の腕を引っ張ろうとセベクが手を伸ばすが私はそれよりも先にスッと手を引き、セベクの隣を横切った。手持ち無沙汰になったセベクは掴み損ねた手を宙に彷徨わせたまま私を見る。ほんの少し、寂しそうな色をしたシャンパンゴールドの瞳に気づかないふりをして私は教室の扉の向こうにいる友人達を見つけて足を動かした。
「エペルとジャックもこれから行くの?」
私に気づいた二人はそれぞれ反応をしてみせる。結局わらわらと集まったクラスが違う友人達とみんなで歩幅を合わせて移動教室に向かった。セベクといえば私にあからさまに避けられたことに気づいているくせにいつも通り私の隣に陣取っては若様談議している。ハート強いな、この人。そう思うのは私だけではなくエースとグリムも同じらしく呆れたようにセベクを見ては溜息を吐いている。一方、私とセベクの様子を少し歩幅を離して歩きながら見ていたジャックとエペルは何やらデュースとひそひそ話しては三人揃って複雑そうな表情を浮かべていた。デュースめ、意外とおしゃべりで困る。
ふと、私がセベクを見上げる。目があったセベクは嬉しそうにパッと表情が明るくなり、頬を僅かに赤く染めた。
「今日の昼は、おまえ達と食べようと思っている」
「無理しなくていいよ。若様のところへ行っておいで」
「若様には許可を得ているんだ。案ずるな」
「私が何を案ずるの?というか、決定事項じゃないのそれってさ」
唐突に変えられた話題と、取り付けられた約束に私は眉を寄せた。そんな私の態度ですらセベクは愛おしいと言わんばかりに眉尻を下げてしまう。これ以上はセベクの表情を見たくなくて私は顔を背けたのだった。
記憶というのは幸せなものは鮮明に覚えているのに嫌なものには蓋をしてしまうものだ。そのせいか、私がツイステッドワンダーランドに来る以前の記憶はほとんどが彼との幸せな日々で溢れていた。
見目麗しい彼とは付き合っていたわけではないし、付き合いたかったわけでもない。彼はフランス貴族の箱入りお坊ちゃんだった。だから、紳士的に女性をエスコートできるし、社交界のマナーもよく知っている。そのため、彼を知る界隈の人間や学校でついた呼び名は白百合の君だった。
一方、私が持っているものなんか知れていた。狙撃の腕前と、幼い頃から培ってきたフェンシングの腕前。ただ、それだけ。そのせいで、女のくせにつけられた呼び名が騎士様だ、笑える。
正直に言えば、彼が羨ましかった。そこにいるだけで美しく咲く大輪の花のような存在の彼が。彼がいる場所はいつも人で溢れている。彼にしてみれば困ったことだとしても、言葉選びが苦手な私には到底できそうにないことだ。人を惹きつけることも、才能だと思う。
結局のところ、私達が一緒に過ごしたのは偶然を重ねた結果に過ぎなかった。神様の気紛れでほんの一瞬の間だけ交わった私達の道。そして、私達はいずれ別々の道を歩む。だからこそ、私も、彼も、お互いの想いを伝えるだなんてできなかった。どうせ離れ離れになるのに、恋心が成就して何になる。そもそも、白百合の君と呼ばれる彼の隣に私が並ぼうと思うことなんぞ、おこがましい。
それなのに、頭の中では分かっているのに心は正直で私と彼は想いを徐々に通わせていった。学校内で堂々とデートに誘う間柄の私達を見て周りの友人達は周囲を見えていないバカップルとあからさまに呆れていた。嫉みだって凄かった。それを知っていても私も彼も気にしてはいなかった。別に不純交友関係をしているわけではない。ただ一緒に、おいしいスイーツ巡りをして、新しいカフェを開拓して、楽しくおしゃべりして、たったそれだけ。愛を囁くなんぞできやしないし。
そう、本当に、それだけ。それだけで、十分に満たされていた、というのに。
セベクから正々堂々と告白されたのは気の良い友人達とオンボロ寮で過ごしたバカンスの日の夜だった。
グリムとエースとデュース、エペルとジャックとセベク。そして、オルトも一緒に。エペルの、焼肉食べたいなぁの望みからあれよあれよと話は拡大し、学園に通う親切な富豪のご子息達のおかげでオンボロ寮に建造されたプライベートプールで泳ぎながら、テラスでバーベキューして、夜になったら花火をして、何故かエアコンをガンガンに効かせた談話室でみんなで寝袋を並べてキャンプ気分を味わって。それはそれは楽しい夏の思い出になった。
セベクからの、告白さえなければ。
「別にね、セベクが嫌いというわけではないの」
夏の暑い日の夜に、暑苦しい告白を受けた次の日、登校した私はクラスメイト達から質問攻めにあっていた。エースとデュースとグリムのおしゃべりによって、私がセベクを振った話は学園中に広まっていた。いや、広まった原因にはあからさまに肩を落として学園内を歩くセベクにもあるだろう。
「じゃあ、なんで振ったんだよ?あいつ、確かに態度と声はでかいけど」
「そこは大きな問題じゃなくね?監督生だって、バルガス二世みたいなものだし」
バルガス二世?私が?私はあんなに筋肉に心酔してはいない。腹筋だってバキバキに割れていない。そりゃあ、本音を言えば少しくらい割れたいけど。
クラスメイト達の言葉に私が眉を寄せるとその会話を聞いていたエースが呆れ顔でさらっとツッコミを入れた。
「いや、その辺で暇さえあれば筋トレしたり寮に帰ればフェンシングの鍛錬ばかりしてるおまえって、どう考えてもバルガス二世だろ。つーか、俺等から見ればバルガス先生がスカート穿いてるようにしか見えないし」
エースを見て、ちょっと笑った。その表現、レディに失礼。確かに、筋肉は裏切らない。筋肉さえあれば、多少の困難は乗り越えられると自負しているが。
「まぁ、おまえがセベクを振った理由、なんとなく分かるけどさ」
エースの言葉にクラスメイト達も黙った。この場にいる全員が同じ表情をしている。複雑そうに、だけどこれ以上は言ってはならないと理解した顔。
「そうだね。私には、ルーク三世がいるもの」
暗くなった空気を壊すようにあっけらかんと私は言ってみせた。すると、クラスメイト達はあからさまに安堵した表情を浮かべる。あまり私のせいで気まずい雰囲気が漂うのは気分が悪いし、揶揄われるくらいがちょうどいい。
何がきっかけなのか分からないが私に振られてからほとんど時間が経っていないはずなのにセベクが開き直るのは本当に早かった。いや、早すぎる。
「おまえが僕を見なくても構わない。僕が、おまえのことを見ていればいい。たとえそれがおまえの隣ではなく後ろからしか許されないとしても」
せっかく中庭のベンチで彼を想いながら彼の好きなマカロンを食べていたのに、セベクからは邪魔されたあげく諦めない宣言までするので頭を抱えた。
「だから、おまえの返事なんぞ、必要ない!!!」
自信に満ちた態度で私をまっすぐに見つめるシャンパンゴールドの瞳が心底憎い。だいたい、私に冷めた態度を取られているのに何をそんなに私を求めるのだろう。自分で思うほど私って嫌な人間だ。だから、セベクに好かれる理由が分からない。
それからは再びセベクの好き好き攻撃が始まった。正しくは、振られる前より遥かに押しが強くなった告白攻撃が。顔を見合わせるたびに、おまえが好きだ!!!僕の妻になってくれ!!!おまえの隣にいたい!!!僕はおまえだけをずっと見つめているからな!!!と合同授業はおろか廊下や食堂果ては下校する時も所構わずとっても大きな声で騒音の如く愛の告白をされるのでそれはそれは困った。あんまりにもしつこいのでグリムにストーカー呼ばわりされているというのに。
「オンボロ寮の監督生、今度はジグボルトに付き纏われているらしいな」
「あいつ声でかいから何処にいるかすぐ分かるし。で、ほとんどの確率で監督生がいるんだわ」
「振られたジグボルトがかわいそうとか思ってたけど、あそこまで行くと監督生の方がかわいそうな気がしてきた」
廊下を歩けば私の知らない生徒達がひそひそと私を見て話すので私の頭がとっても痛くなった。どうにかしてほしくてエースとデュースに愚痴れば二人からはしょうがないと言わんばかりに苦笑いを浮かべられるだけだった。
そんなこんなでセベクに付き纏われるせいで私が知らず知らずのうちに忘れつつあったはずの嫌な記憶がふっと蓋が開いた。それはまるで、忘れてはならないと神様から釘を刺されたかのように。
世界連合軍配下の軍学校があった。私はそこの学校の生徒だった。将来は軍人になるべく世界中から生徒が集まっている。フランス人の彼も、そうだった。
