
Bookso beautiful yet terrific.
「小エビちゃん見ーっけ」
その声に思わず肩を揺らして振り向くと、フロイド先輩がニンマリとした笑みを浮かべて私に近づいてくるところだった。
「こ、こんにちは。フロイド先輩」
つい視線を外してしまう私の姿に、フロイド先輩は首を傾げる。それから、ああと納得した表情を浮かべてから私にずいと顔を近づけた。
「この間のこと怒ってんの?」
ぴくりと反応して恐る恐るフロイド先輩に視線を合わせると、フロイド先輩はじっと私を見つめたままだった。
「いいじゃん。ジェイドとキスするんだから、俺ともしたって」
一瞬で、脳内に先日の光景がよみがえった。ジェイド先輩から私の頬にキスをされた同じ日に、フロイド先輩に私の唇が強引に奪われたことを。
「あの。ジェイド先輩は一緒じゃないんですか?」
返事に困って出た言葉がそれだった。下手なことを言ってフロイド先輩を怒らせることをしたくない。フロイド先輩は私からの唐突の質問に瞬きする。だけど、すぐに鋭い視線に変わった。
「俺が目の前にいるのに、ジェイドの話するの?そんなに俺に絞められたいわけえ?」
そう言いながら、フロイド先輩が私の喉に手を伸ばしてゆるゆると摩った。それが私に恐怖心を植えつけるには十分だった。
「おや。これは奇遇ですね」
音もなく現れた人物の声に、私とフロイド先輩がお互いに反応する。フロイド先輩は顔だけそちらを向けてから鋭い視線を解いた。
「ジェイドじゃーん。何やってんのお?」
「それはこちらの台詞ですよ。フロイド」
そう答えたジェイド先輩はフロイド先輩の肩を軽く叩いて微笑んでみせた。その瞬間、フロイド先輩の手が私の喉を外し、顔も離れていく。その隙を見逃さず、ジェイド先輩がフロイド先輩と私の間に自身の身体を滑り込ませた。
「独り占めはいけないはずでは?」
さっとジェイド先輩の背中が私の目の前に立った。
「そういえばそんな話したっけ」
カラカラとフロイド先輩は笑う。それからフロイド先輩は、ジェイド先輩の影にいる私に視線を向けた。
「それじゃあ小エビちゃん。またねー」
なんて暢気に言いながらフロイド先輩が去って行った。
フロイド先輩の後ろ姿をジェイド先輩の背中越しに見送っていると、ジェイド先輩がくるりと私に振り向いた。それから眉を下げて申し訳なさそうに苦笑いを浮かべてみせた。
「フロイドがまた何かしましたか?だとしたら、あなたには大変申し訳ないことを」
「い、いいえ!ぜんぜん!」
ジェイド先輩の謝罪に私が思いっきりぶんぶんと首を横に振って否定すると、ジェイド先輩が小さく笑う。それから私に両手を伸ばして、私の両頬を優しく包んだ。
「フロイドの気持ちも分かります。あなたはこんなにも、愛らしいですから」
ぼっと顔に熱が集まる。いきなりの甘ったるい言葉を投げられて目のやり場に困った。
「恥ずかしい、です。その、」
途切れ途切れにしか返せない私を見てジェイド先輩が柔らかく笑う。それから、ふと、表情を引き締めた。
「まさかフロイドがあなたのことを恋慕っていたとは思いもしませんでした。ですが、あの日、あなたにキスをするフロイドを見て、自分の中で何かが激しく騒ぎ立てるのを感じました」
ずいと、ジェイド先輩の顔が私に近づく。とても綺麗な瞳が私を射抜いた。
「フロイドに先を越されてしまいましたが。僕も、あなたにキスがしたい。僕はずっと、あなたのことが好きでした。あなたもそうだったのではと自惚れていたのですが。あなたの気持ちを、教えていただけますか?」
ずっと好きだった人にそう言われて、私は嬉しくて瞼が震えた。ゆっくりと数回瞬きして、泣きそうになるのを堪える。それからまっすぐにジェイド先輩を見つめて答えた。
