Bookso beautiful yet terrific.

 自室に戻ってからすぐに郵便が届いた。一枚の手紙の封筒には差出人は書いていない。でも、真っ白い封筒に怪しい物ではないと何の根拠もなく思い、躊躇うことなく封を切った。封筒の中から手紙を取り出すと便箋も全くない真っ白い紙に流麗なフランス語の文字が記されている。
 君に今すぐ会いたいです。名前、君が来るのを待っています。この手を取ってくれることを、祈っています。
 相変わらず文面にも差出人は書いていなかった。それでも、私の頬が赤く染まるには十分だった。同封された列車の切符には三日後の週末、始発の文字が記されていた。行き先はパリ。その筆跡と列車の行き先だけで相手が誰かなんて簡単に分かる。それほどまでに私は彼に恋をしていた。
 翌日の昼頃、私はラッセル教官に呼び出されていた。なんでも、リリエンフェルト家の側近の者から私を連合軍フランス支部に合流させるよう連絡があったらしい。私はラッセル教官に提出しようと持っていた外出届けを無理やり制服のポケットの奥に捻じ込みながら話を聞いて頷く。ラッセル教官曰く、相手は二日後の始発の列車でパリへ来てほしいという要望だ。それに対し私は表情に何も出さないようにしながら了解する。シャルルヴィルめ、やってくれたわね。そう思いながら。ラッセル教官は護衛に誰か貴銃士を連れて行くよう言ってくれたが、ぐるぐると頭を回転させて私はすぐに口を開いた。

「リリエンフェルト家の者がパリで待ってくれているので大丈夫です。それに、マークスやジョージは今週末も補習があると恭遠審議官から聞いてますので。この任務の件、マークスの耳に入れないでもらえますか?マークスのことだから、補習をすっ飛ばして無理やり同行してくると思いますし」

間違いではない。事実、マークスとジョージは今回もまた補習だと恭遠審議官が嘆いていたのを聞いている。だけど、食い気味に貴銃士の同行を拒否してしまったから怪しまれたかもしれない。私は内心不安になりつつも必死に顔に出さないままラッセル教官の返答を待った。

「まぁ、名前くんが言うなら大丈夫かな。ライク・ツーと十手も任務に出ているし、仕方がない。でも、くれぐれも無理をしてはいけないよ。いいね?」

「はい。ありがとうございます」

ラッセル教官のあまりにもあっさりとした了承に肩の力が抜けた気がした。日頃の行いって本当に大事だなと痛感する。もしも私がスナイダーやベルガーのように自由気儘に授業も補習もサボっていなくなるような人間だったら今のようにあっさり許可が出ないだろう。とにかく、出発まであと二日。その間にラッセル教官の気が変わらないことを祈った。
 出発まで残り一日。任務に出ていたライク・ツーと十手が戻ってきた。二人の任務はもう少しかかると聞いていたが、予定よりも早く片付けて帰って来れたようだ。問題はこの二人が例の任務の件を聞いてなければいいのだが。しかし、私の不安はやっぱり的中した。

「おい名前。明日の件、俺が行く」

ライク・ツーが私の部屋を訪ねてきた時、嫌な予感がした。その予感の通りに、部屋に入って早々にライク・ツーが同行の件を口にした。言われた私は瞬時に考えを巡らせる。どうやってこの場を切り抜けようかと。

「ありがとう。でも、パリでリリエンフェルト家の者が迎えに来てくれるし、大丈夫だよ」

ありきたりの言葉を口にするが、ライク・ツーが納得するわけがない。当然、ライク・ツーの眉間に皺が寄った。

「そのパリまでの道中で、おまえが襲われたらどうするんだよ。しかも、それがアウトレイジャーだったらおまえ一人で対処できないだろ」

ライク・ツーの懸念はもっともだ。しかし、私はここで怯むわけにはいかない。

「ライク・ツーはさっき任務から戻ったばかりでしょう?少しは休んで。疲れが取れたら、またお願いするね」

苦しい言い訳だ、分かっている。だからライク・ツーも簡単に引いてくれなかった。ふと、ライク・ツーの視線が私の部屋にあるテーブルの上を見る。そこには一枚の列車の切符があった。

「それ、明日の?」

「うん」

私の返事にライク・ツーがふーんと鼻を鳴らす。それからつかつかと勝手に室内を歩き、テーブルの上にある列車の切符を手に取った。

「パリ行き、ねぇ」

列車の切符をしげしげと眺める。裏を見て、また表を確認する。本物かどうか確かめているのだろうか。私は黙ってライク・ツーの行動を見守った。

「なるほど。そういうことか」

そう呟いたライク・ツーは列車の切符を持ったまま室内をぐるりと見回し、一点を見て止まる。身体の向きを変えてつかつかと歩き出した先は各寮室に設置してある学習机だった。ライク・ツーは迷うことなく机の引き出しを開ける。そこには筆記用具やノートの他に差出人の書いてない真っ白い封筒に入った手紙があった。まずい、そう思いつつもすぐに行動を起こせばライク・ツーにその手紙が怪しいですと白状しているのと同じになる。私は黙ってライク・ツーを見たままでいるしかなかった。一方ライク・ツーは手紙を手に取り、私に振り向く。ライク・ツーもじっと私を見返してきた。

「これ、おまえの?」

「うん」

「そっか」

そう言ったライク・ツーは表情を変えずに封を切った封筒の中に迷うことなく列車の切符を入れ、手紙を再び引き出しの中に戻した。

「気をつけて行ってこいよ」

さらりと口にしたライク・ツーはそのまま部屋を出て行こうとする。私は思わずホッとしながら肩の力を抜いた。

「そうそう、言い忘れてた」

ドアのぶを回そうとしたところでライク・ツーが振り向いて私を見る。私は再び姿勢を正しライク・ツーを見返した。

「その切符、誰かに見せたか?」

「ううん。見せてないけど」

「じゃあ、絶対に見せるなよ。バレたくなかったらな」

ライク・ツーの言っている意味が分からず私の眉間に僅かに皺が寄る。ライク・ツーはやっぱりなと確信した顔をしてから再び口を開いた。

「それ、二枚で一組だぞ」

ぴくりと私の頬の筋肉が動く。ライク・ツーはあからさまに顔を顰めながら指摘した。

「だから、1/2って印字されてるっつーの。それ見れば一発でバレるからな」

ようやく意味を理解した私はハッとしてライク・ツーを見る。つまり、ライク・ツーは全てを理解した上でこれ以上触れてこないのだ。

「ありがとう、ライク・ツー」

「別に」

ふいっと顔を背けるライク・ツーに私は頬を緩ませる。本当だったら任務を理由に好きな人とデートしようとしているのだから怒られなければならないのに、ライク・ツーはそうしなかった。ライク・ツーには感謝しかない。