私の唯一の特技はフェンシングと射撃だった。フェンシングの腕前と射撃の腕前は誰にも負けなかった。学校内のランキングも私の名前はいつも最初に載っている。そんな私を見ては彼はにこやかな笑みを携えて言った。
「君は強いね。みんなが言うように、高貴で、誠実で、本当に騎士様みたいだ。かっこいい。羨ましいくらいに」
それを言うなら彼は軍人には向いていなかった。いつも穏やかな笑顔を携えて、貴族特有の育ちの良さを武器に優雅で淑やかな雰囲気でその場にいるだけで華だった。そう、例えるなら、彼は王子様だ。
「ありがとう。いつか立派な騎士になって、あなたを守れるようにならないとね」
精一杯の強がりだった。彼の隣に並びたくても騎士様と呼ばれる私にはできない。私には王子様の隣で守られる可憐なお姫様になれやしないのだから。それなのに、彼はううんと緩く首を横に振って笑うのだ。
「ボクはね、いつもまっすぐに前を向く君だからこそ、一緒にいたいんだ。そのために、ボクも君を守れるように強くなる。ほら、ボクって簡単に折れちゃいそうなんて言われちゃってるし。あ、でも、鍛錬もいいけどまずは甘い物を食べたいなぁ。だからさ、これからボクとティータイムしようよ!」
私を守る理由は言ってくれない。肝心なことを言わないように茶化す彼に私も触れず誘われたお茶会のことだけに返事した。
ここで想いが通じ合ったとしても、卒業したら私達は離れ離れになる。何処ぞの部隊に軍人として配属されれば私も彼も無事でいる保証はない。だから、時折見せる彼のアイスブルーの瞳に込められた不安そうな悲しそうな感情に私は必死に気がつかないふりをした。今が幸せであるなら、それでいい。
しかし、その日は突然やってきた。いつかのお別れの日が、想像よりもずっと早く。あれは激しい雨が降りしきる足場が悪い日だった。
全生徒が参加する大規模作戦訓練は土砂降りの中実施された。いくつもの小隊に別れて霧深い山の中に入っていく、学校規模最大の実戦形式の訓練だ。
無線で入ってくる連絡は視界は悪いが問題ない旨だった。私は狙撃銃を抱えて指定された地点を目指す。山の中腹にある開けた場所から見える隣の山の目印に狙撃するのが私の役目だった。激しい雨の中、私の前を歩く先輩が突然倒れた。何事かと思うまもなく銃弾の雨が上から降り注いできた。これは訓練ではないのかと疑問と、命が危ないと本能が脳内を騒ぎ立てる。銃弾によって崩れた足場は私とその場にいた小隊を谷底に突き落とした。落ちたことにより私の身体は怪我だらけだった。皮膚は破れ、頬は岩で切れる。打ちつけた背中が激痛を襲う。その間に、無線が途切れた。私は狙撃銃を抱きしめたまま岩場の影に身を寄せ、瞬時に、次の一手を考える。身体中激痛が走るが、動けないわけではない。どうにかしなくてはと考えを巡らせる。周りの生徒達とは逸れた。みんな軍人の端くれだ、きっと生きていると言い聞かせながら。
「見つけた」
岩場の影に疼くまる私を見つけたのは別の小隊にいた彼だった。軍帽を目深に被っているくせに華やかな顔立ちのせいで軍人には見えず、やっぱり彼は王子様のそれだった。
「無事、ではない、よね」
彼は私の傷だらけの顔を見て悲しそうに顔を歪めた。そこで私はハッとした。彼の肩からおびただしい量の血が出ていることに。
「動かないで。今すぐ処置するから」
「服の上から包帯巻いてくれる?今は、時間がないから」
私が救護しようとすると彼はやんわりと手で制し、自分の服のポケットの中から応急処置用の包帯を取り出して私に渡した。包帯を受け取った私は彼の服の上から肩にきつく包帯を巻きつける。その間に彼は時折痛みに顔を顰めつつも今の状況を簡単に説明した。
「ボク達連合軍を良く思っていない人間がいっぱいいるでしょう?そいつら、何処からか僕達学生の大規模訓練日を聞きつけて襲撃してきたってわけ」
「そんな。じゃあ、教官達は?」
「本部に応援要請して、教官達も応戦してる。と、ボクも知ってるのはここまでなんだ。無線、壊れちゃったし」
大袈裟なくらい溜息を吐いてから彼は笑う。顔色がどんどん悪くなってくる。
「あなたの隊は?」
「たぶん、やられちゃったかな。爆撃落とされちゃったし」
情けないよねぇと呑気な声音で言うが彼の本音は違う。アイスブルーの瞳が悲しそうに歪んでいた。彼は本心を顔に出さないのが上手なのを、私は知っている。本当は、とても怖かったはずだ。それなのに、重い身体を引きずって私の元へ来てくれた。ならば、私がこの王子様を守らないと。
「私、外の様子を見てくる。もしかしたら、誰か他の生徒と合流できるかもしれないし」
「悪いけど、それは無理かな」
力なく彼が笑う。軍帽を外した彼は私の軍帽を外し、どちらの血か分からない汚れた両手で私に触れた。
「手袋も、今はいらないね」
血塗れの手袋が外されても、素手は血が滲んでいた。それを構わず彼は両手で私の顔を包む。彼の顔から血の気が引いていた。
「覚悟はしてたけど、いつかこんな日が来るなら、ちゃんと言っておけばよかった」
「やめて。そんなこと、言わないでよ」
「最後にボクのお願い、聞いてくれる?今だけでいいんだ。ボクを、ボクだけを見て」
言葉に詰まる。私は狙撃銃を離し、両手で彼の両頬に触れた。ふわふわの金髪に、左耳にいつも身につける銀色の耳飾り。お互いに存在を確かめ合うようになぞるように触れた。お互いの血で、お互いが染まることなんか構わずに。
「私、あなたが羨ましかった。そこにいるだけで華やかになるの。王子様みたいだなって、ずっと思ってた」
「そっか」
「私にはないの。あなたみたいに、人を惹きつける魅力が。私にあるのは、」
言葉が出ない。彼は私の言葉の続きを待たずに口を開いた。
「君には人を惹きつける魅力があるよ。ボクも、君に惹きつけられた一人だしね。君は、ボクが羨ましいと言っていたけど、ボクは君の方がずっと羨ましいと思う。力を持っても努力する姿勢を崩さない君は美しくてかっこよくて、ボクの憧れだった」
ふと、近づいた距離が離れる。誰かが、こちらに向かってくる音がした。私の背中に冷たいものが伝う。息を飲む。でも、彼は穏やかな笑みを携えたままだった。
「君が幸せになれますように。心から、祈ってる」
私の視界が涙で滲む。嫌だ、私は永遠のお別れなんて望んでいない。
「私の、幸せは、」
「それ以上は、言っちゃダメだよ」
くしゃりと歪んだ綺麗な顔がぐっと距離を詰めた。唇に何かが押し当てられる。私が目を見開いた先に見えるのは目を閉じた彼と、さらに後ろからライフルを持った人影だった。銃口がこちらを向いた瞬間、彼が私から離れる。
「君と過ごした時間は、凄く幸せだった」
ドンと強く押された瞬間、私の視界がぐにゃりと歪み文字通り穴から落ちた。
目を覚ますとそこはオンボロ寮の天井ではなく、医務室だった。私がハッとして起き上がるとベッドの傍で椅子に座っていたセベクがすぐに私を見る。
「やっと目を覚ましたか。良かった。まさかおまえが授業中に熱中症で倒れたなんぞ信じられなかったが。でも、元気そうなら越したことはないが一応大事を取って」
饒舌に話すセベクを置き去りにして私は医務室を飛び出した。脳内に再生されるのはたった今まで見た夢。いや、あれは夢ではなく間違いなく私の記憶だった。幸せな記憶とは違い、受け入れたくない嫌な記憶。あの後どうなった?彼は?聞きたいのに聞ける人がいない。そう、私は、穴から落ちた。落ちた先で目を開けたら、どういう原理か分からないがナイトレイブンカレッジの入学式の日にあの棺の中にいたのだ。式典服を着て。
無我夢中で走ってオンボロ寮に戻ってきた。グリムやゴースト達が声をかけてくれるが私が血相を変えて帰ってくるのでみんな驚きを露わにしただけでそれ以上は何も言われなかった。私はといえばすぐに自室に行き、クローゼットを開けた。とっくに洗濯したのにそれでも私は一抹の願いを込めて式典服を手に取る。あらゆるポケットの中を全て弄り、何もないことを悟ってその場に崩れ落ちる。その瞬間、足元に何か落ちてきた。
「君と過ごした時間は、凄く幸せだった」
彼の微笑みが脳裏に映る。私が拾ったそれは彼がいつも左耳につけていた銀色の耳飾りだった。精巧な作りをした上質な耳飾りは血に塗れている。私は血に染まった耳飾りと硝煙の匂いが微かに残る式典服を抱きしめ、彼の名前を呼びながら叫ぶように泣いた。