「自惚れじゃないです。私も、ずっと前からジェイド先輩のことが好きでした」
「ああ。よかった」
心底嬉しそうにジェイド先輩の表情がくしゃりと崩れた。それを見て、私の胸の奥がきゅうと締めつけられる。
私とジェイド先輩はお互いに頬を緩ませてから、そっと唇を重ね合わせた。
あれから数日後。好きな人と両想いになれて、なんて幸せなのだろうと浮かれていた私はすっかり忘れていたのだった。ジェイド先輩と想い合ってはいるが、現状はあの日から変わらない。私は今、ジェイド先輩とフロイド先輩の共有物であることに。
放課後。学園長に頼まれて花壇に水やりをしていると、体育館の方から運動着姿のフロイド先輩が私の元へやって来て声をかけた。
「小エビちゃん見ーっけ」
その声に、つい私の肩が跳ねる。私は持っていたジョウロを地面に置いてフロイド先輩に一礼した。
「相変わらず真面目ちゃんだねえ」
なんて暢気に言うフロイド先輩だけど、いつ豹変するか分からない。その気分屋のフロイド先輩が正直怖かった。
「あ、あの!」
「んー?またジェイド?ジェイドなら寮に戻ってるよ」
「そうじゃなくて。汗が」
フロイド先輩の額に少しと、首筋に汗が伝っている。私の指摘に気づいたらしいフロイド先輩はああと口を開いてから体育館を指差した。
「俺、部活中なんだよねえ」
「あ。そうだったんですね」
「ちなみにバスケ部。小エビちゃんにも俺のちょーすげえダンクシュート見せてあげよっか?」
「それじゃあ。その。別の日にお願いします」
「ちぇー。今日はそういう気分だったのになあ」
不満そうに唇を尖らせるフロイド先輩に対して私はつい苦笑いが溢れた。というか、サボってないで部活に戻ろうよ。
ふと、遠くからフロイド先輩を呼ぶ声が聞こえた。その声にフロイド先輩が振り向き、私もそちらを見ると同じく運動着姿のエースが体育館の入り口に立って手招きしていた。
「うっわ。見つかったし。まあ、いっか」
大袈裟なくらい溜息を吐いたフロイド先輩がエースに向かって手を上げる。それに納得したらしいエースは頷き、最後に私の名前を呼んで手を振って、体育館の中へ戻っていった。
「小エビちゃん」
呼ばれたのでフロイド先輩を見ると、フロイド先輩の表情に不機嫌の色が現れていた。
「俺さあ。小エビちゃんに馴れ馴れしく声をかけるのは、ジェイド以外みんなやだ」
フロイド先輩の長い両腕が私の背中に回り、一瞬で距離が縮まっていく。思わず、びくりと肩が跳ねた。
「フロイド先輩。私は、」
震える口を何とか動かした。フロイド先輩を怒らせるのは怖いけど、これ以上、好きな人以外と深く関わるのが私は嫌だった。
「ジェイド先輩が好きなんです」
「あっそ。だから?」
なんてことないように返ってきた言葉に、私は驚いてフロイド先輩の顔を見上げる。すると、フロイド先輩が怒気の抜けた表情で私をじっと見下ろした。
「そんなのとっくに知ってるよ。でも、ジェイドなら俺も小エビちゃんが欲しいって言っても許してくれる」
ぎゅうと背中に回るフロイド先輩の両腕に力が加わった。さらに密着したおかげで、フロイド先輩の心臓の音が私にも伝わってきた。それは意外にも、とても早い心音を響かせていた。
「ねえ。小エビちゃん」
その呼びかけは、とても甘さを含んでいた。だけど、次に続く言葉は、悲しい音が滲んだ気がした。
「ジェイドの次でもいいから。俺のことも好きになってよ」
私の頬に、高い位置から雫が一つ落ちてきた。それはフロイド先輩の額から落ちた汗なのだろうと、私は自分を納得させるのに必死だった。
私には、フロイド先輩の背中に手を回すことができないから。
2023.04.02
汗|女監督生受け版ワンドロワンライ