「お土産、いっぱい買ってくるね」

「いっぱいはいらねえし」

「それじゃあ、一つにする」

「そーかよ」

ぶっきらぼうに返してから今度こそライク・ツーが部屋を後にする。ドアの向こうに出て、扉を閉めながら私を見たライク・ツーの動きが一瞬だけ止まった。僅かに数秒間だけ、じっとライク・ツーが私を見つめる。でも、何も言わず再び手を動かして扉を閉めた。部屋に一人残された私は深く息を吐く。壁に掛けられた時計を見て、思わず頬を緩ませた。


 手紙が届いてから三日目の早朝。まだ朝陽がうっすらと空に色を塗り出した頃には私はもう起きていた。
 いつもきちんと結んだ髪をおろし丁寧に櫛を通し、休日以外使わないメイク道具を取り出しては鏡を見ながら自分の顔を飾っていく。ほんのりと赤く染めた頬と唇のおかげで鏡の中にいる私が間違いなく浮かれていた。それを分かっていても緩む頬を抑えることができそうにない。鏡の前から立ち上がった私はクローゼットの中から取り出した真っ白いワンピースに袖を通す。甘くなりすぎない程度に裾にレースを施したワンピースを見ていると彼の軍服を思い起こし一人勝手に照れる私はどうかしていると思う。歩きやすいくらいには高いヒールのサンダルに足を入れた。ほんのりと涼しげなアイスブルーの色をした足の爪に昨夜四苦八苦しながら塗ったペディキュアの出来にホッとする。あとは黄色いレースのリボンを飾った麦わら帽子を被って完成した。

「流石に浮かれすぎ、かな?」

自分の格好を鏡で再度確認し、おかしなところがないか入念に探す。自分の身形にこんなに時間をかけたのはいつ以来だろうと思わず苦笑いを浮かべた。
 大きなボストンバッグを肩にかけ、ハンドバッグを手に持ち部屋を出る。少しずつ明るくなってきた空を廊下の窓から確認しながら足早に外を目指す。なるべく足音を殺しできるだけ早く歩く。途中で誰かに出会したら三日前からの作戦が全て無駄になる。今日は休日だし生徒達はまだ寝てる時間ではあるが油断はできない。そして、私の懸念は寮を出たところで当たってしまった。

「ん?そこにいるのはマスターか?」

ぎくりとしてその声の主を探す。辺りに霧が立ち込めているので昨夜は雨が降ったのかと頭の隅っこで思う。しかし、それどころではない。その霧の向こうから紫色の影がゆらりと動いたのが分かった。まずい、スナイダーだ。一番厄介な相手だ。

「おい。聞いてるのか?」

私は口を閉ざしたまま、ゆっくりと後ろに下がる。足音を殺しつつもできるだけ早く逃げようと試みるが、スナイダーの歩みは予想以上に早い。唯一救いなのはスナイダーと一緒に任務に出ていたはずのエンフィールドの姿が見えないことだ。英国の兄弟銃にこの浮かれた格好が見つかればしつこく問い詰められるだろう。しかも、さらに運の悪いことに霧が徐々に晴れつつあった。私は顔を顰めつつ何処か身を隠す場所を探す。しかし、私が花壇のある方角を見るとまた一つ影が増えていた。まさか、エンフィールドだろうか、最悪だ。私はまだ誰の影もないであろう場所に向かって足を動かす。しかし、今日の私はヒールが少し高いサンダルを履いてる。どんなに足音を殺してもコツンと小さな音が鳴った。

「そこか」

とてつもなく小さな音ですらスナイダーは聞き逃してくれなかった。もう一層のこと形振り構わず走り出してしまおうかと考えた時だった。

「マスターとこの僕を間違えるなんてな。とんだ笑いものだ」

グラースの声が聞こえた。振り向けば花壇のある方角からくる影がいつもの軍服姿のグラースの姿と重なる。それと同時に鮮明になりつつあったスナイダーの影がぐるりとグラースの方を向いた。

「おまえとマスターを見間違えるはずがない」

「残念ながらそこにいるのはマスターじゃないぜ。ね?かわいい小鳥ちゃん」

私は返事できずグラースを見るが、まだグラースの顔まではしっかり認識できない。不意に、私の肩をぽんと軽く叩かれたので私はぎくりとしながらそちらを向く。

「誰が小鳥ちゃんだ。気色悪い」

そう言いながらシャスポーは私に視線を向けて唇に人差し指を立てる。思わず顔を強ばらせるとシャスポーは首を緩く横に振った。

「これはこれは、おまえだったか。お兄様?」

「お兄様言うな。気色悪い」

「は?シャスポー銃だと?」

余裕綽々のグラースに、心底気色悪そうにするシャスポーに、思わぬ人物の登場に困惑の色を示すスナイダー。どういう組み合わせだと言いたくなる顔ぶれが早朝の寮の前に揃った。残念ながら霧のおかげでお互いどんな表情をしているか分からないが。私はもう一度シャスポーを見上げる。すると、私の視線を受け止めたシャスポーはぱちんとウィンクしてみせた。その仕草、グラースとよく似てるなんて言ったらシャスポーは嫌がるのだろう。

「さぁ、早く花壇の水やりをするぞ。さっさと終わらせてやる。まったく、なんで僕までやるはめに」

「はいはい、お兄様」

「だからお兄様はやめろ。気色悪い」

花壇の水やり?昨夜雨が降ったのに?と思いつつ私はシャスポーを見つめる。グラースに向かって話しながらもシャスポーは私から視線を外さなかった。真っ直ぐに私を見ながら、声を出さず口を動かしてみせる。早く、行っておいで。シャスポーのゆっくり動く口を見た私はハッとする。それから私は強ばらせた頬を緩ませて口を動かした。ありがとう、と。音にしなくても通じたらしいシャスポーは胸に手を当てながらふわりと微笑んだ。それを見届けてから私はシャスポーに背を向けて走り出しそうになりつつも、サンダルのヒールのことを思い出しできるだけ早く歩くことにした。私の後ろではまだ言い争うフランスの兄弟銃と興味を失せたスナイダーの声が聞こえている。少しだけホッとしながらも先を急いだ。
 士官学校の門の外へ辿り着くと霧はすっかり晴れていた。無事に士官学校を出られたことに安堵しながら駅に向かって歩く。まだ早朝だけあって人影は疎らだった。だから、油断した。もう知り合いには誰にも会うことはないだろう、と。