どれくらい泣いたのだろう。無我夢中に泣いたのは人生で初めてかもしれない。それでも、涙が枯れることはなかった。当然だ。きっと、私の最愛の人はもう生きてはいない。彼は私を守るために命懸けで私を穴に突き落とした。ただ、その穴は何故その場に空いていたのか分からないけど。
「思い出したのか?全てを」
どきりとした。私が振り向かなくても声の主は分かる。セベクだ。
「泣いたのか?あいつを想って」
ぴくりと反応する。私が誰を想って泣こうがセベクには関係ない。私はぐっと声を押し殺し、冷静を装って尋ねた。
「エース達から何か聞いたの?」
「ああ。おまえがルーク三世とやらにずいぶんと惚れ込んでいることは知っていた。いや、極最近知ったと言った方が正しいか」
コツコツと靴音が近づき、私の背中を前にして止まる。私は振り向くことなく言ってのけた。
「私ってばバカよね。あんなに大切に想っていたのに、幸せなことばかり覚えてて肝心なことは忘れていたの」
「違う。それは、忘れていたわけではない。おまえが自分を守るために思い出さないようにしてただけだ」
「それでも、思い出さないのだから忘れていたのと変わりないよ」
こんな薄情な人間だと知ったら、彼は私を嫌うだろう。どうせなら彼と一緒に私も死んでしまったらよかったのに。もっというのなら、生きてツイステッドワンダーランドに来たのが私ではなく彼ならよかったのに。ぐっと唇を噛んで俯く。背後にセベクがさらに近づく気配がした。
「近寄らないで」
「嫌だと言ったら?」
「私は、」
「ルーク三世とやらが好きなんだろう?」
「そうよ。だから、」
「僕がおまえを諦める理由にはならないな」
そう言った瞬間、私の身体が長い腕に後ろから包まれた。私の身体が強張る。だけど彼はさらに抱きしめる力を強めた。
「振り解きたいならそうすればいい。おまえなら簡単にできるだろう?」
淡々と紡がれる言葉にハッとして私は彼の腕に手をかける。彼は私の行動などお見通しのようで特に咎めることはなかった。
「あいつの何処が好きなんだ?あいつの元へ行きたいのか?あいつはおまえに望む言葉をくれるのか?」
好きなところはたくさんある。嫌いなところなんか一つだってありはしない。勿論、彼の元へ今すぐ行きたい。私の望む言葉?それは、絶対にくれない。
「くれるわけ、ないじゃない」
私は勢いよくセベクの手を振り解いて彼に振り向く。セベクの顔が間近にあるが、私は離れろと言わんばかりにセベクの胸板を力強く押した。
「それでもいいの。お互いに好きだって言えなくても構わない。一緒にいられればそれだけで十分だから」
視界が滲む。ぐっと唇を引き結んで瞬きするのを必死に堪えた。そんな私の顔をセベクがじっと見つめる。
「つまり、おまえは、あいつの元へ行くと言うのか?」
淡々とセベクが問う。私は間髪入れずに答えた。
「当たり前よ。今すぐだって、私は彼の元へ帰りたいの」
「あいつは死んだ」
ぐさりと心臓に刃が突き立てられた気がした。それでも私は前を向く。本当は悲しくてつらくて泣き続けたい。だけど、泣いたって何も変わらないのだ。
「彼が死んでても構わない。でも、生きているかもしれない。どちらでもいいの。元の世界に戻れさえすれば、どんな形でも彼の傍にいられるから」
溢れそうになる涙を制服の袖で乱暴に拭った。感情的にならないように悲鳴をあげる心を少しでも落ち着けるように私はまっすぐにセベクを見た。アンティークゴールドの瞳が見開かれる。そして、セベクは口を開いた。
「冗談じゃない」
地を這うような声だった。いつものように大きな声ではないのに、頭の中に直接響くような音だった。そこにいるだけで、雷がびりびりと襲ってくる錯覚がする。私が黙ったままセベクを見つめていると、セベクの手が私に伸ばされる、咄嗟にその手を払った。
「ああ、そうだな。僕が好きになったおまえは、そういうやつだった」
私に振り払われた手を握りしめてセベクがくつくつと喉の奥を慣らして笑う。背筋がぞっとした。嫌な予感がした私は大切な彼の耳飾りと硝煙の匂いが残る式典服を抱えたまま彼から距離を取る。それから自室に丁寧に保管しているフェンシングの剣を持ち、構えた。
「その姿、まるで騎士のようだ」
今の僕よりずっと。小さく小さく紡いだ言葉が耳に入るが私には気に留める余裕がない。本能が抗えと身体全体に訴えてくる。
「本物の騎士になれたらよかった。そうしたら、王子様を傷つけずに済んだのにね」
私は自嘲気味に笑った。セベクは私を一瞥してから、そうかと頷き私と対峙した。マジカルペンを構えて。
「私をどうするの?」
「どうすると思う?」
「分からないけど、嫌な予感はする」
「その予感、否定はしないと言ったら?」
「具体的にどうするのか聞く」
「答えないと言ったら?」
「あなたから逃げるしかない、ってことかな?」
「そういうことだな。だが、忘れてはいないか?」
「私が人間で、セベクが妖精だということを?」
「それもあるが、もう一つある」
「私が魔法を使えない非力な人間で、あなたが優秀な魔法士の卵ってこと?」
「正解だ」
それもそうだね、と私は相槌を打つ。剣は構えたまま。セベクもマジカルペンを構えたまま。会話はそこで終わり、少しの沈黙が流れる。
先に動いたのはセベクだった。セベクのマジカルペンから魔法が放たれる。私は放たれた魔法を避けながらセベクに向かって走った。セベクの目の前に来た瞬間、地面を蹴って剣を振り下ろす。瞳孔が開いたセベクはとても禍々しいオーラを放っていた。それと同時に雷に似た強力な魔力が私にぶつけられる。
最後に見たのは、今にも泣きそうなシャンパンゴールドの瞳だった。
目が覚めたら朝だった。今日はとても寝つきが良く、うーんと伸びをしてからベッドを出た。身支度を整えてから談話室に行くとゴースト達とグリムが先に朝食を食べていたので私も一緒に席に着く。和気あいあいと朝食を取り、それからグリムと揃って学校に向かった。
オンボロ寮を出てメインストリートに差し掛かった所で、偉大なるグレートセブンの銅像の前に立つミストグリーンの姿があった。
「待ちくたびれたぞ人間!!!」
私達の姿を見つけた早々、同じく登校していた生徒達が何事かと振り向くほどの大きな声を出してセベクが私の前に立った。
「オレ様、エース達に用事あるから先に教室に行ってるんだゾ!」
あからさまにうるさそうな顔をしたグリムは逃げるように行ってしまった。私はあーあと思いながら小さい身体がさらに小さくなっていく姿を見つめる。そんな私を気にすることなくセベクは口を開いた。
「大丈夫か?昨日、熱中症で倒れたばかりだろう」
私はああと思いながらセベクを見る。頬を緩ませた。
「ありがとう、もう平気。昨日、医務室で私に付いててくれたってグリムから聞いたよ」
「あ、ああ。そうだったな」
「おかげさまでめっちゃ元気になりました」
ふふふと笑うとセベクは安堵した表情を浮かべる。しかし、すぐに表情を引き締め周りを気にしながら口を開いた。
「学園長から聞いた。元の世界へ通じる扉とやらが、二度と開かないと。その、大丈夫、なのか?」
セベクが気遣うように私を見る。私はそういえばと思いながら口を開いた。
「そうなの。実は昨日の夜、学園長がオンボロ寮に来て、もう二度と元の世界に帰れないって言われちゃってさ。まぁ、それはそれでショックだったよ。でも、別に、向こうの世界に未練があるわけでもないし、しょうがないかなって。フェンシングならこの世界でもできるし」
あっけらかんと私が言うと、セベクはそうかと瞼を伏せる。すぐに開いたシャンパンゴールドの瞳はいつものように自信に溢れていた。
「ならば、学園を卒業後は茨の谷へ来るといい。おまえのフェンシングの腕前なら、魔力がなくても王族の護衛に取り立ててくれるだろう」
「本当?それもいいね」
「僕と共に、若様を御守りしよう!!!それで、そうしたら、その、だな、」
急に歯切れの悪いセベクに私は首を傾げる。セベクは頬を掻くと、すぐに表情を引き締める。それからそれはそれはとても大きな声で言うのだった。
「名前!!!僕と、結婚してください!!!」
登校中の生徒達があちゃーという顔でこちらを見る。ひそひそと話し声が聞こえてきた。
「ジグボルトのやつ、またオンボロ寮の監督生に告ってるよ」
「懲りないなぁ、ほんと」
「結婚って、おっもいわー」
あちらこちらから聞こえる呆れた声に私も苦笑いを浮かべた。困った人だ、本当に。