「まったく、スナイダーは、」

遥か遠く離れた前方からぶつぶつと一人言を言いながら歩く軍服姿のエンフィールドを視界に捕らえてしまった。そうだった。エンフィールドはスナイダーと共に任務に出ていたのだからいてもおかしくはない。おそらく、スナイダーのことだから任務が終わった瞬間エンフィールドを置いてさっさと士官学校に戻ったのだろう。これでもあのUL96A1を手に持ち訓練を受けてきたのだから自分の視野の広さには自信がある。だから間違いない。あれはエンフィールドだ。幸い、エンフィールドはまだ私には気がついていない。しかし、何処かの店に飛び込んで隠れたくてもこんな早朝に開いている店なんぞあるわけがなかった。こんな大通りでエンフィールドの隣をすり抜けて行くだなんて、八九の言葉を借りれば無理ゲーってやつだ。

「ん?あれ?もしかして、」

エンフィールドが私を視界に捕らえたらしく動きが止まる。あのスナイダーの兄銃であるエンフィールドに見つかってしまえば最悪の事態だ。しかし、結論からいえば最悪の事態は回避された。突如私とエンフィールドの間を遮るように止まった鮮やかな赤色をした車からタバティエールが降りてきてエンフィールドに声をかけたのだ。

「やぁ、エンフィールド。任務の帰りかい?ちょうどよかった。俺も任務の帰りなんだ。士官学校まで乗せていくよ」

「しかし、スナイダーが。それに、今そちらにマスターによく似た方がいたような」

「スナイダーなら先に戻ってるってシャスポー達に聞いたな。そこにいたレディなら俺も見たぜ。確かにマスターちゃんによく似てて驚いたけど、よく見たら違かった。まぁ、マスターちゃんなら士官学校の制服着てるだろうけどな」

あまり納得をしていなさそうなエンフィールドをぐいぐい押して車に押し込んだタバティエールはちらりと私を見てウィンクし、自身もさっさと運転席に乗り車は走り出した。その時間はほんの僅か十数秒だったと思うが、タバティエールの行動はスマートだった。私は思わず数回瞬きを繰り返してしまう。しかし、冷静さを取り戻した私は大きく息を吐く。タバティエールに助けられた事実に気がつき肩の力が抜けたのだった。
 ようやく駅に着き、パリ方面行きの列車が止まるホームへ急ぐ。まだ発車まで時刻はあるが早めに座席へ座っておきたい。列車を目の前にしてあれだが、万が一乗り遅れでもしたらと思うと不安になった。それに、ライク・ツーが言っていた。私の持つ切符は二枚で一組であると。つまり、彼もまたこの始発列車に乗るはずだった。目的のホームに着き、ボストンバッグを抱え直してから足を踏み出す。ところが列車に乗る直前になり、改札口の方から聞き覚えのある騒ぎ声が響き渡った。

「マスター!!!マスターは何処だ!!!」

思わず顔を顰めてはいけないことは分かっている。しかし、顰めずにはいられない。我が愛銃、UL96A1。要するに、マークスの声だ。私は遠くに見える改札口に向かって振り向く。マークスの姿を視界に捕らえるよりも先にハンドバッグを持つ手首を軽く引っ張られた。

「こっちだよ」

耳元で囁かれた声音に私の頬が一気に赤みが刺した。弾かれたように見上げると柔らかい金髪が彼の動きと共に揺れていた。私は彼に合わせて足を動かす。咄嗟に隠れた場所はホームの端にある鉄道ファン向けに作られた歴代の駅と列車の写真が掲載される大きな掲示板の裏だった。それと同時にマークスの声が私達のいるホームに響き渡る。掲示板の影から様子を窺うように覗く彼の後ろで私はきゅっと両手を握って成り行きを見守った。

「マスターは何処に行ったんだ!?この列車に乗るはずなんだが」

「まぁまぁ、落ち着けって。パリに行けばリリエンフェルト家の人が待ってるんだろう?それに、フランス支部には長期任務中のシャルルがいるし、マークスが心配しなくても大丈夫だよ。な?」

「ダメだ!パリに行くまでの道中が心配だ!それに、マスターがフランスでシャルルヴィルと合流したとしても、あいつにはマスターを任せられない!マスターの相棒は俺だからな!」

「わーお!熱烈だな。ひゅーひゅー」

声からしてマークスと一緒にいるのはジョージのようだ。というか、二人とも今日は補習のはずだけど。

「もしかして昨日の最終便で行ったんじゃねーの?」

今度はライク・ツーの声だ。ライク・ツーの言葉にマークスは間髪入れずに答えた。

「いや、それはない。昨夜は日付が変わる直前までマスターの部屋の灯りはついていた」

「うっわ。気持ち悪いな、おまえ」

そこまで把握されているのは愛銃とはいえ引く。私にプライバシーはないのかと頭を抱えたくなった。ふと、彼がびくりとしながら掲示板の影から顔を出すのをやめた。少しの間を起き、ライク・ツーが口を開く。

「じゃあさ、この列車の中を探してみろよ。で、もしもいなかったらマスターは既に別の方法でパリに向かったってわけだ。そうしたら、おまえ等はおとなしく補習を受けること。いいな?」

「なんであんたに指図されなきゃならないんだ!?」

「きちんと決められたこともできないやつがマスターの相棒だって知られたら、恥をかくのはおまえの大好きなマスターだぞ?それでもいいか?」

ライク・ツーの提案と指摘にマークスが黙り込む。数秒間の沈黙の後、慌ただしい足音が列車の中へ消えた。今度は数分、ホームが静かになる。やがて、再び慌ただしい足音がホームに戻ってきた。

「マスターがいない」

「予定より早くフランスから迎えが来たのかもな」

声色だけでもがっくりと肩を落とすマークスの姿が想像できた。きっと、そんなマークスにジョージが苦笑いを浮かべながら気遣っているのだろう。どうせすぐ戻るしデートの邪魔されたくないしで愛銃に何も伝えずに行こうとしたことに罪悪感が湧いてきた。しかし、それを察知したらしい彼がくるりと振り向き私を見つめる。自らの唇に人差し指を立てて眉を下げてみせた。行っちゃダメだよ、そう言っているかのように。

「しょうがない、さっさと戻るぞ。つーか、おまえ等補習だろ?サボったらラッセルと恭遠がうるせーぞ、マジで」

「仕方ない!頑張るか!な?マークス?」

「マスターのためなら」

ライク・ツーとジョージに連れられてマークスもとぼとぼと歩いて行く気配がした。やがて、ホームには静けさが戻る。私と彼は顔を見合わせてから二人揃って掲示板の影からそっと覗いた。そこには貴銃士三人の姿はない。きっとライク・ツーは私達の作戦の手助けするためにマークスとジョージの後を追ってきてくれたのだろう。私は肩の力が抜けたまま彼を見る。彼もまた深く息を吐いてから私を見た。思わず二人揃って笑い出す。彼は私の肩に下げたボストンバッグを手に持ち、列車を示した。

「それじゃあ、行こうか?」

「うん」

彼の横に並んで歩こうとすると、列車が発車する合図のベルが鳴り出した。慌てた彼は咄嗟に私の右手を握って走り出す。私も自然と繋がれた手を握り返しながら彼と一緒に勢いのまま列車に乗り込んだのだった。


 列車に乗り込んで座席を探している間に列車はゆっくりとホームを出て行く。車窓から見える景色を見つつ彼に手を引かれるまま歩く。すると、一番先頭車両に着いたところで彼は慣れたように前の方にある座席を示した。

「マスターは窓際に座って」

柔らかい微笑みを浮かべながら言う彼に促されるまま私は窓際の席に座る。彼は私のボストンバッグを軽々と持ち上げて荷台に乗せるとすっと私の隣に座った。彼の格好がいつもの白を基調にした華やかな軍服ではなく、シンプルなシャツに細身のパンツだったせいでいつもとは別人みたいに見える。シャツのボタンも上からいくつか外してあるので線が細いくせに男らしい身体つきが見えてしまうので目のやり場に困った。そんな私の視線に気づいたらしい彼は不思議そうな顔をしてからああと納得した表情に変わる。

「この服ね、ロジェさんのこっそり借りたんだ。良くも悪くも、いつもの格好だと目立っちゃうしさ」

悪戯っ子のように弾んだ声で彼は言った。ロジェさんってこんなラフな服装するんだと思いつつも彼をおずおずと見る。彼と目が合っただけでもいっぱいいっぱいになってしまう私には困りものだ。

「そうなんだ。あ、荷物、ありがとう。重かったのにごめんね」

ふいと視線だけを下に向ける。いつもは手袋をしているはずの色白の骨張った手がそこにあった。

「ううん。これくらい、全然平気だよ」

そう言いつつ彼は座席の下にある荷物入れからラッピングされた小さな箱を取り出してからしゅるしゅるとリボンを解き、箱を開ける。中から白いレースで編まれた手袋を取り出すと躊躇いもなく私の手を取りそれをつけてくれた。

「傷があると正体がバレちゃうから、外では我慢してね」

私の両手につけられた白いレースの手袋のおかげで右手にある薔薇の傷が薄らと隠れた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

柔らかい声が紡がれるのはいいけれど、彼は私の手を握ったまま離してくれなかった。手袋越しなのに、繋がれた指先が熱い。ゆっくりと視線を上げて彼の顔を見る。そこには柔らかい声音とは裏腹に真っ直ぐに私を射抜く視線を向けた彼の目があった。

「君がここに来たってことは、君もボクと同じ気持ちでいると解釈していいんだよね?」

繋がれた手はゆるゆると彼の指が動き、私の指と絡んだ。私の両手とも彼の両手に捕まり逃げ場はない。

「はい」

たった一つの言葉を口にするだけで精一杯だった。魔法でもかけられたみたいに彼の視線から外すことできないくせに、彼を見つめれば見つめるほど心臓がうるさいくらい早く鳴っている。一方、私の返事を聞いた彼はふわりと嬉しそうに微笑んでいつもの調子に戻るのだからずるい。

「よかった。君がここに来てくれて凄く嬉しいんだ。ねぇ、マスター。夢じゃないんだよね?」

繋がれた片手が離れ、そのまま私の麦わら帽子を外される。おろした髪に長い指が絡み、次には私の頬を撫でていく。

「私だって、夢みたいに思うの」

彼に触れられる場所が火傷したように熱い。こんなに近くに好きな人がいるだなんて夢のようだった。でも、私の頬に添えた彼の手の上からおずおずとしながらも空いた私の手を重ねる。確かにそこには彼の温もりがちゃんとあった。

「そうだね。こんなに幸せな時間を過ごせるのだから、夢みたいに思っちゃう。それに、」

彼の視線がじっと私を見る。緩む頬をそのままに再び口を動かした。

「ボクのためにお洒落してきてくれたんだよね?嬉しいなぁ。凄く、綺麗だよ」

さらりと言われる賛辞に私は言葉に詰まる。こんなにストレートに言われてしまうと誰だって反応に困るだろう。私は意を決して彼を見返す。震えそうになる唇をなんとか動かした。

「シャルルヴィルだって、かっこいい、です、」

しどろもどろになった言葉を聞いた彼は一瞬だけ驚きを露わにさせた。でも、すぐに彼の目が細められると、少し距離が近くなっていく。余裕ある笑みを浮かべているくせに、彼の瞳の奥からは急かされている気がする。早く、ちょうだい。そう言われているみたいに。私は近くなった距離に今度こそもう何処を見ていいか分からなかった。視線だけを右往左往させてから、諦めたようにきゅっと目を瞑る。彼の手に重ねていた私の手は彼の胸元に近い場所のシャツを握った。その瞬間、繋がれたままだった片方の手に彼の指先がぎゅっと力を込めた。気配だけでも彼の顔が私の顔に寄せられたのが分かる。

「かわいい。君からキスをおねだりしてくれるだなんて」

おねだりなんてしていない。反論したくても、できなかった。というか、できるはずがない。唇に彼の息がかかり、そのまま重なる。一度触れただけの唇が、またリップ音を鳴らす。そっと目を開けると至近距離で彼のアイスブルーの瞳も私を見ていた。ほんの少しだけ唇が離れ、その間に私の頬にあった彼の手は私の後頭部にするりと回る。大好きだよ。そう口にされれば私の脳髄が蕩けていく。まるで彼の存在に飲み込まれているような錯覚に陥りながら再び唇が重なるので目を閉じる。ゆっくりと長い時間かけてされる口付けに彼に食べられてしまうのではないかと思った。
 長い長い口付けがようやく終わりを迎えた頃、彼の手から解放された私は頬の熱を冷ますために彼から視線を外し車窓を眺めた。今更ながらにこんな公共の場でキスするなんてと私の心が葛藤する。しかし、始発列車で尚且つ一等席なので幸いこの車両に乗車している人間はいない。それでも、それでも、だ。