「はい。私でよければ」
え?と周りがざわつく。私は顔を真っ赤にして硬直するセベクに照れた顔を隠すことなく頬を緩めた。一方、セベクは段々と覚醒したらしくハッとなる。それからみるみるうちに嬉しそうな表情を浮かべた。
「それは本当か!?嘘ではないな!?」
「勿論」
「よかった。本当に、よかった!!!また振られるかと思ったぞ!!!」
ぴくりと私の頬が強張る。また、振られる?セベクの言葉が耳に引っかかった。私がセベクを振ったこと、あったかなと思案する。
「あれ?なんか私、忘れっぽくなったかな」
「ん?何をだ?」
「いや、なんだろう。うまく言えないんだけどさ」
頭の中が靄がかかるようにスッキリしない。何か忘れているわけではないのだが、セベクに告白されたことなんて身に覚えがない。
「ごめんね、セベク。私、なんでセベクを振ったんだっけ?」
「それは僕が聞きたいくらいだ」
「そりゃあ、そうだよね」
「まぁ、良い返事が聞けたからな。過去の話なんぞどうでもいい」
にこにこと嬉しそうにセベクが言ってのけるので私は違和感を覚えながらも特に気にしなかった。それに、こんなに私のことを全身で好きと伝えてくれる人、人生でなかなかお目にかかれないだろうし。
「とりあえず、早く学校に行こうよ」
道行く生徒達の視線をびしびしと感じて恥ずかしくなった私はセベクに声をかけた。セベクは上機嫌のまま私と共に校舎に向かって歩き出す。時折、照れ屋な僕の妻がかわいいと言ってのけるので、気が早すぎて呆れた。
他愛ない話をしながら歩くと校舎に着き、広大な敷地内に続く廊下を二人分の踵が並ぶ。周りの生徒達もわらわらとそれぞれの教室に向かう中、ふと、セベクが足を止めて私を呼んだ。
「そうだ、おまえに渡しておかないといけない物がある」
そう言ったセベクは廊下から外れて中庭に少し出るように私を促した。私はセベクに促されるまま廊下から数歩だけ外れて中庭の芝生を踏む。セベクは周りをちらりと見回したかと思えば制服のポケットの中から何かを取り出して私に見せた。
「これはおまえが持っているべきだ」
黒い革手袋をしたセベクの手に乗るのは小さな銀色の耳飾り、イヤーカフだった。精巧な作りをした耳飾りは素人目に見てもとても高価な物だと分かる。
「え?これ、すっごく高そうなんだけど」
「そうだろうな。おそらく、プラチナを用いて作られている物だろう」
「これを私に?いくらプレゼントだと言っても、こんな高価な物は受け取れないよ」
「プレゼント?」
セベクの目が少し瞬いた。その反応に私は思わず再び違和感を覚えて眉を寄せる。
「セベクから、じゃないの?」
ぴくりとセベクの肩が震えるのを私は見逃さない。私がもう一度セベクを呼ぶと、我に返ったらしいセベクはああと口を開いた。
「そうだな。これは、僕からおまえへのプレゼントだ。ずっと、大切に持っていてくれ」
革手袋を外したセベクはぎこちない手つきでその耳飾りを私の左耳の縁にそっと被せたが、うまくつけられないらしい。
「もしかして、若様からセベクに贈られた物だったりする?」
「違う」
間髪入れずに返ってくる答えに、どうやら本当に違うらしい。しかし、なかなか耳飾りは私の耳には嵌らない。セベクが一生懸命に私の耳につけるもするりと滑って落としそうになるの繰り返しだった。
「仕方がない。リドル先輩や、アズール先輩辺りなら魔法を使ってこの耳飾りをおまえに合うサイズにしてくれるだろう。悔しいが、僕にはまだそこまでの上級魔法を修得できていないから難しい」
「それじゃあ、ツノ太郎も余裕でやってくれそうだね」
「若様の手を煩わせるのは許さんぞ」
相変わらずのセベクに私は笑った。それからサイズの合わない耳飾りを受け取った私は自分で耳飾りを左耳につけてみせた。やっぱり、私には少し大きいなと思う。
その瞬間、脳裏に誰かの笑顔が映る。柔らかい笑みを携えた人物の顔と声はザーザーと不気味な音と共にぷつっと消えた。私は耳飾りから手を離せないまま硬直する。セベクが何度もつけようとしても嵌らなかった耳飾りはまるで最初から私の物だったと言わんばかりにぴたりと嵌った。
「あ、」
視界が歪んだ。涙が溢れた。誰かの前で涙を流すなんて初めてだった。いや、違う。もう一人いるはずだ。私の笑顔も、苦手な言葉選びも、伝えられない想いも、感情的になって泣いたことも、全部全部全部、全部、全部、受け止めてくれた人が。
「あなたは、誰なの?どうして、思い出せないの?とても大切な、記憶だったはずなのに」
私はその場にしゃがんで泣き崩れた。ぽっかりと空いた記憶を必死に手繰り寄せようとしてもまっさらになった記憶なんぞ無意味だった。そんな私の様子をシャンパンゴールドの瞳がぼんやりと見つめていた。
何も言わず、ただ黙って私を見てるだけだった。
−−−−−−−−−−
目の前で泣き崩れる彼女を見た僕は我に返った。大切な記憶がないと、か細い声で紡ぐ悲痛な叫びに僕の胸に何かが激しく揺さぶってくる。
あまり動かなかった表情筋が崩れ喜怒哀楽をくるくる変わる表情を露わにした姿をようやく僕に見せてくれた。なんて幸せなのだろう。好きな女性が僕を見て、僕の想いに応えてくれて、幸せだと言わんばかりに笑ってくれる。
彼女の泣き顔は、幸せに浸っていた僕をどん底に突き落とした。
始まりは、僕がオンボロ寮で開催したバカンスに参加した夜に、彼女に想いを告げたがあっさり振られたことだった。それはそれはショックだった。激しく落ち込んだ。だけど、僕に彼女を諦めるという選択肢はなかった。いつか彼女に振り向いてもらうまで頑張るぞと気合を入れ直した矢先だった。
実は、この話は続きがある。彼女は僕を振った直後、あっさりと元の世界へ帰った。それはもうあっさりと清々しいほどに。
「あいつ、元の世界にルーク三世っていう好きなやついるんだって。ルーク三世の話をする時のあいつ、あの鉄仮面みたいな顔するのやめてめっちゃくちゃかわいい顔して話すんだよな。あれ見た時、俺もときめいちゃったーって思うくらい、まじでかわいいしさ。あいつにあんな顔をさせるルーク三世、羨ましいわ」
彼女が帰った後に、エースから聞いた。彼女に好いた男がいるなんぞ、初めて聞いた。というか、ルーク三世って誰だよ。頭の中でムシューと僕を呼ぶルーク・ハントがちらついて腹が立つ。しばらくルーク先輩の顔は見たくない。
そんなこんなで僕が失恋した理由を彼女が帰ってから知り、途方に暮れたままやがて時が経った。なかなか立ち直れない僕に友人達は諦めるように言ったが、それでも僕の心の中には彼女の存在で溢れていた。
そして、知ってはいけない事実を、また知った。
一度捻れた時は簡単には元に戻らない。学園を卒業してからずいぶん経ってから再び時が捻れたことを知った僕は、未だに恋する彼女に会いたくなった。ついでに、あの頃僕の失恋の原因になったルーク三世とやらの顔も拝んでみたくなった。
僕は捻れた時を利用して彼女の世界に足を踏み入れた。妖精と人間のハーフである僕は年齢を重ねるのが人間どもとは異なる。ゆっくりと時間が過ぎる僕とは違い人間である彼女に流れる時間はおそらく早く、今や立派な大人の女性に成長しているのだろうと思っては疑わなかった。
彼女の世界へ行ってから、まずは彼女の当時を知る人を探した。ついでにルーク三世を知るやつも。すると、軍学校を卒業してからずいぶん年数を重ねたにもかかわらず、彼女と彼を知る人はあっさり見つかった。
「あの頃のこと、よく覚えておりますわ。白百合の君と騎士様の仲睦まじい姿は学校中で有名でしたので。それに、大規模訓練を実施中に、白百合の君を庇った騎士様が滑落事故に遭ってしまったの。一月くらいだったかしら?大事には至らなかったけど、騎士様が目を覚まさなくて」
そう証言した彼女の関係者は暗い顔を浮かべた。それを聞いた僕はなるほどと理解した。昏睡状態になった彼女はそれでツイステッドワンダーランドに迷い込むことになったのかと。しかし、次に続く言葉に僕はカチンときた。
「なかなか目を覚まさない騎士様に、白百合の君が悲しみに暮れていて、見ているこちらまでも心が痛みました。ですが、ある日、白百合の君が眠ったままの騎士様に口付けをしましたの。そうしたら、奇跡が起きましたのよ。口付けを落とされた騎士様が目を開けられたのです」
はぁ!?眠る彼女にルーク三世がキスして起こしただと!?ふっざけるな!!!貴様は王子様か!!!許さんぞ!!!