「マスター、じゃないか。ねぇ、名前?」

不意に耳元で呼ばれた名前に身体がぴくりと反応する。なかなか冷めそうにない熱をそのままに彼に振り向くと彼は嬉しそうに笑った。

「名前で呼んでもいいよね?マスターなんて呼んでいたら君の正体もバレちゃうし。だから君も、外ではボクのことシャルルヴィルって呼んだらダメだよ」

彼の提案に私は少し考える。そういえば、と思いつつ彼を呼ぶタバティエールの存在を思い出した。

「じゃあ、シャルルくん、とか?」

「ふふふ。君にそう呼ばれるとくすぐったいね」

マスターと貴銃士という立場は良くも悪くも目立つ。彼はフランスでは革命戦争の英雄シャルルヴィル・マスケットと同種の貴銃士だと有名人だし、知る人は私が各国から貴銃士を引き取って従えているマスターだと分かる。好きな人とただ自由にデートをしたいだけなのに、私達は常に他人の目を気にしなくてはならない。火照った顔が、現実を思い出して冷静になる。それは私の表情に出てしまっているだろう。しかし、彼は相変わらず嬉しそうな顔のまま言ってのけた。

「ボクとしては名前で呼ぶ口実ができて寧ろ好都合だけどね。それに、いつもとは違う呼び方で恥ずかしそうにボクに声をかける君を見ることができるし。ね?もう一回呼んでよ。シャルルくん、ってさ」

一拍置き、再び私の身体に緊張が走る。私の視線が宙を彷徨うが、彼はそれを分かってて私の顔を覗き込む。ね?なんて言いながら首を傾げるのだから彼はだいぶ意地が悪い。

「ほーら、名前。恥ずかしがらないで」

私の右手が彼の左手に握られてしまう。時折、戯れにレースの手袋の上から薔薇の傷や手首にキスを落としてくるので私の逃げ場がまた塞がれる。ずるいなぁ、彼は。

「シャルルくん」

「なーに?名前?」

「よ、呼んでって、言ったくせに」

「うん、言った。だから、もっと呼んでくれる?」

音もなく口がぱくぱく動く。私が機械仕掛けの人形ならとっくにオーバーヒートしているだろう。甘ったるい彼の視線が私には刺激が強すぎる。

「シャルル、くん、」

それはそれは情けないほど小さくてか細い声だった。そんな私ですら愛おしいと言いたげな目で彼は見る。こちらは恥ずかしくてたまらないというのに。

「もう、かわいいなぁ。あんまりかわいい反応されると、ボクもどきどきしちゃうんだけど」

「ずいぶんと余裕あるんだね」

じとりと彼を見る。彼はきょとんとした顔をするが、すぐに眉を下げてみせた。

「余裕、あるように、見える?」

「うん」

「本当はね。余裕なんか、ないよ」

「まさか」

せめてもの憎まれ口は彼の口の中に吸い込まれた。繋がれたままの手が離されて、彼の唇も離れていく。

「恋慕う女性を目の前にして、余裕でいる男はいないよ。ボクだって、君に触れるたびに緊張して胸が痛くなる。それにね、」

一拍置いて、彼が改めて私に向き直る。その瞬間、列車が停車した。私にとってはまた何処かの停車駅に到着したのだろうという感覚でしかなかったが、彼は急に表情を変えて辺りを見回す。駅名を見てホッとした顔をしたかと思えば、再び私を見た。

「ボク、君に言わないといけないことがあるんだ」

彼の表情が真剣なものに変わる。その間に、列車が発車した。ゆっくりと車内が揺れる。彼は考えるように瞼を伏せるが、すぐに決意したように瞼を開けた。

「この次の駅で降りる。パリへは行かない。最初から、パリに行くつもりはなかった」

「じゃあ、何処に行くの?」

「スコットランドにロジェさんの別荘があるんだ。そこに行く予定」

次の駅は乗り継ぎ駅だ。このまま列車を乗り継いでスコットランドを目指すのだろう。確かに、フランスでの任務が口実なのは私も分かったうえで来ている。しかし、行き先を教官や連合軍に言わずに勝手に変えるだなんて。これだと、まるで。

「ボクは、このまま君を攫うつもりだよ。逃げるなら、今だけど。どうする?」

彼のアイスブルーの色した瞳が揺れる。あの手紙の通りに、この手を取ってしまったら駆け落ちになるのだろう。

「私は、」

頭の中に親友の顔が浮かぶ。次に、愛銃マークス。それからジョージと十手。そして、鮮やかなピンク色に染まる髪色をしたライク・ツーが私を見た。

「なんてね、冗談だよ。困らせちゃってごめん!さて、と!降りる準備しようか。ロジェさんの別荘でゆっくりして、二、三日したら士官学校に戻ろう。任務報告書は適当にボクが何とかするから安心してね。それにさ、たまには任務漬けの毎日から解放されないと疲れちゃうよ。ね?」

彼の表情がころっと変わりいつもの明るい雰囲気に戻る。そのことに内心安堵しながらも、臆病な私はどうしたらいいか分からず悩むしかできなかった。


 列車を乗り継いでお昼前までにはスコットランドの北の方にあるリリエンフェルト家の所有する別荘に辿り着いた。世界連合軍に支援しているリリエンフェルト家の別荘と聞いていたので凄く大きな豪邸を想像していたが、到着すると意外にもこじんまりとした別荘だった。

「ここね、ロジェさんが一人でお忍びで来る場所なんだ。だから、使用人もいないよ。地元の管理会社が定期的に清掃してくれているから室内も清潔だし。これなら君もゆっくりできるかなと思ってさ」

彼の案内で室内に入ると二人で過ごすには広いけどとんでもなく大きい豪邸よりは落ち着ける気がした。キッチンには色々な調理器具が並び、ロジェさんがこだわって揃えたのかなと思う。他にもゆったりと寛げる大きなソファに大型のテレビ、たくさんの本が所狭しと並ぶ書斎に心が踊った。ただ、一つを除いては。

「シャルルくん、寝室って一つだけなの?」

宿泊施設ではないのだから寝室の数が少ないのは当たり前だ。だけど、私達は二人いる。

「ロジェさんしか来ないからね」

彼は表情を変えることなく持ってきた荷物を片付けながら言った。私はといえばてきぱきと手を動かす彼から視線を外す。こんなに意識する私がおかしいのだろうかと悩んでしまう。

「どうしたの?そんなに困った顔してるけど。もしかして、移動するのに疲れちゃったかな?」

あからさまに様子がおかしい私に気づいた彼は心底心配そうな顔して私に近づいた。

「とりあえずソファに座ろう。それで、少し休んでからランチ食べに行こうか。ボク、気になってるお店があるんだ」

私をソファに座るよう促し、自身も用意していたこの辺りの観光パンフレットを持って隣に座る。少しだけ私と彼の間には隙間があった、はずだった。

「そっか。ボク、分かっちゃったかも」

彼が動いたせいで隙間がなくなりぴったりとくっついた。当然、私の顔は真っ赤に染まる。彼は私の反応を見ては楽しそうに笑った。

「ベッド。一つしかないから仕方ないよね?一緒に寝ようか。それに、二人でくっついて寝たらあたたかいしさ」

いかにも紳士的に言うけれど彼の内心はどう思っているのか分からない。異性と交際したことない私はキスも同じ部屋で過ごすことも凄く勇気がいることなのに、彼は違うのかもしれない。私が知らないだけで彼がフランスにいた頃には近しい存在の女性がいた可能性もある。現に、グラースは夜な夜な遊び歩いていたみたいだし。それは士官学校に来た今も変わらないが。
 ハタと私は思った。それよりも、気になることがある。いくらロジェさんが彼のマスターだった頃とは違い今は温和に戻ったとはいえ、こうも良くしてくれるものだろうか。士官学校に通うたかが士官候補生の一人をフランス支部に来るよう連絡し、実際にはスコットランドの別荘へ滞在できるよう手配してくれた。彼の服だってどういう経緯で借してくれたのだろう。彼は勝手に借りちゃったと言っていたが、以前の二人の関係ならありえない。それに、彼だってロジェさんの強い口調にトラウマのようなものを抱えている。それなのに、だ。ここまでロジェさんの財力や権力をフルに使う彼に違和感を感じた。だけど、聞いてもいいのだろうか。しかし、彼を見ていると聞いてはいけない気がする。何故だか分からないが、聞いてもはぐらかされる確証があった。
 結局、私は何も聞かなかった。彼が話してくれる日が来ることを、待った。


 あれから、少し休んだ私達は別荘の近くにある街へ足を運んだ。彼の気になるお店でランチを食べ、露天商店を二人で手を繋いで歩きながら見て回った。おいしそうなソフトクリームを買って食べようとしたら彼ってば人目を憚らず私の口についたソフトクリームを舐めてくるので困った。彼の持っていたカメラで観光スポットで一緒に記念写真も撮ったし、景色の良い所を見つけては適当な理由つけて唇を合わせたりもした。私達のことを誰も知らない場所で、堂々といちゃついてデートして、楽しかった。
 次の日はソファに寛ぎながら飽きるほど映画を観た。飽きるほどテレビゲームをした。八九みたいに上手ではないけど、二人して四苦八苦しながらチャレンジするのは楽しかった。前日に街で買ってきたスイーツをおやつに食べて蕩けるような表情を浮かべる彼を見ては、私も幸せな気持ちになった。
 一泊目の夜はキングサイズのベッドの端と端で距離を作って寝たくせに、二泊目の夜にはもう彼は開き直っていた。強引に距離を詰めた彼は戸惑う私に構うことなく長い腕で私を抱きしめて眠った。そんなこんなでその夜の私が緊張と恥ずかしさで眠れるはずがなかった。
 気がつけば別荘に滞在して三日目の朝を迎えた。すぐ傍にいる彼のせいで目の下にクマを作った私の顔を見た彼はそれはそれはとってもいい笑顔を浮かべた。

「ボクのことをずっと意識してくれてたんだね。嬉しいなぁ」

そう言う彼の目の下に薄らとクマができているので悶々として眠れなかったのはお互い様らしい。
 三日目の最終列車で私達は士官学校へ帰ることになっている。二人できゃいきゃい言いながら朝食を作って食べて、それから帰り支度をして、最終列車までまだまだ時間があるのでお散歩がてら再び街へ向かった。ほら、ライク・ツーにお土産買ってくると約束したし。そして、街からそう遠くない湖に観光に行って、ボートに乗った。天気が良くて、透き通る湖の水が綺麗で、反射した光のおかげで目の前にいる彼がさらに美しく輝いた。絶対高貴って、まさにこれだと思う。
 このまま時が止まってしまったらいいのに。全てを捨てて彼と一緒にいられたらどんなに幸せだろう。願わずにはいられなかった。だけど、私には捨てられないものがたくさんある。いつも私にくっついては離れない愛銃を始め、私を信じてくれた仲間達を裏切るわけにはいかないのだから。と、御託を並べるが本当の理由は別にある。寂しそうに不安そうに揺れたオッドアイの瞳が頭から離れなかった。


 すっかり陽が落ちた夜空の中を列車はゆっくりと進む。白いレース編みの手袋の上からでも繋がれた手から彼の熱が伝わってくる。私と彼は指を絡ませながら握り、私は彼の肩にもたれかかるように彼は私の頭に頬を押しつけるようにぴったりとくっついたまま座席に座った。私達の関係を知らない人が見れば人目も憚らないバカップル呼ばわりするのだろう。幸い一等席で尚且つ最終列車のこの車両には乗客がいなかったので人目なんか気にしなくてもいいのだが。
 士官学校に到着したのは日付が変わる前だった。寮の灯りはほとんど消えている。寮の入口でキスしてから別れた私達はそれぞれの自室に向かった。だけどその前にと思った私は一人まだ灯りついている部屋に向かい、コンコンとノックした。

「ごめんなさい。起きてる?」

すぐに扉が開いた。Tシャツにハーフパンツ姿のライク・ツーが顔を見せた。

「もう寝るところなんだけど」

「うん。だけど、これを渡したくて」

そう言ってから私は持っていた紙袋を渡した。ライク・ツーは紙袋と私を交互に見た。正しくは、私の肩にかかったままのボストンバッグを。

「とりあえず、部屋入れよ」

「ううん。これで戻るから」

「いいから」

ぐいっと無理やり腕を引っ張られてライク・ツーの部屋に引きずり込まれた。瞬時に扉が閉まる。ライク・ツーは自分で私を部屋に招き入れたくせに私のことなんか気にせずさっさと紙袋の中身を取り出し、ラッピングされた箱を開けた。