「ほら、こちらです。在学中のお二人ですわ」
苛立つ僕の内心を知らない目の前の人間は高揚しながら一枚の写真を示した。それはあきらかに隠し撮りだ。この写真は白百合の君と騎士様の仲を影ながら応援する会の会員だけが持ち歩けるものらしい。庭園に設置するベンチに仲良く腰かけ、話している男女の姿。一人はよく知る彼女。もう一人は緩やかな金髪にアイスブルーの瞳の優男だった。くっそ!!!マジで王子様じゃないか!!!
その後、彼女の卒業後を知る関係者に話を聞いた。世界連合軍配下の軍学校を卒業した彼女は、想い人であるルーク三世と結婚したものの、両人はそれぞれ軍人として別の軍隊に配属された。しかし、何年かした後、二人とも派遣された離れた戦地で死んだ。それが全てだった。
話を聞いた僕は猛烈な怒りに襲われた。あの日、元の世界に帰った彼女が想い人の元へ迷わず向かったと知った僕は、彼女が幸せになるならと仕方なく彼女を諦めようとした。残念ながら、諦められないせいで彼女の世界へやって来たわけなのだが。その結果、これである。彼女は想い人と生涯を誓い合ったのに、その想い人とはそれぞれ離れ離れのまま死んだ。それならば、彼女に焦がれたこの数年間の僕の時間は何だったのか。彼女が幸せになる結末ではないのなら、あの時、元の世界へ帰してやらなかったのに。
その時、僕は古びた魔導書のことを思い出した。ならば、僕が彼女を幸せにしてやればいい。そう考えた僕は、怒りのままにあることを思いついた。
幼い頃、シルバーと一緒にリリア様の書庫に入ったことがある。たくさんの蔵書の中に、願いが叶う魔導書があるとリリア様が話していたので僕とシルバーはリリア様が留守の日に興味本位で書庫を覗いた。願い事は僕とシルバーも同じで、いつか立派な騎士になって若様を御守りすることだった。書庫の中で埃を被って放置されていた古い魔導書を見つけた時、僕とシルバーは目を輝かせた。二つあった魔導書をそれぞれ手に取り、立派な騎士になりますように、と魔法の使い方すら知らずただかわいらしく願っただけだった。
僕は自宅に戻り、自室の書棚にこっそりと隠したままだった古い魔導書を手に取った。僕はあの頃の、魔法の使い方を知らない幼い子供ではない。この魔導書の正しい使い方を知っている。
茨の谷の、誰も足を踏み入れない立ち入り禁止区域に黒い薔薇園がある。そこに古びた魔導書を持ったまま足を踏み入れた僕は適当にその場に腰を下ろす。古びた魔導書を開くと一番後ろに鏡の絵が描かれている。そこに呪文を唱えると自分が思う場所へ繋がるのだ。僕は周りを警戒してから鏡の絵を指でなぞる。これをやる時は誰にも見られてはいけないし知られてはいけない。つまり、これから僕がやることは、決して許されない所業だった。
呪文を唱えると小さな鏡の向こうに華やかな金髪の男が映った。僕はそいつを目掛けて鏡の向こうへ行く。金髪の男の部屋と思しき場所にある鏡の中から突然現れた僕を見た彼は驚きを露わにさせた。
「え?あ、あの?ぼ、Bonjour?」
あきらかに戸惑った様子で僕に挨拶する彼は、写真で見た人物だった。僕はこいつが例の憎き恋敵のルーク三世だと理解した。彼の服装が軍学校の制服だったので、彼女の過去の世界へ無事にやって来たことに気づき安堵するが、すぐに表情を引き締める。僕は目の前にいる彼の挨拶に返事をせず本題に入った。
「単刀直入に言う。僕は貴様等の未来を知っている。そう遠くない未来、貴様も、貴様が恋慕う女も死ぬぞ」
「え!?」
彼は繰り返し瞬きして僕を見る。幼さがまだ残るアイスブルーの瞳を困惑の色に染めた。きらりと光る銀色の耳飾りに僕は眉を寄せる。彼女は、こんな頼りない王子様風情の何処が良いのだろうか。
「ボクも、名前も、まだ学生なんだけど。もしかして、訓練中に事故に遭う、とか?」
「貴様等の卒業後だ。それぞれ配属された先で戦死している」
僕が淡々と言うと彼はさらに困惑する。本当に将来軍人になるのかと思うくらい彼はずいぶんと分かりやすい人間だった。
「そ、そもそも。君、誰なの?鏡から出てきたように見えたけど。でも、そんなこと、あるのかなぁ」
最後の方は自問自答だった。僕はうんざりした顔を隠しもせずにテーブルにあった蝋燭に勝手に魔法で火をつけてやった。
「え!?」
「次は貴様の自慢の金髪を火だるまにしてやろうか?」
「うーん。それは困るなぁ」
彼が苦笑いを浮かべながら僕を見る。へらへらした顔と態度に僕は内心苛ついた。もう一度思う。彼女はこんな男の何処に惚れたのだろうか。
「分かった。君を信じるよ。それで、ボクにどうしてほしいの?」
あきらかに困った顔を隠しもせずに僕に問いてくるので僕は盛大に溜息を吐いてやる。
「貴様の対価を差し出せば、僕が助けてやろう」
「対価?」
「例えば、貴様の命なんかどうだ?」
彼がぱちぱちと瞬きをした。彼はうーんと少し考える。ほら、自分の命を犠牲にするやつなんかいない。僕は彼の化けの皮が剥がれたと思い頬を緩ませた。
「ボクの命をかけたら、名前は死なないのかな?」
「ああ。僕が彼女のことを生涯かけて守ってやるから心配いらない」
「それともう一つ。彼女、ちゃんと幸せになれる?具体的に、どう生きて、どのように幸せになるのか知りたいんだけど」
「そんなことか。その時が来たら、僕が彼女をここではない違う世界に連れて行く。そこで、彼女は貴様ではないその世界の住人と恋に落ちる。無事に想いが通じ合った彼等は末永く幸せに暮しました、とさ」
「なるほど、ね。パラレルワールドみたいなもの、かな?」
「その解釈でも間違いではない」
僕の話を聞いた彼はうんうんと納得する。それから顔をあげた彼は穏やかな笑みを携えて言ってのけたのだった。
「いいよ。ボクの命なんかで構わないのなら、使って」
「は?」
「そうすれば、彼女は助かるんでしょう?」
よかった、とにこにこと嬉しそうに笑う彼の姿に息が詰まる。普通なら、命は惜しいはずだ。そんな簡単に手放せるわけがない。
「自分が何を言ってるのか分かっているのか?僕は本気だぞ」
「ボクも本気だよ。で?ボクはどうすればいいのかな?命をかけるってことは、自殺するのかな?それは怖いなぁ」
まるで世間話でもするかのような態度に僕は今度こそ言葉が出なかった。うーんと考える彼の表情とは別に、アイスブルーの瞳がゆらゆらと揺れている。僕はハッとした。この男は、全てを理解した上で僕と話しているのだ、と。
「自殺はないから安心していい。来るべき時が来れば、勝手に命を落とす」
「それもそれで少し怖いけど、自分で自分を殺すより全然いいや」
ふいに、彼が僕に向き直る。揺らめくアイスブルーの瞳に恐怖の色を滲ませながらも、彼は柔らかい笑みを携えて言った。
「Merci!名前のこと、よろしくね」
きらきらと輝く華やかな見目と同じく、心まで綺麗な男だった。僕は感情を隠すように口を引き結ぶ。負けた。そう思った。
その後、彼等の未来は変わった。大規模作戦訓練中に運悪く連合軍と敵対する勢力により襲撃を受けたという理由で彼は死に、一方彼女はツイステッドワンダーランドに引っ張り込んだ。あとは、彼女の記憶から彼の存在を消してしまえばいい。いや、彼が死んだと聞けば彼女は自然と元の世界に対する興味を失せるだろう。そう思っていたはずなのに、彼女は強かった。
ツイステッドワンダーランドに引っ張り込まれる直前の記憶を思い出した彼女は僕にフェンシングの剣を突きつけた。
「彼が死んでても構わない。でも、生きているかもしれない。どちらでもいいの。元の世界に戻れさえすれば、どんな形でも彼の傍にいられるから」