「はぁ?テディベア?」

ビビットピンク色の毛をした珍しいテディベアだ。大きさは一般的な枕くらいあるだろう。首には大英帝国の国旗を模したリボンが結ばれている。

「ライク・ツーに似てると思って」

「まさか、これが例のお土産じゃあないよな?」

「え?その例のお土産だけど」

「マジかよ」

ライク・ツーの眉間に深く皺が寄る。それでも、ライク・ツーはテディベアを無碍にせずすぐに本棚の空いているスペースに飾った。

「まぁ、サンキュ」

すんなりと受け入れられたテディベアに私は頷く。それから私はライク・ツーの部屋に立ち寄った本当の目的を口にした。

「ありがとう。手助けしてくれて。あの時、ライク・ツーがいなかったら、彼と二人きりになれなかった」

あの時、それは始発列車が停まるホームでの騒動のことだ。ライク・ツーは私の顔を凝視する。不機嫌そうに表情を歪ませつつも、重苦しいように口を開いた。

「じゃあ、なんで戻ってきた?」

ぎっと睨むようにライク・ツーの眼光が鋭くなった。一歩、ライク・ツーが私の元へ足を踏み出す。少しだけ距離を詰めたライク・ツーは私のことを見下ろし、私はまっすぐライク・ツーを見返した。
 彼に駆け落ちのことを打ち明けられた時、本音を言えば心が揺れた。好きな人と一緒に自由に何処かで暮らせたらどんなに幸せだろうと思った。何もかも捨てて、彼の手だけを取れたならば。本当は士官学校へ戻る瞬間まで悩んでは悔やんでを繰り返した。それは、今も。
 だけど、できなかった。あの時、列車の切符を見つけても私を送り出してくれたライク・ツーを置いていけなかった。亡くした親友の銃が私に縋るような瞳を向けつつも送り出してくれた瞬間から、ライク・ツーの存在が忘れることができなかった。ライク・ツーと、離れたくなかった。いつもくっついて離れない愛銃よりも、ずっと。

「約束したから。ライク・ツーに、お土産買って帰ってくるって」

「そんな約束、簡単に破れるだろ」

ライク・ツーの手が私に伸びる。しっかりと両腕で抱きしめられた。肩にかけたボストンバッグが鈍い音を立てて床に落ちる。私は軽くなった両手でライク・ツーの背中に手を回し、ぽんぽんと背中を撫でた。すると、ライク・ツーの肩が僅かに震える。それに触れることなく私は黙って背中を撫で続けた。不安にさせてごめんなさい、その言葉は飲み込んで。しばらくして、ライク・ツーの身体が私から離れる。ライク・ツーは深く息を吐いてから私の背中にある扉を開けるよう手を伸ばした。

「明日も早いからさっさと寝ろ。そうそう、これからはもう不用意に俺の部屋に来るなよ」

私の返事を聞くより先にライク・ツーは扉を開けた。すると、開いた扉の向こうから瞬時に手が伸びて私の腕を掴んで引っ張られた。顔を上げた瞬間、長い両腕に私の身体が包まれる。その様子を黙って見ていたライク・ツーはあからさまに呆れた表情を浮かべた。

「そんなに怖い顔しなくてもマスターには何もしてねーから」

彼の腕に力がこもる。彼の胸板に顔を押しつけるように抱きしめられているせいで顔の表情を窺うことができない。何故だろうか。無言の彼はとても恐ろしく感じた。

「あんまり目立つことするなよ?マークス辺りがうるせえし」

ライク・ツーが釘を刺した。ハッとした私は彼の胸板を押して離れようとするが彼は許さなかった。長い指が私の顎を持ち、唇が触れる。目を見開く私をお構いなしに彼は角度を変えてもう一度口付けた。わざとリップ音を鳴らして。

「シャルルヴィル、人前で、」

「シャルルくん、でしょう?」

明るい声と返された言葉が冷たい気がして合わない。彼は私の右手を取り、レースの手袋の上から薔薇の傷にキスを落とす。その様子にライク・ツーが盛大に舌打ちしてみせた。

「どういうつもりだ?」

「目立つことなんか上等。誰に何を言われても名前は渡さない。それに、ボク達の関係が原因で騒ぎになっても、ライク・ツーが必ず手助けしてくれるから問題ないよね?」

無言だった彼が饒舌に言ってのけた。ライク・ツーの表情がぐっと歪む。しかし、彼はいつもの調子で明るく続けた。

「あのテディベア、名前が色んなお土産屋さんの中から一生懸命悩んで選んだものなんだ。ライク・ツーのためにね。ね?かわいいでしょう?気に入ってくれたかな?」

ぴくりとライク・ツーの頬が動く。僅かに瞼を伏せたライク・ツーは何かを逡巡しているようだ。すぐに瞼が開かれてこちらを見る。ライク・ツーの視線はしっかりと私に向けられていた。

「気に入ってる。大事するから心配しなくていい」

誰に向けられた言葉なのかは分からない。彼なのか、私なのか、それとも二人になのかは分からない。それでも私は頷き、彼もよかったと朗らかに言った。そんな私達をじっとライク・ツーが見る。

「それじゃあ、おやすみ」

いつものようにライク・ツーは挨拶しながら扉を閉めた。その場に残された私達。彼は優しく私の背中を撫でて微笑んだ。

「お部屋まで送るよ。行こう?」

私が頷くのを見てから彼は私の手を取って歩き出す。繋がれた手はするすると彼の指が動き、私の指と絡んでいく。もう寝静まる時間の暗い廊下を二人並んで歩く。ほどなくして私の部屋まで行くと彼は手を離し私の両肩を両手で掴んだ。その瞬間、私の背中が自室の扉に押しつけられていた。驚きを露わにしながら顔を上げると待っていたかのように唇が塞がれる。何度も角度を変えてされる口付けに息が苦しくなっていく。待ってと思いを込めて彼の胸板を押すが彼は構うことなく止めてくれなかった。彼はこんなに強引な人だっただろうか。私が知る彼はもう少し遠慮深い人だったと思う。

「苦しい?」

唇を僅かに離した彼はようやく私に尋ねた。私が呼吸を乱したまま頷くと彼はそっかと呟いたかと思えばまた軽くリップ音を鳴らして口付ける。今度はすんなりと離れてくれた。

「ボクね、欲張りになっちゃいそう」

「よ、欲張り?」

「このまま君に酷いことをしたいって思ってる」

数回瞬きをする。彼の言葉を頭の中で復唱する。まさか、と思いつつも彼の言っている意味を想像した。頭の中が沸騰しそうになる。口を開くが何て返していいのか分からないせいで言葉が出てこなかった。