そう言った彼女の瞳は力強かった。意志の強さを感じた。魔法が使えなくても、彼女は非力な人間ではない。決して折れない、騎士様だ。そして、彼女の彼に対する想いの強さを思い知った。冗談じゃない。僕は彼女を悲惨な未来から守るために禁断の魔術に手を染めた。それなのに、生死なんぞ関係なく彼女は彼の傍に行くことを選んだのだ。許せなかった、彼女にそこまで強く想われるあの男が。悔しかった、彼女のために簡単に自分の命を捨てられるあの男が。嫉ましかった、見目だけではなく心まで美しいあの男が。羨ましかった、想いを伝えあってもいないのに、お互いに愛しているという事実が。
やりきれない思いを抱えて僕は彼女から記憶を消した。彼の記憶も、元の世界の記憶も、そして、捻れた時の狭間に作られた扉も、全部。ただ、彼が生きていた証は残した。あの銀色の耳飾りを彼女に返したのは、僕の精一杯の懺悔だった。
中庭で散々泣いた彼女は急に泣き止んだ。辺りを見回しながら目を擦った彼女は恥ずかしそうに笑った。
「ごめんね、セベク。恥ずかしいところを見せちゃって」
いやと首を横に振る。彼女の腫れた瞼を冷やすため医務室に連れて行くことにした。彼女の左耳に煌めく耳飾りが視界に入るたび言葉に詰まる。そのせいで、脳裏に金色の影がちらついた。
「Merci!名前のこと、よろしくね」
穏やかな笑みを携えて言ってのけた彼の姿を思い出して唇を噛む。好いた女を、簡単に他の男に託すな。行き場のないどろどろした感情をぶつけたくてもできなくて、自分の掌を爪が食い込んで痛いくらいに握り締めた。
その日の夜、僕は古い魔導書を持ち出して寮の自室を出た。行き先はディアソムニア寮内にある古い所蔵庫。生徒立ち入り禁止の貼り紙を無視して扉を開けると、真っ暗だった部屋に勝手に灯りがついた。
「僕は、何をやっているのだろうか」
自問自答。いや、答えは出ない。僕は生徒が誰もいないことをいいことに魔導書を開き、最後のページにある鏡の絵を呪文を唱えながらなぞった。
「対価、か」
この魔術に必要なものを呟く。僕の命は若様に捧げている。だから、命なんぞ惜しくはない。僕が惜しいと思うもの。失くして、怖いもの。そっと目を閉じる。脳裏に浮かんだ人物が振り返って僕を見た。ぴしりと正した背筋に、意志の強い瞳に、時折ほんの少しだけ頬を緩めてくれるところ。
「筋肉って裏切らないと思う」
至極真面目な顔で女性らしからぬ発言する彼女に何度笑っただろう。その見目麗しい見た目とはちぐはぐな考え方も、常に前を向く誠実な瞳も、何事にも折れない高貴さも、全部全部全部、全部、全部。数えきれないほどの全てが愛おしい。だから、どうか許してほしい。彼女から、また奪おうとする僕のことを。
「名前、おまえのことが、好きだ。これからも、変わらずに」
ぽつりと口にした。記憶がぐちゃぐちゃに混ざる。鏡の絵が光り、所蔵庫の中も光りで溢れた。ゆっくりと瞼を開けると光の中に彼女の姿が見えた。なんて幸せな幻覚だろう、そう思いながら僕は彼女に向かって手を伸ばした。
ざわざわと騒がしい声がして僕は目を開ける。そこはナイトレイブンカレッジの敷地内にある僕が在籍するクラスだった。日付は入学式を終えてから一ヶ月ほど過ぎている。今度はここから始まるのかと思った。
「編入生、見た?めっちゃきらきらしたやつだったわー」
「流石上流階級のお坊ちゃんだけあるな」
クラスメイト達の間で噂になっている人物がいた。そいつはかつてのカリム先輩と同じように入学式を終え日が経ってから学園に入学してきた。薔薇の国出身で、由緒ある伯爵家の息子。きらきらと美しい金髪に宝石のように輝くアイスブルーの瞳。その噂の渦中の人間は朝のホームルームで担任に促されて挨拶し、僕の隣の席に座った。
「Bonjour!今日からよろしくね」
にこにこと人の良さそうな笑みを携えて挨拶する彼の左耳には銀色の耳飾りはない。だけど、間違いなく、あの日死んだ彼だ。憎くてたまらない、恋敵。
「ああ、よろしく頼む」
僕が唇を引き結んで彼を見るので彼は笑顔を携えたままアイスブルーの瞳を揺らす。本心では、初対面の相手に緊張しているのだろう。相変わらず臆病なやつだ。
「寮は決まったのか?」
僕が聞けば彼は目を瞬いた。顔が良いからどうせポムフィオーレ寮だろう。しかし、彼の返答に今度は僕が目を瞬く番だった。
「イグニハイド寮だよ」
「は?」
「それがね、寮長にご挨拶しようと思ったんだけど、なかなか会ってくれなくてさ。忙しい方なんだろうなぁ」
いや、それ、絶対違うだろう。ツッコミを入れたかったはずなのに僕の口から出たのは盛大な笑い声だった。
「貴様が相手ではイデア先輩も困惑するだろう」
「え?ボク、何かしちゃったの?」
「別に貴様が悪いわけではない。そこの寮長は引きこもりで有名だからな。もし、用があるなら弟のオルトに伝言を頼めばいいさ」
インドア派で有名なイグニハイド寮にばりばりの光属性みたいな男が入寮してくればイデア先輩が困惑する姿が目に浮かぶ。あのきらきらしたオーラを振り撒きながらボンジュールと挨拶されれば僕だって目が眩む。まさか、彼の組み分けがイグニハイド寮になるとは、学園長も闇の鏡も真っ青だろう。色んな意味で。
「何か困ったことがあれば僕に言うといい。話くらいなら聞いてやる」
彼がこの学園にいるのは僕のせいだ。本音を言えば、せめてもの罪滅ぼし。それを知らない彼は柔らかい笑みを携えて僕に言った。メルシー、と。
寮は違うが、同じクラスで隣の席のよしみで彼と共に行動するようになった。彼曰く、自身は今までの人生で魔力に触れたことすらないのに何故突然ナイトレイブンカレッジの入学の案内が自宅に届いたのか未だに理解できないと言っていた。そのことに僕はあまり触れなかった。魔力があろうがなかろうが、大した問題ではない。現に、この学園に無事に入学ができたのだから彼も少し魔力があるのだろう。授業にも、着いていけるわけだし。
ちなみに、彼についた呼び名が白百合の君なのだからそれはそれは僕にとっては複雑だった。
流れるように季節は過ぎた。ジャックやエペル、デュースやエース、そしてオルトと彼。クラスは違うのにいつのまにか気の合う友人になっていた。この輪の中に、かつていたはずの彼女はいない。この世界線では入学式に問題行動を起こした魔獣と非魔法士の少女はいない。だから、オンボロ寮なんてものはなく、廃墟と化したオンボロの建物はずっとゴースト達だけの住処だ。
友人達の中にも、彼の中にも、彼女とグリムと過ごした記憶は当然ない。そう、この世界線には誰の記憶にも一人と一匹の存在はないのだ。たった一人、僕だけを除いて。それがどれほどの苦痛であるか分かっていた。楽しかった思い出も、苦しかった思い出も、誰も共有することができない。僕の中だけに残された記憶は何度も僕を後悔と懺悔の嵐に誘った。しかし、僕は生涯この苦痛に耐えるしかなかった。
命より大切な宝物を抱きしめて、ただじっと、その時が来るのを待ち続けた。
暑い夏がやって来た。オンボロ寮でバカンスをして、彼女に告白して、振られて、でも、友人達と一緒にはしゃいだ。若様の護衛という任務をこの時ばかりは忘れただの学生でいた夏が懐かしい。
残念ながらこの世界線ではオンボロ寮でバカンスなんぞない。だけど、新しい友人を加えたメンバーで賢者の島にあるビーチに行くことになった。エペルが焼肉食べたいなぁと言い出したことが始まりなのは変わらないので、その変わらなさに僕の胸に込み上げるものがあった。キャンプはやらないけど、バーベキューはやる。ビーチへは日帰り。エースはナンパ目当てだし、ジャックは筋トレ目当てだし、相変わらずの友人達に僕は笑った。でも、やっぱりつらいのだ。彼女とグリムのいない日々というのは。