「なんてね。冗談だよ!びっくりした?」

困惑する私はこくこくと首を縦に動かす。彼は小さく笑うと私の額にそっと口付けた。

「今はまだやめておくね。おやすみなさい、名前」

離れた彼に対しあからさまに私はホッとしてしまう。おやすみなさいと私が返すと彼はにこにこと優しい表情を浮かべてから去って行った。
 部屋に入り、ベッドに座る。そういえばとボストンバッグをライク・ツーの部屋に置いてきてしまったことを思い出した。まぁ、明日にでも取りに行けばいいかと肩の力を抜く。そんなことよりも、私の頭の中を占めるのは彼のことだけだった。

「まるで夢のような時間だったなぁ」

彼と過ごした時間を思い出しては頬を染める。両手で自分の頬を押さえるがしばらくは熱が冷めそうになかった。


ーーーーーーーーーー


 コツコツと靴音を響かせながら男は歩く。灯りのついた談話室の前を通るとまだ起きていたらしい顔馴染み三人が彼に気がついた。

「おかえり、シャルルくん」

タバティエールはソファから立ち上がり声をかけた。彼はにこりと微笑みを浮かべながら談話室に足を向ける。一方、長い足を組んだままソファに座る兄弟銃はそっくりな顔を二人して同じく歪めてみせた。

「シャルルヴィル先輩、お戻りになったんですね」

シャスポーが窺うように彼に声をかける。彼は眉を下げながら空いているソファに腰を下ろした。

「彼女がボクだけのマスターじゃないから」

さらりと彼が言ってのけるのでシャスポーは口を引き結ぶ。一方タバティエールは気遣うように彼にハーブティーを淹れて渡した。

「まぁ、でも。楽しめたみたいだな」

「バレちゃった?顔に出ちゃうよね、当然。もうね、すっごく楽しかったよ。すぐに照れちゃう名前も見られたしさ。かわいいなぁ、本当に」

惚気かとツッコミを入れる貴銃士は誰もいない。彼の話す声色とは裏腹に彼のアイスブルーの瞳は冷たさを帯びていた。彼の脳内には湖に浮かべたボートに乗りながらはしゃぎつつも憂いの表情をする彼女の姿が過ぎる。彼女の表情の理由は簡単に分かる。彼女の亡き親友の銃のせいだ。本当だったらあのまま彼女を攫って何処か遠くでひっそりと幸せに暮らす算段だったというのに。

「で?おまえはこれからどうするんだ?あいつのためなら利用できるものは何でも利用する気でいたはずだっただろう。あいつに駆け落ちを拒否されて、それで終わりか?」

ようやくグラースが口を開いた。挑発するように。いつもの彼だったら優しい表情を浮かべて彼女のためなら仕方ないとここで諦めているだろう。しかし、今の彼は違かった。

「まさか」

余裕綽々の表情を浮かべた彼は長い足を組んでティーカップを手に持つ。アイスブルーの瞳の奥には静かに野心が潜んでいた。

「今はこれでいいよ。それに、ボクの味方してくれる人もいるしさ」

三人は僅かに表情を動かした。味方は自分達のこと言っているのか、あるいは違う貴銃士のことを言っているのか。もしくは、彼を含めたフランス銃の後ろ楯となる人間達のことを言っているのか。彼の表情からは分からない。

「三人とも、今回は協力してくれてありがとう。また、よろしくね?」

彼は、それはそれは美しく微笑んだ。伊達に一世紀近く使われた銃ではない。かつての怯えた姿はなく自信と誇りを取り戻した軍用銃はその名に恥じぬ威厳が凄まじかった。グラースは内心舌打ちした。形振り構わず欲しがるを覚えたお坊ちゃんに対し自分達に勝ち目がないことを悟って。


 心優しいフランスの貴銃士は自分を掬い上げてくれた彼女が大好きだった。だからこそ、誰にでも手を差し伸べる彼女のことを見るのがつらかった。あまり自らの幸せに興味を持たず各国から引き取った貴銃士を連れて戦場に向かう彼女の背中を見るとやりきれない気持ちになった。
 いつからだろう。彼女の幸せを願うばかりに彼が少しずつ欲深くなっていったのは。
 今の彼には彼女に優しい世界を作ることしか考えられなかった。自分を追い詰め今は優しさを取り戻したリリエンフェルト家も、恩と同情で手を差し伸べてくれるレザール家とロシニョル家も何だっていい。彼女が幸せになれるならどんな代償を払おうとも利用できるなら使い尽くそう。たとえ世界中を敵にまわしても彼女を傷つける輩は誰も許さない。一度全てを諦めた自分ならどんなに辛い目にあってもいい。でも、彼女だけは、どうかずっと笑っててほしい。
 それには英国のUL85A2も含まれていた。あの現代銃もこちら側に引き込んでしまえばいい。何故なら、現代銃が彼女にお土産を要求したせいで彼女は彼を選ばず士官学校に戻る選択をしたのだから。
 心優しいフランスの貴銃士の心は少しずつ緩やかに壊れ始めていた。本人はまだ気づいていない。何故なら彼自身、心が壊れると思いもしなかったからだ。フランスで虐げられていた日々に壊れていったあの頃と状況が違う。好きな人の幸せを願うからこそ壊れゆく心に本人はなんとも思わなかった。それに気づいている貴銃士はまだいない。いや、いても気づかないふりをしているのだろう。それで彼女が幸せになれるのならば、そして、フランスで絶望を味わってしまった彼もまた彼女を通じて幸せになれるのならばそれでいいのだ、と。

「シャルルくん、お願いがあるの」

 いつぞやの日に、二人きりになってしまった戦場で彼女は彼を呼んだ。差し出された彼の手に自ら手を重ねた彼女は涙で濡れた瞳と赤く染めた頬をそのままに彼を見上げ、続きを口にした。それを聞いた瞬間、彼はふわりと笑った。アイスブルーの瞳を震わせて、穏やかに、甘く、その願いを受け入れた。彼女の腕の中にはたった今任務で人の姿を失くしぼろぼろに傷ついた英国のUL85A2がある。彼女からくっついて離れない、彼女の親友が残した一挺の銃。彼女の心が折れる原因から本当は切り離してやりたいが、想像以上に深い二人の絆を壊すことはできなかった。これ以上彼女の笑顔を失うのは本意ではない。それに、ぼろぼろに傷ついた英国の現代銃が彼女の腕の中にあっても、彼女の恋心は確かにフランスの古銃に向いている。

「ボクに任せて、名前。何処まで行っても、ボクが君を守るから。ボク達、ずっと一緒だよ」

好きな人を守るためならば。彼はずっと前から彼女が望んだ瞬間彼女を攫うと決めている。彼は重ねられた手を握り返し、全てを飲み込む覚悟を決めて薔薇の傷にキスを落とした。

2022.08.20
離|救済措置様