あっつー、なんて言いながら彼が僕の隣を歩く。太陽の光に反射した金髪のせいで余計に目立つ。おかげで街行く人間どもがこちらに眼差しを向けてくるので僕はあからさまに顔を顰めた。
「参ったな。学園の外を出たらこんなに暑いって思わなかった。制服で来たの、失敗したね」
「おまえが僕の話を聞かないからな!!!」
「え?ボクのせいなの?セベクだって結局制服のまま着いて来ちゃったじゃん」
「おまえが一人で買い出しに行けば面倒事が起きるから仕方なくだ!!!」
「ちょ!?声大きいって」
世間知らずのお坊ちゃんは自慢の美しい顔を大層困ったように歪めた。このお坊ちゃんは見た目が華やかすぎてすぐに人を集めてしまうので厄介だ。しかも、何度説明しても妖精や魔法のおかげで学園内は最適な温度でも、学外に出た瞬間、本来の季節の気温になることを忘れてしまう。こんなのと親友と呼べる間柄になるだなんて、出会った当初は全く思わなかった。
「とりあえず、早く買って帰ろうか。バーベキュー用品、何処に売っているんだろう?」
「魔法工学が得意なおまえのところの寮なら簡単に作ってくれたと思うがな」
「そっか!その手があったね!」
「今更か」
僕があからさまに溜息を吐いてやると彼は相変わらず穏やかに笑う。呑気なやつだ。
近いうちに行くビーチのための買い出しにきっちり着込んだナイトレイブンカレッジの制服のまま男二人で歩く。相変わらず街行く人間達がちらちらとこちらを見るので鬱陶しい。僕がうんざりし始めた時だった。
「ご、ごめんなさい!大丈夫だった?」
僕が目を離した隙にお坊ちゃんはやってくれた。少女にぶつかった彼は謝りながら相手を気遣う。しかし、それよりも困ったことが起きた。彼女の背中に背負った大きな鞄についたキーホルダーと彼の自慢の金髪が絡まった。何故、そうなる?
「どうしよう、困ったなぁ。ねぇ、セベク、ボクの髪を魔法で焼き切ってくれない?」
「おまえ正気か?」
僕は深々と溜息を吐きながら彼の金髪と絡まるキーホルダーに手をかけた。数秒で二つが離れる。彼がメルシーと僕に言い、キーホルダーの持ち主がようやくこちらを向いた。
「おめー、おっちょこちょいなんだゾ」
「え?私なの?」
猫型のキーホルダーと同じ顔が正面を向いた少女の腕の中にいた。猫は呆れたように喋る。一方、猫に適当に相槌を打った彼女は彼と僕を交互に見上げた。
「すみません。それから、ありがとうございました」
長く美しい髪を後ろで纏め、ぴしりと背筋を伸ばして立っている。きっちり身だしなみを整えた制服はナイトレイブンカレッジのものではなく、同じく賢者の島にある全寮制の有名女子校のものだった。左耳に煌めく精巧な作りをしたプラチナの耳飾りから目が離せない。思わず、息を飲んだ。
「ううん、ボクが余所見をしてたから。本当に、ごめんね」
「いえ。それじゃあ、これで」
彼女が踵を返す。ハッとした僕は咄嗟に声を張り上げた。
「こいつがぶつかったお詫びをしよう!!!人間!!!まだ時間はあるか!?」
振り向いた彼女があからさまに嫌そうな顔をする。彼女の腕の中にいる飼い猫も同じ表情をした。
「初対面のレディに向かって人間って呼ぶか?普通」
「グリム、しーっ」
彼女は飼い猫に向かって小声で諭す。一方、彼は一人と一匹に向かって困ったように苦笑いを浮かべた。
「ごめんね。根は悪い人ではないんだよ。びっくりするくらい声と態度は大きいけど」
「おまえ失礼だぞ!!!」
「セベクこそ、レディに失礼だよ」
やれやれと彼は緩く首を横に振る。それから居住まいを正し、彼女と飼い猫に向かって口を開いた。
「彼の言う通り、お詫びしても、いいかな?ボク達と一緒にティータイムしよう。あ、でも、無理にとは言わないよ。知らない人とお茶するの、困るよね?」
そこで押さずあっさり引くのが彼だった。初めて会った時と変わらない。一方、彼女は彼と僕を遠慮がちに見ては、すぐに飼い猫に視線を戻す。
「どうする?グリム」
「ツナ缶があるならオッケーなんだゾ」
彼女の表情が若干曇る。そんな彼女を尻目に、彼はうーんと考え込んでから、すぐにパッと華やいだ。
「この近くのカフェなら、ツナ缶を使ったメニューもあったよ。それにね、そこのマカロン、とっても美味しいんだぁ」
あるのか、そんなカフェが。心の中でツッコミを入れる僕とは別に、彼女はそうなんだと頷いた。一方飼い猫は彼女の腕の中から身を乗り出した。
「オレ様行きたい!な?子分?」
「ほどほどにしてね。ご飯、食べられなくなっちゃうから」
「分かってるんだゾー!」
そうと決まればと各々カフェに向かって歩き出す。
「ねぇ、君は何食べたい?ボクのお勧めはマカロンがたっぷりと乗ったフルーツパフェなんだ!」
「あ、そうなんだね」
「ふなー!?オレ様もそれがいいんだゾー!」
にこにこと笑う彼と、賑やかな飼い猫。彼女は呆れつつも頬を緩めている。
「ほら、セベクも行くよ」
ふいに彼が僕に振り向き、彼女と飼い猫も僕を見た。僕の胸に何かが詰まる。脳裏には彼等が知らない記憶の欠片で埋め尽くされていく。目頭が、熱くなった。
ふっと世界が色を無くした。本当に突然のことだった。ハッとした僕は辺りを見回すがモノクロの街中には人間も、動物も、自然も、誰も動いていなかった。
「セベク」
呼ばれた名前に無意識のうちに姿勢を正す。その瞬間、緑色の光の粒子と共に若様が現れた。若様は僕を見ると腕を組む。それから隣に目をやった。若様が見るのと同時にコウモリの群れがその場に現れ、やがてそれが人影を作った。
「わしらが来た理由、分かっておるな?」
コウモリを従えながら口を開くリリア様を前に僕は口を噤む。言い訳なんてできるわけがない。若様とリリア様は全てを見抜いている、それがここにいる何よりの証拠だ。
「どんな罰も、受ける所存です」
重々しく口を開く。若様とリリア様から視線だけを外し、遠くから僕を見たまま動かない二人と一匹に目を向けた。本来ならこの世界に揃わなかった人間達。それを、僕が時をどんどん歪めたことによって揃った。
「一度捻れた時は、そう簡単には戻らない。さて、どうしたものか」
若様がふむと考えるそぶりを見せる。僕はただじっと人間達を見つめた。正しくは、恋敵と好いた女と友人の一人だった魔獣を。
「リリア、おまえが話せ」
「わしが?別に構わんが」
若様に促されたリリア様が頷き、魔法を使ってポンと何かを手に出した。僕はリリア様に向き直る。リリア様はくふふと笑ってから僕に見えるように手にしたものを見せた。
「この魔導書、知っておるな?」
「それは」
「これは幼き頃のおぬしとシルバーがわしの書庫から勝手に持ち出した物じゃ。二人して悪戯しおって」
ぐっと僕は押し黙る。淡々とリリア様が述べる話が事実なので何も言い返せなかった。僕の反応を待つことなくリリア様は続けた。
「シルバーが持ち出した魔導書はわしが燃やしてやったわ。あれはいつだったかのう。忘れてしまったが。ただ、おぬしも持ち出していたと知ったのはずいぶんと最近になってのことじゃった。シルバーは何も言わないからのう」
リリア様の目が見れなくて地面を見る。最近、ということは僕が魔導書を使ったから持ち出した事実を知ったのだろう。
「申し訳ございませんでした」
「別に良い」
重々しく口を開き謝罪する。しかし、リリア様はいとも簡単に許した。え?と思い顔をあげる。僕と目が合ったリリア様も、隣にいた若様も、にんまりと笑った。
「良くやった、セベク。まぁ、禁断の魔術に何度も手を染めたことは褒められたことではないがのう。そのおかげで、彼等は死なずに済んだのだからな」
僕は目を瞬く。リリア様はとりあえずと言ってから手の中にある古い魔導書を魔法で燃やした。
「ただ、この魔導書は簡単に使われては困る代物なので処分させてもらうがのう。これにて一件落着というやつじゃ」
くふふと再びリリア様が笑う。若様はリリア様の様子をおかしそうに眺めている。一方、僕は恐る恐る若様に尋ねた。
「僕の罪は、どう裁かれるのでしょうか?」
「裁かれる?何故だ?」
若様が驚いたように目を瞬く。だけど、すぐに余裕のある微笑みを浮かべてから、彼等を手で示した。
「これからだろう?おまえの戦いは」
「ですが、」
「恋敵とこうして同じ舞台に立ったんだ。正々堂々、胸を張って戦ってこい」
ぐっと唇を噛む。今、口を開いたら涙が溢れてしまいそうだ。主君を前に、情けない顔を晒すわけにはいかない。もっとも、情けない僕の行動をお二人はずっと見守り続けてくださったわけなのだが。
「さて、マレウス。セベクへの激励も済んだことだし、帰るぞ。あとは若い者に任せようではないか」
「そうだな。セベクよ、たまには僕にもおまえの恋の悩みを聞かせてくれ。進捗、逐一待っておるぞ」
完全におもしろがっているなと思いつつ、鼻の奥がつんと痛む。僕は込み上げる気持ちを抱えたまま、お二人に向かって深々と頭を下げた。
ふっと世界に色が戻る。顔をあげると先程までの賑やかな喧騒が街中に溢れていた。
「そういえば、その猫ちゃん、すっごくかわいいね!なんで喋るのか不思議だけど」
「え?今更?」
「ふな!?オレ様は猫じゃないんだゾ!とっても優秀な魔獣なんだゾ!」
ふふふと笑う彼と、呆れたように眉を下げる彼女と、ぷんぷん怒る飼い猫。その光景に僕は覚醒し、緩む頬を隠すことなく彼等の元へ足を踏み出した。
「その制服、全寮制の女子校のだよね?ボク達、ナイトレイブンカレッジの生徒なんだ。あ、その鞄、重くない?もしかしてスポーツやってるの?」
「おめー、さっきから、オレ様の子分にナンパする気か?やめとけやめとけ。こいつのフェンシングの腕前すっごく強いんだゾ。おめーなんか一溜りもないんだからな!」
「フェンシング!?かっこいいね!まるで騎士みたい!次に会った時、ボクに教えてくれる?」
「だから!オレ様の子分をさらっとナンパするな!」
彼と飼い猫のやりとりを彼女は溜息混じりに眺めている。その彼女の隣に僕は立つ。僕を見上げた彼女と目が合った。
「グリムもだけどさ、この人初対面のくせにすっごいね。色んな意味でさ」
「悪いやつじゃないぞ。ただ、世間知らずのお坊ちゃんだから困ることも多いが」
引きつる頬を隠しもしない彼女を見ながら思う。本当は、初対面なんかではない。僕も、おまえも、彼も、グリムだってお互いに知っていた。だけど、それは言ってはいけない。絶対に。僕の心の奥底にしまい、決して外に出してはならないのだ。
「もう、変な人達に絡まれちゃったなぁ」
彼女の頬が緩む。呆れたように、でも、楽しそうに、笑った。僕は彼女の姿に頬を染めた。
好きだ、この言葉はまだ伝えてはならない。運命は無理やり変えてやった。対価を払って彼等を手中に置いた僕は例えるならヴィランだ。それでも、構わない。
今、僕も彼も同じスタートラインに立っている。今度は、正々堂々と戦おう。彼のように簡単に何かを切り捨ててまで彼女を守ることは僕にはできない。想いを伝えあってすらいないのにお互いを想い合える絆は僕と彼女にはない。本音を言えば、羨ましいし、嫉ましい。
それに、もう一つ問題がある。僕はもうあの頃の相手を知らない自分ではいられないのだ。高貴で誠実な彼女の瞳をまっすぐに向けられていた男は恋敵ではない。共に学園で学び交流する中で、彼がとても心根の綺麗な人間だと知った。つまり、心の底から、僕は彼を親友だと思っている。いずれ、彼女も彼も誰かと結ばれる日が来るだろう。彼等のことだ。学園を卒業し僕を含めたそれぞれが所帯を持ったとしてもお互いに交流するに違いない。問題は、その先だ。人間と妖精のハーフである僕は必ず永くこの世に留まり続けることになる。彼等は人間だ。僕より寿命が来るのが早い彼等はいなくなってしまうのだ、僕を残して。そうなった時、僕は耐えられるのだろうか。精神が未熟な僕は、彼女を失った悲しみに耐えられなくなり禁断の魔術に手を染め、彼女の涙を見ては再び魔術を使い彼女諸共彼も一緒にこのツイステッドワンダーランドに引っ張り込んだ。おかげで彼等は産まれた時からこの世界の住人として生きている。では、古い魔導書が無くなった今、いつか襲いくる悲しみと孤独を乗り切るにはどうすればいいのだろう。今度は一人分ではない。ずっと恋慕ってきた女性の他に、誰よりも気心を許せる親友の両方を失うのだ。それを抱えて僕だけ生きていくなんてことを、考えるだけても恐ろしい。
そこで僕はハッとする。つまり、これが対価なのだ。禁断の魔術を発動させるにあたり差し出した僕の大事なもの。命よりもずっと大切な思い出の数々。その代償が、必ずしも来るいつかの孤独だったのだ。
だけど、あの時誓ったのだ。彼女に振られた夏の日に。どんな結末を迎えようとも、諦めない。諦めてしまったら、何も変えられないのだから。
隣を見ると、彼女は騒ぐ彼と飼い猫を見つめて頬を緩ませている。彼女の左耳についた銀色の耳飾りが綺麗に光を帯びた。相変わらず、ぴしりと背筋を伸ばし、誠実さを帯びたまっすぐな瞳が美しい。そこにいるだけで眩しく思えるほど、高貴な姿のままだ。それは、手違いで男子校に迷い込んでしまった時よりも胸を張って通える女子校の制服を着た今の方が、ずっと。
「そういえば、名前を聞いていなかったな」
「え?やっぱりナンパされてるの?」
「いや、そういうわけではないが」
僕を見上げた彼女が怪訝そうに顔を歪める。警戒心丸出しの彼女に、学園にいる時もそうだったなと懐かしい。
「そうよね。一緒にお茶するのに名前くらいは知らないと変かも」
仕方なく納得した感じを隠しもしないまま彼女は口にした。そうだ。彼女は簡単に僕には心を許さない、そういう人間だ。残念ながら、そこにいる王子様風情の親友には心を丸ごと差し出していたくせに。
「セベクだ。セベク・ジグボルト。それからあいつは、」
まだ彼女の飼い猫と一方的に楽しそうに会話している彼を示して名前を伝える。彼女は顔色一つ変えないまま相槌を打ち、改めて僕に向き直った。
「名前。そこの魔獣は飼い猫のグリム」
「そうか」
僕はそっと彼女に向かって手を差し出した。緩む頬をそのままに彼女を呼ぶ。
「これからよろしく、レディ」
彼女の眉間に皺が寄る。差し出された手と僕を交互に見てから苦笑いを浮かべた。
「こちらこそ、よろしく」
美しき騎士様は僕の手を取らないままそう言った。
それでもいい、今は。でも、いつかは。どうか、いつかの日か。その手を取ることを、許してほしい。
ナイトレイブンカレッジの制服を脱げやしない僕は、おまえとあいつにとってはヴィランだ。それでも。それでも、どうか。
2022.07.31
羨望|救済措置様
補足
監督生は元の世界では士官候補生で、監督生の好きな人であるルーク三世の正体が実はシャルルヴィルだったらいいなぁという願望で書きました。千銃士Rとのクロスオーバーっぽいけど特に繋がりはないので気にしなくても大丈夫です。白百合の君がシャルルヴィルっぽいなぁと気づいてくださった方がいらっしゃいましたら嬉しいです(笑)